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リュシェール公爵家での会食中の話だ。
「しかし。
〝社交界の花〟もまさか最後にゃ乳母役に駆られるなんてねぇ。
そりゃご婦人の側だって尽くすなら年若い方がいいでしょうが、いくらなんでもあれじゃあね」
「といっても、彼女だってもう……はていくつだったか、そう選んでられんのでしょう。
見た目がいいし、詩もできる。田舎者だろうと貰い手は山ほどあったでしょうに、
並みいる求婚相手を足蹴にした結果にしちゃ傑作だ、父親も金にやられたのかしらん」
「いや、いや。年増とはいえなかなか美しいじゃないですか」
「うちのよりは幾ばくか、ははは」
「いやぁ、〝こども公爵様〟じゃあねぇ、アレの相手もできんでしょ。
あの情熱的な身体、きっと持て余してますぜ、ええきっと!」
「声さえ掛ければさぞ簡単に」
「ははははははは」
男たちはひそひそと囁き合い、当て付けるように一点をチラチラと見ている。
彼らは一様に身なりが良く、所作も洗練されている。
階級でいえば高位な人間だ。
彼らの周囲の人間も下卑た会話が耳に届いたとしても知らないふりをするばかりで、
咎める者は誰もいなかった。
そんな中、年配の女性がキッと男たちを睨みつける。
すらりと伸びた背筋、きつく縛ったシルバーの髪。
推測できる年齢相応の落ち着いた風貌をした老婦人だが、
内面から醸し出される理知的な印象は衰えていない。
彼女に睨まれたことで男たちは肩をすくめる。だが、その口元は変わらず緩んでいる。
そして、老婦人と彼女の隣に立つ執事を――彼女らの身内である人物をその向こうに見るよう――視線で舐る。
「まぁ、私が言えたことじゃありませんが……」
老婦人が男たちに冷ややかな視線を返したあと、
努めて柔らかくしたような声色で執事に話しかける。
「何を仰います、今じゃ奥様が一番彼女を気に掛けていらっしゃるでしょうに」
「結果がどうあれ、疑いの目で見ていたのは事実でしょう。
トラントゥールの鷹と呼ばれた目も老いて曇ったものですね」
執事はパン、と手を叩き、明朗な――わざとらしく衆目を集めるような――素振りで言う。
「わたくしもこの結婚上手くいくものかと頭を抱えておりましたがねぇ、
万事が万事! 上手くいくもので! ええ、彼女が来てから家が一段明るくなった気がしますとも」
当然、視線は彼に集まって、各々の話し声で喧しかった会場が一瞬静まり返った。
「……あなた、執事よりも道化師の方が向いていたんじゃないかしら」
「はて?」
「はあ……。……まるで罪滅ぼしのために贈り物をしているかのようじゃないですか、
ですから、あまり、彼女に構わないようにしているつもりですが」
老婦人は頭を抱え、そして会場の隅に顔を向けた。
執事へ集まっていた目たちがそれに追従する。
そうして注目の的となったのは一人の女性だ。
色彩こそ落ち着いているが、細かに刺繍と紋様、宝石が施されたドレス。
それが彼女の些細な動きにも呼応するようなびき、光を受けてきらめいている。
人前に出る以上流行を押さえたデザインではあるが、
そうした移ろいやすい価値観とも違う、時代を超えて受け継がれる厳かな美も併せ持ち、
一種の重圧すら感じさせるその衣装を着こなすのは、
白い肌、華奢だが艶めかしさのある立ち姿、高い鼻梁と埋もれることのない印象深い瞳、
新雪を思わせるような儚さに凛々しさが両立した女性だった。
彼女の立つ一角だけは社交の場の喧騒から切り離されており、
その姿は物語や歴史の中から抜け出してきたかのようだ。
会場の中で――男たちが向ける悪意めいたものではない純粋な――注目を集めるのは誰か?
そう問われれば、誰もが彼女を指すだろう。
彼女――より正確に状況を表現するならば、
若年の女性である彼女と幼い少年は、二人の世界に没頭しているのだった。
「ソラ様」
「何度も言っているだろう、そう傅かなくていい、マリアンヌ」
「ですが……」
「緊張しているのかい?」
「……え、ええ。なにか、粗相があったらと思うと……」
「きみが会食の類で失敗したという話は聞いたことがないが……。
それに私との顔合わせも立派に済ませたじゃないか。同じように振る舞えばいい」
「で、ですが……」
「リュシェール公は気心知れた仲だ。
彼はきみをむやみやたらに蔑まない、軽んじるような人間でもない。私が保証する。それに……」
声を潜めて話している女性――マリアンヌはひどく不安げな顔をしている。
柔らかい笑みを浮かべてから、ソラと呼ばれた少年はマリアンヌに手を差し伸べる。
「自慢の妻を紹介しにきたんだよ。主役のきみが胸を張らないでどうする」
彼の笑みで緊張がほぐれたよう、マリアンヌも微笑み返す。
「主役はソラ様ですよ……あら」
それからマリアンヌはソラの頭に手を伸ばす。
いかにも神経の細そうな眉尻の下がった顔は、
ほんの少しだけ明るく――歳の離れた姉が持つような、一種の気の強さを持った面立ちに変わった。
「髪が乱れています、あら、ジャケットも……。
あ、あら……よく見たら、靴まで」
「そこまで心配しなくとも……」
「いえ。リュシェール公には最高の御姿を見せないと……」
先程まで彼女を力強くエスコートしていたソラはたじたじになりながら、
しかし邪険にあしらうこともなくされるがままになっている。
「最高の御姿を見せないと……だって、自慢の旦那さまですから」
仲睦まじくじゃれ合う二人を後目に、
陰口を叩いていた男たちが心底居心地の悪そうな顔をして、誤魔化すよう咳払いした。
「しかし。
〝社交界の花〟もまさか最後にゃ乳母役に駆られるなんてねぇ。
そりゃご婦人の側だって尽くすなら年若い方がいいでしょうが、いくらなんでもあれじゃあね」
「といっても、彼女だってもう……はていくつだったか、そう選んでられんのでしょう。
見た目がいいし、詩もできる。田舎者だろうと貰い手は山ほどあったでしょうに、
並みいる求婚相手を足蹴にした結果にしちゃ傑作だ、父親も金にやられたのかしらん」
「いや、いや。年増とはいえなかなか美しいじゃないですか」
「うちのよりは幾ばくか、ははは」
「いやぁ、〝こども公爵様〟じゃあねぇ、アレの相手もできんでしょ。
あの情熱的な身体、きっと持て余してますぜ、ええきっと!」
「声さえ掛ければさぞ簡単に」
「ははははははは」
男たちはひそひそと囁き合い、当て付けるように一点をチラチラと見ている。
彼らは一様に身なりが良く、所作も洗練されている。
階級でいえば高位な人間だ。
彼らの周囲の人間も下卑た会話が耳に届いたとしても知らないふりをするばかりで、
咎める者は誰もいなかった。
そんな中、年配の女性がキッと男たちを睨みつける。
すらりと伸びた背筋、きつく縛ったシルバーの髪。
推測できる年齢相応の落ち着いた風貌をした老婦人だが、
内面から醸し出される理知的な印象は衰えていない。
彼女に睨まれたことで男たちは肩をすくめる。だが、その口元は変わらず緩んでいる。
そして、老婦人と彼女の隣に立つ執事を――彼女らの身内である人物をその向こうに見るよう――視線で舐る。
「まぁ、私が言えたことじゃありませんが……」
老婦人が男たちに冷ややかな視線を返したあと、
努めて柔らかくしたような声色で執事に話しかける。
「何を仰います、今じゃ奥様が一番彼女を気に掛けていらっしゃるでしょうに」
「結果がどうあれ、疑いの目で見ていたのは事実でしょう。
トラントゥールの鷹と呼ばれた目も老いて曇ったものですね」
執事はパン、と手を叩き、明朗な――わざとらしく衆目を集めるような――素振りで言う。
「わたくしもこの結婚上手くいくものかと頭を抱えておりましたがねぇ、
万事が万事! 上手くいくもので! ええ、彼女が来てから家が一段明るくなった気がしますとも」
当然、視線は彼に集まって、各々の話し声で喧しかった会場が一瞬静まり返った。
「……あなた、執事よりも道化師の方が向いていたんじゃないかしら」
「はて?」
「はあ……。……まるで罪滅ぼしのために贈り物をしているかのようじゃないですか、
ですから、あまり、彼女に構わないようにしているつもりですが」
老婦人は頭を抱え、そして会場の隅に顔を向けた。
執事へ集まっていた目たちがそれに追従する。
そうして注目の的となったのは一人の女性だ。
色彩こそ落ち着いているが、細かに刺繍と紋様、宝石が施されたドレス。
それが彼女の些細な動きにも呼応するようなびき、光を受けてきらめいている。
人前に出る以上流行を押さえたデザインではあるが、
そうした移ろいやすい価値観とも違う、時代を超えて受け継がれる厳かな美も併せ持ち、
一種の重圧すら感じさせるその衣装を着こなすのは、
白い肌、華奢だが艶めかしさのある立ち姿、高い鼻梁と埋もれることのない印象深い瞳、
新雪を思わせるような儚さに凛々しさが両立した女性だった。
彼女の立つ一角だけは社交の場の喧騒から切り離されており、
その姿は物語や歴史の中から抜け出してきたかのようだ。
会場の中で――男たちが向ける悪意めいたものではない純粋な――注目を集めるのは誰か?
そう問われれば、誰もが彼女を指すだろう。
彼女――より正確に状況を表現するならば、
若年の女性である彼女と幼い少年は、二人の世界に没頭しているのだった。
「ソラ様」
「何度も言っているだろう、そう傅かなくていい、マリアンヌ」
「ですが……」
「緊張しているのかい?」
「……え、ええ。なにか、粗相があったらと思うと……」
「きみが会食の類で失敗したという話は聞いたことがないが……。
それに私との顔合わせも立派に済ませたじゃないか。同じように振る舞えばいい」
「で、ですが……」
「リュシェール公は気心知れた仲だ。
彼はきみをむやみやたらに蔑まない、軽んじるような人間でもない。私が保証する。それに……」
声を潜めて話している女性――マリアンヌはひどく不安げな顔をしている。
柔らかい笑みを浮かべてから、ソラと呼ばれた少年はマリアンヌに手を差し伸べる。
「自慢の妻を紹介しにきたんだよ。主役のきみが胸を張らないでどうする」
彼の笑みで緊張がほぐれたよう、マリアンヌも微笑み返す。
「主役はソラ様ですよ……あら」
それからマリアンヌはソラの頭に手を伸ばす。
いかにも神経の細そうな眉尻の下がった顔は、
ほんの少しだけ明るく――歳の離れた姉が持つような、一種の気の強さを持った面立ちに変わった。
「髪が乱れています、あら、ジャケットも……。
あ、あら……よく見たら、靴まで」
「そこまで心配しなくとも……」
「いえ。リュシェール公には最高の御姿を見せないと……」
先程まで彼女を力強くエスコートしていたソラはたじたじになりながら、
しかし邪険にあしらうこともなくされるがままになっている。
「最高の御姿を見せないと……だって、自慢の旦那さまですから」
仲睦まじくじゃれ合う二人を後目に、
陰口を叩いていた男たちが心底居心地の悪そうな顔をして、誤魔化すよう咳払いした。
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