ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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中編 ミーナは糸を染める

第22話 贈り物(2)

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 秋が深まり、十月になった。ミーナの畑の半分は、ミーナが株分けして育てた香草で埋まっていた。亜麻の刈り取りが終わったあと、連作を防ぐためにミーナが自ら植えたのだ。周辺の畑では、カブ、キャベツ、チシャ、ルッコラ、フダンソウ(※)の芽が顔を出していた。そんな折のことだった。剣術試合で優勝したイェルクが帰ってきたのだ。知らせを聞いたミーナは城の前で待っていた。イェルクは堂々たる姿で城に帰ってきた。後ろに控える騎士たちも誇らしげだった。
「ただいま戻った」
「お帰りなさいませ」
「留守中変わりないか」
「いいえ、何もございません」
 ミーナは微笑みを浮かべてイェルクを出迎えた。イェルクは不思議そうな顔をしていた。今まで、ミーナの出迎えといえば、取り繕ったすまし顔か、怒った顔のどちらかだったからだ。
「そうか、母上のお加減がよくなったから、お前も笑うようになったのだな。色々と気を遣うこともあったのだろう」
 イェルクは労をねぎらうように言ったが、ミーナはなんとも的外れな感じがしていた。それよりも気づいてほしいことがあった。ミーナは左手の指に包帯を巻いていた。イェルクに言われたとおりに、女の手仕事を学び努力した結果だった。しかし、イェルクはそれに気づかずに、今から父上に報告する、だとか、母上に挨拶してくるなどと言って、ミーナのもとを離れてしまった。
 次にイェルクと顔を合わせたのは、晩餐の時間だったが、その時間はすっかり宴会の時間に変わってしまった。イェルクはマルクスとともに酒を飲んだり、騎士たちと談笑したりして、ミーナのことを構おうとはしなかった。ミーナは意を決して、イェルクに仕える従騎士の少年に声をかけた。
「食事が終わったら、イェルクと話があるから、猟犬と鷹をどこかにやってちょうだい」
「若奥様、かしこまりました。しかし…この宴は、いつ終わるのでしょう?」
 確かに従騎士の言うとおり、宴は盛り上がる一方で、終わる気配はなかった。酒に強いと噂されているイェルクは、皆の勧めるまま、いつまでもいつまでも酒を飲んでいた。年のせいでずいぶんお酒が弱くなったマルクスは、カタリーナに連れられて部屋に戻った。ミーナはちびりちびりとオレンジ入りワインを飲んでいたが、イェルクより先に酔いが回り、ヘリガや他のメイドに連れられて自室に戻る羽目になった。

 翌日、ミーナは二日酔いを抱えたまま、糸を紡ぎ始めた。本当は、すぐにでもイェルクに会いに行きたかったが、夏のように叱られたくなかったので、正餐の時間まで待つことになった。
 その日の食事は、昨夜大盤振る舞いをしたせいか、いつもより質素だった。しかし、ミーナにはちょうどよかった。二日酔いがひどくて食欲がわかなかったのだ。隣に座ったイェルクは、あれほど飲んだにもかかわらず、何事もないような顔をしていた。
「昨夜はずいぶん酔っていたようだが」
 イェルクの声は少し怒っているようだった。ミーナは、ひょっとしたら昨夜お側に参らなかったことを怒っているのかしら、と、甘い期待をしてにやにや笑った。
「何を笑っている?おかしな娘だ。酒が弱いのなら、無理して飲むことはない。言いたいことはそれだけだ」
「わかりました。以後気をつけます」
 ミーナは素直に謝ったが、その顔はにやにや笑ったままで、イェルクはまたあきれた顔をした。
 食事が終わった後、ミーナはイェルクを呼び止めた。ミーナには話したいことが二つあった。一つは、誕生日の贈り物の話で、もう一つは十年前、あの木の下で語り合った約束を覚えているか、という話だ。
「イェルク…お話ししたいことがありますの。今夜お部屋に行ってもよろしいかしら?」
 ミーナはあえて大きめの声で話した。二人の間にはまだ何もないと噂しているメイドや下働きの男たちに聞かせるためだ。
「夜は暗かろう?」
「いえ、暗い方が都合いいので…」
 ミーナは小声で言った。
「話があるなら、今聞くから来るがよい」
 イェルクの言葉に、ミーナはぱっと顔を明るくした。二日酔いも一気にさめた。
「わかりました。ありがとう、イェルク。…猟犬と鷹はどこかにやってくださいね」
 イェルクはしぶしぶといった表情でうなずくと、一足先に部屋に戻っていった。


※スイスチャードの和名
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