即興短編集

田原更

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民話風小説:収穫祭

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 秋も深まってきた。今日は、アンナが暮らす小さな村の収穫祭の日だ。

 収穫祭は、ただ、食べて飲んで大笑いするだけの日ではない。今年一年の恵みを、神さまに感謝する日でもある。アンナはかごいっぱいに詰まったザクロを、教会前の広場まで運ぼうとした。

「うんしょ、うんしょ、重たいなあ……」

 小柄なアンナが、一生懸命ザクロを運んでいると、どこかからぬっと腕が伸びてきた。かごのてっぺんにあったザクロが、宙に浮いた。

「いただきぃ!」

「ジャン! この、泥棒!」

 ジャンと呼ばれた少年は、くるりと振り返り、「重たそうだからな! 少し減らしてやったんだよ!」と、減らず口を叩いて逃げ去ってしまった。

「んもう! ジャンにも困ったわ!」

 アンナはため息を一つついて、再び広場に向かって歩き出した。

                   **

 広場には、リンゴやピスタチオがたくさん入ったかごが、いくつも並んでいた。ザクロが入ったかごも、もちろんたくさんある。アンナは収穫したザクロのかごを、隅っこにそっと置いた。

 かごを置いたあと、アンナは教会に入った。みなが浮かれ騒ぐ収穫祭だけど、アンナはその輪に加わらず、一人そっと祈るのだ。

「みなが、アンナのように信心深いとよいのですが……」

 都の大修道院で修行を積んだという修道士さまは、アンナを見て苦笑いした。

「みなのぶんまで、私が祈ります」

 アンナは跪いて、手を組んだ。

「主よ。今年のお恵みをありがとうございます。おかげさまで、おいしいザクロが実りました。リンゴも、ピスタチオも豊作でした。この一年は平穏でした。戦に取られる人もいませんでした。どうか、どうか、来年も平和にすごせますように……」

 祈りを捧げているうちに、アンナは、戦で亡くなった兄のことを思い出した。

(兄さんは、とても優しかった……)

 力の弱いアンナのぶんまで、重いかごを運んでくれた兄さん。

 かごいっぱいのザクロから、一番おいしいザクロを見分けて、アンナに取ってくれた兄さん。

(どうして、あんなに惨い死に方を……)

 アンナは思わず、口元を手で押さえた。

 物言わぬ遺体で帰ってきたアンナの兄さんは、頭がザクロのようにぱっくりと割れていた。斧の一撃を食らったようだ。

 兄妹二人きりで育ってきたアンナは、ザクロを見ることもできなくなり、アンナの家のザクロ畑は、収穫されなかったザクロが散乱していた。

「どうか、どうか、来年も、平和に過ごせますように……」

 アンナは涙を流して、神に祈った。

                    **    

 教会の扉が、乱暴に開かれた。誰かの荒い息づかいが聞こえてきて、アンナは後ろを振り返った。

「アンナ、アンナ、大変だ! すぐに来い!」

「騒々しいですよ、ジャン!」

 修道士がジャンをとがめたが、ジャンは気にする様子もなく、アンナの手を引いて、教会をあとにした。

「ちょっと、何するの? まだお祈りの途中なのに……」

「いいから、来い!」

 ジャンはアンナを広場まで引っ張っていった。広場の中央には村長と語らう、一人の男がいた。

「あの男が……この辺の領主様が、お前をお呼びだ」

 ジャンはアンナにそっと耳打ちした。

 アンナは緊張のあまり、手足をぎくしゃくさせて、領主様の元へ向かった。

「あのザクロを育てたのは、お主か?」

 領主は一番隅に置かれたザクロのかごを指さした。

「さようでございます」

 アンナはひざまずき、頭を垂れたまま問いかけに答えた。

「そうか。私はザクロが好きでな。我が屋敷の庭でも育てているが、ここまでうまいザクロは採れぬ。どうすれば、このようにうまいザクロが採れるのか、秘訣があれば教えてくれぬか……?」

 若い領主は、にこやかに笑った。アンナの死んだ兄さんと、同じくらいの年頃だった。

「そんな……秘訣など、何もございません……」

 アンナは恐れ多さのあまり、深く頭を下げた。

「そんなことはなかろう。どんな些細なことでもいいのだ。教えてくれ」

 領主は、余程のザクロ好きのようだ。アンナは目を閉じ、懸命に考えたが、やはり何も浮かばなかった。

 黙りこくっているアンナを見て、領主はだんだん苛立ってきたようだ。無理もないことだった。領主がしがない領民の娘に話しかけるなど、ほとんどないことだ。そのような名誉を前にして、黙りこくるなど、失礼にもほどがあるのだ。

「何かあるだろう。教えろ」

 領主の声は険しくなった。村長も、村人たちも、あのジャンでさえ、固唾をのんでアンナを見守っていた。

(助けて……、兄さん、助けて!)

 アンナは優しい兄のことを思い浮かべた。

                    **

 幼いアンナは、いつでも兄さんの後ろをくっついて回っていた。口の悪いジャンが、「金魚の糞」とからかっても、アンナは気にしなかった。

 兄さんは度々、教会で祈っていた。

「主よ、一日の糧をありがとうございました。父が死に、母が死んでも、妹とともに生きていけるのは、この豊かな土地を与えてくださった、主のおかげです」

「お兄ちゃん!」

 アンナは後ろから、兄さんの背中に飛びついた。兄さんは前のめりに倒れかけた。

「こら、アンナ!」

 兄さんは幼いアンナを小突くふりをした。アンナは少しのあいだ、怖くて目を閉じたが、目を開けると兄さんは優しく笑っていた。

「祈りの邪魔をしちゃ、いけないぞ。俺は、神さまに、感謝の気持ちを伝えているんだ」

「神さまに……」

 そう言うと、アンナは頬を膨らませた。

「神さまに祈っても、何にも聞いてくれないよ! どんなに祈ったって、お父さんも、お母さんも、帰ってこないじゃない! 助けてくれなかったじゃない!」

 修道士様が留守なのをいいことに、アンナは地団駄を踏んで悔しがった。

「アンナ……命は巡るものだよ。ザクロが実って、大地に落ちて、芽が生える。若木がすくすく育って、いつしか、新しい実をつける。父さんたちは大地に落ちて、いつしか消えてしまった。だけど、俺たちという若木が残っている。俺たちもいつの日か、新しい実をつける……、そんな日が来るんだ」

「お兄ちゃん……」

 わからない、とばかりに、アンナは兄さんの顔をのぞき見た。兄さんは少し悲しげに笑っていた。

「アンナ、すべてのザクロから芽が生えるわけじゃない。すべての芽から、若木が育つわけじゃない。考えてごらん? そんなにたくさん、ザクロの木があったら、どれもこれもそんなに大きく育たないだろう?」

 アンナは、ザクロの若木が、まるで雑草のようにぼさぼさ生えているところを想像してみた。確かに、そんなところで、ザクロの木が大きくなって、実をつけるとは、とても思えなかった。

「アンナ、おいしい実が実るのは、まさに奇跡としか言えない。だから、俺は神さまに祈る。奇跡をくださって、ありがとうございます。俺たちを生かしてくれて、ありがとうございます、って……」

「お兄ちゃん……、わかった。私もこれから、お兄ちゃんと一緒に祈るわ」

「そうだ、一緒に祈ろう」

 兄さんは再びひざまずいた。アンナは兄さんの真似をして、一生懸命祈った。

                   **

(そんな兄さんも、戦で死んでしまった。でも、私が祈り続けなきゃ、兄さんが祈った甲斐がなくなってしまう)

 アンナは一度目を伏せて、すっと面を上げた。

「領主様、秘訣なら、一つだけございます」

「何だ。申してみよ」

 領主の声色が変わった。少し、機嫌を直したらしい。

「私は、常に神に祈りを捧げ、ザクロを育てております。秘訣と言って思いつくのは、それしかございません」

「祈り……?」

 領主は首をかしげた。アンナは深く頷いた。

「そうです。収穫への感謝を。生きている事への感謝を。そして、平和への祈りを」

「そうか。我が使用人どもの、信心が足りぬと言うのだな」

「違います」

 アンナは首を振った。

「領主様自ら、祈りをささげてくださいませ」

 若い領主は、目を瞬かせて、それから大声で笑った。

「なんとまあ、古くさいことを申す娘だ。今はもう、祈りだ信心だ、という時代でもあるまいに」

「だからこそ、あなた様だけでも、心からお祈りくださいませ」

 アンナは深く、頭を垂れた。

「わかった。では試してみよう。娘よ。手を差し出せ」

 言われたとおり、アンナが手を差し出すと、領主は褒美だと言って、金貨を三枚、手のひらに載せた。

 アンナは何度も何度も、領主に頭を下げた。

                     **

 領主が帰ったあと、ジャンはアンナが握りしめた金貨を見て、にやりと笑った。

「おい、アンナ。それ、一枚よこせ。俺の分だからな」

 アンナは眉をしかめ、大声を上げた。

「何を言っているの、ジャン! これは、修道院に寄付するんだから。村の困っている人たちのために、使ってもらうわ」

「へえ、相変わらず、信心深いこった。お前、そのおかげで救われたんだぜ。でも、残り半分は、俺のおかげだ。それを一枚で我慢してやるって言うんだぞ!」

「どういうことよ、ジャン?」

 ジャンは、再びにやりと笑って、もったいぶりながらこう言った。

「あの領主様は、一番てっぺんのザクロを取った。たいそう、おいしかったみたいだぜ?」

「それとあなたと、何の関係があるの?」

「俺だって、一番てっぺんのザクロを取ったろう?」

「ええ、そうだったわね」

 アンナは午前中の出来事を思い出して、再び眉をしかめた。

「お前、命拾いしたんだぞ! あのザクロ、すっげえまずかったんだから。領主様があのザクロを食っていたら、お前、殺されてもおかしくなかったんだぜ!」

 アンナは顔を真っ赤にした。それを見て、村人たちは、一斉に笑い出した。

「まあまあ。過ぎたことだよ、アンナ。それより、お前もこっちにおいで。おいしいアップルパイを食べなさい」

 村のおばさんが手招きした。

「うまそうだな! 俺も食べるぞ」

 ジャンがそう言うと、村のおばさんは口を一文字に開けた。

「泥棒に食わせるアップルパイはないよ、ジャン?」

 悔しがるジャンを見て、アンナは大きな声で笑い出した。

 ――完――
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