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中編 ミーナは糸を染める
第23話 贈り物(3)
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ミーナはイェルクの部屋に通された。猟犬と鷹がいなくなっていたので安心した。従騎士の少年もいなくなっていた。おそらく、猟犬と鷹の面倒を見ているのだろう。安心ついでに、ミーナは改めてイェルクの部屋を見渡してみた。部屋は簡素で、今ミーナが腰掛けている椅子と小さなテーブルの他には、衣装掛けと飾り棚と事務机があるだけだった。イェルクは事務机で何やら事務作業をしていた。こんな時まで、こんなことをしなくてもいいのに、とミーナは思ったが、口には出さなかった。ミーナは自分の話も切り出せずにもじもじと座っていた。しびれを切らしたイェルクが口を開いた。
「ミーナ、話とは何だ?私は忙しいのだ。明日また城を立つから、今日中に書類に目を通さねばならない。手短に済ませてくれないか?」
「また、お城を留守にするのですか?」
ミーナは思わず椅子から立ち上がり、抗議するような目つきでイェルクを見つめた。
「ああ。今度はイメディング領との境にある町を視察してくる」
イメディング領近くの一帯は、ビルング領でも開けた土地で、領内では珍しいものが売られる店もあった。ミーナは抗議の目つきをやめた。
「どうか気をつけて行ってらっしゃいませ。それで…お出かけついでと言っては何ですが、ミーナはイェルクにお願いしたいことがあるのです」
ミーナが自分のことを「わたし」ではなく「ミーナ」と呼ぶときは、話の聞き手側に甘えたいときだ。無意識にそう振る舞ってしまう。自分でもそれが不思議だった。そんな態度をとる人物を、他に目にしたことはないのに。
「何だ?」
「もうすぐミーナは十六歳になります。何か、お祝いの品をいただきたいのですが」
言ってすぐに、ミーナは後悔した。図々しいと思われたらどうしようと思ったのだ。しかし、イェルクに甘えることを許したのは、イェルクにとって頭が上がらない存在のマルクスなのだ。
「そうか。もうそんな時期か。剣術試合の前に、コンラートに会ったのだが、コンラートもお前が秋生まれだと言っていた。そのときに聞いたが、お前は以前から、手鏡を欲しがっているそうだな。それを買ってやろう」
「手鏡など、いりません!」
ミーナはコンラートの悪意に気がついてかっとなった。イェルクに八つ当たりしても仕方がないと思ったが、一度開いた口を閉じるのは難しかった。
「イェルク、わからないのですか?お兄さまは私をからかいたくて、そんなことをおっしゃったのです。お兄さまは、あなたが言われたとおりに手鏡を贈って、わたしが腹を立てるのを期待しているのですわ」
「ミーナ、そんな言い方をするな」
イェルクはミーナをたしなめたが、ミーナは自身の勢いを止めることはできそうになかった。
「だって、お兄さまは昔から、わたしのことを不細工だ何だとからかっていたではないですか。お母さまにも全く似ていない、いったいどこの誰の子なんだ、って。わたしは鏡など見たくはありません。自分の顔など、見たくはないのです。だって、あなたも…」
そこまで言って、ミーナはやっと口を閉ざした。そのときのイェルクの顔が、とても怒っているような、そしてどこか悲しいような顔をしていたからだ。これ以上この話を続けてはならないと、ミーナに思わせる何かがあった。ミーナは話を元に戻した。
「贈り物については、イェルク、あなたが決めてください。ここであなたと過ごした時間はとても短いですが、そのなかであなたがわたしに感じた思いを、その贈り物に託してください」
ミーナは精一杯の思いをその言葉に託した。わたしのことを考えてほしい。離れている間、ずっと。考えて考えて考え抜いてほしい。そして、その考えをわたしに見せてほしい。
イェルクはしばらく考え込んでいたが、やがて小さくため息をついた。
「何の謎かけのつもりかわからないが、欲しいものがあるなら素直に言えばいい」
「あなたが選んでくれないのなら、贈り物の意味がありませんわ」
ミーナはふくれっ面をして言い返した。
「わかった。では、次に城に戻るまでに用意しておく」
「ありがとうございます。言っておきますが、他の人に聞いたらだめですからね。とくに、メイドたちに聞いたら許しませんから」
ミーナは念入りに忠告した。イェルクはいつもお決まりのあきれ顔で答えた。
「わかった、わかった」
言いたいことを言い終わると、ミーナは部屋をあとにした。明日立つのならば、これ以上邪魔をしてはいけないと思ったのだ。なぜ、いつもわたしばかり気を遣わねばいけないのだろうと、ミーナは不満に思っていた。いつも気を遣って、切ない思いを我慢していることを、イェルクにはわかってほしいと思っていた。そうすれば、こんなにも城を留守にすることもないだろうと、ミーナは思っていたのだ。
「ミーナ、話とは何だ?私は忙しいのだ。明日また城を立つから、今日中に書類に目を通さねばならない。手短に済ませてくれないか?」
「また、お城を留守にするのですか?」
ミーナは思わず椅子から立ち上がり、抗議するような目つきでイェルクを見つめた。
「ああ。今度はイメディング領との境にある町を視察してくる」
イメディング領近くの一帯は、ビルング領でも開けた土地で、領内では珍しいものが売られる店もあった。ミーナは抗議の目つきをやめた。
「どうか気をつけて行ってらっしゃいませ。それで…お出かけついでと言っては何ですが、ミーナはイェルクにお願いしたいことがあるのです」
ミーナが自分のことを「わたし」ではなく「ミーナ」と呼ぶときは、話の聞き手側に甘えたいときだ。無意識にそう振る舞ってしまう。自分でもそれが不思議だった。そんな態度をとる人物を、他に目にしたことはないのに。
「何だ?」
「もうすぐミーナは十六歳になります。何か、お祝いの品をいただきたいのですが」
言ってすぐに、ミーナは後悔した。図々しいと思われたらどうしようと思ったのだ。しかし、イェルクに甘えることを許したのは、イェルクにとって頭が上がらない存在のマルクスなのだ。
「そうか。もうそんな時期か。剣術試合の前に、コンラートに会ったのだが、コンラートもお前が秋生まれだと言っていた。そのときに聞いたが、お前は以前から、手鏡を欲しがっているそうだな。それを買ってやろう」
「手鏡など、いりません!」
ミーナはコンラートの悪意に気がついてかっとなった。イェルクに八つ当たりしても仕方がないと思ったが、一度開いた口を閉じるのは難しかった。
「イェルク、わからないのですか?お兄さまは私をからかいたくて、そんなことをおっしゃったのです。お兄さまは、あなたが言われたとおりに手鏡を贈って、わたしが腹を立てるのを期待しているのですわ」
「ミーナ、そんな言い方をするな」
イェルクはミーナをたしなめたが、ミーナは自身の勢いを止めることはできそうになかった。
「だって、お兄さまは昔から、わたしのことを不細工だ何だとからかっていたではないですか。お母さまにも全く似ていない、いったいどこの誰の子なんだ、って。わたしは鏡など見たくはありません。自分の顔など、見たくはないのです。だって、あなたも…」
そこまで言って、ミーナはやっと口を閉ざした。そのときのイェルクの顔が、とても怒っているような、そしてどこか悲しいような顔をしていたからだ。これ以上この話を続けてはならないと、ミーナに思わせる何かがあった。ミーナは話を元に戻した。
「贈り物については、イェルク、あなたが決めてください。ここであなたと過ごした時間はとても短いですが、そのなかであなたがわたしに感じた思いを、その贈り物に託してください」
ミーナは精一杯の思いをその言葉に託した。わたしのことを考えてほしい。離れている間、ずっと。考えて考えて考え抜いてほしい。そして、その考えをわたしに見せてほしい。
イェルクはしばらく考え込んでいたが、やがて小さくため息をついた。
「何の謎かけのつもりかわからないが、欲しいものがあるなら素直に言えばいい」
「あなたが選んでくれないのなら、贈り物の意味がありませんわ」
ミーナはふくれっ面をして言い返した。
「わかった。では、次に城に戻るまでに用意しておく」
「ありがとうございます。言っておきますが、他の人に聞いたらだめですからね。とくに、メイドたちに聞いたら許しませんから」
ミーナは念入りに忠告した。イェルクはいつもお決まりのあきれ顔で答えた。
「わかった、わかった」
言いたいことを言い終わると、ミーナは部屋をあとにした。明日立つのならば、これ以上邪魔をしてはいけないと思ったのだ。なぜ、いつもわたしばかり気を遣わねばいけないのだろうと、ミーナは不満に思っていた。いつも気を遣って、切ない思いを我慢していることを、イェルクにはわかってほしいと思っていた。そうすれば、こんなにも城を留守にすることもないだろうと、ミーナは思っていたのだ。
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