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前編 ミーナは糸を紡ぐ
第12話 アラリケの呪い(3)
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四月になり、ミーナの嫁ぐ日がやってきた。
ミーナはヘリガを伴って、コンラートと同じ馬車に乗った。コンラートの隣には彼の妻が座っていた。その立ち居振る舞いを見たミーナは、お兄さまにはもったいないような素晴らしい女性だ、さすがあのゲルトルート奥さまのお眼鏡にかなっただけのことはある、と思った。
その後ろにはいくつかの馬車が続いていた。警護の騎士が乗った馬車、コンラートの幼い息子二人を乗せた馬車、親類縁者を乗せた馬車、ミーナの花嫁道具を乗せた馬車…。
「お兄さま、花嫁道具に、わたしの部屋の調度品を加えていただきたかったのですが」
コンラートはあきれた顔をした。
「よせ。あんなもの、ビルング城に置いても似合わない。あの部屋は、そのままとっておく。ビルング家から突き返されたらまたそこで暮らすといい。イメディング家の娘が野垂れ死にしたとなったら家名に傷がつくからな」
「まあ、お兄さま。お優しいこと」
ミーナは頬を膨らませた。コンラートの妻は思わず笑い出した。
旅は二日かかった。道中の村で宿をとった際には、豪勢に着飾った一団を人目見ようと、村中の人々が押し寄せた。
「あれが花嫁さんよ!」
幼い村娘がミーナを指差した。隣にいる、弟と見える幼子が舞い上がった調子で言った。
「すごく、きれいだ。ぼく、あんな人と結婚したい…」
整った化粧を施されたミーナは、幼い二人に誇らしげに微笑んでみせた。イェルクもきっと、そう思ってくれるだろうと、ミーナは信じていた。
馬車はついにビルング城にたどり着いた。馬車を降りる直前、道中ずっとふてくされた顔をして、自分からは口を開こうとしなかったコンラートがミーナに声をかけた。
「お前、丈夫な女の子を産めよ」
ミーナはきょとんとして答えた。
「何をおっしゃるの、お兄さま?きっと丈夫な跡取りを産んでみせますわ」
コンラートはそれ以上何も言わなかった。
馬車から降りたミーナはビルング城があまりにも武骨なことに驚いた。土塁の上に、石造の建物が一つ建っているだけだ。石造の建物は二階建てで、脇に見張り塔が建っていた。同じ城でも、ぐるりと囲んだ城壁の中に、広い外庭と中庭を持つイメディング城とは、かなり異なる雰囲気だった。
「ビルング城は古い時代の砦を、ほとんどそのまま用いているそうです」
何も話そうとしないコンラートの代わりに、ヘリガが答えた。
「なるほど…これじゃ、わたしの部屋の調度品は似合いそうにないわね」
ミーナは苦笑した。この砦では、修道院でも使えるような簡素な調度品が似合うだろう。ミーナはまた元の暮らしに戻るのかと、少しがっかりした。でも、ここにあるのは愛のある暮らしだ。修道院とは違う、と思い直した。
一同は大広間に通された。ビルング家の一同も揃っていた。使用人たちも並んでいた。皆一様に、藍で染めた服を着ていた。結婚式参列の親類縁者は結婚前夜に開かれる、ささやかな宴を楽しんだ。ミーナとコンラートは大広間の奥にある、領主の執務室に通された。そこに待っていたのは、深い藍色の衣装をまとった、禿げ上がった頭をした大柄な老人と、付き従うように立っている白髪の老女の二人だった。老女のほうが、老人よりも少しだけ色の薄い衣装を着ていた。
「コンラート殿、遠いところをわざわざお越しいただき、まことに感謝する」
老人はコンラートの手を豪快に握りしめた。
「マルクス殿。お元気そうでなによりです」
コンラートは老人の手を優雅に握り返した。それから男二人は先の戦争の話やら何やらしていたが、ミーナの耳には何も入らなかった。ミーナの心はそこにはなかった。肝心のイェルクが見当たらないからだ。
老夫人がこほん、と咳払いをしたので、男たちは会話するのをやめた。
「コンラートさま、わたくしずっと気がかりなのです。イメディング家とビルング家では、つり合いがとれないと。こんなにかわいらしい妹さんをいただいてしまって本当によろしいのかしら?」
老夫人は少し心配そうだった。
「お気遣い不要です、カタリーナ殿。このウィルヘルミーナを、本人が一目見るだけで気に入るようないい男と結婚させろというのが父の遺言ですから。イェルクほど、この条件にふさわしい男はいません」
ミーナは思わず顔を赤くした。
「おお、そういうことか」
「幼いころ、親しくしていたという話でしたね」
マルクスは豪快に、カタリーナは優しそうに笑った。
「ほら、いい加減に挨拶くらいしろ」
コンラートはやっとミーナに挨拶するよう促した。こんなかしこまった場では、若い女性のミーナが自分から口を開けないのをわかっているのに、あえて男どうしの長話を始めてミーナに恥をかかせようとしたのだ。
「マルクスさま、カタリーナさま、お初にお目にかかります。わたくしはミーナ、いえ、ウィルヘルミーナ・イメディングと申します。ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」
ミーナは赤いドレスの裾をつかみ、緊張で手足を震わせながら礼をした。
「ウィルヘルミーナよ、儂はマルクスじゃ。堅苦しい礼はいらぬ。これからはここを産まれた家じゃと思うとよい」
「わたしはカタリーナです、ウィルヘルミーナ。なんてかわいらしいのでしょう。あなたのことを、娘だと思ってもいいかしら?」
二人はにこやかに笑っていた。
「もちろんです。ありがとうございます、お義父さま、お義母さま。わたしのことは、どうかミーナとお呼びください」
ミーナは心から喜んだ。厳しい義両親だったらどうしようかと不安だったのだ。特にマルクスについては、村に火を放つよう命令するような人物だから、きっと怖いに違いないと思っていたのだ。
「ところで…イェルクさまはどちらにおいでですか?」
ミーナは思い切って尋ねた。正直なところ、今のミーナの関心事はそれしかなかった。マルクスとカタリーナの二人は顔を見合わせて、しばらくの間黙っていたが、やがてマルクスが申し訳なさそうに口を開いた。
「ミーナ、すまん。イェルクは今、この城におらんのじゃ」
あまりのことに、ミーナもしばらくの間黙ることになった。
ミーナはヘリガを伴って、コンラートと同じ馬車に乗った。コンラートの隣には彼の妻が座っていた。その立ち居振る舞いを見たミーナは、お兄さまにはもったいないような素晴らしい女性だ、さすがあのゲルトルート奥さまのお眼鏡にかなっただけのことはある、と思った。
その後ろにはいくつかの馬車が続いていた。警護の騎士が乗った馬車、コンラートの幼い息子二人を乗せた馬車、親類縁者を乗せた馬車、ミーナの花嫁道具を乗せた馬車…。
「お兄さま、花嫁道具に、わたしの部屋の調度品を加えていただきたかったのですが」
コンラートはあきれた顔をした。
「よせ。あんなもの、ビルング城に置いても似合わない。あの部屋は、そのままとっておく。ビルング家から突き返されたらまたそこで暮らすといい。イメディング家の娘が野垂れ死にしたとなったら家名に傷がつくからな」
「まあ、お兄さま。お優しいこと」
ミーナは頬を膨らませた。コンラートの妻は思わず笑い出した。
旅は二日かかった。道中の村で宿をとった際には、豪勢に着飾った一団を人目見ようと、村中の人々が押し寄せた。
「あれが花嫁さんよ!」
幼い村娘がミーナを指差した。隣にいる、弟と見える幼子が舞い上がった調子で言った。
「すごく、きれいだ。ぼく、あんな人と結婚したい…」
整った化粧を施されたミーナは、幼い二人に誇らしげに微笑んでみせた。イェルクもきっと、そう思ってくれるだろうと、ミーナは信じていた。
馬車はついにビルング城にたどり着いた。馬車を降りる直前、道中ずっとふてくされた顔をして、自分からは口を開こうとしなかったコンラートがミーナに声をかけた。
「お前、丈夫な女の子を産めよ」
ミーナはきょとんとして答えた。
「何をおっしゃるの、お兄さま?きっと丈夫な跡取りを産んでみせますわ」
コンラートはそれ以上何も言わなかった。
馬車から降りたミーナはビルング城があまりにも武骨なことに驚いた。土塁の上に、石造の建物が一つ建っているだけだ。石造の建物は二階建てで、脇に見張り塔が建っていた。同じ城でも、ぐるりと囲んだ城壁の中に、広い外庭と中庭を持つイメディング城とは、かなり異なる雰囲気だった。
「ビルング城は古い時代の砦を、ほとんどそのまま用いているそうです」
何も話そうとしないコンラートの代わりに、ヘリガが答えた。
「なるほど…これじゃ、わたしの部屋の調度品は似合いそうにないわね」
ミーナは苦笑した。この砦では、修道院でも使えるような簡素な調度品が似合うだろう。ミーナはまた元の暮らしに戻るのかと、少しがっかりした。でも、ここにあるのは愛のある暮らしだ。修道院とは違う、と思い直した。
一同は大広間に通された。ビルング家の一同も揃っていた。使用人たちも並んでいた。皆一様に、藍で染めた服を着ていた。結婚式参列の親類縁者は結婚前夜に開かれる、ささやかな宴を楽しんだ。ミーナとコンラートは大広間の奥にある、領主の執務室に通された。そこに待っていたのは、深い藍色の衣装をまとった、禿げ上がった頭をした大柄な老人と、付き従うように立っている白髪の老女の二人だった。老女のほうが、老人よりも少しだけ色の薄い衣装を着ていた。
「コンラート殿、遠いところをわざわざお越しいただき、まことに感謝する」
老人はコンラートの手を豪快に握りしめた。
「マルクス殿。お元気そうでなによりです」
コンラートは老人の手を優雅に握り返した。それから男二人は先の戦争の話やら何やらしていたが、ミーナの耳には何も入らなかった。ミーナの心はそこにはなかった。肝心のイェルクが見当たらないからだ。
老夫人がこほん、と咳払いをしたので、男たちは会話するのをやめた。
「コンラートさま、わたくしずっと気がかりなのです。イメディング家とビルング家では、つり合いがとれないと。こんなにかわいらしい妹さんをいただいてしまって本当によろしいのかしら?」
老夫人は少し心配そうだった。
「お気遣い不要です、カタリーナ殿。このウィルヘルミーナを、本人が一目見るだけで気に入るようないい男と結婚させろというのが父の遺言ですから。イェルクほど、この条件にふさわしい男はいません」
ミーナは思わず顔を赤くした。
「おお、そういうことか」
「幼いころ、親しくしていたという話でしたね」
マルクスは豪快に、カタリーナは優しそうに笑った。
「ほら、いい加減に挨拶くらいしろ」
コンラートはやっとミーナに挨拶するよう促した。こんなかしこまった場では、若い女性のミーナが自分から口を開けないのをわかっているのに、あえて男どうしの長話を始めてミーナに恥をかかせようとしたのだ。
「マルクスさま、カタリーナさま、お初にお目にかかります。わたくしはミーナ、いえ、ウィルヘルミーナ・イメディングと申します。ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」
ミーナは赤いドレスの裾をつかみ、緊張で手足を震わせながら礼をした。
「ウィルヘルミーナよ、儂はマルクスじゃ。堅苦しい礼はいらぬ。これからはここを産まれた家じゃと思うとよい」
「わたしはカタリーナです、ウィルヘルミーナ。なんてかわいらしいのでしょう。あなたのことを、娘だと思ってもいいかしら?」
二人はにこやかに笑っていた。
「もちろんです。ありがとうございます、お義父さま、お義母さま。わたしのことは、どうかミーナとお呼びください」
ミーナは心から喜んだ。厳しい義両親だったらどうしようかと不安だったのだ。特にマルクスについては、村に火を放つよう命令するような人物だから、きっと怖いに違いないと思っていたのだ。
「ところで…イェルクさまはどちらにおいでですか?」
ミーナは思い切って尋ねた。正直なところ、今のミーナの関心事はそれしかなかった。マルクスとカタリーナの二人は顔を見合わせて、しばらくの間黙っていたが、やがてマルクスが申し訳なさそうに口を開いた。
「ミーナ、すまん。イェルクは今、この城におらんのじゃ」
あまりのことに、ミーナもしばらくの間黙ることになった。
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