24 / 63
中編 ミーナは糸を染める
第24話 英雄イェルクの物語(1)
しおりを挟む
イェルクが城を立ったあと、ミーナは数日の間、午前中はぶどうの収穫の手伝い、午後は糸紡ぎに明け暮れていた。やがてそれに飽き飽きしたある日の午後、城に吟遊詩人と楽団がやってきた。貴族の姫や奥方にとっては、珍しい娯楽の一つだった。ミーナは胸を躍らせながら一行を出迎えた。吟遊詩人は白く塗られた楽器を持ち、青い衣装をまとい、楽団員は白と青の片身替わりの衣装を着ていた。彼らはビルング家の紋章の色に合わせ、青と白で統一した出で立ちをしているのだ。
「イェルク様はお城にいらっしゃらないのですか」
大広間で、吟遊詩人は少し残念そうな口調でマルクスに話しかけた。
「そうなのじゃ。最近はちっとも城におらんでな」
マルクスは吟遊詩人よりもっと残念そうな口調で答えた。
「さようですか。ぜひ、我々が語る『英雄イェルク』の物語を聞いていただきたかったのですが」
「遠路はるばるお越しいただいたのに、すみませんね。ですが、イェルクは、自分と同じ名前の英雄の話を聞いたら、きっと気恥ずかしい思いをするでしょう。せめてわたしたちだけでも、楽しい思いでお話をうかがいたいですわ」
カタリーナは優しい声で一同の旅の苦労をねぎらった。
「そうじゃそうじゃ。儂も楽しみにしておったのじゃ。なにせ、あやつの名前を、かの英雄イェルク様にあやかってつけたのは、何を隠そう、この儂なのじゃから」
「まあ、初耳ですわ」
ミーナは愛想よくマルクスに答えたが、心なしか落ち着かない気持ちを抱えていた。英雄イェルクの話。それを、母クラーラから聞いたような気がしたからだ。そのことを思い出そうとすると、胸が苦しくなってきた。
吟遊詩人は三人や、後ろに控える家臣や騎士たちや城の使用人たちに一礼すると、ぽろんぽろんと楽器をつま弾き、朗々とした声で語り出した。それに合わせて楽団も演奏を始めた。しかし、その素晴らしい歌声も音色も、すぐにミーナの耳に入らなくなった。ミーナの目の前には、幼い日に暮らした家の光景が広がっていた。
それはミーナが五歳の夏、イェルクに思いをぶつけた数日後の午後のことだった。クラーラはいつものようにミーナに物語を聞かせてくれた。
「むかしむかし、人々が魔法を使えたころ、一匹の恐ろしいドラゴンがおりました」
ミーナは冒険譚は余り好きではなかった。それより、美しいお姫さまや素敵な王子さまが出てくる話の方が好きだった。なぜなら、冒険譚がちょっぴり怖かったからだ。
「ドラゴンは村々を襲い、何人もの娘たちをさらっていきました。何人もの若者たちがドラゴンに戦いを挑みましたが、誰一人として帰ってはきませんでした」
ミーナはドラゴンの恐ろしさを想像して、ぶるっと身震いをした。
「この国の北に、小さな村がありました。そこでもドラゴンは娘をさらっていきました。娘をさらわれて嘆く老夫婦たちのために、地主の息子たちが立ち上がりました。力自慢の長男は棍棒を持ってドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした。優れた魔法使いの二男は杖を持ってドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした。特別な力のない三男は、勇気を胸にしてドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした」
「いやだ、怖い!お母さま、そのお話、もうおしまいにして!」
ミーナはクラーラにしがみついて頼んだが、クラーラはあらあら、とミーナを軽くいなして話を続けた。
「さて、その家にはもう一人男の子がおりました。男の子の名前はイェルク、すなわち耕す人という意味の名前を持っていました。イェルクは兄たちの敵を討つべく、日々剣と魔法の訓練に明け暮れました。イェルクはやがて大人になり、ドラゴン退治の旅に出ました。旅の途中、イェルクは一人の娘と出会いました。娘とイェルクは一目で恋におちましたが、イェルクは兄たちの敵を討つために、再び旅に出ようとしました。娘は、イェルクに剣と盾を贈って別れを告げました。その剣は、ドラゴンのうろこを引き裂くほど鋭く、その盾は鏡のように光り輝きました。娘はイェルクにこう言いました。『この盾に映ったご自身の姿を、決して覗いてはなりません』」
「なぜ、覗いてはいけないの?」
ミーナはクラーラに尋ねたが、クラーラは微笑むばかりだった。
「イェルクは娘と約束し、再び旅に出ました。長い旅の末、イェルクはドラゴンのすみかにたどり着きました。イェルクはドラゴンと三日三晩のあいだ戦い続けました。長く激しい戦いの末に、イェルクはドラゴンを討ち取りました。しかし、戦いに疲れたイェルクはその場で力尽きました。近くの村人は倒れたイェルクを見つけ、彼をドラゴン退治の英雄として奉ることにしました。その噂は風に乗って広まり、イェルクは国中に知られる英雄となったのです」
あれほど話を怖がっていたミーナは、最後は口をぽかんと開けながら話に聞き入っていた。
「イェルク様はお城にいらっしゃらないのですか」
大広間で、吟遊詩人は少し残念そうな口調でマルクスに話しかけた。
「そうなのじゃ。最近はちっとも城におらんでな」
マルクスは吟遊詩人よりもっと残念そうな口調で答えた。
「さようですか。ぜひ、我々が語る『英雄イェルク』の物語を聞いていただきたかったのですが」
「遠路はるばるお越しいただいたのに、すみませんね。ですが、イェルクは、自分と同じ名前の英雄の話を聞いたら、きっと気恥ずかしい思いをするでしょう。せめてわたしたちだけでも、楽しい思いでお話をうかがいたいですわ」
カタリーナは優しい声で一同の旅の苦労をねぎらった。
「そうじゃそうじゃ。儂も楽しみにしておったのじゃ。なにせ、あやつの名前を、かの英雄イェルク様にあやかってつけたのは、何を隠そう、この儂なのじゃから」
「まあ、初耳ですわ」
ミーナは愛想よくマルクスに答えたが、心なしか落ち着かない気持ちを抱えていた。英雄イェルクの話。それを、母クラーラから聞いたような気がしたからだ。そのことを思い出そうとすると、胸が苦しくなってきた。
吟遊詩人は三人や、後ろに控える家臣や騎士たちや城の使用人たちに一礼すると、ぽろんぽろんと楽器をつま弾き、朗々とした声で語り出した。それに合わせて楽団も演奏を始めた。しかし、その素晴らしい歌声も音色も、すぐにミーナの耳に入らなくなった。ミーナの目の前には、幼い日に暮らした家の光景が広がっていた。
それはミーナが五歳の夏、イェルクに思いをぶつけた数日後の午後のことだった。クラーラはいつものようにミーナに物語を聞かせてくれた。
「むかしむかし、人々が魔法を使えたころ、一匹の恐ろしいドラゴンがおりました」
ミーナは冒険譚は余り好きではなかった。それより、美しいお姫さまや素敵な王子さまが出てくる話の方が好きだった。なぜなら、冒険譚がちょっぴり怖かったからだ。
「ドラゴンは村々を襲い、何人もの娘たちをさらっていきました。何人もの若者たちがドラゴンに戦いを挑みましたが、誰一人として帰ってはきませんでした」
ミーナはドラゴンの恐ろしさを想像して、ぶるっと身震いをした。
「この国の北に、小さな村がありました。そこでもドラゴンは娘をさらっていきました。娘をさらわれて嘆く老夫婦たちのために、地主の息子たちが立ち上がりました。力自慢の長男は棍棒を持ってドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした。優れた魔法使いの二男は杖を持ってドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした。特別な力のない三男は、勇気を胸にしてドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした」
「いやだ、怖い!お母さま、そのお話、もうおしまいにして!」
ミーナはクラーラにしがみついて頼んだが、クラーラはあらあら、とミーナを軽くいなして話を続けた。
「さて、その家にはもう一人男の子がおりました。男の子の名前はイェルク、すなわち耕す人という意味の名前を持っていました。イェルクは兄たちの敵を討つべく、日々剣と魔法の訓練に明け暮れました。イェルクはやがて大人になり、ドラゴン退治の旅に出ました。旅の途中、イェルクは一人の娘と出会いました。娘とイェルクは一目で恋におちましたが、イェルクは兄たちの敵を討つために、再び旅に出ようとしました。娘は、イェルクに剣と盾を贈って別れを告げました。その剣は、ドラゴンのうろこを引き裂くほど鋭く、その盾は鏡のように光り輝きました。娘はイェルクにこう言いました。『この盾に映ったご自身の姿を、決して覗いてはなりません』」
「なぜ、覗いてはいけないの?」
ミーナはクラーラに尋ねたが、クラーラは微笑むばかりだった。
「イェルクは娘と約束し、再び旅に出ました。長い旅の末、イェルクはドラゴンのすみかにたどり着きました。イェルクはドラゴンと三日三晩のあいだ戦い続けました。長く激しい戦いの末に、イェルクはドラゴンを討ち取りました。しかし、戦いに疲れたイェルクはその場で力尽きました。近くの村人は倒れたイェルクを見つけ、彼をドラゴン退治の英雄として奉ることにしました。その噂は風に乗って広まり、イェルクは国中に知られる英雄となったのです」
あれほど話を怖がっていたミーナは、最後は口をぽかんと開けながら話に聞き入っていた。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

【完結】お姉様の婚約者
七瀬菜々
恋愛
姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。
残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。
サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。
誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。
けれど私の心は晴れやかだった。
だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。
ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中

夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる