パピヨン

田原更

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三章 勇気がないから

第32話 私を弟子にしてください

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 フルールは、マチルドたちへの別れの手紙を郵便ポストに投函した。それからまっすぐ浮遊装置に向かった。中層の監視員も、上層の監視員も、見慣れたフルールが通り過ぎることに、たいした関心を払わなかった。

 フルールは一目散にアクセサリー工房ルーンに向かった。通りを歩く人は誰もいなかった。まだ早朝なので、無理もない。人の気配がしないからか、通りにはたくさんの蝶が飛んでいた。この蝶は、どこから来て、どこへ行くのだろう。

 固く閉ざされた門のそばの建物に、月の形をした看板がぶら下がっていた。ここが、アクセサリー工房ルーン。フルールに宝石との出会いをもたらした恩人、アルベール・ラポルトが暮らしている。

 フルールは、深く息を吸い込み、アクセサリー工房ルーンの戸を叩いた。

「まったく、こんな朝早くに、どなたです?」

 少し機嫌の悪そうな声が聞こえてきた。フルールはあえて黙っていた。戸を開けたアルベールは、フルールを見て、満月のような目になった。

「お嬢さん……」

 アルベールはフルールの目をじっと見つめた。アルベールは、黙ってフルールを工房に通した。

 アルベールは、椅子に座るよう、フルールに促した。フルールは座る前に深く頭を下げた。

「先日の無礼をお詫びします。思いがけないお申し出に、気が動転してしまいました」

「よろしいのですよ。そんなに気を遣っていただかなくても」

 アルベールは少し困った顔をした。フルールは、トリタヴォーラ流の敬意を示す仕草をして、こう続けた。

「アルベールさん、私を、弟子にしてください」

 アルベールはまた、目を満月のように大きく開いた。

「お嬢さん、お待ちなさい。あなた、独立した職人でしょう? 私は上層で給金をもらって働くことをお勧めしただけで、今さら誰かの弟子になりなさい、とは申しておりませんよ」

「私は、上層で、アクセサリー職人としてあらたに生まれ変わるつもりです。どうか、私を弟子にしてください」

「では、あなたは上層で暮らすことに決めたのですか?」

「はい」

「私に、身元引受人になってもらいたいと?」

「はい。その分、ここでできることは、何でもいたします」

「うーむ……」

 アルベールは腕組みして、しばらくの間考え込んでいた。

「どうか、お願いします!」

 調子のいいことを言っている自覚はあった。でも、ここで暮らせないことには、生きていくことさえ危ういのだ。マダムとクロアゲハは、おそらく、上層でそれなりの立場を持つアルベールには、簡単に手出しできないだろう。彼の弟子になれば、フルールが狙われるおそれも、小さくなる。それに、一流の職人であるアルベールの人脈も役に立つかもしれない。

「わかりました。では、あなたを弟子にとりましょう。よろしく、フルール」

「アルベールさん、いえ、親方! よろしくお願いします!」

 フルールは顔を上気させ、頭を下げた。

「では、まず、簡単に朝食をとって、役所が開く時間までは掃除でもしてもらいましょうかね。役所に行って、身元証明の飾りをつければ、中層のあなたも魔法が使えるようになるでしょう」

「あの、親方……他のアクセサリーを身につければ、中層の私でも、今すぐに魔法が使えるのでしょうか?」

 産まれながらに魔法の力を持つフルールが聞くのもおかしな話だが、純粋な興味から口にした。

「そうですけど……だめですよ。ちゃんと、上層の市民として認められないと」

「どうして、上層の市民以外、魔法を使うことを許されないのでしょうか!」

 口にして、すぐに後悔した。生意気だと嫌われ、追い出されては、元も子もない。

「フルール。魔法を使うには、勇気が必要なのです」

「勇気……?」

「そうです。勇気」

 アルベールは眼鏡をくいっと持ち上げた。

「上層のアクセサリー作りは、昔のように、金属を溶かすための炉を使いません。金属を溶かすのは、手のひらの熱です」

「手のひらの熱? こんなもので? ロウだって溶けはしませんよ?」

「魔法は、人や物が持っている力を増幅するものだということは、ご存じですか?」

「はい、何となく……」

「魔法を使って金属を手のひらで溶かすとき、手のひらは炉の炎のような熱を帯びます。人の皮膚が持つ熱を、極限まで高めるのです」

 フルールは息をのんだ。想像するだに恐ろしかった。

「あなたに私のアクセサリーを貸しますから、今すぐやってみましょうか」

「い、いえ、今すぐは、結構です……」

 フルールは頭を振った。アルベールは、やっぱり、と言いたげな顔をした。

「あなたたち中層の市民は、勇気を出さなかった。だから、魔法を使う資格はないのです。もっと正確に言うと、あなたたちのご先祖が、勇気を出さなかった。だから、あなたたちは魔法の恩恵に預かることもできず、今も中層で暮らしているのです」

「どういうことでしょうか……」

 アルベールは目を点にした。

「おやおや。中層では、それすら語らなくなったのですか? いいでしょう。教えてあげます」

 アルベールは、咳払いを一つして、昔話をはじめた。
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