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前編 ミーナは糸を紡ぐ
第7話 修道院にて(2)
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それから一年ほどが過ぎた、ある秋の日のことだった。ミーナは、修道院長が書きためた薬草の処方箋を一冊の書籍にまとめる仕事を手伝っていた。院長はそろそろ引退を考えはじめたのだ。院長が畑の様子を見るからと言って席を外すと、それを見計らったようにアラリケがやってきた。
「あら、お暇なのかしら、アラリケさん」
ミーナは嫌味を言った。アラリケが副院長室でどんな仕事をしているのか、ミーナは全く知らなかった。取り立てて知ろうともしなかった。
「今日はあなたにお話が二つあってね。聞きたいかしら?」
「あなたの話を聞くほど暇じゃないの。」
ミーナはあしらおうとしたが、アラリケは勝手に話し始めた。この修道院で暮らしている修道女の誰それが、この町に住み、時々食料を寄進しにくるなにがしかと、逢い引きしている姿を見たというのだ。人目を忍んで二人でそっと語り合っているなんていう生やさしいものではなく、二人でことに及んでいる姿を見た、とアラリケが言った。
「あの二人、修道院を抜け出して、どこかで結婚するらしいのよ。うらやましいわねえ。結婚には男女の愛情と、交合が必要だって、神さまはおっしゃったらしいけど、まさか修道女が、結婚前にことに及ぶなんて」
「交合って、何…?」
ミーナはぽかんと口を開けた。
「あら、意外とうぶなのね、ウィルヘルミーナさん」
アラリケはにやりと笑った。そして、男女の交合についてつまびらかに説明した。ミーナは赤くなったり、青くなったりしながらアラリケの話を聞いた。
「アラリケ…。あなた、何でそんなにくわしいの。まさか、一部始終を見ていたの?」
ミーナはうろたえた。その様子を面白そうに見ていたアラリケは、さらりと答えた。
「だって、前にも見たことあるもの。わたしの城では、使用人たちが、しょっちゅう、庭の隅でことに及んでいたから」
ミーナは絶句した。そんなことはイメディング城ではありえないわ。もし、使用人たちがそんなことをしたら、ゲルトルート奥さまは鞭でたっぷり折檻を加えるでしょう。そんなお城で育ったから、アラリケは性格がひん曲がっているんだわ。もう、こんな話はやめさせて、仕事を再開しましょう。ミーナはそう思ったが、好奇心はミーナの口を滑らせた。
「交合すると、どうなるの?」
「子どもができる」
アラリケは即答した。ミーナはおたおたした。
「何を言っているの。わたしたちは、光の下に生まれてくる、神さまの子だって、生まれたばかりの幼子は、森の奥の木漏れ日の下で眠っているって、院長先生が…」
ミーナの、いかにもうぶな修道女見習い、といった発言に対して、アラリケはけたたましく笑い出した。おかしくておかしくて仕方がないという感じだ。
「やめて、アラリケ。そんな大声出したら、人が来る…」
アラリケは、お腹をひいひいと震わせて、なんとか笑うのをやめた。
「そんなこと、本気で信じていたのかしら。ウィルヘルミーナさんはお子さまね。じゃあ、もっといいことを教えてあげる」
「もういいわ。充分わかったから」
ミーナはなんとか話をやめさせようとしたが、アラリケはミーナにずいっと近寄って、耳元でこうささやいた。
「交合するとね、とても気持ちよくなる。でも、二人の気持ちが通じてなかったら、女はとても痛いらしいの」
そして、アラリケはミーナから離れ、そうならないように優しくほだすのが、殿方のつとめだけど、などと言いながら、きゃあきゃあとわめいていた。ミーナの身体はなんだか熱く、むずがゆくなってきた。こんなことを、今まで感じたことはなかった。
「話はもう終わったでしょう。もう帰って。そろそろ副院長先生が戻られるんじゃないかしら?」
「副院長先生は夕方までお戻りにならないわ。それに、話はまだ一つしかしていないわよ」
もういいわ、やめて。ミーナはそう思った。しかしアラリケは遠慮なく続けた。
「ウィルヘルミーナさん、あなたには、決まった相手がいるそうね。たしか、イェルクさまとおっしゃるとか」
それを聞いたミーナは足がふらついた。イェルクのことも、あの約束のことも、ミーナは忘れようとしていたのだ。素敵なイェルクお兄さまとわたしでは釣り合うわけがないわ。だって、自分の顔は、二度と見たくないほど醜いのだから。そう自分に言い聞かせてきた。
「なぜ知っているの、アラリケ」
アラリケはうふふ、と笑った。
「幼い頃は口癖のように、いつかイェルクさまが迎えに来るんだっておっしゃっていたのよね。あなたと親しかった子からそう聞いたのよ。今、町ではイェルクさまが噂になっていてね、なんでもとてもお強いのだとか。戦場で勇ましく駆けていっては、たくさんの戦果を上げて、今では黒髪の騎士と言ったら知らないものはいないのだとか」
幼い頃院内で親しくしていた娘たちの中の誰かが、ぽろりと口を滑らせたのを、アラリケがむりやり口を割らせたのだろう。ミーナは、そんなことは幼い頃の思い出話に過ぎないわ、と言い繕うとしたが、アラリケは目を鋭くして、ミーナの肩をぎゅっと握りしめ、低い声でこう言った。
「そんな素晴らしい方が、あなたを迎えに来るわけがない。あなたは、ここでずっと、愛の喜びを知らないまま、枯れていくんだわ。お気の毒さま」
それを聞いたミーナはわなわなと震えだした。女の恐ろしさが、今さら身にしみてわかった。アラリケは、ミーナを辱めるためだけに、わざわざあんな話をしたのだ。
アラリケは言いたいことを言い終わると満足げに去っていった。今度は、自分が目撃した密会を、誰かに告げ口する気なのかもしれない。底意地の悪そうな顔をしていた。
「アラリケ、あなたに言われなくても、わかっているわ」
ミーナは、まるで、ひどく苦い薬を飲まされたかのような気分になった。そして、机にたまった薬草の処方箋を書き写す作業に戻ったが、筆を持つ手はわなわなと震えが止まらず、戻ってきた院長に心が乱れていると叱られてしまった。
「あら、お暇なのかしら、アラリケさん」
ミーナは嫌味を言った。アラリケが副院長室でどんな仕事をしているのか、ミーナは全く知らなかった。取り立てて知ろうともしなかった。
「今日はあなたにお話が二つあってね。聞きたいかしら?」
「あなたの話を聞くほど暇じゃないの。」
ミーナはあしらおうとしたが、アラリケは勝手に話し始めた。この修道院で暮らしている修道女の誰それが、この町に住み、時々食料を寄進しにくるなにがしかと、逢い引きしている姿を見たというのだ。人目を忍んで二人でそっと語り合っているなんていう生やさしいものではなく、二人でことに及んでいる姿を見た、とアラリケが言った。
「あの二人、修道院を抜け出して、どこかで結婚するらしいのよ。うらやましいわねえ。結婚には男女の愛情と、交合が必要だって、神さまはおっしゃったらしいけど、まさか修道女が、結婚前にことに及ぶなんて」
「交合って、何…?」
ミーナはぽかんと口を開けた。
「あら、意外とうぶなのね、ウィルヘルミーナさん」
アラリケはにやりと笑った。そして、男女の交合についてつまびらかに説明した。ミーナは赤くなったり、青くなったりしながらアラリケの話を聞いた。
「アラリケ…。あなた、何でそんなにくわしいの。まさか、一部始終を見ていたの?」
ミーナはうろたえた。その様子を面白そうに見ていたアラリケは、さらりと答えた。
「だって、前にも見たことあるもの。わたしの城では、使用人たちが、しょっちゅう、庭の隅でことに及んでいたから」
ミーナは絶句した。そんなことはイメディング城ではありえないわ。もし、使用人たちがそんなことをしたら、ゲルトルート奥さまは鞭でたっぷり折檻を加えるでしょう。そんなお城で育ったから、アラリケは性格がひん曲がっているんだわ。もう、こんな話はやめさせて、仕事を再開しましょう。ミーナはそう思ったが、好奇心はミーナの口を滑らせた。
「交合すると、どうなるの?」
「子どもができる」
アラリケは即答した。ミーナはおたおたした。
「何を言っているの。わたしたちは、光の下に生まれてくる、神さまの子だって、生まれたばかりの幼子は、森の奥の木漏れ日の下で眠っているって、院長先生が…」
ミーナの、いかにもうぶな修道女見習い、といった発言に対して、アラリケはけたたましく笑い出した。おかしくておかしくて仕方がないという感じだ。
「やめて、アラリケ。そんな大声出したら、人が来る…」
アラリケは、お腹をひいひいと震わせて、なんとか笑うのをやめた。
「そんなこと、本気で信じていたのかしら。ウィルヘルミーナさんはお子さまね。じゃあ、もっといいことを教えてあげる」
「もういいわ。充分わかったから」
ミーナはなんとか話をやめさせようとしたが、アラリケはミーナにずいっと近寄って、耳元でこうささやいた。
「交合するとね、とても気持ちよくなる。でも、二人の気持ちが通じてなかったら、女はとても痛いらしいの」
そして、アラリケはミーナから離れ、そうならないように優しくほだすのが、殿方のつとめだけど、などと言いながら、きゃあきゃあとわめいていた。ミーナの身体はなんだか熱く、むずがゆくなってきた。こんなことを、今まで感じたことはなかった。
「話はもう終わったでしょう。もう帰って。そろそろ副院長先生が戻られるんじゃないかしら?」
「副院長先生は夕方までお戻りにならないわ。それに、話はまだ一つしかしていないわよ」
もういいわ、やめて。ミーナはそう思った。しかしアラリケは遠慮なく続けた。
「ウィルヘルミーナさん、あなたには、決まった相手がいるそうね。たしか、イェルクさまとおっしゃるとか」
それを聞いたミーナは足がふらついた。イェルクのことも、あの約束のことも、ミーナは忘れようとしていたのだ。素敵なイェルクお兄さまとわたしでは釣り合うわけがないわ。だって、自分の顔は、二度と見たくないほど醜いのだから。そう自分に言い聞かせてきた。
「なぜ知っているの、アラリケ」
アラリケはうふふ、と笑った。
「幼い頃は口癖のように、いつかイェルクさまが迎えに来るんだっておっしゃっていたのよね。あなたと親しかった子からそう聞いたのよ。今、町ではイェルクさまが噂になっていてね、なんでもとてもお強いのだとか。戦場で勇ましく駆けていっては、たくさんの戦果を上げて、今では黒髪の騎士と言ったら知らないものはいないのだとか」
幼い頃院内で親しくしていた娘たちの中の誰かが、ぽろりと口を滑らせたのを、アラリケがむりやり口を割らせたのだろう。ミーナは、そんなことは幼い頃の思い出話に過ぎないわ、と言い繕うとしたが、アラリケは目を鋭くして、ミーナの肩をぎゅっと握りしめ、低い声でこう言った。
「そんな素晴らしい方が、あなたを迎えに来るわけがない。あなたは、ここでずっと、愛の喜びを知らないまま、枯れていくんだわ。お気の毒さま」
それを聞いたミーナはわなわなと震えだした。女の恐ろしさが、今さら身にしみてわかった。アラリケは、ミーナを辱めるためだけに、わざわざあんな話をしたのだ。
アラリケは言いたいことを言い終わると満足げに去っていった。今度は、自分が目撃した密会を、誰かに告げ口する気なのかもしれない。底意地の悪そうな顔をしていた。
「アラリケ、あなたに言われなくても、わかっているわ」
ミーナは、まるで、ひどく苦い薬を飲まされたかのような気分になった。そして、机にたまった薬草の処方箋を書き写す作業に戻ったが、筆を持つ手はわなわなと震えが止まらず、戻ってきた院長に心が乱れていると叱られてしまった。
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