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「おねえさん、かわいいねー、きれいだねー」
「もう……。どこで覚えたの、そんなこと」

ニーナの心労も露知らず、膝の上に乗った小さな王様は上機嫌だ。

ニーナは容姿に頓着する方ではない。

腰に届くほどの長髪ではあるが、絡まりも痛みもなく不潔な印象は受けない。
衣服に皺はないし、更には香水や廉価な石鹸で香りづけまでされている。
人の目に触れる機会が極端に少ないなりに最低限の身嗜みは整えられている。

しかし流行とは縁遠い風貌ではある。
世の中ではより洗練されたデザインや拵なものが流行る中、
古道具屋で買った厚ぼったい眼鏡を愛用しているところにそれが端的に表れている。
深いブラウンの長い髪は簡単な編み方でまとめられている。面倒な時には下ろしたままだ。

ゆったりとしたローブでボディラインのほとんどが隠れてしまっており、
そんな彼女を見て華や魅力を感じる人間はそう多くはないのだ。

「ほんとだよっ、おねえさんは超かわいいんだぞっ」
「はいはい」

そもそも真に受けるものではないだろう、ということを置いておいても、
彼の言葉が本心からとは思えなかった。
だが、リュシオルのこうした態度は揶揄ってはいるのだろうが悪質なものでもない。
大の大人が困ったり照れたりするのが面白い……そういう無邪気なものに思えた。

「ふふん、特別におれのおよめさんにしてあげてもいいんだぞっ」
「生意気なこと言わないの……」

ニーナが相手にする客は訳ありの者が多い。
彼女としても詮索する気はなく、必要最低限の会話しか交わさないようにしている。
それに不満があるわけでもないが、こうして気兼ねない会話を交わし、無垢に甘えられること自体は悪い気はしなかった。
もちろん、調子のいい言葉を本気にはしないが。

「ねーねー、ところでねー……えへへ……おかしー、おかしー、ちょーだい」

ニーナは小さく嘆息して、傍らの小瓶を手に取り飴を口に放り込んでやった。
こうすれば少しは静かになるだろうという思惑だった。

「んへへっ♪ ありがとっ」

リュシオルはぷっくり頬を膨らませながら瞳を細める。

上機嫌になってころころと飴を転がす姿を見ていると胸の奥がきゅうとなった。
小さい子が特別に好きでなくとも、無邪気な所作は見ていると癒されるものだった。

さっきまでは手を付けられないほど駄々をこねていたのに、
一転して膝の上でおとなしくしている様子もなんだか可笑しかった。
戯れにその小さな頭を撫でてやるとリュシオルは心地よさげに声を漏らす。

「んー、おにぇーさん、おにぇーさん」
「……食べ終わってから話しなさい」
「はーい」

ふいにリュシオルが抱き着いてくる。
激しいスキンシップには慣れず、困惑しつつであったが、ニーナは彼を受け止めてやった。

ころ、ころ、と散漫なリズムで飴を転がしており、長いまつ毛に縁どられた瞳はうとうととしている。
胸元に預けられたのは母に抱かれているような安心しきった顔だった。

丸みのある背中をさすり、息を吐き、ニーナは決心して口を開く。

「……リュシオルくん、もうそろそろ……」
「食べ終わった!」
「そうじゃなくて……あ、あのね、もう帰った方が」

腕の中の身体がぴたり、と時が止まったように静止する。
まずい、と思った瞬間にはもう遅かった。

「……やだ……」

つい先程までは満面の笑みを浮かべていた顔が瞬く間に真っ赤に染まり、涙を滲ませる。

「……やぁだ、やだ……まだおねえさんと一緒にいる……」

そうしてニーナがあやす暇もなく、リュシオルはぐずり始めるのだった。

(うぅ………………)

それも火が付いたように泣くのでなく、すんすんと鼻を鳴らしてさめざめと泣いている。
きゅう、と唇を噛んでそれでも堪えきれない風に嗚咽する様子は、
あまりにもいたいけで、見ている方が切なくなる。

リュシオルの小さな拳が手繰り寄せるようニーナの服を掴む。
猫のように丸まり、ニーナの膝の上にすっぽり収まった身体は頑としてそこから動かない。
乗せられた身体からぽかぽかと高い体温が伝わってきた。

「……だめ?」

こてん、と首を傾げてびくびくと訊ねられれば、ニーナは揺らぎそうになる。
だが、もうじき開店の時間だ。

「だ、だめです……」

リュシオルを抱き上げ、膝からそっと下ろそうとした瞬間――

「おねえさん、おれのこときらいなの……?」

リュシオルはひどく不安げな、か細い声で問うてきた。

「おれ、かってにお店きて、だっておれ、たのしくて、
でも、だから、おねえさん、おれのことヤになっちゃったの……?」

それはいつもの気まぐれな様子とはまるで違う、なんだか本心で焦っている様子だった。

「ち、違うよ……。もうね、お仕事の時間なの。リュシオルくんのこと、嫌いなわけじゃないんだよ……」

そんな姿を見せられれば慌てて弁解するしかない。

「ほんと? おねえさん、おれのことすき?」
「う、うん……」
「すきっていって! いって!」
「すきだよ、リュシオルくんのこと、すきだから……ね?」

極力柔らかく、言い聞かせるようニーナは繰り返す。だがリュシオルが納得した様子はない。

「ほんと? ほんとにほんと? ほんとーっに! おれのことすきぃ?」
「うん……? すきだよ」
「じゃあさあ、ちゅーして!」
「へ!?」

一瞬リュシオルが何を言ったのかわからず、ニーナは素っ頓狂な声をあげた。

(え……? ええ? 今、キスって……)

彼女の混乱に構うことなく、リュシオルは甘えた声でねだり、
ニーナの首に手を回して、今か今かと待つように唇を尖らせる。

「ま、まって、リュシオルくん。あ、あの、それはね、だめなんだよ」
「どうして!?」
「どうしてって……」

考えてみれば、まだ親と挨拶としてのキスをしていてもおかしくはない年頃だ。
単なる親愛の表現として求めているのかもしれない。

ニーナは咄嗟にそう思いもした。

何であれ、ニーナは立派な成人女性なのだ、小さな子とはいえ男性と易々と接吻するわけにはいかないし、
リュシオルにとっても、血縁者でもない相手とするのは善くないことだろう。
行為の意味がわかっていないのならなおさらだ。

「あ、あのね、リュシオルくんはまだ、おかあさんやおとうさんとしてるのかもしれないけど……
キスって、なかよしの証だけじゃなくって、知らない女の人とはしちゃいけないんだよ……」
「知らない女の人じゃないよ!」
「そ、そういうことじゃなくってぇ……」

が、ニーナの常識的な説得もリュシオルの前では無意味だった。

「おれおねえさんのこといっぱいしってるよ? いつもやさしくてー、それにすごくかわいい!」
(か、かわいい……って……)

そんな状況ではないと頭では理解しつつ、あまりにもぶれずにストレートな誉め言葉をぶつけるものだから照れてしまう。
頬が熱くなっていくのを感じてしまった。

「ねっ、ねっ、いいでしょー? おれしたいしたいしたい!!」

膝に乗った軽い身体はゆさゆさ揺れて駄々をこねる。
気が付けば、その端正な顔がすぐ目の前にまで近づいていた。

「……あっ」

ふにゅ、と柔らかいものが触れて、一瞬の遅れのあと、リュシオルにキスをされたのだと理解した。
キスといっても唇のごく表面にほんの僅かに触れただけだったが、
それでも感触ははっきりと伝わった。

ニーナの頭には多幸感が満ちていた。

(あ、わ、わたし、今……)

肉体はそれを拒むどころか喜んで受け入れてしまっている。
戸惑うニーナのことも知らず、リュシオルはもう一度、今度はもっとしっかりと唇を押し付けてきた。
そして、小さく薄い舌をぺろりと出して、ニーナの閉じたままの唇をなぞった。

「……っ!?」

果肉のように柔らかい感触から一転、ざらりとしたものに舐められて、ニーナは身体を震わせる。
リュシオルの舌先は器用に、閉じた唇を開かせるように擽ってくる。
ぬるりとした唾液の感触とその奥にある不思議な感触にぞわぞわとしつつも、徐々に快感が背中を走り、
ニーナは自然と唇を開いていた。

「……おねえさんの唇、やわらか~い……」

今まで聞いたことがない熱っぽく湿った息遣いが耳を擽る。甘えたな声はどこか艶っぽかった。

(う、そ……なんで、このこ……)

薄く開いた唇を割って、リュシオルの舌は侵入してくる。
互いの舌先がつんと触れ合った瞬間、ニーナの身体に電流が走る。

(なんでこんなに、うまいのぉ……♥♥♥)
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