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前編 ミーナは糸を紡ぐ
第16話 女の務め(2)
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ミーナはカタリーナの後をついていった。城を出て、裏手に回ると、農地が広がっていた。下働きの者たちが忙しく農作業をしていた。すぐ側には小屋が一軒あり、脇には小川が流れていた。カタリーナはミーナに一つ一つ丁寧に説明してくれた。
「あちらにぶどう畑があるでしょう?ぶどう畑の側では、絨毯代わりに敷き詰める香草を育てているの。この近くの畑は、キャベツやチシャ、カブやコールラビ、ルバーブ、豆類を育てているの。種をまいて、だいぶ芽が出てきたころね」
「まあ、たくさん育てているのですね」
ミーナは風にそよぐ帽子を押さえながら、感心したように言った。
「城内で使う野菜は、できるだけここで育てるようにしているの」
カタリーナは、目を細めながら畑を見つめた。それは育っている野菜を慈しんでいるようであり、働いている者たちを慈しんでいるようでもあった。ミーナも畑を隅から隅まで見渡してみた。あたりに一区画だけ、何も植わっていない畑があった。広さは百坪ほどだろうか。ミーナの目線に気づいたカタリーナは、その区画を指さしてこう言った。
「ミーナ、あれはあなたの畑よ。あそこに植えてほしいものがあるの」
ミーナはぽかんとした。わたしは貴族の家に嫁いだはずよね、どうして庶民のように農作業をしなければならないの?ミーナは疑問に思ったが、カタリーナは気にせずに、近くの小屋までミーナを招いた。
小屋には農具と、種が入った袋がたくさん並んでいた。カタリーナはその中から二つの袋を選び、種を取り出した。一つは、ぷっくりした涙型の種、もう一つは、平べったい涙型の種だった。カタリーナはミーナの両の手のひらにそれぞれ種を置いた。
「右手が、亜麻の種。左手がウォード(※)の種。亜麻はわかるわね。ウォードは布や糸を青く染めるのに使う草よ」
「はい」
「あなたはこれからこの二つを畑で育ててちょうだい。亜麻は秋になれば収穫の時期になるし、ウォードは二年草でね、来年の春になれば収穫できるの。これで糸を紡いで、紡いだ糸の半分くらいを青く染めて、青い糸と白い糸の二つにする。それを使って、青と白の横縞模様の布を織る」
「はあ」
ミーナは何が何だかわからなくなった。ミーナは女の手仕事がよくわからないのだ。そういったことは、母親から教わるものだが、ミーナの母クラーラは、自身の記憶とともに手仕事のことすら忘れていた。クラーラが覚えていたのは、自分の名前と、たくさんの物語だけだった。そんなクラーラやミーナを、レオポルトは天使のようだと言った。レオポルトや親切なメイドに囲まれていたときは幸せだった。しかし、そこを一歩出たら、ミーナはただの役立たずだった。クラーラは出ることさえできなかった。
「修道院では、娘たちは農作業をして、糸を紡いで暮らしていると聞いたわ。染め物はどうだかわからないけれど。だから簡単だと思うわ。これがね、ビルング家の女が最初にやることなの。布を一枚、自分の手で最初から最後まで織り上げる。そしてその布で、産まれた子を包んであげるの。もっとも、たいていは途中までで産まれてしまうのだけど…」
ミーナはカタリーナが言ったことを簡単だとは思わなかった。
「お義母さま、それはミーナにとっては大変難しいことです。なぜならミーナは、亡くなった母からも、修道院からも、農作業や女の手仕事をきちんと教わったことがないのです」
ミーナは甘えた声を出した。苦手なことがあると、それを避けるためについ他人に甘えるのが癖だった。不思議と、そうすると苦手なことをしないで済むのだ。
「では、今から覚えるといいわ。大丈夫よ、手仕事については一から教えるから。農作業はメイドたちに手伝ってもらいなさい」
ミーナの甘えはカタリーナには通用しなかった。こうあっさりとかわされると、ミーナに手の打ちようはなかった。もう逃げられない。ミーナは観念した。
「わかりました、お義母さま」
部屋に戻ったミーナは、ヘリガに一部始終を報告した。
「まあ、なんてことでしょう。イメディング家のお嬢さまが農作業をなさるとは。これからミーナお嬢さまが覚えることは、なさることではなく、させることでございましょうに。ビルング家は、元は農奴というお噂ですから、その名残でしょうか…」
ヘリガは頭を抱えた。騎士の家に生まれたヘリガも、農作業などやったことがないのだ。
「わたしについてこない方がよかったかもね、ヘリガ」
ミーナは面白くなさそうにつぶやいた。ヘリガは滅相もない、と言った。
「これでは、修道院にいるのと何も変わらないわ。いえ、修道院にいた方が、わたしにふさわしい仕事が与えられて、かえってよかったのかもしれない…」
ミーナも頭を抱えてしまった。不器用で体力もないわたしに、そんなことができるはずがないと落ち込んでいるのだ。
「失礼を承知で申し上げますと、イメディング家のお嬢さまにはもっとふさわしい家があると思います。お疲れのミーナお嬢さまに香油を塗って差し上げたいのに、それもできやしない。そんなお金の余裕はないと、この家の家令が申すのですよ!側にある銀山の利益が入るから、お金の余裕はあるのではと、家令に尋ねましたところ、銀山の利益は国のもので、ビルング領には銅貨一枚分も入ってこないと申すのです。ああ、情けない!」
ヘリガはついに泣き出してしまった。
「いいのよ、ヘリガ。わたしは好きな人の家に嫁いだのだから、その家のしきたりに従うわ」
ミーナは希望を持ってそう答えたいと思ったが、口から出た言葉は力ない諦めで満ちていた。
あの美しい緑の服を着る機会はなくなった。次の日からミーナは生成りの麻布を縫っただけの服をまとい、しゃれた帽子ではなくただの布を頭に巻き、重い農具を持って働くことになった。ヘリガは農家出身のメイドを連れてきて、指導を仰いだ。まずは亜麻を育てるために、十五センチメートルほど畑を耕すことにした。ミーナもヘリガも農具を使うことすらおぼつかないので、その作業には長い時間を要した。それから亜麻の種をまいた。一センチメートルの深さに、二センチメートル間隔で種をまくのだ。次に、ウォードの種をまいた。指で小さな穴を開け、三粒ずつ種をまいた。発芽するまでの間は二人ともどきどきして待っていた。発芽した日は、二人とも喜んだ。二人はぶどう畑の手伝いも頼まれた。糸を染める際に、ぶどうを使うというのだ。二人は意味のわからないまま、垣根仕立てされたぶどうの枝に生えた、余計な芽をかき取る作業に没頭した。
ミーナは毎日くたくたになった。ヘリガは、高価な香油を使うことはできなくても、せめてこれだけは、と言って、ミーナの手に亜麻仁油を塗ってやった。ミーナにとっては、そのときが一番くつろげる時間だった。
「ああ、よかった。修道女になっていたら、こうしてくつろげる時間もなかったわ」
それを聞いたヘリガは、なんとも嬉しそうな顔をした。
手仕事については、カタリーナに教わるはずだったが、カタリーナは少し具合を悪くしたので、見送ることにした。カタリーナはもう七十に近いので、ミーナは心配になった。ミーナは時折カタリーナの見舞いに行った。農作業の進捗を話すと、カタリーナは嬉しそうに微笑んだ。
※ウォード:和名ホソバタイセイ。アブラナ科の植物。大青という名の通り、布を青く染める染料の原料となる。ヨーロッパではインド藍が輸入されるまで、広くこの植物が藍染に使われていた。
「あちらにぶどう畑があるでしょう?ぶどう畑の側では、絨毯代わりに敷き詰める香草を育てているの。この近くの畑は、キャベツやチシャ、カブやコールラビ、ルバーブ、豆類を育てているの。種をまいて、だいぶ芽が出てきたころね」
「まあ、たくさん育てているのですね」
ミーナは風にそよぐ帽子を押さえながら、感心したように言った。
「城内で使う野菜は、できるだけここで育てるようにしているの」
カタリーナは、目を細めながら畑を見つめた。それは育っている野菜を慈しんでいるようであり、働いている者たちを慈しんでいるようでもあった。ミーナも畑を隅から隅まで見渡してみた。あたりに一区画だけ、何も植わっていない畑があった。広さは百坪ほどだろうか。ミーナの目線に気づいたカタリーナは、その区画を指さしてこう言った。
「ミーナ、あれはあなたの畑よ。あそこに植えてほしいものがあるの」
ミーナはぽかんとした。わたしは貴族の家に嫁いだはずよね、どうして庶民のように農作業をしなければならないの?ミーナは疑問に思ったが、カタリーナは気にせずに、近くの小屋までミーナを招いた。
小屋には農具と、種が入った袋がたくさん並んでいた。カタリーナはその中から二つの袋を選び、種を取り出した。一つは、ぷっくりした涙型の種、もう一つは、平べったい涙型の種だった。カタリーナはミーナの両の手のひらにそれぞれ種を置いた。
「右手が、亜麻の種。左手がウォード(※)の種。亜麻はわかるわね。ウォードは布や糸を青く染めるのに使う草よ」
「はい」
「あなたはこれからこの二つを畑で育ててちょうだい。亜麻は秋になれば収穫の時期になるし、ウォードは二年草でね、来年の春になれば収穫できるの。これで糸を紡いで、紡いだ糸の半分くらいを青く染めて、青い糸と白い糸の二つにする。それを使って、青と白の横縞模様の布を織る」
「はあ」
ミーナは何が何だかわからなくなった。ミーナは女の手仕事がよくわからないのだ。そういったことは、母親から教わるものだが、ミーナの母クラーラは、自身の記憶とともに手仕事のことすら忘れていた。クラーラが覚えていたのは、自分の名前と、たくさんの物語だけだった。そんなクラーラやミーナを、レオポルトは天使のようだと言った。レオポルトや親切なメイドに囲まれていたときは幸せだった。しかし、そこを一歩出たら、ミーナはただの役立たずだった。クラーラは出ることさえできなかった。
「修道院では、娘たちは農作業をして、糸を紡いで暮らしていると聞いたわ。染め物はどうだかわからないけれど。だから簡単だと思うわ。これがね、ビルング家の女が最初にやることなの。布を一枚、自分の手で最初から最後まで織り上げる。そしてその布で、産まれた子を包んであげるの。もっとも、たいていは途中までで産まれてしまうのだけど…」
ミーナはカタリーナが言ったことを簡単だとは思わなかった。
「お義母さま、それはミーナにとっては大変難しいことです。なぜならミーナは、亡くなった母からも、修道院からも、農作業や女の手仕事をきちんと教わったことがないのです」
ミーナは甘えた声を出した。苦手なことがあると、それを避けるためについ他人に甘えるのが癖だった。不思議と、そうすると苦手なことをしないで済むのだ。
「では、今から覚えるといいわ。大丈夫よ、手仕事については一から教えるから。農作業はメイドたちに手伝ってもらいなさい」
ミーナの甘えはカタリーナには通用しなかった。こうあっさりとかわされると、ミーナに手の打ちようはなかった。もう逃げられない。ミーナは観念した。
「わかりました、お義母さま」
部屋に戻ったミーナは、ヘリガに一部始終を報告した。
「まあ、なんてことでしょう。イメディング家のお嬢さまが農作業をなさるとは。これからミーナお嬢さまが覚えることは、なさることではなく、させることでございましょうに。ビルング家は、元は農奴というお噂ですから、その名残でしょうか…」
ヘリガは頭を抱えた。騎士の家に生まれたヘリガも、農作業などやったことがないのだ。
「わたしについてこない方がよかったかもね、ヘリガ」
ミーナは面白くなさそうにつぶやいた。ヘリガは滅相もない、と言った。
「これでは、修道院にいるのと何も変わらないわ。いえ、修道院にいた方が、わたしにふさわしい仕事が与えられて、かえってよかったのかもしれない…」
ミーナも頭を抱えてしまった。不器用で体力もないわたしに、そんなことができるはずがないと落ち込んでいるのだ。
「失礼を承知で申し上げますと、イメディング家のお嬢さまにはもっとふさわしい家があると思います。お疲れのミーナお嬢さまに香油を塗って差し上げたいのに、それもできやしない。そんなお金の余裕はないと、この家の家令が申すのですよ!側にある銀山の利益が入るから、お金の余裕はあるのではと、家令に尋ねましたところ、銀山の利益は国のもので、ビルング領には銅貨一枚分も入ってこないと申すのです。ああ、情けない!」
ヘリガはついに泣き出してしまった。
「いいのよ、ヘリガ。わたしは好きな人の家に嫁いだのだから、その家のしきたりに従うわ」
ミーナは希望を持ってそう答えたいと思ったが、口から出た言葉は力ない諦めで満ちていた。
あの美しい緑の服を着る機会はなくなった。次の日からミーナは生成りの麻布を縫っただけの服をまとい、しゃれた帽子ではなくただの布を頭に巻き、重い農具を持って働くことになった。ヘリガは農家出身のメイドを連れてきて、指導を仰いだ。まずは亜麻を育てるために、十五センチメートルほど畑を耕すことにした。ミーナもヘリガも農具を使うことすらおぼつかないので、その作業には長い時間を要した。それから亜麻の種をまいた。一センチメートルの深さに、二センチメートル間隔で種をまくのだ。次に、ウォードの種をまいた。指で小さな穴を開け、三粒ずつ種をまいた。発芽するまでの間は二人ともどきどきして待っていた。発芽した日は、二人とも喜んだ。二人はぶどう畑の手伝いも頼まれた。糸を染める際に、ぶどうを使うというのだ。二人は意味のわからないまま、垣根仕立てされたぶどうの枝に生えた、余計な芽をかき取る作業に没頭した。
ミーナは毎日くたくたになった。ヘリガは、高価な香油を使うことはできなくても、せめてこれだけは、と言って、ミーナの手に亜麻仁油を塗ってやった。ミーナにとっては、そのときが一番くつろげる時間だった。
「ああ、よかった。修道女になっていたら、こうしてくつろげる時間もなかったわ」
それを聞いたヘリガは、なんとも嬉しそうな顔をした。
手仕事については、カタリーナに教わるはずだったが、カタリーナは少し具合を悪くしたので、見送ることにした。カタリーナはもう七十に近いので、ミーナは心配になった。ミーナは時折カタリーナの見舞いに行った。農作業の進捗を話すと、カタリーナは嬉しそうに微笑んだ。
※ウォード:和名ホソバタイセイ。アブラナ科の植物。大青という名の通り、布を青く染める染料の原料となる。ヨーロッパではインド藍が輸入されるまで、広くこの植物が藍染に使われていた。
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