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中編 ミーナは糸を染める
第40話 ミーナの旅(3)
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ブラーヴァ国にある、かつてリシュカが暮らしていた街に着いた。フバードは、宿の手配と、リシュカを探す役目を担ってくれた。ミーナはフバードに礼を言った。その間ミーナは街を回り、持ち合わせのお金で、美しい緑色の布を一反購入した。お金はそれでほとんど無くなってしまった。
数日後、フバードが宿にやってきた。
「若奥様、見つかりました!クラーラ・リシュカの祖父に当たる老人が、今でもこの街外れに暮らしています!」
「本当!」
ミーナは飛び跳ねて喜び、フバードの手を取った。フバードもミーナの手を握り返した。ヘリガがこほんと咳払いをしたので、二人は手を離した。
「では、さっそくそのご老人に会いに行きましょう」
ミーナは張り切って宿を出た。もしものときに備えて、ビルング家から運んできた空色の麻布を一反、ヘリガに持たせた。フバードはヘリガを気遣って布を持ち運ぼうとしたが、ヘリガは頑として譲らなかった。
「ごめんください…」
ミーナはその家の、鍵のかかっていない扉をそっと開けて、薄暗い部屋の中を覗いた。質素な家の中は、ずいぶんほこりっぽかった。老人の一人暮らしなので無理もないことだ。フバードは家の中へと急ぐミーナをいったん制して、玄関口で老人に声をかけた。
「リシュカさん。先日お話ししたとおり、クラーラさんの話が聞きたいという方をお連れしましたよ」
「そうかそうか、クラーラの話じゃな。ひょっとして、クラーラのお友達かの?」
テーブルに向かい合うように椅子に腰掛けていた老人は立ち上がり、よたよたと玄関近くまで歩いてきた。かなり長生きしている老人のようだ。ミーナは老人に向かって上品に微笑んだ。老人はミーナを見るなり、腰が抜けそうなほど驚いた。
「クラーラ!帰ってきてくれたんじゃな!随分人相が変わってしまったが、儂にはわかる…。ああ、クラーラや。よく、生きて戻ってきてくれた…。あの日から、儂の世界は真っ暗闇に閉ざされたが、お前が帰ってきてくれて、やっと、光が戻ってきたようじゃ…」
ミーナも、その老人を見た瞬間に、稲妻で打たれたような感覚に陥った。ミーナは唇を震わせながら、やっとの思いで口を開いた。
「あなたは、わたしの、おじいさま、いえ、ひいおじいさまですね。わたしはミーナ。クラーラの、娘です」
老人の目が大きく見開かれた。ミーナは老人に駆け寄って、その身体を抱きしめた。
「ひいおじいさま!会いたかった!」
ミーナは涙に濡れた目で老人を見上げた。
「クラーラお母さまは、十年以上前に亡くなりました。お母さまは、記憶を失い、自分がどこの誰なのか、わからなくなっていたのです。ですが、まさか、こんな形で…」
「そうか、そうじゃったのか。お前さんは、儂の、ひ孫に当たるのか…。神よ!よくぞこの子に会わせてくださった!」
ミーナと老人は、しばらくの間涙を流して抱き合っていた。フバードは気を利かせて、ヘリガとともに家を出た。
ミーナは老人と向かい合わせに座り、老人が淹れてくれた、古ぼけた味のお茶を飲みながら、ここに来たいきさつと、これまでについての話をしていた。
「わたしのおじいさまと、おばあさまは、殺されてしまったのですね…」
ミーナの涙が、お茶の中にぽとりとこぼれ落ちた。
「そうじゃ。あこぎな商売をしておったから、誰かに恨みを買ったのじゃろう。誰が殺したのか、全く見当がつかないほど、多くの者に恨みを買っていたのじゃ。のう、ミーナや。お前さんは商売がしたくて、わざわざリタラント国から来たそうじゃが、悪いことは言わん。やめなされ」
「どうして?」
ミーナは老人を真っ直ぐに見つめた。
「あんたのような目をした人間が、濁った目で世の中を見るようになると思うと、儂は耐えられん」
老人はそう言うと、お茶を飲み干し、また話を続けた。
「かつて、商人は、自ら旅をし、危険を冒して商品を仕入れ、お客のもとに届けていた。商売の旅は危険じゃった。その危険を冒してまで旅をする商人は勇敢じゃ。商人の国、ブラーヴァ国の名は、勇敢という言葉から生じたのじゃ。でも、いつからか商人は自分で旅をしなくなった。盗賊や、蛮族どもや、あるいは獣に襲われるかもしれんような危険な運搬を、安値で他人に任せるようになった。儂はそんな運搬人の一人じゃった。
しかし、息子は商人に憧れた。商家に弟子入りし、めきめきと商才を発揮し、やがて暖簾分けされた。しかし、それまでの間に、息子は多くの者を蹴落としてきた。息子は優しい子じゃった。ばあさんが聞かせる物語が大好きな子じゃった。なのに、一人前の商人になった息子の目は濁っておった。
息子は金持ちの娘と結婚し、一人の女の子を授かった。その子がクラーラじゃ。しかし、息子は、クラーラを儂ら夫婦に預け、商売に没頭した。嫁さんは社交界に顔を出すのが好きな女で、産んだ娘のことを構いやしなかった。じゃから、クラーラは、この貧しい家で育った。ばあさんが聞かせる物語が大好きで、その物語をすぐに覚えてしまう、賢い、優しい娘に育った。じゃがな…」
老人は悲しそうにため息をついてから、ぽつりぽつりと語り出した。
「息子はクラーラを引き取りに来た。跡取りが生まれないものだから、クラーラを誰か優秀な男にやってしまおうと思ったのじゃろう。お姫様の物語が好きじゃったクラーラは、華やかな暮らしに憧れてこの家を出た。儂が次にクラーラに会ったときには、クラーラはまるで物語のお姫様のようになっていた。じゃが、その目には、物語を聞いていたときの、きらきらした輝きはなくなり、飢えた獣のような、ぎらぎらした目つきに変わっていたよ。クラーラは美しい物に取り憑かれたようになり、より美しい物を求めて旅に出た。今まで商売にとんと興味の無かった、母親も同行したという。そんな旅を幾度か繰り返したあとで、息子夫婦がリタラント国で殺されたと聞いた。リタラント国には、別荘があった。その別荘の近くで、息子達は身ぐるみ剥がされて殺されていたらしい。しかし、そこにクラーラの遺体はなかったと聞いた」
ミーナは残酷な事実と、ミーナが知っているクラーラとのあまりの違いに驚いて、言葉が出なかった。
数日後、フバードが宿にやってきた。
「若奥様、見つかりました!クラーラ・リシュカの祖父に当たる老人が、今でもこの街外れに暮らしています!」
「本当!」
ミーナは飛び跳ねて喜び、フバードの手を取った。フバードもミーナの手を握り返した。ヘリガがこほんと咳払いをしたので、二人は手を離した。
「では、さっそくそのご老人に会いに行きましょう」
ミーナは張り切って宿を出た。もしものときに備えて、ビルング家から運んできた空色の麻布を一反、ヘリガに持たせた。フバードはヘリガを気遣って布を持ち運ぼうとしたが、ヘリガは頑として譲らなかった。
「ごめんください…」
ミーナはその家の、鍵のかかっていない扉をそっと開けて、薄暗い部屋の中を覗いた。質素な家の中は、ずいぶんほこりっぽかった。老人の一人暮らしなので無理もないことだ。フバードは家の中へと急ぐミーナをいったん制して、玄関口で老人に声をかけた。
「リシュカさん。先日お話ししたとおり、クラーラさんの話が聞きたいという方をお連れしましたよ」
「そうかそうか、クラーラの話じゃな。ひょっとして、クラーラのお友達かの?」
テーブルに向かい合うように椅子に腰掛けていた老人は立ち上がり、よたよたと玄関近くまで歩いてきた。かなり長生きしている老人のようだ。ミーナは老人に向かって上品に微笑んだ。老人はミーナを見るなり、腰が抜けそうなほど驚いた。
「クラーラ!帰ってきてくれたんじゃな!随分人相が変わってしまったが、儂にはわかる…。ああ、クラーラや。よく、生きて戻ってきてくれた…。あの日から、儂の世界は真っ暗闇に閉ざされたが、お前が帰ってきてくれて、やっと、光が戻ってきたようじゃ…」
ミーナも、その老人を見た瞬間に、稲妻で打たれたような感覚に陥った。ミーナは唇を震わせながら、やっとの思いで口を開いた。
「あなたは、わたしの、おじいさま、いえ、ひいおじいさまですね。わたしはミーナ。クラーラの、娘です」
老人の目が大きく見開かれた。ミーナは老人に駆け寄って、その身体を抱きしめた。
「ひいおじいさま!会いたかった!」
ミーナは涙に濡れた目で老人を見上げた。
「クラーラお母さまは、十年以上前に亡くなりました。お母さまは、記憶を失い、自分がどこの誰なのか、わからなくなっていたのです。ですが、まさか、こんな形で…」
「そうか、そうじゃったのか。お前さんは、儂の、ひ孫に当たるのか…。神よ!よくぞこの子に会わせてくださった!」
ミーナと老人は、しばらくの間涙を流して抱き合っていた。フバードは気を利かせて、ヘリガとともに家を出た。
ミーナは老人と向かい合わせに座り、老人が淹れてくれた、古ぼけた味のお茶を飲みながら、ここに来たいきさつと、これまでについての話をしていた。
「わたしのおじいさまと、おばあさまは、殺されてしまったのですね…」
ミーナの涙が、お茶の中にぽとりとこぼれ落ちた。
「そうじゃ。あこぎな商売をしておったから、誰かに恨みを買ったのじゃろう。誰が殺したのか、全く見当がつかないほど、多くの者に恨みを買っていたのじゃ。のう、ミーナや。お前さんは商売がしたくて、わざわざリタラント国から来たそうじゃが、悪いことは言わん。やめなされ」
「どうして?」
ミーナは老人を真っ直ぐに見つめた。
「あんたのような目をした人間が、濁った目で世の中を見るようになると思うと、儂は耐えられん」
老人はそう言うと、お茶を飲み干し、また話を続けた。
「かつて、商人は、自ら旅をし、危険を冒して商品を仕入れ、お客のもとに届けていた。商売の旅は危険じゃった。その危険を冒してまで旅をする商人は勇敢じゃ。商人の国、ブラーヴァ国の名は、勇敢という言葉から生じたのじゃ。でも、いつからか商人は自分で旅をしなくなった。盗賊や、蛮族どもや、あるいは獣に襲われるかもしれんような危険な運搬を、安値で他人に任せるようになった。儂はそんな運搬人の一人じゃった。
しかし、息子は商人に憧れた。商家に弟子入りし、めきめきと商才を発揮し、やがて暖簾分けされた。しかし、それまでの間に、息子は多くの者を蹴落としてきた。息子は優しい子じゃった。ばあさんが聞かせる物語が大好きな子じゃった。なのに、一人前の商人になった息子の目は濁っておった。
息子は金持ちの娘と結婚し、一人の女の子を授かった。その子がクラーラじゃ。しかし、息子は、クラーラを儂ら夫婦に預け、商売に没頭した。嫁さんは社交界に顔を出すのが好きな女で、産んだ娘のことを構いやしなかった。じゃから、クラーラは、この貧しい家で育った。ばあさんが聞かせる物語が大好きで、その物語をすぐに覚えてしまう、賢い、優しい娘に育った。じゃがな…」
老人は悲しそうにため息をついてから、ぽつりぽつりと語り出した。
「息子はクラーラを引き取りに来た。跡取りが生まれないものだから、クラーラを誰か優秀な男にやってしまおうと思ったのじゃろう。お姫様の物語が好きじゃったクラーラは、華やかな暮らしに憧れてこの家を出た。儂が次にクラーラに会ったときには、クラーラはまるで物語のお姫様のようになっていた。じゃが、その目には、物語を聞いていたときの、きらきらした輝きはなくなり、飢えた獣のような、ぎらぎらした目つきに変わっていたよ。クラーラは美しい物に取り憑かれたようになり、より美しい物を求めて旅に出た。今まで商売にとんと興味の無かった、母親も同行したという。そんな旅を幾度か繰り返したあとで、息子夫婦がリタラント国で殺されたと聞いた。リタラント国には、別荘があった。その別荘の近くで、息子達は身ぐるみ剥がされて殺されていたらしい。しかし、そこにクラーラの遺体はなかったと聞いた」
ミーナは残酷な事実と、ミーナが知っているクラーラとのあまりの違いに驚いて、言葉が出なかった。
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