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「私に利用されてくれませんか」
こうまで真剣に、丁寧に頼んでいるのだ。
だからわたしも誠実に答えたくて、ぐるぐる回る考えをまとめようとする。
「お話は嬉しいんです……
公爵殿下がわたしを、悪いように扱う人じゃないこともわかっていて……
……でっ、で、も……」
途切れ途切れに言葉を発する。
すると彼が表情をちょっと緩める。
「…………急な話ですが、あなたの荷物は?」
……荷物?
王位とか国とか、そういうことを考えている中、
急にそのワードが飛んできて固まってしまった。
荷物、わたしの、荷物……?
「えっ? えっ!? えっ……!? あ、そうだ……どこにあるんですか!?」
サーッ、と血の気が引いていく。
「いえ、あなたが持ってきていた鞄はきちんと保管してあります。
蔵として使っている部屋に運ばせて、
見張りも付けていますから盗みの心配などはしなくても大丈夫です。
それよりも……」
「切符!!」
「お気づきになられましたか?
選定式を終えてから乗る列車となると夕方の便でしょう」
「あ、あぁあ……うそ、うそうそ……もう過ぎてる~ッ!!」
ここへ来る前に窓から見えた空は橙色だった。
あれから数十分は経っているんだ。
まだ発車時刻を過ぎていないにしても、今から駅へ向かうのでは到底間に合わない。
わたしはショックのあまりその場を意味もなくウロウロとして、
公爵殿下の前だっていうのに泣き出しそうになっていた。
「……あなたはしきりにご実家が貧しいと繰り返されていました。
こういうと失礼ですけれども、新しい切符を今から買い直す手持ちもないのでは?」
そんなわたしに彼は畳み掛けてくる。
「………………」
帰る手段が無くなった。
現実的な問題に直面したからか、
慌ただしくて、散らかるばかりだった思考が途端に纏まり始める。
「もちろん誘いを断る自由はあります。
こちらとしても強要する気はありませんから。
しかし、あなたが帰る手段は無いに等しい。
ここで生活する手立てを、現実的に考えてみてください」
彼の言う通りだった。
あくまでも穏やかに、けれども、諭すように現状を突き付けられて、
今のわたしが本当にまずい状態なんだってますます理解する。
「施しを受けるのが嫌なのだと仰るのなら仕事も用意しましょう。
といっても、あなたは印の保有者ですから。やすやす外に出すわけにいきません。
邸の中で完結する簡単な作業となりますが、賃金は支払います。
もし気に入らなければ、そのお金を貯めて故郷に戻られてください。
期間にすれば数か月の話です」
……悪い話ではない。
っていうか、身分を証明するものとか何も持っていない、
別に秀でた技能があるわけでもない、
印を除けばただの余所者でしかないわたしには身に余るような好待遇だ。
わたしは頷こうとした。
けれども、少し考えてそれを止める。
「あ、あの……ひとつ、訊いてもいいですか」
「はい。疑問がありましたら今、解消しておいてください」
すーっ、と胸いっぱいに息を吸う。
この人はわたしなんかよりそのことをずっと深く考えているだろう。
でも、どうしても、それだけは訊きたかった。
「……公爵殿下は、この国をいいものにしてくれますか?」
「…………」
案の定公爵殿下は黙ってしまった。
馬鹿にしてる、って思われたかも。
「ご、ごめんなさいっ。
わたし、馬鹿だし田舎者だから、そういうの、全然わかんなくて。
でも……」
瞬間、故郷の景色が頭の中に蘇った。
それに勇気づけられてわたしはまた口を開く。
……馬鹿なこと言ってでも彼が何を思っているのかを知りたい。
「うち、牧場やってるんです、畑もあって、
たまに狩猟に行って、出来たものを店で売るんです。
王都みたいに賑やかなところではないからそんなに多くないですけど、
他所からのお客さんや観光しに来る人もいて、それで!」
声を張り上げかけたところでハッとした。
「あっ、ごめんなさい。こんなこと、訊いてないですよね」
「いえ。続けてください」
公爵殿下は静かに、真剣な顔で言葉を待ってくれる。
「それで、お金持ちではないけど、みんなで楽しく暮らしていたんです。
でも……」
自分でも蓋をしていたものを剥がしてしまう嫌な痛みが胸を焦がす。
忘れていたわけじゃない。
……思い出さないようにしていたんだ。
「……先の戦争で、お父さん、死んじゃったんです。
おじさんも皮革職人のビヨンドールさんも、仕立て屋のおばさんも知ってるひとみーんな、
ううん、いろんなところの、いろんな人、死んじゃった」
クランリッツェでは戦争があった。
2年前に和平の協定を結んだけれども、帝国に蹂躙された跡はいまだに残っている。
それは王家の人が悪いわけじゃない。
公爵殿下に戦争の怒りをぶつけたいわけじゃない。
ただ――
「……わたし、馬鹿だし、田舎者で、学なんてないから何にもわかんないです。
でも、もう、あんなこと繰り返してほしくない。
それだけはわかるから、だから……っ」
ただ、わたしはもうあの惨劇を見たくはなかった。
目の前の彼がいずれクランリッツェを導くかもしれないのならば、
その願いを託してもいい人なのかを知りたかった。
こうまで真剣に、丁寧に頼んでいるのだ。
だからわたしも誠実に答えたくて、ぐるぐる回る考えをまとめようとする。
「お話は嬉しいんです……
公爵殿下がわたしを、悪いように扱う人じゃないこともわかっていて……
……でっ、で、も……」
途切れ途切れに言葉を発する。
すると彼が表情をちょっと緩める。
「…………急な話ですが、あなたの荷物は?」
……荷物?
王位とか国とか、そういうことを考えている中、
急にそのワードが飛んできて固まってしまった。
荷物、わたしの、荷物……?
「えっ? えっ!? えっ……!? あ、そうだ……どこにあるんですか!?」
サーッ、と血の気が引いていく。
「いえ、あなたが持ってきていた鞄はきちんと保管してあります。
蔵として使っている部屋に運ばせて、
見張りも付けていますから盗みの心配などはしなくても大丈夫です。
それよりも……」
「切符!!」
「お気づきになられましたか?
選定式を終えてから乗る列車となると夕方の便でしょう」
「あ、あぁあ……うそ、うそうそ……もう過ぎてる~ッ!!」
ここへ来る前に窓から見えた空は橙色だった。
あれから数十分は経っているんだ。
まだ発車時刻を過ぎていないにしても、今から駅へ向かうのでは到底間に合わない。
わたしはショックのあまりその場を意味もなくウロウロとして、
公爵殿下の前だっていうのに泣き出しそうになっていた。
「……あなたはしきりにご実家が貧しいと繰り返されていました。
こういうと失礼ですけれども、新しい切符を今から買い直す手持ちもないのでは?」
そんなわたしに彼は畳み掛けてくる。
「………………」
帰る手段が無くなった。
現実的な問題に直面したからか、
慌ただしくて、散らかるばかりだった思考が途端に纏まり始める。
「もちろん誘いを断る自由はあります。
こちらとしても強要する気はありませんから。
しかし、あなたが帰る手段は無いに等しい。
ここで生活する手立てを、現実的に考えてみてください」
彼の言う通りだった。
あくまでも穏やかに、けれども、諭すように現状を突き付けられて、
今のわたしが本当にまずい状態なんだってますます理解する。
「施しを受けるのが嫌なのだと仰るのなら仕事も用意しましょう。
といっても、あなたは印の保有者ですから。やすやす外に出すわけにいきません。
邸の中で完結する簡単な作業となりますが、賃金は支払います。
もし気に入らなければ、そのお金を貯めて故郷に戻られてください。
期間にすれば数か月の話です」
……悪い話ではない。
っていうか、身分を証明するものとか何も持っていない、
別に秀でた技能があるわけでもない、
印を除けばただの余所者でしかないわたしには身に余るような好待遇だ。
わたしは頷こうとした。
けれども、少し考えてそれを止める。
「あ、あの……ひとつ、訊いてもいいですか」
「はい。疑問がありましたら今、解消しておいてください」
すーっ、と胸いっぱいに息を吸う。
この人はわたしなんかよりそのことをずっと深く考えているだろう。
でも、どうしても、それだけは訊きたかった。
「……公爵殿下は、この国をいいものにしてくれますか?」
「…………」
案の定公爵殿下は黙ってしまった。
馬鹿にしてる、って思われたかも。
「ご、ごめんなさいっ。
わたし、馬鹿だし田舎者だから、そういうの、全然わかんなくて。
でも……」
瞬間、故郷の景色が頭の中に蘇った。
それに勇気づけられてわたしはまた口を開く。
……馬鹿なこと言ってでも彼が何を思っているのかを知りたい。
「うち、牧場やってるんです、畑もあって、
たまに狩猟に行って、出来たものを店で売るんです。
王都みたいに賑やかなところではないからそんなに多くないですけど、
他所からのお客さんや観光しに来る人もいて、それで!」
声を張り上げかけたところでハッとした。
「あっ、ごめんなさい。こんなこと、訊いてないですよね」
「いえ。続けてください」
公爵殿下は静かに、真剣な顔で言葉を待ってくれる。
「それで、お金持ちではないけど、みんなで楽しく暮らしていたんです。
でも……」
自分でも蓋をしていたものを剥がしてしまう嫌な痛みが胸を焦がす。
忘れていたわけじゃない。
……思い出さないようにしていたんだ。
「……先の戦争で、お父さん、死んじゃったんです。
おじさんも皮革職人のビヨンドールさんも、仕立て屋のおばさんも知ってるひとみーんな、
ううん、いろんなところの、いろんな人、死んじゃった」
クランリッツェでは戦争があった。
2年前に和平の協定を結んだけれども、帝国に蹂躙された跡はいまだに残っている。
それは王家の人が悪いわけじゃない。
公爵殿下に戦争の怒りをぶつけたいわけじゃない。
ただ――
「……わたし、馬鹿だし、田舎者で、学なんてないから何にもわかんないです。
でも、もう、あんなこと繰り返してほしくない。
それだけはわかるから、だから……っ」
ただ、わたしはもうあの惨劇を見たくはなかった。
目の前の彼がいずれクランリッツェを導くかもしれないのならば、
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