ミーナは糸を紡ぐ

田原更

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前編 ミーナは糸を紡ぐ

第9話 修道院にて(4)

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 それからしばらくたち、季節は秋を迎えた。十月生まれのミーナは、まもなく十五歳になろうとしていた。
 「まだ決心がつかないの、ウィルヘルミーナさん。もうあきらめたらいいでしょう?あなたにお迎えはきやしないわよ」
 修道院の門の前で手紙を待っていたミーナを見て、アラリケはいつもの意地悪そうな口調で言った。
 「アラリケ、あなたこそ、いつまでご両親からの手紙を待っているつもりなの?あなた、生まれた頃から修道女になれって言われて育ってきたんでしょう?」
 ミーナも意地悪く言い返した。
 「あら、あなたこそ修道女になるのにふさわしいわよ。院長先生から、ずいぶんいろいろなことを教わったのでしょう?院長先生は、昔から、あなたに目を付けておいでだわ。それを裏切るおつもりなの?」
 それを言われると、ミーナの心は痛んだ。薬草の知識、薬湯の作り方、一向にうまくいかなかったけど、包帯の巻き方などなど。院長先生に教わったことは枚挙にいとまがない。
 「アラリケこそ、副院長先生に、ずいぶん手をかけていただいて。喜んで、修道女におなりなさいよ…」
 ミーナはそう言い返すので精一杯だった。
 そうこうしているうちに、飛脚が手紙の入った袋を持ってやってきた。運ばれてきた手紙を修道院長の元へ届けるのも、ミーナの仕事の一つだった。これは最近ミーナ自身が志願したのだ。ミーナは手紙の束を見て、息をのんだ。そしてそれが、アラリケにばれていないことを望んだ。なぜなら手紙の束の中に、コンラート・イメディングと書かれたものを見つけたからだ。
(コンラートお兄さまからだわ…。でも、なぜお兄さまから?お父さまはどうなさったの?この手紙、何が書かれているの?)
 ミーナはくるりときびすを返して、修道院の中に戻っていった。
「わたし宛の手紙があったら、院長先生に渡さないで、わたしの元へ届けなさいよ!」
 アラリケの声はミーナの耳に届かなかった。仮に届いていたとしても、そんな言い分を通すわけにはいかないのだが。

 「ミーナ、これから話すことをよくお聞きなさい」
 院長は厳粛な顔をしてミーナに声をかけた。ミーナは姿勢を正して院長の言葉の続きを待った。
 「本日、あなたのお兄さまからお手紙が届きました。先に目を通させてもらいました。内容を簡潔にお話しします」
 基本的に、修道女も娘たちも、届いた手紙を受け取ることはなかった。世間から隔絶されたところで神の言葉だけに耳を傾けるというのが、修道院で暮らす者の決まりだったからだ。ただし、重要な手紙だけは、院長などから口頭で内容を伝えてもらえるのだ。
「まずは…あなたのお父さまが亡くなられました」
「お父さまが、亡くなった…。そんな、どうして?」
 ミーナは思わず院長に声をかけてしまい、慌てて口をつぐんだ。
 「この手紙に書かれたことから推測するに、どうやら長いこと伏せっておられたようです。亡くなられたのは、一昨年のことだそうです」
 ミーナは足下がふらつく思いがした。修道院で暮らしていたら、そんな大事なことさえ知ることができない。ゲルトルート奥さまがわたしを修道院に入れたのは、お父さまから完全に切り離すためね。そう思うと、悔しくて、悲しかった。
 「お父さまは遺言で、あなたを正式なとして、イメディング家に呼び戻すよう、息子のコンラートさまに命じられたそうです」
「養女、ですか」
 その一言で、ミーナの疑惑は現実のものとなった。ミーナはレオポルトの実の娘ではない。ミーナに流れる血の半分は、誰のものだかわからない。わかりようがないのだ。それはミーナを絶望の淵に落とすのに十分な事実だった。
 「辛いでしょうが、気を落としてはなりません。お父さまも悲しむでしょう。あなたは光の子です。決して希望を捨ててはなりません」
 その手紙にどこまでの事情が書かれているのか、院長がどこまで知っているのか、もちろんミーナは知らないが、光の子、という言葉はミーナにとって単なる慰めでもなく、お説教でもなく、確かに希望を与えた。
「わかっています。院長先生、わたしは光の子です。今すぐには、無理ですが…きっと希望を捨てずに生きていきます」
 そうよ。わたしは光の子。クラーラの娘だわ、とミーナは思った。クラーラという名前には、光、という意味があったからだ。
「生と死はつながっています。生ある者は、光の下から生まれ、亡くなった者は、光の下へと帰るのです」
 院長先生のお言葉は、ゲルトルート奥さまからすればとんでもない皮肉だわ。だって、お父さまは、クラーラお母さまのところへ帰ったってことでしょう。ミーナは不謹慎なことを考えた。そして、ふと思った。あの奥さまがいる屋敷に帰るのか、と。
 幼い頃から、ミーナはゲルトルートを嫌っていたが、同時にうらやましいとも思っていた。イメディング城の立派なお屋敷で、美しく着飾り、時に舞踏会を開き、優雅に暮らしていた奥さま。わたしもそんな暮らしがしたい。美しい服を着て、ダンスを踊り、暖かい暖炉の側で優雅に微笑んで過ごしたい。そんな暮らしを、何度夢に見たかわからない。そして、その側にはいつも、あの人がいた…。そこまで考えると、ミーナはふと現実に戻った。
「それで、兄はわたしに戻ってこいと申しているのでしょうか。兄はわたしを嫌っておりました。奥さまも…」
 院長は粛々と手紙の内容を語り続けた。
「コンラートさまはあなたに戻ってくるよう望んでいらっしゃいます。たとえ養女であっても、あなたはイメディング家の相続権のある子どもであり、たった一人の妹だとおっしゃっています。それと、イメディング夫人は数年前に亡くなられたそうです」
 「そうですか。お気の毒です」
 ミーナは目を伏せた。この言葉に嘘はないつもりだった。優しかったお母さまなら、ゲルトルート奥さまが亡くなったとき、きっと涙を流すだろうと思ったのだ。
「あと一つ、とても大切な話があります」
 修道院長は、ミーナが今までに見たことのない柔和な微笑みを浮かべてこう言った。
 「ミーナ。あなたの結婚相手が決まりました。お相手は、ビルング家の次期当主、イェルク・ビルングさまです」
 その瞬間、ミーナは目を弓矢で射られたような思いがした。何年もの間すすけていたミーナの世界に、明るい愛の光が差した。
 「おめでとう、ミーナ。あなたはこれから、人の愛のもとで生きるのです。あなたのお母さまは、愛という意味を込めて、あなたに名前をつけたのですから」
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