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前編
第28話
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昔々、猿から人間に進化した生き物が居ました。それを猿の一族、猿人と呼びます。
同じ様に、植物から人間に進化した生き物も居ました。それを樹の一族、樹人と呼びます。
猿人は海辺や川沿いに文明を築き、樹人は山奥で文明を築きました。太古の昔はお互いの住む地域が離れていた事も有り、お互いの存在は知られていませんでした。
しかし猿人は数十年と言う短い寿命からか、爆発的な繁殖力を持っていました。瞬く間に人口を増やして行く猿人は、住処と食料を求めてその版図を広げて行きます。共同体で街を作り、国を作り、違う国の同族との戦闘を行って版図を広げる様は、現代にも続いています。
一方、樹人は数百年と言う長い寿命を持っていて、繁殖力は弱めでした。その為に人口が増えるペースはかなり緩やかです。ですが一人一人の寿命が長い為、蓄えた知識がかなり多い、賢い一族でした。
のんびりと暮らす知の樹人と、生き急ぐ闘の猿人。
猿人の版図が樹人の住処に到達するのは時間の問題でした。
賢い樹人は同族と戦う事をしなかった為、戦闘知識に長けた猿人に滅ぼされてしまいました。
そして猿人はこの世界の覇者になりました。猿人は現代まで世界の主役として文明を進化させています。
しかし猿人が築いた歴史の影で、樹人も生きていました。樹人はその賢さを利用して、ひっそりと生き長らえていたのです。猿人も樹人も見た目は同じですので、猿人に紛れて生きていたのです。
ただし寿命が違うので、猿人の世界に解け込む事は出来ませんでした。
そこで樹人はこう思います。
『我々の国を作ろう』
樹人は繁殖力が低いので、このままでは本当に滅んでしまいます。安全な樹人の国を作り、そこで子育てをしなければ。
だから、樹人は猿人に倣って侵略目的の兵器を作りました。
それが蛤石と神鬼です。
神鬼は、地中の鉱石に猿人の組織を組み込む事で生物とする兵器です。
蛤石は、猿人と鉱石を中に取り込み、神鬼を創り出す製造工場です。
このふたつの兵器を持って、樹人は猿人に戦いを挑んだのです。
「その戦いの始まりが、二十年前です」
長い間語った明日軌は、紅茶を飲んで一息吐いた。
「えっと、つまり、猿人の方が悪いって事ですか? だって、この戦いって、樹人の復讐って事ですよね?」
蜜月の言葉に頷く明日軌。
「しかし、これは大昔の話です。滅ぼした滅ぼされたと言う事は、自然界には普通に有ります。誰が悪いと言うお話ではありません」
「そうなんですか?」
「ええ。それが自然の営みですから。今この瞬間にも、人の営みに無関係な所で滅びている動植物は絶対に居ます」
「人が滅ぼしている?」
「いいえ。環境に合わなかったり、天敵が大繁殖して捕食されたり。理由は様々ですが、動物も、植物も、昆虫も、お互いに支え合ったり敵対したりして繁栄を願っています」
そう言った普通のお勉強も必要ですね、と笑んでから続ける明日軌。
「なので、樹人を滅ぼした猿人も、猿人を攻撃している樹人も、そう言う意味ではどちらにも罪は有りません。自分の子孫を餓えさせたくないと願っているだけ」
「なら、この戦いって無意味なんじゃ……」
「そう――かも知れませんね。しかし……」
明日軌は、戦争の意味を言葉に表すにはどうすれば良いか考える。立場や状況の数だけ闘争の理由が有ると言う事を上手く伝える言葉が見付からない。人生経験の少なさが歯痒かった。
黙っていると、先に蜜月が口を開いた。
「えっと、その樹人って、本当に居るんですか?」
「実在が確認された事は有りません。昔話に登場する神や妖怪の一部が樹人なのでは? と思われています」
「私、思ったんですけど……もしかすると、妹社って――」
「蜜月さんが言いたい事は分かります」
明日軌は蜜月の言葉を遮る。
「蜜月さんの母親の言葉。蜜月さんは特別、樹の一族の姫、神様の嫁。その蜜月さんを迎えに来た。これは妹社を樹人と証明する発言ではあります
「じゃ、妹社である私達は、敵である猿人の為に、仲間である樹人の兵器と戦っているんですか?」
悲しそうな顔になる明日軌。
「……真実は分かりません。謎だらけです。逆に訊きます。何か心当りは有りませんか? 蜜月さん」
蜜月は外国の犬の様な形の頭を横に振る。
「いいえ。ずっと考えていましたが、全く有りません」
「そうですか。これは私個人の考えですが、恐らく真実でしょう。我々は、猿人から産まれた樹人を妹社として利用している事になります。それこそが他言無用の真意です」
愕然としている蜜月の顔色を伺う明日軌。
「しかし、猿人から樹人が産まれるでしょうか? 形は同じでも、種族が違いますから。犬が猫を産んでいる様な物でしょう?」
「はぁ」
「妹社が樹人だとするのなら、過去に猿人と交わった事が有るのかも知れません。つまり、猿と樹の混血が妹社、と言う事ですね」
しかし、と続ける明日軌。
「他の地方で活躍している妹社のご両親を調べると、全員が普通の人間です。他の種族である証拠が一切出ない」
「私の母も、自分はただの人だ、と言っていましたね」
「なぜこの二十年で突然妹社が産まれ始めたのか? もしかすると、全く別の理由が有るのかも知れない。ですから、妹社は樹人ではない可能性も大きいのです」
「樹人じゃない……かも知れないんですか。でも……」
「ええ。明らかに人間じゃない妹社は樹人だ、と考えた方が簡単です。ですが、そう言い切れない存在が居るのですよ」
「それは?」
「それは、私です。私の左目の名前を教えましょう」
目を細めて優しそうに微笑む明日軌。
「龍の目、と言います。実は猿と樹の他に、もう一種類、人の形をした種族が居たと思われているのです。それが龍の一族」
「では、龍の一族が妹社の先祖かも知れないと言う事ですか?」
蜜月の瞳を見る明日軌。この国の人間では一般的な黒。
「瞳の色が龍の一族の証なら、可能性は有ります。蜜月さんの瞳も、一時的にですが、のじこさんの様に赤く変化したそうですし」
「らしい、ですね。その時の記憶は有りませんけど」
「しかし、赤い瞳を持つのじこさんは、何も特別な物を見ていません。他の妹社の方も、龍の目の様な視力を持っていると言う報告は有りません」
「言われてみれば、私も変な物を見た事は有りませんね。では、明日軌さんの左目は、何が見えていらっしゃるんですか? ハクマさんはその能力で命を助けられたと仰っていましたけど」
「過去の記憶、と言った方が良いでしょうか。分かり難いでしょうが、その土地の記憶が見えるのです。未来に繋がっている部分が有る記憶なら、将来も見えます」
明日軌は目を伏せる。意識すると、無意味に目の前の人の過去を見てしまうから。
「過去と未来の記憶を辿り、この街を救うと分かっていたのじこさんと双子の忍者を見付けたのです。これは偶然ではなく、運命の様な物です」
やはり言葉にすると分かり難いですね、とはにかむ明日軌。
「この目を持った人は他にも居ます。その仕組みを探る為に、研究所に入れられています。蜜月さんの様に」
蜜月はギクリとして肩を竦めた。未だに研究所の話題には嫌悪感が有る。
「私は雛白家に産まれたお陰で、お父様のお陰で、研究所に行かなくて済んでいます。だから私はこの目を使って雛白部隊を指揮しているのです。実験動物にされて辛い想いをしている、同じ目を持っている子達の為に」
「それが明日軌さんの戦う理由ですか」
「戦う理由? ……ええ、そうですね」
「もしかすると、私がここに来たのは……」
「この目の導きです。政府の人達は偶然だと思っているでしょうが、私から見れば、蜜月さんがこの街に戻って来るのは必然だと思っていました。だって――」
蜜月を見る明日軌。
「私の目には、蛤石を包み込む様に生える、蜜月さんの顔をした樹が見えるのですもの」
「な、何ですかそれは」
「土地の記憶です。蛤石の有る場所、蜜月さんの実家跡地を見ると生えています。その樹を守っている様に生えているのじこさんの顔をした樹も有ります。他にもう一本。これも女性の顔です」
絶句する蜜月。明日軌の見ている物は何だ?
「何故蜜月さんが蛤石を包んでいるのか? 分かりません。しかし、蜜月さんは特別、樹の一族の姫、神様の嫁。この言葉は、その状態を表しているのではないでしょうか」
「特別、姫、嫁。蛤石を包む、私の顔をした樹」
「もしかすると、妹社を蛤石の近くに配置する事は失策なのかも知れません。特に蜜月さんは。しかし、妹社が街を守らなければ、神鬼が蛤石を占拠してしまう。どうしようもないんです。人間も、生き残る為に必死なのです」
沈黙。
明日軌は人差し指を立てて話を再開させる。
「今回の大型討伐で、ひとつの疑問が解消しました。それは、大型に人間が半分だけ取り込まれていた事です」
伸ばしていた指を下ろし、手を膝の上に置く明日軌。
「その事で、神鬼は地中の鉱石に人間の組織を組み込んだ兵器だと言う仮説が事実だと証明されました。神鬼の流す赤い血は人間の血で、死骸の砂に含まれるカルシウムは人間の骨だと言う事は分かっていましたから」
その証明で、神鬼が蛤石の有る街を襲う目的の仮説も立ちましたと言う明日軌。
「中型神鬼は、蛤石に人間を取り込ませる為に、蛤石の有る街を襲うのでしょう。人間が蛤石に触れると中に取り込まれてしまいます。そして蛤石から小型神鬼が産まれるので、最初からそう思われてはいました」
「兵器を増やす為に襲って来る。……なるほど。私達の武器を作る為に中型神鬼の鎧を使っている様な物かな」
冷静に話を聞いてくれている蜜月に、内心ホッとして頷く明日軌。共生欲の強い妹社は、仲間と言う存在への反応が極端だからだ。仲間かも知れない相手を攻撃していたと知ったら、狂乱状態になる恐れも有った。人死にを必要以上に意識しているのも共生欲のせいだ。
「神鬼が人を殺害する際に余り遺体を壊さない理由はそこに有る様なのです。遺体をバラバラにしても、腕は腕だと判る形で残している。つまり、猿人を殺す復讐と、復讐を遂げる兵器作製を同時に行っているのですね」
明日軌は視線を横に逸らした。殺風景な木の壁。
「我々は樹人の実在を確認していません。あくまで神鬼と蛤石の存在を説明する仮説でしかないのです。妹社の親は全員が普通の人間ですから、妹社と樹人を同じ種族だとする説には異論を唱える学者の方が多いのです」
「樹人は、存在しない……?」
「何故実在が確認されていない樹人と言う物の話を蜜月さんにしているのか。その理由が、この左目です。この目で大昔の戦いを見たからです。土地に残っている時間にウソは有りません。樹人は存在する、と私は考えています」
明日軌は自分の左目を指差す。
「でも、過去が見れない他の人にしてみれば、私の話に真実味は有りません。ですから全てが仮説なのです」
沈黙。
それを破ったのは、蜜月。
「……明日軌さん」
「はい」
「話を聞いても、あんまり良く分かりませんでした」
「私も語りはしましたが、上手く伝えられたか、自信は有りません。まだまだ情報収集中で、暗中模索なのです」
「えっと、話してくれて、ありがとうございました」
蜜月は、椅子に座ったままペコリと頭を下げる。
「でも、何と戦っているのか、なぜこうなったのかは、大体分かりました」
「あくまで仮説ですけれど」
「仮説だとしても、この街に居れば、真実が向こうから来る様な気がして来ました。だから、私はここに居たくなりました」
蜜月は温くなった紅茶を飲み、クッキーをひとつ抓んだ。甘くて美味しかった。
出された物を残さず食べた蜜月は、おもむろに立ち上がる。
「ここは居心地が良いですから。みなさん親切ですし。もちろん、明日軌さんも」
「ありがとうございます」
「ですから、ここでの仕事をしようと思います。のじこちゃんとも、仲直り……って言うのかな。しようと思います。約束していたケーキ作りをしてみようと思います」
数日振りに心から笑む蜜月。
「迷いが取れた様で、良かったです」
「迷いと言うか……。分からない事だらけで、暗闇に立っている不安感と言うか」
「分かります。神鬼に対する私達の気持ちもそうですから」
明日軌も立ち上がり、二回手を叩いた。するとハクマとコクマが姿を現した。
「さて、蜜月さん。のじこさんとの仲直りに必要なら、この二人を使っても宜しいですよ」
「あ、じゃ、コクマさん。一緒にケーキを作りましょう。その前にギプスを取らないといけませんけど。すぐ取って来ます」
「取るって、今? まだ六日しか経ってないわよ?」
「多分大丈夫です。医務室に行って来ますので、また後で」
同じ様に、植物から人間に進化した生き物も居ました。それを樹の一族、樹人と呼びます。
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しかし猿人は数十年と言う短い寿命からか、爆発的な繁殖力を持っていました。瞬く間に人口を増やして行く猿人は、住処と食料を求めてその版図を広げて行きます。共同体で街を作り、国を作り、違う国の同族との戦闘を行って版図を広げる様は、現代にも続いています。
一方、樹人は数百年と言う長い寿命を持っていて、繁殖力は弱めでした。その為に人口が増えるペースはかなり緩やかです。ですが一人一人の寿命が長い為、蓄えた知識がかなり多い、賢い一族でした。
のんびりと暮らす知の樹人と、生き急ぐ闘の猿人。
猿人の版図が樹人の住処に到達するのは時間の問題でした。
賢い樹人は同族と戦う事をしなかった為、戦闘知識に長けた猿人に滅ぼされてしまいました。
そして猿人はこの世界の覇者になりました。猿人は現代まで世界の主役として文明を進化させています。
しかし猿人が築いた歴史の影で、樹人も生きていました。樹人はその賢さを利用して、ひっそりと生き長らえていたのです。猿人も樹人も見た目は同じですので、猿人に紛れて生きていたのです。
ただし寿命が違うので、猿人の世界に解け込む事は出来ませんでした。
そこで樹人はこう思います。
『我々の国を作ろう』
樹人は繁殖力が低いので、このままでは本当に滅んでしまいます。安全な樹人の国を作り、そこで子育てをしなければ。
だから、樹人は猿人に倣って侵略目的の兵器を作りました。
それが蛤石と神鬼です。
神鬼は、地中の鉱石に猿人の組織を組み込む事で生物とする兵器です。
蛤石は、猿人と鉱石を中に取り込み、神鬼を創り出す製造工場です。
このふたつの兵器を持って、樹人は猿人に戦いを挑んだのです。
「その戦いの始まりが、二十年前です」
長い間語った明日軌は、紅茶を飲んで一息吐いた。
「えっと、つまり、猿人の方が悪いって事ですか? だって、この戦いって、樹人の復讐って事ですよね?」
蜜月の言葉に頷く明日軌。
「しかし、これは大昔の話です。滅ぼした滅ぼされたと言う事は、自然界には普通に有ります。誰が悪いと言うお話ではありません」
「そうなんですか?」
「ええ。それが自然の営みですから。今この瞬間にも、人の営みに無関係な所で滅びている動植物は絶対に居ます」
「人が滅ぼしている?」
「いいえ。環境に合わなかったり、天敵が大繁殖して捕食されたり。理由は様々ですが、動物も、植物も、昆虫も、お互いに支え合ったり敵対したりして繁栄を願っています」
そう言った普通のお勉強も必要ですね、と笑んでから続ける明日軌。
「なので、樹人を滅ぼした猿人も、猿人を攻撃している樹人も、そう言う意味ではどちらにも罪は有りません。自分の子孫を餓えさせたくないと願っているだけ」
「なら、この戦いって無意味なんじゃ……」
「そう――かも知れませんね。しかし……」
明日軌は、戦争の意味を言葉に表すにはどうすれば良いか考える。立場や状況の数だけ闘争の理由が有ると言う事を上手く伝える言葉が見付からない。人生経験の少なさが歯痒かった。
黙っていると、先に蜜月が口を開いた。
「えっと、その樹人って、本当に居るんですか?」
「実在が確認された事は有りません。昔話に登場する神や妖怪の一部が樹人なのでは? と思われています」
「私、思ったんですけど……もしかすると、妹社って――」
「蜜月さんが言いたい事は分かります」
明日軌は蜜月の言葉を遮る。
「蜜月さんの母親の言葉。蜜月さんは特別、樹の一族の姫、神様の嫁。その蜜月さんを迎えに来た。これは妹社を樹人と証明する発言ではあります
「じゃ、妹社である私達は、敵である猿人の為に、仲間である樹人の兵器と戦っているんですか?」
悲しそうな顔になる明日軌。
「……真実は分かりません。謎だらけです。逆に訊きます。何か心当りは有りませんか? 蜜月さん」
蜜月は外国の犬の様な形の頭を横に振る。
「いいえ。ずっと考えていましたが、全く有りません」
「そうですか。これは私個人の考えですが、恐らく真実でしょう。我々は、猿人から産まれた樹人を妹社として利用している事になります。それこそが他言無用の真意です」
愕然としている蜜月の顔色を伺う明日軌。
「しかし、猿人から樹人が産まれるでしょうか? 形は同じでも、種族が違いますから。犬が猫を産んでいる様な物でしょう?」
「はぁ」
「妹社が樹人だとするのなら、過去に猿人と交わった事が有るのかも知れません。つまり、猿と樹の混血が妹社、と言う事ですね」
しかし、と続ける明日軌。
「他の地方で活躍している妹社のご両親を調べると、全員が普通の人間です。他の種族である証拠が一切出ない」
「私の母も、自分はただの人だ、と言っていましたね」
「なぜこの二十年で突然妹社が産まれ始めたのか? もしかすると、全く別の理由が有るのかも知れない。ですから、妹社は樹人ではない可能性も大きいのです」
「樹人じゃない……かも知れないんですか。でも……」
「ええ。明らかに人間じゃない妹社は樹人だ、と考えた方が簡単です。ですが、そう言い切れない存在が居るのですよ」
「それは?」
「それは、私です。私の左目の名前を教えましょう」
目を細めて優しそうに微笑む明日軌。
「龍の目、と言います。実は猿と樹の他に、もう一種類、人の形をした種族が居たと思われているのです。それが龍の一族」
「では、龍の一族が妹社の先祖かも知れないと言う事ですか?」
蜜月の瞳を見る明日軌。この国の人間では一般的な黒。
「瞳の色が龍の一族の証なら、可能性は有ります。蜜月さんの瞳も、一時的にですが、のじこさんの様に赤く変化したそうですし」
「らしい、ですね。その時の記憶は有りませんけど」
「しかし、赤い瞳を持つのじこさんは、何も特別な物を見ていません。他の妹社の方も、龍の目の様な視力を持っていると言う報告は有りません」
「言われてみれば、私も変な物を見た事は有りませんね。では、明日軌さんの左目は、何が見えていらっしゃるんですか? ハクマさんはその能力で命を助けられたと仰っていましたけど」
「過去の記憶、と言った方が良いでしょうか。分かり難いでしょうが、その土地の記憶が見えるのです。未来に繋がっている部分が有る記憶なら、将来も見えます」
明日軌は目を伏せる。意識すると、無意味に目の前の人の過去を見てしまうから。
「過去と未来の記憶を辿り、この街を救うと分かっていたのじこさんと双子の忍者を見付けたのです。これは偶然ではなく、運命の様な物です」
やはり言葉にすると分かり難いですね、とはにかむ明日軌。
「この目を持った人は他にも居ます。その仕組みを探る為に、研究所に入れられています。蜜月さんの様に」
蜜月はギクリとして肩を竦めた。未だに研究所の話題には嫌悪感が有る。
「私は雛白家に産まれたお陰で、お父様のお陰で、研究所に行かなくて済んでいます。だから私はこの目を使って雛白部隊を指揮しているのです。実験動物にされて辛い想いをしている、同じ目を持っている子達の為に」
「それが明日軌さんの戦う理由ですか」
「戦う理由? ……ええ、そうですね」
「もしかすると、私がここに来たのは……」
「この目の導きです。政府の人達は偶然だと思っているでしょうが、私から見れば、蜜月さんがこの街に戻って来るのは必然だと思っていました。だって――」
蜜月を見る明日軌。
「私の目には、蛤石を包み込む様に生える、蜜月さんの顔をした樹が見えるのですもの」
「な、何ですかそれは」
「土地の記憶です。蛤石の有る場所、蜜月さんの実家跡地を見ると生えています。その樹を守っている様に生えているのじこさんの顔をした樹も有ります。他にもう一本。これも女性の顔です」
絶句する蜜月。明日軌の見ている物は何だ?
「何故蜜月さんが蛤石を包んでいるのか? 分かりません。しかし、蜜月さんは特別、樹の一族の姫、神様の嫁。この言葉は、その状態を表しているのではないでしょうか」
「特別、姫、嫁。蛤石を包む、私の顔をした樹」
「もしかすると、妹社を蛤石の近くに配置する事は失策なのかも知れません。特に蜜月さんは。しかし、妹社が街を守らなければ、神鬼が蛤石を占拠してしまう。どうしようもないんです。人間も、生き残る為に必死なのです」
沈黙。
明日軌は人差し指を立てて話を再開させる。
「今回の大型討伐で、ひとつの疑問が解消しました。それは、大型に人間が半分だけ取り込まれていた事です」
伸ばしていた指を下ろし、手を膝の上に置く明日軌。
「その事で、神鬼は地中の鉱石に人間の組織を組み込んだ兵器だと言う仮説が事実だと証明されました。神鬼の流す赤い血は人間の血で、死骸の砂に含まれるカルシウムは人間の骨だと言う事は分かっていましたから」
その証明で、神鬼が蛤石の有る街を襲う目的の仮説も立ちましたと言う明日軌。
「中型神鬼は、蛤石に人間を取り込ませる為に、蛤石の有る街を襲うのでしょう。人間が蛤石に触れると中に取り込まれてしまいます。そして蛤石から小型神鬼が産まれるので、最初からそう思われてはいました」
「兵器を増やす為に襲って来る。……なるほど。私達の武器を作る為に中型神鬼の鎧を使っている様な物かな」
冷静に話を聞いてくれている蜜月に、内心ホッとして頷く明日軌。共生欲の強い妹社は、仲間と言う存在への反応が極端だからだ。仲間かも知れない相手を攻撃していたと知ったら、狂乱状態になる恐れも有った。人死にを必要以上に意識しているのも共生欲のせいだ。
「神鬼が人を殺害する際に余り遺体を壊さない理由はそこに有る様なのです。遺体をバラバラにしても、腕は腕だと判る形で残している。つまり、猿人を殺す復讐と、復讐を遂げる兵器作製を同時に行っているのですね」
明日軌は視線を横に逸らした。殺風景な木の壁。
「我々は樹人の実在を確認していません。あくまで神鬼と蛤石の存在を説明する仮説でしかないのです。妹社の親は全員が普通の人間ですから、妹社と樹人を同じ種族だとする説には異論を唱える学者の方が多いのです」
「樹人は、存在しない……?」
「何故実在が確認されていない樹人と言う物の話を蜜月さんにしているのか。その理由が、この左目です。この目で大昔の戦いを見たからです。土地に残っている時間にウソは有りません。樹人は存在する、と私は考えています」
明日軌は自分の左目を指差す。
「でも、過去が見れない他の人にしてみれば、私の話に真実味は有りません。ですから全てが仮説なのです」
沈黙。
それを破ったのは、蜜月。
「……明日軌さん」
「はい」
「話を聞いても、あんまり良く分かりませんでした」
「私も語りはしましたが、上手く伝えられたか、自信は有りません。まだまだ情報収集中で、暗中模索なのです」
「えっと、話してくれて、ありがとうございました」
蜜月は、椅子に座ったままペコリと頭を下げる。
「でも、何と戦っているのか、なぜこうなったのかは、大体分かりました」
「あくまで仮説ですけれど」
「仮説だとしても、この街に居れば、真実が向こうから来る様な気がして来ました。だから、私はここに居たくなりました」
蜜月は温くなった紅茶を飲み、クッキーをひとつ抓んだ。甘くて美味しかった。
出された物を残さず食べた蜜月は、おもむろに立ち上がる。
「ここは居心地が良いですから。みなさん親切ですし。もちろん、明日軌さんも」
「ありがとうございます」
「ですから、ここでの仕事をしようと思います。のじこちゃんとも、仲直り……って言うのかな。しようと思います。約束していたケーキ作りをしてみようと思います」
数日振りに心から笑む蜜月。
「迷いが取れた様で、良かったです」
「迷いと言うか……。分からない事だらけで、暗闇に立っている不安感と言うか」
「分かります。神鬼に対する私達の気持ちもそうですから」
明日軌も立ち上がり、二回手を叩いた。するとハクマとコクマが姿を現した。
「さて、蜜月さん。のじこさんとの仲直りに必要なら、この二人を使っても宜しいですよ」
「あ、じゃ、コクマさん。一緒にケーキを作りましょう。その前にギプスを取らないといけませんけど。すぐ取って来ます」
「取るって、今? まだ六日しか経ってないわよ?」
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