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序 章:事の発端・日本

第3話

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 目を覚ましたら、一人鬱蒼とした深い森のなかだった。周りには誰もいない。周囲を高い木々に囲まれ日差しが所々にしか届かない。謎の虫や鳥の声が聞こえてくる。
 どうやら無事に転生できたようだ。意識もしっかりしている。記憶も正常、視界・聴覚ともに良好。むしろ良くなってる?  結構遠くまで見える。あ、眼鏡がない。
 いやいやそんなことより、ここはどこだろう?  どうせ転生させてくれるならどこかの町にでもしてくれたら良かったのにな。気が利かないね。全く。
 何はともあれ移動しよう。そう思いボクは立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。立ち上がろうと地面につけた自分の手に違和感を得て、ボクは固まってしまったのだ。
 ――ボクの手って、こんなんだったっけ?
 途端にボクの頭を嫌な予感が駆け巡った。おかしい、そんはずはない。確かに最近読んだラノベでもそんな展開はあった。あの謎の声も転生前に何かしゃべっていた気がする。でも、信じられない信じたくない!  だって、いくらなんでもあんまりじゃないか。
 その時、不意に水音が耳に飛び込んできた。どうやら近くに水場があるらしい。そこなら自分の姿を確認できる。ボクは一目散に駆け出した。よく考えればこの時、妙に走りにくかったとか、なんでそんな微かな水音が聞こえたとか、いろいろと疑問は思い浮かぶ。その時はそんなこと思いもしなかったんだけど。
 雄大な自然という天然バリケードをやっとの思いで掻き分けると、そこにはとても大きい湖があった。静かな水面が青空を映して輝いている。現代日本ではなかなか見られない純度100%の自然だ。ただ、これまで抜けてきた道のりでも分かったことだが、ここら周辺に生えている植物は、ボクの知っている植物とは違うものばかりだった。嫌が応にでも自分が異世界に来たことを実感する。少なくともここは日本じゃない。
 現実逃避ぎみに周囲を観察していたけど、目的を果たさなくちゃ。ボクは急いで水際に駆け寄って水面に映る自分の姿を確認した。そしてボクは驚愕することになる。

「な、なん、何だこれぇぇえええッ!?」

 風に微かに波立つ水面。そこに映っていたのは二十数年間慣れ親しんだ顔ではなく、雪のように真っ白な髪をもった年の頃にして十歳、いや下手したら一桁台の可愛らしい少女の顔だった。










 少し落ち着いてきた。嘘だ。今だ混乱の最中だ。小説なんかだと性別が変わるなんてよくあることだろう。だけど、実際に自分の身に起こると、もう訳が分からない。脳が完全に処理落ち状態だ。現にボクは「学校どうしよう」とか、「戸籍はどうなるの?」とか、下らないことばかりが頭をよぎっていた。なんとアホなことだろう。ここは異世界なのに。 
 混乱で頭がグルグルする。目も回りそうだ。最悪、性転換だけなら良くはないけど、まぁ良いよ。今まで彼女もいなかったわけで、童貞だ。女顔だってよくからかわれたけど、それでも立派に性欲もあったし女性にも興味がある。でもロリコンじゃないんだ。自分の体とは言え手が出せないよ。単純に小さい。手足も何もかもだ。こんなんじゃ剣も握れないし、生きていくのもどうしよう?  妙に走るのが遅いのも納得だ。
 本当にどうしたものか。こんな森の中でもパニックにならなかったのは、自分が成人男性の体だと疑わなかったからだ。こんな体で、これから生きていけるのか?
 ボクがそんなことを考えて呆然としていると、ふと水面に映る自分の姿が気になった。いや、気になる点ばかりだったんだけどね。

「……?  耳の形が……何だこれ?」

 耳が尖っているような気がするのだ。こんなものだと思えばそれまでだけど、どうしても気になる。しかも、体に意識を向けたせいか、おしりの辺りになんか違和感がある。
 汗が一筋、頬を伝い流れ落ちる。止まらない嫌な予感。この違和感の正体は、さっき茂みを抜けるときに枯れ葉か何かが服に入っちゃっただけなんだ。頼むよ、そうであってくれ。現実逃避は加速する。
 お尻の方でモゾモゾと動く物体がある。虫かなんかだと思い込もうとしているが、意識を向ければ向けるほど、それがボクにつながっているように思えてならない。いや、そろそろ現実に向き合おう。ボクは意を決しお尻の方に手を伸ばした。
 ぶかぶかになってしまったズボン、その腰口からはみ出てピョコピョコ動く物体を補足した。それを握りしめる。と同時に、尾てい骨の当たりから頭の先にまるで電流のような何かが走った。

「ひぅっ!?」

 何か恥ずかしい声が出た。何なんだ、すっかり女の子気取りかボクは。文句の一つもあげたくなるようだが、本当に無意識に声が出た。見事なまでのロリボイス。大きいお友達が大喜び間違い無しだ。
 いやいや、問題はそこじゃない。なんだこれは? ボクはおそるおそる、もう一回手を伸ばした。指先にまるでイルカの背びれみたいな感触が伝わる。わかりにくいな、でも他に例えようがないや。尾てい骨の当たりから伸びているそれは間違いない、尻尾だ。人間にはない物だ。嫌な予感だけが当たっていく。
 お尻の方に意識を集中させると、なんとなくだが動かし方が分かってきた。まるで今まで使ったことのない筋肉を使うような感じだ。以外と長さのあるそれはズボンから飛び出して、ボクの目の前まで来た。こうしてみるとまるで悪魔の尻尾みたいだ。先は菱形みたいになっている。ボクは再び湖に顔を映した。
 改めてみるとボクの顔は完全に女の子になってしまっていた。男の時の顔も女みたいだとは言われていたけど、あくまでそれは中性的って意味。今の顔は日本人離れした華奢な作りになってしまっている。髪も真っ白で、サラサラというよりはフワフワと言う形容がしっくりくる。これが自分じゃなかったら、抱きしめたらさぞ気持ちいいと思えるんだけど。

「……何度見ても、やっぱりこれがボクか……」

 口から発せられたロリボイスがボクの心を深くえぐる。転生したと思ったら性別まで変わるなんて。しかも人間じゃない。ボクは水面に映る自分の姿を見ながら思った。

(尻尾が生えていて、耳も尖っている。これで角とか羽があったら、完璧悪魔だな。)

 そんなことを考えていたその時、水面に映るボクの背後に何か黒い影のような物が、ボクの両側からまるで襲いかかるように突然飛び出してきた。

「な――ッ!?」

 すぐに後ろへ振り向く。だが、そこには誰もいなかった。茂みまでは少し距離があるし、それが揺れたような気配も音もない。上にも勿論誰もいない。何かの見間違えだろうか、そう思いボクが再び水面に視線を戻すと、やはりボクの背後にそれはいた。

「――!」

 またとっさに振り向こうとするが、ここである事に気づく。背後のそれはさっきから動かない。ボクを襲うつもりなら今やれば良いはずだ。それによく見ると、それはどうやら生き物ではないようだ。何だろうこれは……羽?
 ボクは身体の向きを変えず、首だけを回して背後をうかがった。するとそこには、身体から少し離れた場所に浮いている、一対の羽があった。

「な、何これ……?」

 身体から少し離れているにもかかわらず、それはボクの意志で動かせるようだ。しかも感覚まである。風が羽を押す感覚だ。手を伸ばして触ってみる。ゴムみたいな感触だ。適度な弾力がある。まるで蝙蝠のような羽だが、これでどうやって空を飛ぶんだろう。こんなことなら勉強しておけば良かった。
 ボクが羽に夢中になっていると、不意に少し離れた茂みがガサガサッと音を立てた。そちらに視線を向けると、その茂みの中から大型犬ほど大きさの犬、いやオオカミみたいな生き物が姿を現した。ソイツを見た瞬間、ボクはここが地球ではないことを真に理解した。
 ――だって、目が三つもあるオオカミなんて地球にはいなかったはずだもん。
 茂みから出てきたのは合計で三頭。そいつらはボクを見つけると、扇状に広がってボクにジリジリと近づいてきた。

「え、えっと……おすわり!!」
「……」

 もしかしたら言うことを聞かないかな、なんて思ったけれどだめかもしれない。

「ま、まて! ステイ! ゴー、ホーム!!」
「グルルルル……!」

 ダメだ。敵意って言うか、これ、もしかしなくても、ボク……狙われてる?
 その考えに至るとボクは即座に立ち上がり、迷わずに逃げの一手を選んだ。転生前の身体でもあんな大型犬三頭を素手で相手するなんて無理だ。今の身体だったらなおさらだろう。攻撃手段も何もなし。体の良いエサだ。
 オオカミたちも迷わずにボクを追いかけてきた。もしかしたらすぐに追いつかれてしまうかもしれないと一瞬考えたが、この木々が生い茂る森ではアイツらもなかなか追いつけずにいるみたいだ。しかも、この身体は結構ハイスペックであるようで、引き離すまでは行かなくてもすぐに追いつかれはしないみたい。
 生い茂る木々を小さな身体を活かして避けていく。だが、このままではジリ貧だろう。なにか決定打になる物は無いか?
 そうだ、羽! これで飛んで逃げれば良いじゃないか! 木の上にでも行けばアイツらも追ってこれないだろう。ひらめいたボクは背中に意識を傾ける。背中の羽はボクの意志をくんで動くのか、ピクンと反応すると最初はゆっくり、徐々に動き出した。

 ――パタ、パタパタ。パタパタパタ!

 飛ばない。いや、飛べない! なんだこれ、パタパタ動くだけでむしろ邪魔だな! 微かに身体が浮いたかと思ったら羽を下に動かす動作で地上に戻ってしまう。ボクの動かし方が悪いのか? どうする? どうすれば良い? 他に、他に何か無いか? し、尻尾? こんなんで何ができるって言うんだ! アイツらになめ回されて悶絶するのがオチだ!
 とにかく今は走り続けなくちゃ。転生して一時間もしないうちにまた死亡とか笑えない! あぁ、もう! こんなの聞いてない!!










「……思い返せば、すべてはあの謎の声のせいだ……!」

 これまでの記憶を反芻して静かに怒りを高ぶらせるクロエ。だが、今現在はその怒りをぶつける相手はおろか、自分を助けてくれる存在も無い。どう見ても絶体絶命だった。

「ハァッ、ハァッ……!」

 懸命に走り回っていたクロエであったが、次第に息が切れてきたようだ。額から汗を流し、息も上がってきている。元々人外の身とはいえ、幼い少女の身体なのだ。基礎体力は低い。更には彼女の身に纏っている服装にも問題があった。

(なんで身体を変えるなら、服も変えてくれなかったのかな!? こんなのじゃ走りにくいったらないよ! でも、こんなところで全裸疾走だけは嫌だ。女になって間もなく痴女と化すのは避けなければ!)

 只でさえ走りにくい森の中、そこで更に走りにくい服装で走っている。もしかしたら、これで服装の憂いさえなければ、彼女は逃げ切っていたかもしれない。だが、現実は残酷であった。

「……せっかく、転生したのに……また死んでたまるか……!」

 意気込むものの、これと言った打開策はない。ならばこのまま行けるとこまで行くしかないのかとクロエが考えたその時、とうとう体力も底を尽きたのか、木の根に躓いたクロエはそのまま転び空中で半回転。その背中をちょうど正面にあった大木に激しく打ち付けてしまった。

「あっ!! っぐ! うぅ……」

 背中を打ち付けてしまったことで、肺の空気が身体の外へ押し出されてしまった。それまでの激しい運動の影響もあって、クロエは上手く呼吸ができなくなってしまった。打撲特有の鈍い痛みと、酸欠のクラクラとする酩酊感が同時に襲いかかる。天地の区別も怪しい。立ち上がることすら危うい。だが、上手く動かない身体に反して思考だけは明瞭としていた。

(クッソ、何なんだ!? 何かに躓いたのか。クラクラするな……まったく。まるで守株だよ。あ、あれは切り株だったっけ? あぁ、もう。痛いなぁ……)

 ふらつく足取りで何とか立ち上がったクロエ。もはや現実逃避すら陳腐な物となる。追ってきたオオカミらも獲物を追い詰めた自覚があるのか、足を止めてジリジリと近寄ってきた。クロエは何とか迎撃をしようとするも精神に身体が追いついてこないようで、もはや生まれたての子鹿と言った形容がお似合いな状態だ。

(せっかく転生したって言うのに、ボクはこんなところで死ぬのか? 誰にも知られず、一人で食べられて? そんなの、嫌だ!)

 只ではやられない。そんな意志を乗せた視線をオオカミらに向ける。その瞬間、森の奥から凜とした意志を感じる声が届いた。

「【風の矢ウィンドアロー】!」

 木立の隙間を縫うように矢のような物が飛来する。それはクロエを守るようにオオカミとの間に突き刺さった。オオカミらはその矢に驚いたのか一声鳴き声を上げると森の奥へと逃げていった。
 それを見届けたのか、矢が飛んできたと思われる方向から「大丈夫ですの!?」という声が聞こえてきた。だが、クロエにはその声を冷静に聞いている余裕がなかった。

(よく、分からないけど……これは、助かったの、かな……?)

 安心感からか、目を閉じてその場に倒れ込んでしまうクロエ。遠くから聞こえる声と、微かに見える金色を目にしながら。










 ――そこは、空の中だった。縦横無尽に駆け抜ける風は正に自由。
 ――そんな風の中にクロエは一人浮かんでいた。朝とも夕暮れとも判断付かない薄紫の空の中だった。
 ――不意に背後に気配を感じる。だが、振り返ることはできない。だが、その気配はどこか懐かしい気配だった。
 ――背後の影はクロエのすぐ側まで近づくと、耳元でささやきだした。荒れ狂う風の中でも不思議とはっきり聞こえる声だった。

「……その子を、よろしくね。」
「えっ――」

 ――クロエが振り向くも、そこには誰もいなかった。
 ――ただただ、抜けるような空と吹き荒れる風があるだけだった。
 ――徐々に意識が曖昧になっていく。










「う~ん……はっ!」

 意識を取り戻したクロエは、そのまま上体を急な動きで起こした。途端に背中に鈍い痛みが走る。

「あっ! いたた……」

 覚醒直後のぼんやりとした頭で周囲を確認する。ログハウスのような室内は、窓から差し込む柔らかな光に包まれている。素朴な内装にはシンプルな作りの木製家具が置かれていた。クロエはぼんやりとした思考で「北欧のスウェーデンみたい……」と考えていた。
 意識を腰の下に向けると、柔らかな感触を感じる。どうやら自分はベッドの上にいるようだ。はっきりしない思考でそんなことをクロエは考える。

「んぅ……どこだろ、ここ? 何か、夢でも見てたみたいだけど……思い出せない……」

 まだ眠気の残る目元を握った手でコシコシとこする。すると、部屋に取り付けられた扉、その扉をノックする音が転がった。同時に若い女性らしき声も聞こえてくる。

『クロエさん? 起きてますか?』

 扉の先の声はクロエを気遣うような声色で話しかけてきた。その言葉は明らかに日本語とは違う物であったが、クロエには不思議とそれが日常語のように理解できた。こちらからの言葉はどうなるのだろうか。クロエは疑問に思うが、そのまま言葉を返してみた。

「……はい、起きてますよ。」
『あぁ、それは良かったですわ。立ち上がることはできますの?』
「大丈夫です。」
『それでは申し訳ないのですけど、扉を開けていただけませんか? 両手に物を持っていまして開けられませんの。』
「分かりました、ちょっと待っててください。」

 そう言うとクロエはベッドから起き上がった。身体に掛かっていたシーツがはらりと落ちる。この時、クロエは起きて間もない半覚醒状態の頭であった。だからだろうか、自分が幼い少女の身体になってしまっていた事を失念していた。さらには、何故か自分が全裸であった事に、今の今まで気づかないでいた。
 扉まで向かうほんの少しの距離の間にそのことに気がついたクロエはとっさにしゃがみ込んで身体を隠す。それと同時に、全くの無意識でとても可愛らしい叫び声を上げてしまった。

「――ッ!? や、いやぁぁああッ!?」

 クロエのその悲鳴を聞いたのか、扉の外で「ガシャンッ!」という堅い物が落ちる音が響いた。続いて激しく扉がノックされる。

『ど、どうしたんですの!? い、一体何が……!?』
「や、ひっ! あ、あの、その……!」
『扉から離れてください!! こじ開けますわよ!!』

 そう言うやいなや、扉が吹き飛ばされた。元々金属でできたような頑丈な物ではなかったというのもあるだろう。破壊された扉の破片や木くずが部屋の中に充満する。だが、そんなことは関係ないとばかりに一人の女性が飛び込んできた。

「大丈夫ですの!? 一体なに、が……ぁ……?」
「み、見ないでぇぇえええッ!!」

 ―続く―
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