ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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後編 ミーナは機を織る

第50話 未来への希望

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 冬が来る前に、ミーナとイェルクはヘリガを伴い、イメディング城へ向かった。コンラートは相変わらず、執務室でふんぞり返っていた。
「お兄さま」
 ミーナはコンラートに深く頭を下げた。
「わたしは、あの日まで、お兄さまやゲルトルート奥さまの気持ちを考えたことがありませんでした。お兄さまの言うとおり、わたしは子どもでした。わたしのせいで、お兄さまや奥さまが傷ついたのならば、謝ります。ですが、お母さまのことはお許しください。お母さまはただ、わたしを守りたかっただけなのですから」
 コンラートは鼻を鳴らした。
「ふん、お前みたいな独りよがりが、そこまで考えたか。さすが、私だ。領地の経営だけではなく、演技も一流とはな」
 それは強がりだろうと、ミーナも、イェルクも感じていた。しかし、それ以上二人は何も言わなかった。
「で、そんなことをわざわざ伝えに来たわけでもあるまい?」
 コンラートはなんだか少し面白そうな顔をしていた。きっと、何を言いに来たのかわかっているのだろうと、二人は感じていた。
「義兄上。いや、コンラート。折り入って頼みがある」
「何だ」
 イェルクは緑色の目で、親友を真っ直ぐ見つめながらこう言った。
「ビルング家をイメディング家に併合する話を取り下げてほしい」
「何故だ」
 コンラートも、ただ一人の友の顔を真っ直ぐに見つめた。
「お前とこれからも対等な友でいたいからだ」
 コンラートは深い青の目を丸く見開いた。その目からはいつもの皮肉っぽい光が消えていた。
「自分を利用した男を、まだ友と呼ぶか。とんだお人好しだな。だが、ビルング家の危機を一番肌身で感じているのは、イェルク、お前だろう?領地の経営をどう進めるつもりだ」
 イェルクはミーナを見つめた。ミーナは小さくうなずいた。
「ミーナが、これからは藍玉や、藍で染めた糸や布を我がビルング領の特産品にしようと計画している。この利益で、なんとか経営を立て直そうと考えているのだ」
 コンラートは再び、深い青の目を丸く見開いた。しかし、その目からはいつもの皮肉っぽい光が見えた。
「お前が、商売をするのか、ウィルヘルミーナ?おままごととは違うのだぞ」
 ミーナは意地悪な兄に向かって、優しく微笑んだ。
「わたしはみんなの力を借りて、いい製品を作るだけです。これを商売として成り立てるには、多くの人の力が必要です。お兄さま、いえ、イメディング領織物商人ギルド総裁、コンラート・イメディングさま。どうか私たちにお力添えください」
 そう言うとミーナは、ヘリガを呼び出した。ヘリガはその手にうやうやしく、空色の麻布一反を抱えていた。ミーナはそれを受け取り、コンラートにひざまずいて麻布を差し出した。コンラートはそれを手にし、その色や手触りや織り目をじっくりと観察した。ほう、とため息をついた。
 ミーナは話を続けた。
「イメディング産の赤い毛織物と、ビルング産の青い麻布を、対にして売り出したいのです。東の国の商人たちは、イメディング産の毛織物をずいぶん高い値段で買うとか。どうか、その販売力で、わたしたちの青い布を東の国に広めてほしいのです。そうすれば、互いに利益を生むことができます。赤に銀の紋章のイメディング家と、青と白の紋章のビルング家が、ともに手をたずさえて歩む未来こそ、素晴らしいとは思いませんか?」
 コンラートは三度、深い青の目を丸く見開き、にやりと笑った。
「わかった。ならば、我々はお前達から買い取った値段の二倍、いや、三倍で売ってやろう。これで、我がイメディング家はますます栄えるだろう。くれぐれも、良質な布を織れよ。我がイメディング家の名に傷をつけるような商品を出したら、決して許さんからな」
 コンラートの目には、もうあの皮肉っぽい光はなかった。ミーナは義兄に礼をいい、イェルクは親友の手を取り、固い握手を交わした。

 季節は巡り、三度目の夏がやってきた。ミーナは我が子を抱き、満開の亜麻の花畑に立っていた。その子は青と白の横縞模様の布を巻かれ、すやすやと眠っていた。
 さっぱりと長髪を切ったイェルクが、突然部屋から飛び出した妻の後を追いかけてきた。
「ミーナ、無理をするな。まだ子を産んだばかりなのだから、部屋に戻って休んでいろ」
「何をおっしゃるの?わたしはあなたに見せたかったのよ、この満開の花畑を。まるで、空がここに落ちてきたようでしょう?」
 ミーナは一面の青の絨毯の中で笑っていた。それを見て、イェルクも微笑んだ。
「ああ、綺麗だ」
「来年も、再来年も、ずっとこの花を見ましょう。この子も一緒に」
「ああ、そうだな」
 イェルクはミーナの元に行き、生まれた子どもを受け取った。
「温かいな。これが人の命か」
「ええ、温かいでしょう?クラーラお母さまも、カタリーナお義母さまも、レオポルトお父さまも、マルクスお義父さまも、どんな思いで私たちを抱いたのでしょうか?」
「きっと、温かいと思ったに違いない」
 イェルクはミーナを見て笑った。そして、赤子の顔をつんつんと触った。
「名前はなんとつけてやる?」
「もう決めてあるわ」
 ミーナは赤子を高く抱き上げた。心なしか笑ったように見えた。
「この子の名前はナディヤ。希望、という意味よ!」
「ああ、いい名だ。そうしよう。この子は我らの未来への希望だ」
 ミーナはイェルクとナディヤの顔を交互に見つめ、こぼれるような笑みをうかべた。
「ナディヤ。わたしのかわいい子。これからずっと、たとえいつか離れても、お父さまとお母さまがついていますからね。どうか、幸せにおなり」
 ミーナは、赤い髪に、緑色の目をしたナディヤに頬ずりした。じんわりと、命の温もりが伝わってきた。
 
 ー完ー
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