ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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後編 ミーナは機を織る

第46話 クラーラの愛(1)

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「お義母さま、機織りを教えていただきとうございます」
 ビルング城に戻ったミーナは、真っ先にカタリーナのもとへおもむき、丁重に頭を下げた。
「まあ、そんなにかしこまって、どうしたの?それより、今日は疲れているでしょう。ゆっくり休んだらどう?」
「ご心配いりません、お義母さま」
 ミーナは真剣なまなざしでカタリーナを見つめた。そのまなざしの中にある揺らぎを、カタリーナは敏感に受け止めた。
「何かあったのかしら?蛮族が侵入して、イェルクがそちらに向かったことなら、わたしも知っているけれど…。イメディング家にも立ち寄ったのよね。コンラートさまはお変わりなくお元気かしら?」
「兄は元気にしております」
 ミーナは短く答えた。
「そう。なら、よかったのだけど。あちらで少しゆっくりしていっても、よかったのよ?」
 普段のミーナなら、ここで、お兄さまに追い返されたと泣きつくところだが、この日のミーナは凛と姿勢を正して立っていた。しかし、その目にいつもの無邪気な輝きはなかった。カタリーナはミーナの様子がおかしいことを悟りつつ、これ以上の詮索はしなかった。
「わかりました。では、教えましょう」
 カタリーナはメイドを数人呼ぶと、城内の倉庫にミーナを招いた。

 カタリーナが倉庫から取り出したのは、木の枠だった。かなりの大きさで、一メートル四方を超えていた。木枠の上下の辺には、等間隔で釘が打ちつけてあった。その間隔はかなり狭かった。
 カタリーナはそれをいったん家事室に運び入れるようメイドたちに命じたが、ミーナはそれを自室に運ぶようメイドたちに頼んだ。カタリーナは何も言わずに受け入れた。
 木枠をミーナの部屋に運ぶと、カタリーナはそれをテーブルに立てかけた。そして、ミーナに、染めた糸の中でも十分な長さのあるものを持ってくるように言った。ミーナは鏡台の側に置いたかごから一番大きな糸玉を持ってきた。
「それなら大丈夫そうね。今から機織りのやり方を教えます」
 カタリーナの言葉にミーナは首を傾げた。目の前にあるのは、ただの木枠で、織り機ではない。
「この織り機はとても簡単。なにしろ、人々が魔法を使えるようになる前から使われていたのよ。上の釘から下の釘へ、下の釘から上の釘へと、経糸をかけていくだけ。そこへ、一列目は、奇数の経糸をすくいながら緯糸を通す。二列目は、偶数の経糸をすくいながら緯糸を通す。その繰り返し。必要なのは、集中力と、根気だけね」
 ミーナは木枠の中を見つめた。何もない空間に、これから布ができていくのだ。一メートル四方の布。それを織るのは、わたし。
「さあ、糸をかけましょう。一人でやると糸がたわんでしまうから、ヘリガ、手伝ってあげて」
 ミーナはヘリガに手伝ってもらいながら、くぎに一本一本、経糸をかけていった。最後のくぎに経糸をかけたあと、経糸の端と端を木枠に結びつけた。
「お次は緯糸ね。さあ、最初の列はどの糸をすくっていくのかしら?」
「奇数の経糸です」
「ええ、そのとおりよ」
 ミーナはカタリーナから杼の使い方を教わった。杼に緯糸を巻き付け、その杼を経糸にくぐらせていくのだ。
「さあ、やってみて」
 ミーナは一、二、と唱えながら杼で経糸をすくってはくぐらせ、またすくってはくぐらせていった。
「あ、違うわ!」
 ミーナはあわてて、一本経糸を飛ばしてしまった。
「じゃあ、間違えたところからやり直しね。どこから間違えたかわからないなら、この緯糸の最初からやり直したほうがいいわ」
「わかりました」
 そのあと、ミーナは糸が切れたときの対処法や、青く染めた糸と染めていない糸の交換方法を教わった。
「ねぇ、集中力がいるでしょう?今日はもう休んだほうがいいわ」
 カタリーナは優しく休憩を勧めたが、ミーナは首を横に振った。
「これから一人で頑張ります。お義母さま、ありがとうございました。皆、下がって…ヘリガもよ」
「ミーナお嬢さま…」
 ヘリガは心配そうに言った。
「さぁ、ヘリガも行きましょう。たまにはお茶でもしましょうか。ミーナ、晩餐の前で切り上げるのですよ」
 カタリーナはミーナの部屋の戸を優しく閉めた。皆の足音が消えたあと、ミーナは部屋の鍵を締めた。

 誰もいなくなった部屋で、ミーナは鏡台を見つめていた。ミーナは相変わらず、鏡に映る自分を見たくなかった。
 (わたしは、今までひとの気持ちを考えたことがあるのかしら…)
 ミーナはため息をついた。
 (わたしは、自分のことで頭がいっぱいだった…)
 鏡台の引き出しの中には、大切な鞠と、イェルクがくれた東方の女神像が眠っていた。
 (そのうえわたしは、自分のことすら見つめようとしない)
 ミーナは鏡台の側に行き、久しぶりに引き出しを開けた。女神像はやわらかな笑みを浮かべていた。ミーナはぶるぶる震えながら、鏡に据え付けた扉を開けようとした。
(嫌!イェルクが愛想をつかしたわたしの顔なんて、見たくない!)
 ミーナは据え付けた扉から手を離し、後ずさった。
 (どうしてそんなに怖いの、自分の顔でしょう?どうして、どうして!)
 ミーナは頭を抱えてうずくまった。
(そうだわ…鏡に映るわたしの顔は、わたしの知らない誰かの顔なのよね)
 ミーナはもう一度、鏡台の前まで歩み寄った。しかし、どうしても鏡に据え付けた扉を開くことはできなかった。
(機を織り、ビルング家の女としての務めを果たしたならば、扉を開ける勇気が出てくるかもしれない…)
 ミーナは木枠の織機をじっと見つめた。青い経糸がびっしりと並んでいた。ここに緯糸をかけていくことで、布が出来上がる。
「あなたたち二人が、縦横の糸になって、一枚の布に織り上がるには、まだまだ時間がかかるのだと思うわ」
 ミーナはカタリーナの言葉を思い出していた。
(もし、一枚の布を織り上げたなら、わたしたち、やり直すことができるかしら…)
 ミーナは希望を持つことにした。なにしろ、ミーナは光の子、希望の子なのだ。
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