ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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中編 ミーナは糸を染める

第32話 希望を染める(4)

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 季節は移り、七月の半ばになった。昨年より一月ほど早く種まきをした亜麻のつぼみは、昨年より一月分早く成長した。ミーナは、イェルクが狩りをしに帰ってくることを心から期待していた。狩りは、食料を得るためだけではなく、動物の皮をはいで革製品を作り、それを売って資金を得るためにも必要な手段だった。
 ある日、ミーナは、亜麻の花が青い絨毯のように咲いている畑に、イェルクと二人で立っている夢を見た。目覚めたミーナは、それが正夢となる予感がして、亜麻畑まで駆けていった。予感が的中したのか、何輪かの亜麻の花が咲いていた。
「まだ、ちらほらね…。でも、素敵だわ」
 ミーナはうっとりした声を出して、その花を一つ摘んだ。
「きれいね…どうやったら、この色を永遠にとどめておけるかしら。亜麻仁油が取れなくなるといけないから、あまり摘んではいけないって言われているし」
 ミーナは手にした花をくるくる回しながらその色を楽しんだ。青空のような色だ。もし、こんな色のドレスがあれば…ミーナは憧れの気持ちを抱いた。
 突然、強い風が吹いた。ミーナは目に入りそうになった砂ぼこりを払うのに必死になり、亜麻の花を手放してしまった。その花を風がさらっていった。ミーナはそれを追いかけた。夢中になって追いかけるうちに、いつの間にか城の裏手から正面に出たようだ。馬のいななきが聞こえてきた。ミーナは馬の進行の邪魔をしたらしい。目の前に馬の脚が見え、ミーナは恐怖で座り込んだ。
「ごめんなさい…」
 ミーナが仰ぎ見ると、そこには馬に乗ったイェルクがいた。
「今、青い花が飛んでいったのを横目で見ていた。あの花は何と言う花かわかるか?」
「あれは…亜麻の花です。まるで空のように青いでしょう?」
 ミーナはぽかんとしながら答えた。なぜ、この状況で出会うのだろう。この状況で、同じ花を見たと言えるのだろうか。
「そうか。知らなかった。あんな色をしているとは」
 そう言うとイェルクはしばらく黙った。ミーナも黙った。何を言ったらいいのか、ミーナはわからなかった。
「世の中は、わからないことだらけだ」
 唐突にイェルクが話を切り出した。ミーナはやっと立ち上がった。
「まあ、無理もない。私は、自分の感情さえ、よくわかっていないのだから」
「ひょっとして、お母さまの話ですか…?」
 ミーナは土ぼこりを払い、イェルクのほうに向き直った。
「そうだ。私はあの頃、クラーラ様への思いに気づいていなかった。正直に言うと、今でもよくわかっていない。情けないことだ」
 確かに情けないわ、とミーナは思った。あまりにも鈍感すぎるわ。こんな体たらくだから、女心がわからないと、ヘリガにもあきれられてしまうのよ。
「自分の感情を、剣と同じように扱うことができればいいのだが。そうすれば、お前にももっと優しくしてやれるだろうに」
 自分の感情など、剣よりたやすく扱えるじゃない、とミーナは思った。もし、わたしに優しくしたいのなら、今すぐ馬から下りてわたしを抱きしめればいいのよ。たったそれだけなのに。
「もう行かなくてはならない。最近、国境沿いで武装した蛮族を見かけたという報告がいくつもあるのだ。これ以上、侵入してこなければよいのだが」
 ミーナはがっかりしたが、仕方がないとも思った。次期領主夫人ともなれば、領民の平和と安全を第一に考えなくてはならないのだ。
「わかりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 ミーナは寂しさをこらえて微笑んだ。
「秋の剣術試合が終わったら、城に戻って少し休むつもりだ。そのときにまた話をしよう」
 それを聞いたミーナは、今度は本当の喜びの笑みをうかべた。
「お前には悪いことをしたと思っている。では、行くぞ」
 イェルクは馬に鞭を打ち、駆けていった。ミーナはその方向をいつまでも見つめていた。ミーナは、生まれて初めて、馬に乗りたいと思った。もし、馬に乗れたならば、イェルクと一緒に馬を駆って旅に出ることもできると思ったからだ。
 それが叶わないのなら、この青を永遠にとどめた織物を売りたい、ミーナはそう思っていた。どこにもない色の織物ならば、きっと誰かが買ってくれる。そうしてお金を稼げば、わたしはビルング家のため、イェルクのために役立てるはず。そうしたらわたしは、心の中に真の希望を抱けるはずだわ。
 ミーナは目を閉じた。夢に見た亜麻の花畑で、イェルクと二人で笑っていたことを思い出していた。
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