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中編 ミーナは糸を染める
第25話 英雄イェルクの物語(2)
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「お母さま、この話…イェルクお兄さまにそっくりね」
ミーナは感心したように言った。
「そうね。あの子にそっくりね。あの子はなんて哀れな子でしょう」
クラーラは急にうつむき、涙声になった。先ほどは同じ運命の子どもについて淡々と語っていたクラーラだったが、今は感情を抑えられないという様子だった。
「お母さま、どうなさったの?イェルクお兄さまは、自分の使命を誇りに思っているって言っていたわ」
ミーナは、誇りという言葉の意味をよくわかっていなかったが、悪い言葉ではないと思っていた。それは、そのときのイェルクの顔を見れば歴然としていた。しかし、クラーラは顔を覆って泣き出した。
「あの子の噂話を聞いたときから思っていた!復讐のために生まれてきたなんて、あんまりだわ。あの子のお父さまも、お母さまも、そんなことのために、あの子を産ませたの?なんて、残酷なことを。あの子はあまりにも真っ直ぐだから、かわいそうだわ!」
ミーナはクラーラの言うことがよくわからなかった。ミーナにとってイェルクは、自分を助けてくれた、英雄にも等しい存在だった。たくましくて、頼りがいのある少年だった。しかし、クラーラはイェルクを、小さな男の子のように扱うのだ。イェルク自身は、クラーラを守りたいと思っているのに。
「ミーナ、またイェルクに会ってあげて。きっとイェルクは喜ぶわ。そして、戦うことだけがすべてではないって、あの子に教えてあげて。このままではあの子は、英雄イェルクと同じ運命をたどることになるわ」
ミーナは首を振った。やはり、イェルクに会うのが、気恥ずかしくてたまらないからだ。
「お母さまが、イェルクお兄さまに教えたらいい」
しかし、クラーラは首を縦に振らなかった。
「わたしではだめなの。だって、あの子は…」
クラーラは言いよどんだ。そして、気を取り直すように、ミーナの肩に手を置いて語りかけた。
「ミーナ、あの話はこんな続きもあるの」
「どんな話?そういえば、あの盾の話はどうなったの?ほら、決して覗いてはいけないって話は?」
ミーナはクラーラの顔を見上げながら尋ねた。クラーラは小さくうなずいて、話を続けた。
「ドラゴンの首をはねたイェルクは、ドラゴンの返り血を全身に浴びました。イェルクは返り血をぬぐいながら、思わず盾に映った自分の姿を見てしまいました。イェルクは息が止まりそうになりました。なんと、盾に映っていたのは、あのドラゴンの姿でした」
周囲が立てた拍手の音で、ミーナは我に返った。吟遊詩人は白塗りの楽器を右手に抱えたまま一礼し、楽団員もそれにならった。マルクスもカタリーナも満足そうにしていた。使用人の中には、感極まって泣く者までいた。ヘリガはミーナの後ろでしくしくと涙を流していた。
演奏のあとは小さな宴が催され、簡単な食事が振る舞われた。吟遊詩人は即興で、ビルング家のイェルクをたたえる歌を披露した。その歌さえ、ミーナの耳には入らなかった。先ほどヘリガを捕まえて、イェルクがドラゴンの姿に変わったのはなぜかと質問したところ、ヘリガはなんとも不思議そうな顔をしたからだ。
(お母さまが聞かせてくれたあの話…何だったのかしら。ひょっとして、あれは夢だったのかしら)
ミーナはずっと首をかしげていた。吟遊詩人は、即興で作った歌が若奥さまのお気に召さなかったと落胆した。カタリーナがその場を上手にとりなし、宴は和やかな雰囲気のまま終わりを告げた。
部屋に戻ったミーナはまだもやもやとした思いを抱えていた。大切なことを忘れている気がしたのだ。ミーナは紡ぎ駒を持って糸紡ぎを始めた。いつものように、糸紡ぎが過去に連れていってくれると思ったのだ。しかし、ミーナの心はどこへもいかなかった。何かが自身の心を閉ざしているように感じたのだ。その晩、ミーナはいつもよりも早く休むことにした。
ミーナは感心したように言った。
「そうね。あの子にそっくりね。あの子はなんて哀れな子でしょう」
クラーラは急にうつむき、涙声になった。先ほどは同じ運命の子どもについて淡々と語っていたクラーラだったが、今は感情を抑えられないという様子だった。
「お母さま、どうなさったの?イェルクお兄さまは、自分の使命を誇りに思っているって言っていたわ」
ミーナは、誇りという言葉の意味をよくわかっていなかったが、悪い言葉ではないと思っていた。それは、そのときのイェルクの顔を見れば歴然としていた。しかし、クラーラは顔を覆って泣き出した。
「あの子の噂話を聞いたときから思っていた!復讐のために生まれてきたなんて、あんまりだわ。あの子のお父さまも、お母さまも、そんなことのために、あの子を産ませたの?なんて、残酷なことを。あの子はあまりにも真っ直ぐだから、かわいそうだわ!」
ミーナはクラーラの言うことがよくわからなかった。ミーナにとってイェルクは、自分を助けてくれた、英雄にも等しい存在だった。たくましくて、頼りがいのある少年だった。しかし、クラーラはイェルクを、小さな男の子のように扱うのだ。イェルク自身は、クラーラを守りたいと思っているのに。
「ミーナ、またイェルクに会ってあげて。きっとイェルクは喜ぶわ。そして、戦うことだけがすべてではないって、あの子に教えてあげて。このままではあの子は、英雄イェルクと同じ運命をたどることになるわ」
ミーナは首を振った。やはり、イェルクに会うのが、気恥ずかしくてたまらないからだ。
「お母さまが、イェルクお兄さまに教えたらいい」
しかし、クラーラは首を縦に振らなかった。
「わたしではだめなの。だって、あの子は…」
クラーラは言いよどんだ。そして、気を取り直すように、ミーナの肩に手を置いて語りかけた。
「ミーナ、あの話はこんな続きもあるの」
「どんな話?そういえば、あの盾の話はどうなったの?ほら、決して覗いてはいけないって話は?」
ミーナはクラーラの顔を見上げながら尋ねた。クラーラは小さくうなずいて、話を続けた。
「ドラゴンの首をはねたイェルクは、ドラゴンの返り血を全身に浴びました。イェルクは返り血をぬぐいながら、思わず盾に映った自分の姿を見てしまいました。イェルクは息が止まりそうになりました。なんと、盾に映っていたのは、あのドラゴンの姿でした」
周囲が立てた拍手の音で、ミーナは我に返った。吟遊詩人は白塗りの楽器を右手に抱えたまま一礼し、楽団員もそれにならった。マルクスもカタリーナも満足そうにしていた。使用人の中には、感極まって泣く者までいた。ヘリガはミーナの後ろでしくしくと涙を流していた。
演奏のあとは小さな宴が催され、簡単な食事が振る舞われた。吟遊詩人は即興で、ビルング家のイェルクをたたえる歌を披露した。その歌さえ、ミーナの耳には入らなかった。先ほどヘリガを捕まえて、イェルクがドラゴンの姿に変わったのはなぜかと質問したところ、ヘリガはなんとも不思議そうな顔をしたからだ。
(お母さまが聞かせてくれたあの話…何だったのかしら。ひょっとして、あれは夢だったのかしら)
ミーナはずっと首をかしげていた。吟遊詩人は、即興で作った歌が若奥さまのお気に召さなかったと落胆した。カタリーナがその場を上手にとりなし、宴は和やかな雰囲気のまま終わりを告げた。
部屋に戻ったミーナはまだもやもやとした思いを抱えていた。大切なことを忘れている気がしたのだ。ミーナは紡ぎ駒を持って糸紡ぎを始めた。いつものように、糸紡ぎが過去に連れていってくれると思ったのだ。しかし、ミーナの心はどこへもいかなかった。何かが自身の心を閉ざしているように感じたのだ。その晩、ミーナはいつもよりも早く休むことにした。
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