ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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中編 ミーナは糸を染める

第38話 ミーナの旅(1)

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 ミーナは美しい空色の麻布を、フバードに自慢げに見せた。フバードは熱心に、手触りを確認し、布目の細かさを観察し、何よりその色を長い時間眺めていた。
「改めて考え直すと、まるで空の色、素晴らしい色だ…。確かに、どこに行っても、見たことのない布ですね。ブラーヴァ国にもない。あの、東の果ての布までも集めているという、織物市でさえ…」
 フバードはいたく感心しているようだった。ミーナはその手応えを実感し、飛び跳ねんばかりに喜んだ。
「フバード、あなただったらいくらで買ってくれる?金貨二枚?それとも、三枚?」
 フバードはきらきら輝いているミーナの目を、じっと見つめた。ミーナは少しどきっとした。フバードはかなりの美青年だからだ。
「金貨一枚で買いましょう」
「どういうこと!」
 ミーナは応接間の机を叩いた。どこにも売っていない、何かを見つけろなんて期待させるようなことを言っておきながら、わたしをからかったのか、と問い詰めたくなった。フバードはミーナの気迫にたじろぐことはなく、一つため息をついた。
「若奥様、商売は信用で成り立っているのです」
「信用?どういうこと、それはビルング家が信用できないってことかしら!」
 ミーナは語気を荒げた。
「今、商人達はお互いに顔を合わせずに商売をしています。それが出来るのは、商人達が何年も何十年もかけて築いてきた信用があるからです。あの商人が卸す布の品質は確かだ、あの人が買った物なら間違いない、お互いにそう信じているから、商売が成り立つのです。そこに、私のような一介の行商人が入り込む隙間はないのです!若奥様、私と商品のやりとりをする限り、あなた方の布は一反あたり金貨一枚でしか売れません。なぜなら、私はその布を、金貨一枚と銀貨五枚で売ることしか出来ないからです。私の信用も、販売網も、その程度なのです。どんな素晴らしい物を売るかではなくて、誰が売るか。それが重要なのです」
 いつも優雅で上品なフバードが、こんなに熱っぽく、どこか悔しそうに話すのを、ミーナは初めて聞いた。
「なら、どうして、わたしたちに、他にはない何かを見つけろなんておっしゃったの?」
 ミーナはすがるように言った。
「あなた方が作る製品が、本当に価値ある物か、価値があるならどこに卸せばいいのかをお伝えしようと思ったからです」
 その言葉を聞いて、ミーナはぱっと顔を輝かせた。
「フバード、教えて。どこに卸せばいいの?」
「もうお分かりでしょう?イメディング領にある、織物商人ギルド総裁、コンラート・イメディング様のもとです」
 ミーナの顔色は一気に青白くなった。よりによって、ここで、お兄さまの名前が出てくるなんて。お兄さまは色々なことを手広くなさっていると噂に聞いていたけれど、なぜ、今さらお兄さまに頼らないといけないの…。
「素晴らしい布ですからね。たとえ少量しか生産できなくても、コンラート様なら買ってくださるでしょう。私よりもはるかに高い金額で。あの方の販売網があれば、東方へも売りに出してくださるかもしれませんよ…」
「いやよ!」
 ミーナはフバードの言葉をさえぎるように応接机を叩いた。
「あのお兄さまに頭を下げるのは、死んでもいやだわ」
 フバードは目を丸くしてミーナを見つめた。いくら見つめられても、ミーナはもうどぎまぎしなかった。
「兄妹仲があまりよろしくないというお噂でしたが、そこまでとは…。では、イェルク様からお願いしてもらえばどうです?お二人の友情の篤さは、私達商人の間でも有名な話ですよ。だから、コンラート様は、ビルング家をお救いになるために…」
 そこまで言うと、フバードはミーナから目線を外した。ミーナの目に燃える怒りの炎に耐えられなくなったからだ。
「心当たりでしたら、もう一件ございます」
「本当!」
 ミーナはフバードの手を思わず握りしめた。
「ブラーヴァ国に、珍しい布を直接買い取っては、東方に高く売るのを生業にしている商人がいたそうです。ただし、変わり者で、その商人は仲介人も、他の商人すら間に入れず、生産者から直接買っていたそうです」
「変わり者?だって、そのほうが、間で余計なやりとりをしないで済むから、いいじゃない。どうしてみんなそうしないのかしら?わたしはそうしたいわ。イメディング城でふんぞり返っているお兄さまに頭を下げて頼むより、布がほしい人に直接手渡したいわ」
 フバードはミーナを見て、何度目かのため息をついた。
「今のお話といい、先程の、薄い藍色の布を、貧相ではなく空の色とおっしゃったり、若奥様はとても自由なお考えをなさる。羨ましいですね」
「自由?…それってもしかして、子どもっぽいと言いたいのかしら?ひどいわ!イェルクだけでなく、あなたまでわたしを子ども扱いするの?」
 ミーナはぷんぷん怒り出した。そんなミーナを見て、フバードは上品な笑みを浮かべた。
「きっと、イェルク様はあなたが羨ましいのだと思います。あの方こそ、がんじがらめに縛られておいでですから」
 自分の使命に誇りを持っているイェルクも、赤の他人から見れば不自由に見えるのだろうか。ミーナは少しの間考えた。
「イェルクは不器用な人よ。そういう生き方しかできないんだわ」
「だから、若奥様はこうして一生懸命、イェルク様を支える道を探ってらっしゃるのですか?」
 それを聞いたミーナは、顔を耳まで真っ赤にしてうろたえた。
「違うわ。わたしはただ、わたしを何もできない子ども扱いするイェルクの鼻をあかしてやりたいだけよ」
「そうですか。イェルク様はお幸せですね。私の商品に目もくれずに立ち去っていくあの方をお見かけするたびに、なんて不幸な方だろうと思っていたのですが」
 そのときミーナは、同じ世界を生きている者でも、見える世界は全く違うのだという、ごく当たり前のことに、生まれて初めて気づいたのだった。
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