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後編
第70話
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蛤石監視所のあちこちで木の床を歩く足音が鳴り響く。空が白み始め、見張りの交代の時間になったのだ。寝惚けた奴が出ない様に、敢えて大きな音を立てている。
しかし越後の名失いの街の蛤石からは、神鬼が全く沸かなくなってしまった。夏に緑色の髪の少女が現れ、半分に割ってしまったせいだ。
季節はもうすぐ冬。日が昇る前なら吐く息が白くなって来た。
このまま今年の仕事が終わるかと思っていたのだが、滅多に来ない雛白のお嬢様が毎日来る様になった。何をしに来たのかと言うと、ボーッと蛤石を眺め続けるだけだった。蛤石は双眼鏡で見なければどこに有るかも分からないくらい遠くに有るのだが、お嬢様は目が悪いにも拘わらず、肉眼で広場を見ていた。
何日か通った後、最後に面倒臭い指示をして帰って行った。
蛤石監視所の責任者である佐久間広一は、大あくびの後に丸メガネを指で押し上げ、監視小屋の窓から外を見る。雲の少ない朝焼けが綺麗だ。台所は木の壁の中に有るので、木の壁のあちこちから白い湯気が上がっている。漂う味噌汁の匂い。
今までは朝食と夕飯を交代の区切りにしていたのだが、お嬢様に夜明けと日の入りに変えさせられた。それも指示のひとつだった。
文句を言うつもりは無いが、生活リズムが崩れたので少し体調が良くない。銃を持って待機している男達も、神鬼が沸かないせいも有るが、少しだらけている。
双眼鏡で蛤石を監視する役目の男二人の姿勢も悪い。その男達が、窓枠から肘を落としてガクンとバランスを崩した。
「じ、神鬼出現!神鬼出現!」
数ヶ月振りの大声で、監視員の声が裏返った。
屋上で朝食と交代を待っていた男達も、銃を構えるのがかなり遅れた。
そのせいで蛤石広場に小型神鬼が大量に溢れ、木の壁を目指して進んで来ている。
棍棒の様に太くて長い腕。
節くれ立った短い足。
子供の様にぽっこりとしたお腹。
頭はつるんとした球体で、目の位置に黒い穴が開いている。
久しぶりに見る敵。
ポツポツと銃声が聞こえ始め、間も無く豪雨の様な銃弾が小型神鬼に向かって降り注ぎ出す。
何百匹もの小型神鬼が砂に帰って行く様子を見ながら、お嬢様の言葉を思い出す佐久間。
通常、蛤石から小型が涌き出る時間は、短くて一分。長くても二,三分。
しかし万が一その時間が五分以上続いたら、それは最終決戦の始まりだと言った。
佐久間は腕時計を見て、双眼鏡を覗いている男に話し掛ける。
「長いな」
「ええ。まさか、お嬢様の言う通りになるんでしょうか」
「ううむ……」
蛤石監視所は頑丈に作られてはいるが、所詮は分厚いだけの木の壁。小型神鬼でも時間を掛ければ破壊出来る。
しかし敵は素早く街を攻撃したいので、四体の中型神鬼乙を沸かせるとお嬢様は言っていた。乙が放つ熱線なら簡単に木の壁を燃やせるからだろう。
「……五分経った。本部に連絡する」
お嬢様の指示通り、雛白邸に無線を送る佐久間。
直後、双眼鏡の男が声を上げた。
「あ、あれ? 中型が沸きました! いつの間に?」
瞬きをした僅かな間に、亀が直立した様な化物が四体、広場に現れた。身長が十メートルは有る大物で、頭部に開いたみっつの黒い穴が両目と口の位置に有る。その穴の中で何かが燃える様に、目と口が赤くなって行く。
「総員、退避ー!」
佐久間がそう叫ぶと、伝言ゲームの様に退避と言う叫びが監視所に響き渡った。
銃声が止み、代わりに大勢の男達が走る音が蛤石監視所を支配する。
監視所には、黒鉄の甲羅を持った中型に対抗出来る攻撃力は無い。だからこの状況になったら即逃げろと、お嬢様は指示していた。
円滑に逃げられる様に避難訓練までしたので、東西南北に有る出入り口からスムーズに男達が吐き出される。避難訓練なんか気恥ずかしい、と愚痴っていた男達も、真面目な顔で整然と逃げている。
ズバババと言う派手な音と共に監視所が大きく揺れる。まだ薄暗い朝焼けの空に幾筋もの光線が輝いている。乙が熱線を発射し始めたのだ。
最後に南口を出た佐久間は、簡易通信用のヘッドフォンを装着した。
「被害報告を」
『北口、被害0』
『西口、軽傷者2。崩れた木片による掠り傷で、舐めれば治る程度です』
『東口、死者1、出ました。運悪く熱線の直撃を。遺体の回収は出来ませんでした』
『南口、被害0』
死んでしまった一人には悪いが、奇跡的な被害の無さだった。
監視所の内側からの熱線は今も絶え間無く発射され続けていて、木の壁が激しく燃え上がっている。即刻避難の指示が事前に無かったら、間違い無く監視所に詰めている人間の半分以上が焼死していただろう。
「お嬢様の予言通りに事が起こりましたね。龍の目とは……恐ろしい物です」
南口の被害報告をした男が、佐久間の横で呟いた。
監視所から立ち上る炎を見上げながら頷く佐久間。
「良し。では、各自指示された避難場所に移動。俺は雛白邸に行く。……全員、死ぬなよ!」
数百人の男達は大声で返事をし、監視所に背を向けてバラバラの方向に走り去った。
それと入れ替わりに戦車の群れが街の方から走って来て、燃える監視所を取り囲んだ。
しかし越後の名失いの街の蛤石からは、神鬼が全く沸かなくなってしまった。夏に緑色の髪の少女が現れ、半分に割ってしまったせいだ。
季節はもうすぐ冬。日が昇る前なら吐く息が白くなって来た。
このまま今年の仕事が終わるかと思っていたのだが、滅多に来ない雛白のお嬢様が毎日来る様になった。何をしに来たのかと言うと、ボーッと蛤石を眺め続けるだけだった。蛤石は双眼鏡で見なければどこに有るかも分からないくらい遠くに有るのだが、お嬢様は目が悪いにも拘わらず、肉眼で広場を見ていた。
何日か通った後、最後に面倒臭い指示をして帰って行った。
蛤石監視所の責任者である佐久間広一は、大あくびの後に丸メガネを指で押し上げ、監視小屋の窓から外を見る。雲の少ない朝焼けが綺麗だ。台所は木の壁の中に有るので、木の壁のあちこちから白い湯気が上がっている。漂う味噌汁の匂い。
今までは朝食と夕飯を交代の区切りにしていたのだが、お嬢様に夜明けと日の入りに変えさせられた。それも指示のひとつだった。
文句を言うつもりは無いが、生活リズムが崩れたので少し体調が良くない。銃を持って待機している男達も、神鬼が沸かないせいも有るが、少しだらけている。
双眼鏡で蛤石を監視する役目の男二人の姿勢も悪い。その男達が、窓枠から肘を落としてガクンとバランスを崩した。
「じ、神鬼出現!神鬼出現!」
数ヶ月振りの大声で、監視員の声が裏返った。
屋上で朝食と交代を待っていた男達も、銃を構えるのがかなり遅れた。
そのせいで蛤石広場に小型神鬼が大量に溢れ、木の壁を目指して進んで来ている。
棍棒の様に太くて長い腕。
節くれ立った短い足。
子供の様にぽっこりとしたお腹。
頭はつるんとした球体で、目の位置に黒い穴が開いている。
久しぶりに見る敵。
ポツポツと銃声が聞こえ始め、間も無く豪雨の様な銃弾が小型神鬼に向かって降り注ぎ出す。
何百匹もの小型神鬼が砂に帰って行く様子を見ながら、お嬢様の言葉を思い出す佐久間。
通常、蛤石から小型が涌き出る時間は、短くて一分。長くても二,三分。
しかし万が一その時間が五分以上続いたら、それは最終決戦の始まりだと言った。
佐久間は腕時計を見て、双眼鏡を覗いている男に話し掛ける。
「長いな」
「ええ。まさか、お嬢様の言う通りになるんでしょうか」
「ううむ……」
蛤石監視所は頑丈に作られてはいるが、所詮は分厚いだけの木の壁。小型神鬼でも時間を掛ければ破壊出来る。
しかし敵は素早く街を攻撃したいので、四体の中型神鬼乙を沸かせるとお嬢様は言っていた。乙が放つ熱線なら簡単に木の壁を燃やせるからだろう。
「……五分経った。本部に連絡する」
お嬢様の指示通り、雛白邸に無線を送る佐久間。
直後、双眼鏡の男が声を上げた。
「あ、あれ? 中型が沸きました! いつの間に?」
瞬きをした僅かな間に、亀が直立した様な化物が四体、広場に現れた。身長が十メートルは有る大物で、頭部に開いたみっつの黒い穴が両目と口の位置に有る。その穴の中で何かが燃える様に、目と口が赤くなって行く。
「総員、退避ー!」
佐久間がそう叫ぶと、伝言ゲームの様に退避と言う叫びが監視所に響き渡った。
銃声が止み、代わりに大勢の男達が走る音が蛤石監視所を支配する。
監視所には、黒鉄の甲羅を持った中型に対抗出来る攻撃力は無い。だからこの状況になったら即逃げろと、お嬢様は指示していた。
円滑に逃げられる様に避難訓練までしたので、東西南北に有る出入り口からスムーズに男達が吐き出される。避難訓練なんか気恥ずかしい、と愚痴っていた男達も、真面目な顔で整然と逃げている。
ズバババと言う派手な音と共に監視所が大きく揺れる。まだ薄暗い朝焼けの空に幾筋もの光線が輝いている。乙が熱線を発射し始めたのだ。
最後に南口を出た佐久間は、簡易通信用のヘッドフォンを装着した。
「被害報告を」
『北口、被害0』
『西口、軽傷者2。崩れた木片による掠り傷で、舐めれば治る程度です』
『東口、死者1、出ました。運悪く熱線の直撃を。遺体の回収は出来ませんでした』
『南口、被害0』
死んでしまった一人には悪いが、奇跡的な被害の無さだった。
監視所の内側からの熱線は今も絶え間無く発射され続けていて、木の壁が激しく燃え上がっている。即刻避難の指示が事前に無かったら、間違い無く監視所に詰めている人間の半分以上が焼死していただろう。
「お嬢様の予言通りに事が起こりましたね。龍の目とは……恐ろしい物です」
南口の被害報告をした男が、佐久間の横で呟いた。
監視所から立ち上る炎を見上げながら頷く佐久間。
「良し。では、各自指示された避難場所に移動。俺は雛白邸に行く。……全員、死ぬなよ!」
数百人の男達は大声で返事をし、監視所に背を向けてバラバラの方向に走り去った。
それと入れ替わりに戦車の群れが街の方から走って来て、燃える監視所を取り囲んだ。
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