5 / 30
前編 ハジミとクジャ
第5話
しおりを挟む
王宮に着き、ぞろぞろと立ち並ぶ家臣団や、騎士や、貴族たち、それに召使いたちの波を抜け、誰もいない部屋に通されたハジミは、胸がどきどきと高鳴っていた。
(王宮はすごいわ。うちよりたくさんの人がいるんだもの)
リグノア教徒もシュトノク教徒も、六歳になるまでは神殿にお参りに行くことが許されない。学び舎に通うこともできない。だからハジミは、家から出たことがほとんどなかった。彼女にとっては、家が世界のすべてだった。
フィオガハは人波を堂々と歩いていた。ハジミはやっと、フィオガハに敬意を抱いた。
「さあ、ハジミ。この、星見の部屋でしばらく待っていましょう。ハイルも、新しい龍神の化身、龍の少年を連れてくるでしょう」
しかし、しばらく待っても、誰も来なかった。フィオガハは心配そうな顔をし、ハジミはだんだんいらいらしてきた。
「どうしたのかしら……」
フィオガハは赤い帽子を被った頭を傾けたあと、窓を覗きにいった。王宮の最上階であるこの部屋には、大きな窓は一つもなく、小さな飾り窓しかなかった。ハジミも退屈なので、窓から外を覗きにいった。窓の外に見える大きなお屋敷。それがハジミの家だった。
「本当にフィオは、窓の外を眺めるのが好きだな」
背後から男の人の声がした。ハジミが振り返ると、十八歳くらいの、堂々とした体格の青年が、青白い顔をした、細っこい男の子を連れて、部屋の真ん中に立っていた。青年は、フィオガハと同じような帽子と、同じような服を身につけていた。ただし、その色は緑色だった。
「ハイル! 遅いわよ、どうしたの?」
フィオガハは親しげに、ハイルと呼ばれた青年の元へ駆けていった。
「いやあ、こいつが、あまりの人の多さに酔ってしまって、吐いたのさ。支度を整え直すのに、時間がかかったってわけだ」
ハイルは、男の子の肩をばんばん叩いて、大笑いしていた。
「ハイル、よしなさい。かわいそうに、具合が悪くなるくらい、緊張したのね。わかるわ。わたしも、初めてここに来たときは、緊張してお腹が痛くなって……」
「そうか? 俺は、ずいぶん偉くなったもんだって、誇らしく思ったぞ!」
ハイルは豪快に笑った。その間も、男の子はずっと、青白い顔をしてうつむいていた。ハジミはこの男の子のことを、かわいい、守ってやりたいと思った。まるで、弟ができたように思ったのだ。
「大丈夫?」
ハジミは男の子に駆け寄り、その顔をのぞき込んだ。表情がよくわからなかった。ハジミは男の子の頬に手を当てて、そっと顔を持ち上げた。背丈も、ハジミより小さいようだ。ハジミはこの男の子のことを、またしても守ってやりたいと思った。
男の子はハジミと目が合うと、目をぱちくりとさせた。ハジミがにこやかに笑うと、男の子はますます目をぱちくりさせた。
「だ、大丈夫……」
「よかった。はじめまして。わたしはハジミ。ひなぎくっていう意味よ。もっと綺麗な花の名前がついていればよかったのだけど。あなたの名前を教えて?」
男の子はどぎまぎしていた。ハジミはじれったさと、愛おしさのちょうど真ん中の気持ちを、しばらくの間、口の中であめ玉みたいに転がしていた。
「クジャ……」
「月桂樹ね! いいなあ、立派な名前で」
ハジミはクジャを抱きしめた。後ろで、俺の名前は、黒鷲って意味だぞ、と、ハイルが笑っているのを、ハジミは完全に無視した。
ハジミの腕の中で、クジャはかかしのように突っ立っていた。
「大丈夫?」
クジャは戸惑った顔をしていた。やがて意を決したように、口を開いた。
「花の香りがする人なんて、いると思っていなかったから、びっくりした」
ハジミの身体に染みついているのは、フーガジェミの花の香り……ハジミの母さんの香水の香りだ。ハジミは、首をかしげた。
「あなたのお母さまは、香水を使わないの?」
「母さんはいない。僕を産んですぐに、死んだ」
「そう……ごめんなさい。じゃあ、お姉さまは?」
「僕の家には、女の人はいない」
「じゃあ、わたしがあなたの姉さまになってあげる」
ハジミは誇らしげに笑った。
「嬉しいな、ありがとう」
クジャは、やっと笑った。
**
ハジミは、前をゆくクジャの背中をじっと見つめた。いつの間にかその背中は大きくなり、この間、身長も抜かれた 。
(王宮はすごいわ。うちよりたくさんの人がいるんだもの)
リグノア教徒もシュトノク教徒も、六歳になるまでは神殿にお参りに行くことが許されない。学び舎に通うこともできない。だからハジミは、家から出たことがほとんどなかった。彼女にとっては、家が世界のすべてだった。
フィオガハは人波を堂々と歩いていた。ハジミはやっと、フィオガハに敬意を抱いた。
「さあ、ハジミ。この、星見の部屋でしばらく待っていましょう。ハイルも、新しい龍神の化身、龍の少年を連れてくるでしょう」
しかし、しばらく待っても、誰も来なかった。フィオガハは心配そうな顔をし、ハジミはだんだんいらいらしてきた。
「どうしたのかしら……」
フィオガハは赤い帽子を被った頭を傾けたあと、窓を覗きにいった。王宮の最上階であるこの部屋には、大きな窓は一つもなく、小さな飾り窓しかなかった。ハジミも退屈なので、窓から外を覗きにいった。窓の外に見える大きなお屋敷。それがハジミの家だった。
「本当にフィオは、窓の外を眺めるのが好きだな」
背後から男の人の声がした。ハジミが振り返ると、十八歳くらいの、堂々とした体格の青年が、青白い顔をした、細っこい男の子を連れて、部屋の真ん中に立っていた。青年は、フィオガハと同じような帽子と、同じような服を身につけていた。ただし、その色は緑色だった。
「ハイル! 遅いわよ、どうしたの?」
フィオガハは親しげに、ハイルと呼ばれた青年の元へ駆けていった。
「いやあ、こいつが、あまりの人の多さに酔ってしまって、吐いたのさ。支度を整え直すのに、時間がかかったってわけだ」
ハイルは、男の子の肩をばんばん叩いて、大笑いしていた。
「ハイル、よしなさい。かわいそうに、具合が悪くなるくらい、緊張したのね。わかるわ。わたしも、初めてここに来たときは、緊張してお腹が痛くなって……」
「そうか? 俺は、ずいぶん偉くなったもんだって、誇らしく思ったぞ!」
ハイルは豪快に笑った。その間も、男の子はずっと、青白い顔をしてうつむいていた。ハジミはこの男の子のことを、かわいい、守ってやりたいと思った。まるで、弟ができたように思ったのだ。
「大丈夫?」
ハジミは男の子に駆け寄り、その顔をのぞき込んだ。表情がよくわからなかった。ハジミは男の子の頬に手を当てて、そっと顔を持ち上げた。背丈も、ハジミより小さいようだ。ハジミはこの男の子のことを、またしても守ってやりたいと思った。
男の子はハジミと目が合うと、目をぱちくりとさせた。ハジミがにこやかに笑うと、男の子はますます目をぱちくりさせた。
「だ、大丈夫……」
「よかった。はじめまして。わたしはハジミ。ひなぎくっていう意味よ。もっと綺麗な花の名前がついていればよかったのだけど。あなたの名前を教えて?」
男の子はどぎまぎしていた。ハジミはじれったさと、愛おしさのちょうど真ん中の気持ちを、しばらくの間、口の中であめ玉みたいに転がしていた。
「クジャ……」
「月桂樹ね! いいなあ、立派な名前で」
ハジミはクジャを抱きしめた。後ろで、俺の名前は、黒鷲って意味だぞ、と、ハイルが笑っているのを、ハジミは完全に無視した。
ハジミの腕の中で、クジャはかかしのように突っ立っていた。
「大丈夫?」
クジャは戸惑った顔をしていた。やがて意を決したように、口を開いた。
「花の香りがする人なんて、いると思っていなかったから、びっくりした」
ハジミの身体に染みついているのは、フーガジェミの花の香り……ハジミの母さんの香水の香りだ。ハジミは、首をかしげた。
「あなたのお母さまは、香水を使わないの?」
「母さんはいない。僕を産んですぐに、死んだ」
「そう……ごめんなさい。じゃあ、お姉さまは?」
「僕の家には、女の人はいない」
「じゃあ、わたしがあなたの姉さまになってあげる」
ハジミは誇らしげに笑った。
「嬉しいな、ありがとう」
クジャは、やっと笑った。
**
ハジミは、前をゆくクジャの背中をじっと見つめた。いつの間にかその背中は大きくなり、この間、身長も抜かれた 。
4
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
理想の王妃様
青空一夏
児童書・童話
公爵令嬢イライザはフィリップ第一王子とうまれたときから婚約している。
王子は幼いときから、面倒なことはイザベルにやらせていた。
王になっても、それは変わらず‥‥側妃とわがまま遊び放題!
で、そんな二人がどーなったか?
ざまぁ?ありです。
お気楽にお読みください。
イケメン男子とドキドキ同居!? ~ぽっちゃりさんの学園リデビュー計画~
友野紅子
児童書・童話
ぽっちゃりヒロインがイケメン男子と同居しながらダイエットして綺麗になって、学園リデビューと恋、さらには将来の夢までゲットする成長の物語。
全編通し、基本的にドタバタのラブコメディ。時々、シリアス。
鎌倉西小学校ミステリー倶楽部
澤田慎梧
児童書・童話
【「鎌倉猫ヶ丘小ミステリー倶楽部」に改題して、アルファポリスきずな文庫より好評発売中!】
https://kizuna.alphapolis.co.jp/book/11230
【「第1回きずな児童書大賞」にて、「謎解きユニーク探偵賞」を受賞】
市立「鎌倉西小学校」には不思議な部活がある。その名も「ミステリー倶楽部」。なんでも、「学校の怪談」の正体を、鮮やかに解明してくれるのだとか……。
学校の中で怪奇現象を目撃したら、ぜひとも「ミステリー倶楽部」に相談することをオススメする。
案外、つまらない勘違いが原因かもしれないから。
……本物の「お化け」や「妖怪」が出てくる前に、相談しに行こう。
※本作品は小学校高学年以上を想定しています。作中の漢字には、ふりがなが多く振ってあります。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
※本作品は、三人の主人公を描いた連作短編です。誰を主軸にするかで、ジャンルが少し変化します。
※カクヨムさんにも投稿しています(初出:2020年8月1日)
稀代の悪女は死してなお
楪巴 (ゆずりは)
児童書・童話
「めでたく、また首をはねられてしまったわ」
稀代の悪女は処刑されました。
しかし、彼女には思惑があるようで……?
悪女聖女物語、第2弾♪
タイトルには2通りの意味を込めましたが、他にもあるかも……?
※ イラストは、親友の朝美智晴さまに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる