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第四章:犠牲の国・ポルタ

第71話

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ねぇ、ちょっとこっちに来て頂戴――
あら、怖がらないでちょうだいな――
ほら、私の両目を見つめてね――
さぁ、私にすべてをあばかれて――
そう、白磁の肌よ清らかな――
はぁ、駆け巡る血潮の熱き事――
それ、今この時よと貪るの――
まぁ、これでもう終わりなの――
いえ、ワガママなんて言わないわ――
でも、これっぽっちじゃ足りないの――
あれ、叶えたい願いがあるのでしょ――
なら、何をすべきか分かるわね――



ああ、次の獲物はまだかしら――










 ――カラコロ、ゴロコロ。
踏み固められた堅い赤土の路を、その車輪の音だけを響かせて進む一台の幌馬車が進んでいた。その様子はとても異様である。幌「馬車」と形容したが、その表現すら適切であるかどうか分からない。
 何故なら、その幌馬車を引いているのは馬ではなかったのだ。引いていたのは一頭の巨大な狼、四つ足の状態で人の身長と同じ高さはあろうかという漆黒の狼だった。しかし、よく見ずともこの狼は尋常の物ではないと分かる。無論その大きさもであるが、何よりもその両目から立ち上がる紫の気炎が不可思議な様相を呈すのだ。
 その狼は馬のように蹄鉄の音を響かせず、軽やかな様子で大きな幌馬車を引いている。恐らく馬なら四頭立ては必要であろう大きさの馬車であるのに、だ。その狼の胴体、丁度前足の辺りにはこれまた真っ黒なハーネスのようなものが着いていて、そこから真っ黒な紐が御者台に向かって伸びている。
 そんなどこもかしこも真っ黒で不吉な狼を手繰っていたのは、真逆と言ってもいいような可憐な少女であった。長い白銀の髪はふわふわと柔らかそうに揺れている。整った幼い顔立ちは、御者台に座るよりも大きなお屋敷の子供部屋のベッドが似合いそうだ。真紅の大きな瞳はぱっちりと開かれている。薄く色づいた頬と唇は、少女特有の可憐な美を表していた。
 彼女は木々に囲まれた道の中を、まっすぐに進行方向を見ていた。対面から他の馬車や通行人、その他障害物がないかを確認するためである。すると、少女の背後から若い女性の声が聞こえてきた。

「クロエさん、そんな気を張っておらずとも大丈夫なのでしょう? 少し休まれては如何ですか?」

 クロエと呼ばれた少女はその言葉に振り返り、幌馬車の中へ視線を向けた。かけられた言葉に少しはにかむような笑顔で応答する。

「あ、はい。ありがとうございます。でも、僕も前世では車、乗り物を操縦していたから。これは習慣みたいなもので……それに、見たことのない景色ってワクワクするんだ。」

 クロエが視線を向ける先、そこにいたのは一人の若い女性だった。クロエと似通った銀の髪は先端付近が薄紫に染まっている。その髪色と対比するかのような褐色の肌は、髪色と相まって何とも怪しげな魅力を放っていた。豊満な体はたとえ同姓であっても魅力を感じられずにいられないだろう。そしてその身を包むのは女中、いわゆるメイドと呼ばれる人々が身に着けるような服である。深い森の中、この馬車の中なら違和感はそうないが、場所が変わればその容姿も相まってとても目立つだろう。
 そして何よりも注目されるのは、その大きくとがった耳だろう。人間のそれと比較してはるかに大きく伸びたその耳は、彼女が人外の存在であることを表している。そう、彼女はいわゆるエルフ、その中でも闇属性の魔力に高い適性を持つダークエルフと呼ばれる存在なのだ。ダークエルフは通常のエルフとは違い、高い魔力と共に高い身体能力も有する。魔法に加え近接武器や肉弾戦を行えるのだ。
 彼女はその名をミーナ・アレクサンドリアと言った。ミーナはクロエが発した言葉に、少し困ったように眉根を寄せて返した。

「そうは仰いましても、ずっとそこに座られていましては腰を痛めてしまいませんか? 馬車を引く狼、影狼ガルムはクロエさんの魔法なのですし、ある程度の判断能力はあるのでしょう?」

 ミーナの言葉にクロエは少し考える。ミーナの言った通り、この馬車を引く影狼ガルムはクロエの魔法【影創造クリエイト】で作ったものだ。そのつもりもなかったのに影狼ガルムにはある程度の自己意識があり、障害物や通行人程度なら自分で判断して避ける。それを分かった上でクロエが御者台に座っていたのは、ある考えがあったからだ。

「あー、うん。そうなんだけど……御者台に誰も座っていないのに馬車が勝手に進んでいたら不審な目を向けられないかなって思ってて。」
「……クロエさん、それはないですわ。」

 クロエの言葉にミーナとは別の声が聞こえてきた。クロエと比べて年上に、ミーナと比べて若く聞こえるその声は、馬車に座るミーナの対面から聞こえてきたものだった。
 そこにいたのは輝くばかりの金の髪を肩口あたりで切りそろえた女性だった。少女ではない、しかし大人でもないその姿は、男なら青年と称すところであろう。まるでコーカソイドののような白い肌を持つ彼女は、緑を基調とした服を着ていた。これまた整った顔立ちにあるのは、何とも気の強そうな力強い瞳である。深緑の輝きを見せるその瞳は、彼女の両横から伸びる長い耳と合わせて、彼女がエルフであることを示していた。
 彼女の名はサラ・エルゼアリス。エルフの中でもハイエルフと呼ばれる風属性の魔力に高い適性を持つ種族である。彼女はエルフにあるイメージの通り風の魔法と弓を得意とする。ミーナ共々エルフが共生する「エルフの郷」に住んでいたのだが、とある事件をきっかけに郷を出てクロエと行動を共にしていた。
 彼女はその丁寧な口調も相まってとても高貴な人物であるかのように思われる。実際彼女はエルフの郷をまとめる長の娘であり、いわば姫でもあった。ミーナはサラが幼いころの教育係である。
 そんなサラの否定の言葉にクロエは首をちょこんと傾げた。その仕草はクロエの幼い容姿と重なりとても可愛らしい。サラはその姿に頬を軽く赤らめながらも言葉を続けた。

「まず、こんな大きくて真っ黒な狼が幌馬車を引いている時点で否応にも注目を引きますわ。と言うよりも、狼に目が行って誰も御者の不在なんて気にも留めませんわよ? むしろ、クロエさんみたいに可愛らしい女の子が座っていた方が危ないですわ。だって、ついつい攫っちゃいたくなるんですもの。ね、ミーナ?」
「……『攫っちゃいたくなる』の部分には賛同しかねますが、おおむね同意見です。仕方がないとはいえ影狼ガルムは目立ちますから。御者がいなくてもその狼が魔法的存在か、魔物の類かと思われるだけですね。」

 二人からの言葉にクロエは、はたと思い直す。変なところで変な常識を思うのは、自身が異世界から来た身であるからだろうか。自身の考えと周りとのズレをその出自に起因するものと考えているクロエは、また一つ学んだような心持を得ていた。
 ただ、彼女がズレていたのは別にここが彼女にとって異世界であるからではなく、彼女自身が少し変わりものであったからなのだが。
 クロエは二人の言葉に納得すると、御者台を降りて幌馬車の中へ入っていった。その際、ガルムに対し「しばらくお願いね」と声をかける。ガルムもどうやって出したのかは分からないが、「ウォン」と一声鳴いて返答した。それを聞いたクロエは満足げに頷くのだった。
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