ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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中編 ミーナは糸を染める

第24話 英雄イェルクの物語(1)

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 イェルクが城を立ったあと、ミーナは数日の間、午前中はぶどうの収穫の手伝い、午後は糸紡ぎに明け暮れていた。やがてそれに飽き飽きしたある日の午後、城に吟遊詩人と楽団がやってきた。貴族の姫や奥方にとっては、珍しい娯楽の一つだった。ミーナは胸を躍らせながら一行を出迎えた。吟遊詩人は白く塗られた楽器を持ち、青い衣装をまとい、楽団員は白と青の片身替わりの衣装を着ていた。彼らはビルング家の紋章の色に合わせ、青と白で統一した出で立ちをしているのだ。
「イェルク様はお城にいらっしゃらないのですか」
 大広間で、吟遊詩人は少し残念そうな口調でマルクスに話しかけた。
「そうなのじゃ。最近はちっとも城におらんでな」
 マルクスは吟遊詩人よりもっと残念そうな口調で答えた。
「さようですか。ぜひ、我々が語る『英雄イェルク』の物語を聞いていただきたかったのですが」
「遠路はるばるお越しいただいたのに、すみませんね。ですが、イェルクは、自分と同じ名前の英雄の話を聞いたら、きっと気恥ずかしい思いをするでしょう。せめてわたしたちだけでも、楽しい思いでお話をうかがいたいですわ」
 カタリーナは優しい声で一同の旅の苦労をねぎらった。
「そうじゃそうじゃ。儂も楽しみにしておったのじゃ。なにせ、あやつの名前を、かの英雄イェルク様にあやかってつけたのは、何を隠そう、この儂なのじゃから」
「まあ、初耳ですわ」
 ミーナは愛想よくマルクスに答えたが、心なしか落ち着かない気持ちを抱えていた。英雄イェルクの話。それを、母クラーラから聞いたような気がしたからだ。そのことを思い出そうとすると、胸が苦しくなってきた。
 吟遊詩人は三人や、後ろに控える家臣や騎士たちや城の使用人たちに一礼すると、ぽろんぽろんと楽器をつま弾き、朗々とした声で語り出した。それに合わせて楽団も演奏を始めた。しかし、その素晴らしい歌声も音色も、すぐにミーナの耳に入らなくなった。ミーナの目の前には、幼い日に暮らした家の光景が広がっていた。

 それはミーナが五歳の夏、イェルクに思いをぶつけた数日後の午後のことだった。クラーラはいつものようにミーナに物語を聞かせてくれた。
「むかしむかし、人々が魔法を使えたころ、一匹の恐ろしいドラゴンがおりました」
 ミーナは冒険譚は余り好きではなかった。それより、美しいお姫さまや素敵な王子さまが出てくる話の方が好きだった。なぜなら、冒険譚がちょっぴり怖かったからだ。
「ドラゴンは村々を襲い、何人もの娘たちをさらっていきました。何人もの若者たちがドラゴンに戦いを挑みましたが、誰一人として帰ってはきませんでした」
 ミーナはドラゴンの恐ろしさを想像して、ぶるっと身震いをした。
「この国の北に、小さな村がありました。そこでもドラゴンは娘をさらっていきました。娘をさらわれて嘆く老夫婦たちのために、地主の息子たちが立ち上がりました。力自慢の長男は棍棒を持ってドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした。優れた魔法使いの二男は杖を持ってドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした。特別な力のない三男は、勇気を胸にしてドラゴンに戦いを挑みましたが、帰ってはきませんでした」
「いやだ、怖い!お母さま、そのお話、もうおしまいにして!」
 ミーナはクラーラにしがみついて頼んだが、クラーラはあらあら、とミーナを軽くいなして話を続けた。
「さて、その家にはもう一人男の子がおりました。男の子の名前はイェルク、すなわち耕す人という意味の名前を持っていました。イェルクは兄たちの敵を討つべく、日々剣と魔法の訓練に明け暮れました。イェルクはやがて大人になり、ドラゴン退治の旅に出ました。旅の途中、イェルクは一人の娘と出会いました。娘とイェルクは一目で恋におちましたが、イェルクは兄たちの敵を討つために、再び旅に出ようとしました。娘は、イェルクに剣と盾を贈って別れを告げました。その剣は、ドラゴンのうろこを引き裂くほど鋭く、その盾は鏡のように光り輝きました。娘はイェルクにこう言いました。『この盾に映ったご自身の姿を、決して覗いてはなりません』」
「なぜ、覗いてはいけないの?」
 ミーナはクラーラに尋ねたが、クラーラは微笑むばかりだった。
「イェルクは娘と約束し、再び旅に出ました。長い旅の末、イェルクはドラゴンのすみかにたどり着きました。イェルクはドラゴンと三日三晩のあいだ戦い続けました。長く激しい戦いの末に、イェルクはドラゴンを討ち取りました。しかし、戦いに疲れたイェルクはその場で力尽きました。近くの村人は倒れたイェルクを見つけ、彼をドラゴン退治の英雄として奉ることにしました。その噂は風に乗って広まり、イェルクは国中に知られる英雄となったのです」
 あれほど話を怖がっていたミーナは、最後は口をぽかんと開けながら話に聞き入っていた。
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