パピヨン

田原更

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一章 花と蝶

第4話 くず宝石

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 今、フルールの足下で輝いている宝石は、その日の光をぎゅっと固めたように美しかった。フルールは、上層に向かって、大声で叫んだ。

「誰かいますか! どうして、こんなきれいなものを捨ててしまうんですか!」

 上層の柵から、男がにゅっと首を出してきた。

「中層のお嬢さん。頭の上にごみを落としてしまい、失礼しました。これは、くず宝石ですよ」

「くず宝石……?」

 フルールは首をかしげた。

「そう。もともと欠けていたり、作業中に傷がついたりして、アクセサリーに使えなくなってしまった、ごみ。こんなものに、何の価値もありません。傷や欠けのある宝石からは、魔力が抜けてしまうのですから」

「何の価値もない……。そんな、とてもきれいなのに……。ただ、見ているだけで、心が躍って、素敵だなって、思いませんか? それだけで、価値のある、素晴らしいものだと、思いませんか?」

「お嬢さん、宝石は魔法を使うための道具。それ以外に、何の価値があるのです?」

「身につけるだけで、ただ身につけるだけで、素晴らしいと思いませんか! きれいな服を着て、わくわくするように! そこに魔法の力は、関係ないと思います。いいえ、これを身につけると、心の中に魔法が起こるんです! そんな予感がします!」

 フルールは一生懸命、男に語りかけた。男は笑いたいのを必死でこらえているようだ。

「これはこれは。中層の人は、我々とは違う考えを持つようで。じつに、面白い」

 男は柵から顔を引っ込めた。少し経つとまた顔を覗かせ、紙切れを二枚落としてきた。地面に落ちる前に、フルールは紙切れをつかみ取った。一枚は名刺だった。もう一つは……。

「通行証?」

「お嬢さん。そんなに言うならば、私の店まで、このごみを引き取りにやってきてくれませんか? いちいちここまで捨てに来るのも、一苦労なのですよ。名刺をご覧なさい。そこに、私の工房の名前と住所が書いてある。中層側にある、浮上装置の前に経っている監視員たちに通行証と名刺を見せれば、まあ、通してもらえるでしょう」

 フルールは、喜びで、頬を紅に染めた。

「ありがとうございます! すぐにでもうかがいます!」

 フルールは男に何度も何度も頭を下げると、大急ぎで家に戻った。

 洋服掛けから一番上等な服を選んで、フルールは一目散に浮上装置の前に駆けていった。浮上装置の前に立つ二人の監視員は、今にも浮上装置に飛び乗らんばかりのフルールを見つけると、持っていた槍を交差させた。

「そこの娘! 通行証の無き者はここを通ることまかりならん!」

「すぐに失せろ!」

 監視員は、上層の人間だという噂だ。魔法の明かりを灯しに来る男と同じく、黒い外套を纏っていた。

「通行証なら、あ、あります!」

 フルールは監視員の態度にたじろいだが、勇気を持って通行証を差し出した。監視員たちはなめるように通行証を見つめた。

「ほお、間違いないようだな」

「貴様、誰からこの通行証を貰った?」

 フルールは宝石を落としてきた男の名刺を、左の監視員に差し出した。

「アクセサリー工房ルーン、アルベール・ラポルト……」

 左の監視員は、右の監視員に、名刺を渡した。

「確かなお方の紹介のようだ。よし、通って構わんぞ」

「ありがとうございます!」

 フルールは監視員にぺこりと頭を下げて、浮上装置に乗り込んだ。浮上装置は、艶やかなオレンジ色の石でできていた。

(これが、宙に浮くの?)

 考えた途端に、浮上装置は浮き上がった。ふわりと、風を感じた。フルールはスカートを両手でぎゅっと押さえて、祈るような気持ちで、浮上装置が止まるのを待った。

 がこん、と浮上装置が止まった。急に止まったので、フルールはよろけてしまった。上層側の監視員が、こちらを見て、くすっと笑った。

(恥ずかしい……!)

 フルールは、頬を手で押さえた。

「中層のお嬢さん、お名前は?」

 監視員は優しい声で訪ねた。中層側の監視員の態度とは、ずいぶん違う。フルールは、監視員の襟元に光る蝶の飾りを、ちらりと見た。飾りは何色にも光り輝いていた。あまりにも美しくて、フルールは我を忘れた。

「お嬢さん?」

 監視員から気遣わしげに声をかけられ、フルールは我に返り、慌てて口を開いた。

「五番通り、アクセサリー店パピヨンのフルールです」

 フルールはまた、ぺこりと頭を下げた。中層の人間には、姓はない。どこ通りの誰それ、それで身分を示している。

「ずいぶんと、立派なお名前のお店ですね」

 監視員が目を丸くした。

「そうでしょうか?」

 そんな、立派だと言われるほどだろうかと、気にはなったが、それよりも確認したいことがあった。

「あの……。アクセサリー工房ルーンに行く道を教えていただけますか?」

「わかりました。その前に……右腕を出してください」

「わかりました」

 フルールは素直に腕を差し出した。監視員は、フルールの右手首に、手錠のような腕輪を近づけた。腕輪には、野暮ったく羽を広げたパピヨン……つまり蛾の飾りがついていた。なんだか気持ち悪くて、フルールは身震いした。

「閉じよ」

 監視員がそう言うと、腕輪はがちりとはまった。

「中層のお嬢さん。今、腕輪は、私の魔法で、あなたの手首にがっちりとはまりました。魔法って、ご存じですよね? この腕輪は磁石がついていて、私の魔法で、磁力を高めたのです。人の力では、絶対に、外れません」

「そんな……どうして、こんな、気味の悪いものを?」

 上目遣いにフルールが訪ねると、監視員はにっこりと笑った。

「目印ですよ。あなた方中層の人々の。誰が見ても、一目でわかるように」

(叔父さんが言っていたように、私たちは、蛾なのね……)

 フルールは、生まれてはじめて、明確な差別を受けていると感じた。心の中が暗くなっていった。

「そうでした、アクセサリー工房ルーンに行く道をお教えしないと。いいですか、この通りを……」

 監視員は親切に、道案内をしてくれた。フルールが礼を言って別れると、監視員は「お気をつけて」と微笑んだ。

(あなたは、私のことを、同じ人間だと思ってくれたの? だから、親切にしてくれたんでしょう? そうでしょう? そうだと言って……)

 だけど、その思いを口にすることは、恐ろしくて、とてもできなかった。フルールはただただ、悲しくなってきた。
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