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10巻
10-2
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「アストル先生、落ち着いてください。相手の思うつぼですよ。放っておけば、向こうから接触があると思います」
グレイバルトに諫められてしまった以上、素直に諦めるしかない。
「じゃあ、グレイバルト。引き続き調査と接触を頼む。必要なら俺の名前を使ってもいい」
「了解いたしました。こちらへの接触もワンクッション置くべきと思いますので、わかりやすい『窓口』を学園都市に放っておきます」
グレイバルトが小さく頷いて応えた。
「それで、ナナシ。見解は?」
「『穢結石』が絡んでいる、というのはどうかな?」
人を『悪性変異』へと変える『穢結石』……やっぱり、それが濃厚だよな。
ナナシの予想は、俺も考え至っていたことだ。
☆1のレベル上限突破者がそんなに大量に存在するはずがない……ないのだが、あるとすれば、その現象を引き起こした原因は何かと考えなくてはならない。
レベル上限突破は、ここ数年でようやく研究が結実しはじめた、『存在係数』関連の一側面でもある。
それを元に賢人達は、慎重に『ダンジョンコア』を利用して☆1のレベル上限突破現象を確認している最中だ。
で、あれば。
噂の『トゥルーマンズ』が『ダンジョンコア』実験の被験者である可能性は極めて低い。
門外不出とまではいかないくとも、〝塔外秘〟程度には厳重に管理されているはずだ。
それがいきなりエルメリアの国内に大量に現れるというのは、状況的にあり得なさすぎる。
では、誰かが☆1に大量に『ダンジョンコア』を提供したのか?
……これもまたあり得ない。
まず理由が見当たらないし、『ダンジョンコア』というのは稀有な宝物だ。
それを組織的に使用するなんて真似をして、バレないはずがない。
そうなると、☆1の脆弱性を改変できるような物は『穢結石』しかない。
消去法でそこに辿り着くわけだが、『穢結石』であればモーディア皇国がいまだに所持しているはずだ。
そして彼らは『悪性変異兵』を生み出すために、☆1にそれを使用していた経緯がある。
被検体が逃走した……あるいは、件のロータスなる人物が、『穢結石』を持ち出して、☆1に与えたのかもしれない。
そもそも、エルメリアにいた☆1のほとんどは、クシーニ方面に逃げてきていて、現在はそこに定着している。
戦場となっている北地域に現れたのならば、その構成員はモーディア皇国の☆1か、魔王事変時に実験体とするべく攫われたエルメリアの☆1だろう。
そして……どちらも、世界の現状に大きな恨みを持っている。
これは、いわば世界に対するクーデターだ。
「『穢結石』を使ったとして、正気でいられるのか?」
「☆1であれば可能だろうね。☆5が魔力に強い抵抗力と保有力を持つのと同じさ。☆1は逆に瘴気に対して強い抵抗力を持つ。レベル限界なんてものは、それを取り込んだ時点でなくなってしまうんじゃないかな? 厳密には、人ではなくなるのだし」
『穢結石』は瘴気を結晶化させた……いわばこの世界においてネガ反転させた『ダンジョンコア』のような物だ。
機能として願望の『成就』をなしたりはできないが、魔力と理力を変容させて、〝なりたい自分〟〝なるべき自分〟へと歪んだ進化を促す。
瘴気に抵抗のない☆5であれば、それはもう即座に『悪性変異』に変貌させてしまうくらいに侵蝕性が強い。しかし抵抗力の高い☆1であれば、その猛毒を薬のように作用させることもできるのかもしれない。
いずれにせよ、人として試すべきではない邪法には違いないのだが。
〝魔導師〟なんて大層な二つ名には、今もそれほど未練はない。
欲しいという奴がいれば、どうぞどうぞと渡してしまってもいい。
さりとて、今のところそれは、アストルを指す二つ名として広まっている。
そんな俺の二つ名である〝魔導師〟を名乗っていながら、『穢結石』で何かをしようとしているなら……少しばかり頭にくる。
それは、かつての〝魔導師〟であるアルワースをはじめとして、ビジリやデフィムといった仲間達が……その命を懸けてこの世界から駆逐しようとしたものだ。
それを俺の二つ名を使って、こともあろうに俺と同じ☆1に使っているのであれば……決して許すわけにはいかない。
☆1解放なんてご大層なことを言ってはいるが、正道ではない方法でそれをなすなら、やっていることは魔王と変わらないのだから。
「ふーむ。目的が☆1の解放として……その後のことを何も考えていないようだね。もしかして、バカなのだろうか?」
「テロリストなんて連中の頭の中には、いつも湿った藁くらいしか詰まってないものさ。モーディア皇国の手駒って可能性もあるけど、さて……どうしたものかな」
ナナシの疑問に軽口を返しながら、俺は心の中で決心する。
ほぼ確定だろうが、彼らが『穢結石』を使っているなら、俺にとっては敵だ。
ただ、モーディア皇国の逃亡被検体という可能性もある。
人ならざるものとして存在することになった彼らを受け入れる寛容さは、今この世界にはおそらくない。いくら抵抗力が高いとはいえ、瘴気をその体に宿した以上は、彼らは魔王の手先であり、分類上は魔物なのだ。
もっとも……そういう言い方をすれば、他の人間から見た俺も魔物なのかもしれないが。
「状況を整理した方がいいかもしれませんね」
「そうだな」
グレイバルトに促され、俺は羽ペンをとる。
「つまり、俺という人間は……『トゥルーマンズ』を率いる第三勢力の首魁で、エルメリアに対して示威行動をとっている、とされている」
「そうだね」
声に出しながら、紙にペンを走らせる。
視覚的な理解が、閃きをもたらすこともあるかもしれない。
「実際のところは、ロータスという人物が表に立っているらしいが……こいつは実体がわからないな。『穢結石』を持っているとして、モーディア皇国の人間か?」
「モーディア皇国では☆1は生き残れまい。あるとすれば、エルメリアから誘拐された人間だろう。ふむ、これは仮説なのだが……」
ナナシの言葉にペンを止めて、少し考える。
「ロータスは、バーグナー領都の元住人の可能性がある……か?」
俺が継いだ言葉に、ナナシが小さく頭蓋を揺らす。
かつて俺が成した〝伯爵令嬢の救出劇〟は、バーグナー領都の人間なら皆知っている。俺が☆1だという事実も、だ。
そしてその後、俺が〝魔導師〟と呼ばれていることも、彼らは知っているだろう。
そのネームバリューを☆1の旗印として使うのは、宣伝効果が高いかもしれない。
俺が決してしない、名声の効果的な使い方をする奴だ……侮れないな。
「本当に☆1の解放や権利取得ができると思っているんだろうか?」
俺の疑問を聞き、ナナシが諭すように言う。
「理想論者にそれを言うべきではないよ。彼らは視野が狭い上に、見たくないものは見ない。見えている未来は小さな穴から覗く甘いモノだけなのだろう」
俺だってそんなことはわかっている。
ただ、俺が起こさなかった行動を、誰か別の者が起こしてくれた……起こしてしまったという後悔に似た感情が、小さく湧き上がるのを感じた。
ヴィーチャをはじめとして何人かが、俺に行動するべきだと言ったことがある。
☆1の解放者に、守護者に……〝王〟になるべきだと。
だが、俺はその器ではない。
目に見える範囲のものを、あがくようにしてなんとか守っている小市民だ。
それでも、時々俺の手からこぼれ落ちていってしまうというのに、その腕を全ての☆1の肩に回せと言う。
……絶対に無理だ。俺は英雄でも救済者でもない。ただの一魔法使いにすぎないのだ。
「……エルメリアに行こう」
「アストルさん!?」
驚くグレイバルトに小さく苦笑して、俺は立ち上がる。
どうにもこれは、学園都市でじっとしているわけにはいかない事態のようだ。
「いいのかい?」
頭蓋を鳴らすナナシに俺は頷く。
「『穢結石』が表舞台に出てくるのは、看過できない。これは、俺の仕事だ」
「同感だね。さて、お手並み拝見といこうか〝魔導師〟」
「そうだな、まずはグレイバルトに変装のコツを教えてもらおう」
俺の視線を受け、変装のスペシャリストが盛大にため息を吐いた。
◆
「気を付けてね、お兄ちゃん。ナナシ、お兄ちゃんが無茶しないように見ててよね」
「承った。だが、今回は奥方二人がいる。吾輩の出番はないよ」
システィルの言葉に、ナナシがカタカタと頭蓋を鳴らす。
そんな二人に小さく苦笑しながら、俺は妹に向き直った。
「一ヵ月くらいで帰ってくるよ。軽い現地調査みたいなものだ」
「いつもそんなこと言って無茶するでしょ。私もダグも連れていかないって言うんだから、心配くらいはさせてよ」
少し目を伏せるシスティルの頭を軽く撫でる。
「もう、子供じゃないんだから」
「はいはい。できるだけ急ぐよ。まだまだこっちでやらなきゃいけないことも、たくさんあるからな」
「うん……わかった。気を付けてね。義姉さん達も」
視線を向けられたミントとユユが、システィルを挟み込むようにハグする。
「わわ……」
「安心して! アストルはアタシ達が守るわ!」
「ん。だいじょぶ」
少し耳を赤くしながら、システィルがおずおずと二人の背中に手を回す。
妹とユユ達がこうしてスキンシップを取っている様子は、どこか微笑ましい。
ひとしきり二人と抱き合ったシスティルが、俺に向き直る。
「グレイバルトさんは、もう……向かってるん、だっけ?」
「ああ、向こうで合流予定だ。現地での安全確保と情報収集を頼んである」
エルメリアに行くと決めてから、二週間が経過していた。
その間に、いくつかの準備と……グレイバルトに変装の手ほどきなどを受けた俺は、いよいよユユとミントを連れ立ってエルメリアに向かう。
グレイバルトも直接現地での諜報活動にあたるとのことで、一週間前に学園都市を出た。
今頃はエルメリア王国に入国して、ラクウェイン領都へと向かっているはずだ。
驚いたことに、彼ら『木菟』は特別な移動手段を持っているらしく、足がとても速い。
普通なら学園都市からラクウェイン領都まで、少なく見積もって二週間はかかると思うのだが、一週間とは。
……早馬の乗り継ぎでもギリギリといった具合なのに。
興味があるので、機会があったら方法を聞いてみようと思う。
「じゃあ、行ってくる。ダグもいるから安全だとは思うけど、念のため……用心してくれ」
「大丈夫。私だって、戦えるもの」
「そうだった」
きりりとした表情を見せるシスティルに軽く笑って、頷く。
巷では〝紫陽花の勇者〟などと呼ばれている彼女のことだ、そう心配する必要はあるまい。
それはそれとして、兄としてはいつまでも妹が気がかりではあるのだが。
「それじゃあ、行ってくる」
軽く手を振って、俺は住居である『無色の塔』の扉の外へと足を踏み出した。
◆
「ね、本当にアタシ達が一緒でよかったの?」
「ん? どうして?」
西の国とエルメリアの国境に向かっている最中、ミントがそんなことを尋ねてきた。
確か、自分でついて行くと言い出したはずなのだが。
「アストル一人なら、〈異空間跳躍〉で王都の『井戸屋敷』へ跳べたでしょ? もしかして、足を引っ張っちゃったのかもって」
「……それも考えたんだけど、戦闘になる可能性もあると思って」
街道の上を風のように滑空しながら、俺はそう告げる。
「あと、『井戸屋敷』は見張られているかもしれないからね」
王都の『井戸屋敷』に跳んでもよかったのだが、それではヴィーチャやラクウェイン卿に鉢合わせする可能性がある。それに〈異空間跳躍〉のことは知らないにせよ、屋敷周辺を密偵に見張らせている『ノーブルブラッド』の貴族がいないとも限らない。
当然、これから向かう国境近くの町も危険と言えば危険だが、こと諜報戦においてはグレイバルトの右に出る者はいない。
俺という☆1の安全を確保してくれているはずだ。
「まずは、国境近くの町で、エルメリアの情報収集。それから、陸路でラクウェイン領都を目指す……だった、ね?」
俺の隣のユユが、改めて今後の予定を確認した。
「ああ。ラクウェイン侯爵閣下とエインズに秘密裏に接触する。良い顔はしないだろうが、起こっている事態を正確に把握する必要があるからな」
「ん。一緒に、怒られて、あげる」
そう言ってにこりと微笑むユユに、思わず口元が緩む。
彼女と一緒なら、エインズの小言だって怖くはない。
そんな俺を見て、ミントが少し頬を膨らませる。
「ちょっと、お嫁さんを一人忘れてない?」
「まさか。でも、ミントはエインズの小言が苦手だろ?」
「うっ」
目を逸らすミント。
冒険者時代から少しばかり大雑把な彼女は、よくエインズから小言をもらってむくれていた。
それでも一緒についてきてくれるというのだから、ありがたい。
「エルメリアに入ったら、王都とラクウェイン領都の中間地点にあたる町、『ドゥルケ』に向かう」
ドゥルケは特になんてことない街道沿いの町ではあるが……ラクウェイン領都までは馬車で一日程度の距離で、旅人も多い。
王都にほど近く、さりとてさほど都会というわけでもなく、潜伏するにはちょうどいい場所なのだ。
「我が主。町が見えてきたぞ」
「……ああ、上々の出来だな」
ナナシに頷いた俺は、魔力をゆっくりと絞って、街道から少し離れた草原にふわりと着地する。
そう、着地した。
今回の旅に際して、少しばかり特別な移動手段を準備したのだ、俺は。
「凄いわねぇ、これ。ここまで三日くらいしかかかってないわよ?」
「アストルは、凄いんだよ?」
顔をほころばせる姉妹に、思わず俺もほっこりとした気持ちになる。
『羽付き飛行器』と名付けたこの魔法道具は、三人乗りの空飛ぶ乗り物である。
魔力を循環させることで〈浮遊〉を誘発、それを風の力で滑空させるだけの単純な玩具……だったはずだ。
ところが、学園都市では〝世紀の発明〟だとか〝流通の革命〟だとか、噂になってしまった。
今回の旅は、そのほとぼりを冷ますのにもちょうどいい。
「お待ちしておりました、アストル先生」
「わ、びっくり、した」
突然姿を現したグレイバルトに、ユユが驚いた顔をする。
慣れた学園都市ならいざ知らず、郊外ではやはり驚く。
「宿はトラブルがあるかと思いましたので、手の者に家を借りさせました」
「ありがとう、助かるよ」
そう返事をしながら、かつてのビジリの笑顔を思い出す。
宿のことで迷惑をかけるのは、☆1の宿命なのかもしれない。
「アストル先生?」
「いや、なんでもないんだ」
「そうですか? では、こちらに。町の中へこっそりと忍び込むルートを確保しております」
何から何まで……俺の生徒は、優秀すぎる。
◆
国境そばの町で一泊した俺達は、グレイバルトの手引きで密やかに国境を越えた。
まるで犯罪者になった気分だったが、関所を通らずに不法入国したのだから、十二分に犯罪者だった。
……許せよ、ヴィーチャ。
そんなことを考えつつも、エルメリアの主要街道を避けながら、山間部などを利用してラクウェイン領へと進む。
先だってグレイバルトと旅程を共有したためだろう、『木菟』の面々が俺達の旅を完全サポートしてくれていた。おかげでトラブルに遭うこともなく、俺達はかなりスムーズにラクウェイン領の西端へと到達できた。
「ようやく到着したわね」
そう顔をほころばせるミントに頷いて、俺は行商人や旅人が行き来する大通りを見やる。
ラクウェイン領に入って数日、ようやく俺達は目的地であるドゥルケの町に到着していた。
「私はこのまま先行して、ラクウェイン領都に向かいます」
「ああ。侯爵かエインズに接触できそうなら、俺のことを伝えてくれ」
「承りました。それまで、あまり派手に動かないようにお願いしますよ、先生?」
そう言って、グレイバルトは人ごみに溶けていった。
そんな彼を見て、ミントとユユが小さく苦笑する。
「グレイバルトもわかってきたわね」
「ユユ達で、がんばる、です」
別に好きでトラブルに巻き込まれているわけじゃないんだけどな。
まぁ、釘を刺されてしまった以上、自分でも気を付けるとしよう。
「我が主、ようやく都市らしい場所に来たのだから、甘い物が欲しくならないかね」
俺の肩に乗ったナナシが周囲を見回しながら言った。
「それはお前の希望だろう?」
「使い魔に冷たく当たるのは悪い魔法使いだよ?」
「主人を強請るのは悪い使い魔じゃないのか?」
とはいえ……ナナシにはいろいろやってもらっているし、今後も機嫌よく力を貸してもらうためには、少しばかりの譲歩も必要だろう。
それに、旅の疲れをねぎらう意味でも、甘い物をというのは悪くない提案だ。
「で、どの店だ?」
「まずは北通りに、その次は中央広場……何軒回っていいんだね?」
「好きなだけ付き合うよ。予算もたっぷりだ」
「君はとても優れた契約者だな!」
実に上機嫌である。
出会った頃は知らなかったが、このナナシという悪魔は食道楽の化身のような奴だ。
そして、この町……『ドゥルケ』は甘味の老舗が並ぶ町でもある。
ナナシは即座に人型に化けると、ご機嫌に町を歩きはじめたのだった。
グレイバルトに諫められてしまった以上、素直に諦めるしかない。
「じゃあ、グレイバルト。引き続き調査と接触を頼む。必要なら俺の名前を使ってもいい」
「了解いたしました。こちらへの接触もワンクッション置くべきと思いますので、わかりやすい『窓口』を学園都市に放っておきます」
グレイバルトが小さく頷いて応えた。
「それで、ナナシ。見解は?」
「『穢結石』が絡んでいる、というのはどうかな?」
人を『悪性変異』へと変える『穢結石』……やっぱり、それが濃厚だよな。
ナナシの予想は、俺も考え至っていたことだ。
☆1のレベル上限突破者がそんなに大量に存在するはずがない……ないのだが、あるとすれば、その現象を引き起こした原因は何かと考えなくてはならない。
レベル上限突破は、ここ数年でようやく研究が結実しはじめた、『存在係数』関連の一側面でもある。
それを元に賢人達は、慎重に『ダンジョンコア』を利用して☆1のレベル上限突破現象を確認している最中だ。
で、あれば。
噂の『トゥルーマンズ』が『ダンジョンコア』実験の被験者である可能性は極めて低い。
門外不出とまではいかないくとも、〝塔外秘〟程度には厳重に管理されているはずだ。
それがいきなりエルメリアの国内に大量に現れるというのは、状況的にあり得なさすぎる。
では、誰かが☆1に大量に『ダンジョンコア』を提供したのか?
……これもまたあり得ない。
まず理由が見当たらないし、『ダンジョンコア』というのは稀有な宝物だ。
それを組織的に使用するなんて真似をして、バレないはずがない。
そうなると、☆1の脆弱性を改変できるような物は『穢結石』しかない。
消去法でそこに辿り着くわけだが、『穢結石』であればモーディア皇国がいまだに所持しているはずだ。
そして彼らは『悪性変異兵』を生み出すために、☆1にそれを使用していた経緯がある。
被検体が逃走した……あるいは、件のロータスなる人物が、『穢結石』を持ち出して、☆1に与えたのかもしれない。
そもそも、エルメリアにいた☆1のほとんどは、クシーニ方面に逃げてきていて、現在はそこに定着している。
戦場となっている北地域に現れたのならば、その構成員はモーディア皇国の☆1か、魔王事変時に実験体とするべく攫われたエルメリアの☆1だろう。
そして……どちらも、世界の現状に大きな恨みを持っている。
これは、いわば世界に対するクーデターだ。
「『穢結石』を使ったとして、正気でいられるのか?」
「☆1であれば可能だろうね。☆5が魔力に強い抵抗力と保有力を持つのと同じさ。☆1は逆に瘴気に対して強い抵抗力を持つ。レベル限界なんてものは、それを取り込んだ時点でなくなってしまうんじゃないかな? 厳密には、人ではなくなるのだし」
『穢結石』は瘴気を結晶化させた……いわばこの世界においてネガ反転させた『ダンジョンコア』のような物だ。
機能として願望の『成就』をなしたりはできないが、魔力と理力を変容させて、〝なりたい自分〟〝なるべき自分〟へと歪んだ進化を促す。
瘴気に抵抗のない☆5であれば、それはもう即座に『悪性変異』に変貌させてしまうくらいに侵蝕性が強い。しかし抵抗力の高い☆1であれば、その猛毒を薬のように作用させることもできるのかもしれない。
いずれにせよ、人として試すべきではない邪法には違いないのだが。
〝魔導師〟なんて大層な二つ名には、今もそれほど未練はない。
欲しいという奴がいれば、どうぞどうぞと渡してしまってもいい。
さりとて、今のところそれは、アストルを指す二つ名として広まっている。
そんな俺の二つ名である〝魔導師〟を名乗っていながら、『穢結石』で何かをしようとしているなら……少しばかり頭にくる。
それは、かつての〝魔導師〟であるアルワースをはじめとして、ビジリやデフィムといった仲間達が……その命を懸けてこの世界から駆逐しようとしたものだ。
それを俺の二つ名を使って、こともあろうに俺と同じ☆1に使っているのであれば……決して許すわけにはいかない。
☆1解放なんてご大層なことを言ってはいるが、正道ではない方法でそれをなすなら、やっていることは魔王と変わらないのだから。
「ふーむ。目的が☆1の解放として……その後のことを何も考えていないようだね。もしかして、バカなのだろうか?」
「テロリストなんて連中の頭の中には、いつも湿った藁くらいしか詰まってないものさ。モーディア皇国の手駒って可能性もあるけど、さて……どうしたものかな」
ナナシの疑問に軽口を返しながら、俺は心の中で決心する。
ほぼ確定だろうが、彼らが『穢結石』を使っているなら、俺にとっては敵だ。
ただ、モーディア皇国の逃亡被検体という可能性もある。
人ならざるものとして存在することになった彼らを受け入れる寛容さは、今この世界にはおそらくない。いくら抵抗力が高いとはいえ、瘴気をその体に宿した以上は、彼らは魔王の手先であり、分類上は魔物なのだ。
もっとも……そういう言い方をすれば、他の人間から見た俺も魔物なのかもしれないが。
「状況を整理した方がいいかもしれませんね」
「そうだな」
グレイバルトに促され、俺は羽ペンをとる。
「つまり、俺という人間は……『トゥルーマンズ』を率いる第三勢力の首魁で、エルメリアに対して示威行動をとっている、とされている」
「そうだね」
声に出しながら、紙にペンを走らせる。
視覚的な理解が、閃きをもたらすこともあるかもしれない。
「実際のところは、ロータスという人物が表に立っているらしいが……こいつは実体がわからないな。『穢結石』を持っているとして、モーディア皇国の人間か?」
「モーディア皇国では☆1は生き残れまい。あるとすれば、エルメリアから誘拐された人間だろう。ふむ、これは仮説なのだが……」
ナナシの言葉にペンを止めて、少し考える。
「ロータスは、バーグナー領都の元住人の可能性がある……か?」
俺が継いだ言葉に、ナナシが小さく頭蓋を揺らす。
かつて俺が成した〝伯爵令嬢の救出劇〟は、バーグナー領都の人間なら皆知っている。俺が☆1だという事実も、だ。
そしてその後、俺が〝魔導師〟と呼ばれていることも、彼らは知っているだろう。
そのネームバリューを☆1の旗印として使うのは、宣伝効果が高いかもしれない。
俺が決してしない、名声の効果的な使い方をする奴だ……侮れないな。
「本当に☆1の解放や権利取得ができると思っているんだろうか?」
俺の疑問を聞き、ナナシが諭すように言う。
「理想論者にそれを言うべきではないよ。彼らは視野が狭い上に、見たくないものは見ない。見えている未来は小さな穴から覗く甘いモノだけなのだろう」
俺だってそんなことはわかっている。
ただ、俺が起こさなかった行動を、誰か別の者が起こしてくれた……起こしてしまったという後悔に似た感情が、小さく湧き上がるのを感じた。
ヴィーチャをはじめとして何人かが、俺に行動するべきだと言ったことがある。
☆1の解放者に、守護者に……〝王〟になるべきだと。
だが、俺はその器ではない。
目に見える範囲のものを、あがくようにしてなんとか守っている小市民だ。
それでも、時々俺の手からこぼれ落ちていってしまうというのに、その腕を全ての☆1の肩に回せと言う。
……絶対に無理だ。俺は英雄でも救済者でもない。ただの一魔法使いにすぎないのだ。
「……エルメリアに行こう」
「アストルさん!?」
驚くグレイバルトに小さく苦笑して、俺は立ち上がる。
どうにもこれは、学園都市でじっとしているわけにはいかない事態のようだ。
「いいのかい?」
頭蓋を鳴らすナナシに俺は頷く。
「『穢結石』が表舞台に出てくるのは、看過できない。これは、俺の仕事だ」
「同感だね。さて、お手並み拝見といこうか〝魔導師〟」
「そうだな、まずはグレイバルトに変装のコツを教えてもらおう」
俺の視線を受け、変装のスペシャリストが盛大にため息を吐いた。
◆
「気を付けてね、お兄ちゃん。ナナシ、お兄ちゃんが無茶しないように見ててよね」
「承った。だが、今回は奥方二人がいる。吾輩の出番はないよ」
システィルの言葉に、ナナシがカタカタと頭蓋を鳴らす。
そんな二人に小さく苦笑しながら、俺は妹に向き直った。
「一ヵ月くらいで帰ってくるよ。軽い現地調査みたいなものだ」
「いつもそんなこと言って無茶するでしょ。私もダグも連れていかないって言うんだから、心配くらいはさせてよ」
少し目を伏せるシスティルの頭を軽く撫でる。
「もう、子供じゃないんだから」
「はいはい。できるだけ急ぐよ。まだまだこっちでやらなきゃいけないことも、たくさんあるからな」
「うん……わかった。気を付けてね。義姉さん達も」
視線を向けられたミントとユユが、システィルを挟み込むようにハグする。
「わわ……」
「安心して! アストルはアタシ達が守るわ!」
「ん。だいじょぶ」
少し耳を赤くしながら、システィルがおずおずと二人の背中に手を回す。
妹とユユ達がこうしてスキンシップを取っている様子は、どこか微笑ましい。
ひとしきり二人と抱き合ったシスティルが、俺に向き直る。
「グレイバルトさんは、もう……向かってるん、だっけ?」
「ああ、向こうで合流予定だ。現地での安全確保と情報収集を頼んである」
エルメリアに行くと決めてから、二週間が経過していた。
その間に、いくつかの準備と……グレイバルトに変装の手ほどきなどを受けた俺は、いよいよユユとミントを連れ立ってエルメリアに向かう。
グレイバルトも直接現地での諜報活動にあたるとのことで、一週間前に学園都市を出た。
今頃はエルメリア王国に入国して、ラクウェイン領都へと向かっているはずだ。
驚いたことに、彼ら『木菟』は特別な移動手段を持っているらしく、足がとても速い。
普通なら学園都市からラクウェイン領都まで、少なく見積もって二週間はかかると思うのだが、一週間とは。
……早馬の乗り継ぎでもギリギリといった具合なのに。
興味があるので、機会があったら方法を聞いてみようと思う。
「じゃあ、行ってくる。ダグもいるから安全だとは思うけど、念のため……用心してくれ」
「大丈夫。私だって、戦えるもの」
「そうだった」
きりりとした表情を見せるシスティルに軽く笑って、頷く。
巷では〝紫陽花の勇者〟などと呼ばれている彼女のことだ、そう心配する必要はあるまい。
それはそれとして、兄としてはいつまでも妹が気がかりではあるのだが。
「それじゃあ、行ってくる」
軽く手を振って、俺は住居である『無色の塔』の扉の外へと足を踏み出した。
◆
「ね、本当にアタシ達が一緒でよかったの?」
「ん? どうして?」
西の国とエルメリアの国境に向かっている最中、ミントがそんなことを尋ねてきた。
確か、自分でついて行くと言い出したはずなのだが。
「アストル一人なら、〈異空間跳躍〉で王都の『井戸屋敷』へ跳べたでしょ? もしかして、足を引っ張っちゃったのかもって」
「……それも考えたんだけど、戦闘になる可能性もあると思って」
街道の上を風のように滑空しながら、俺はそう告げる。
「あと、『井戸屋敷』は見張られているかもしれないからね」
王都の『井戸屋敷』に跳んでもよかったのだが、それではヴィーチャやラクウェイン卿に鉢合わせする可能性がある。それに〈異空間跳躍〉のことは知らないにせよ、屋敷周辺を密偵に見張らせている『ノーブルブラッド』の貴族がいないとも限らない。
当然、これから向かう国境近くの町も危険と言えば危険だが、こと諜報戦においてはグレイバルトの右に出る者はいない。
俺という☆1の安全を確保してくれているはずだ。
「まずは、国境近くの町で、エルメリアの情報収集。それから、陸路でラクウェイン領都を目指す……だった、ね?」
俺の隣のユユが、改めて今後の予定を確認した。
「ああ。ラクウェイン侯爵閣下とエインズに秘密裏に接触する。良い顔はしないだろうが、起こっている事態を正確に把握する必要があるからな」
「ん。一緒に、怒られて、あげる」
そう言ってにこりと微笑むユユに、思わず口元が緩む。
彼女と一緒なら、エインズの小言だって怖くはない。
そんな俺を見て、ミントが少し頬を膨らませる。
「ちょっと、お嫁さんを一人忘れてない?」
「まさか。でも、ミントはエインズの小言が苦手だろ?」
「うっ」
目を逸らすミント。
冒険者時代から少しばかり大雑把な彼女は、よくエインズから小言をもらってむくれていた。
それでも一緒についてきてくれるというのだから、ありがたい。
「エルメリアに入ったら、王都とラクウェイン領都の中間地点にあたる町、『ドゥルケ』に向かう」
ドゥルケは特になんてことない街道沿いの町ではあるが……ラクウェイン領都までは馬車で一日程度の距離で、旅人も多い。
王都にほど近く、さりとてさほど都会というわけでもなく、潜伏するにはちょうどいい場所なのだ。
「我が主。町が見えてきたぞ」
「……ああ、上々の出来だな」
ナナシに頷いた俺は、魔力をゆっくりと絞って、街道から少し離れた草原にふわりと着地する。
そう、着地した。
今回の旅に際して、少しばかり特別な移動手段を準備したのだ、俺は。
「凄いわねぇ、これ。ここまで三日くらいしかかかってないわよ?」
「アストルは、凄いんだよ?」
顔をほころばせる姉妹に、思わず俺もほっこりとした気持ちになる。
『羽付き飛行器』と名付けたこの魔法道具は、三人乗りの空飛ぶ乗り物である。
魔力を循環させることで〈浮遊〉を誘発、それを風の力で滑空させるだけの単純な玩具……だったはずだ。
ところが、学園都市では〝世紀の発明〟だとか〝流通の革命〟だとか、噂になってしまった。
今回の旅は、そのほとぼりを冷ますのにもちょうどいい。
「お待ちしておりました、アストル先生」
「わ、びっくり、した」
突然姿を現したグレイバルトに、ユユが驚いた顔をする。
慣れた学園都市ならいざ知らず、郊外ではやはり驚く。
「宿はトラブルがあるかと思いましたので、手の者に家を借りさせました」
「ありがとう、助かるよ」
そう返事をしながら、かつてのビジリの笑顔を思い出す。
宿のことで迷惑をかけるのは、☆1の宿命なのかもしれない。
「アストル先生?」
「いや、なんでもないんだ」
「そうですか? では、こちらに。町の中へこっそりと忍び込むルートを確保しております」
何から何まで……俺の生徒は、優秀すぎる。
◆
国境そばの町で一泊した俺達は、グレイバルトの手引きで密やかに国境を越えた。
まるで犯罪者になった気分だったが、関所を通らずに不法入国したのだから、十二分に犯罪者だった。
……許せよ、ヴィーチャ。
そんなことを考えつつも、エルメリアの主要街道を避けながら、山間部などを利用してラクウェイン領へと進む。
先だってグレイバルトと旅程を共有したためだろう、『木菟』の面々が俺達の旅を完全サポートしてくれていた。おかげでトラブルに遭うこともなく、俺達はかなりスムーズにラクウェイン領の西端へと到達できた。
「ようやく到着したわね」
そう顔をほころばせるミントに頷いて、俺は行商人や旅人が行き来する大通りを見やる。
ラクウェイン領に入って数日、ようやく俺達は目的地であるドゥルケの町に到着していた。
「私はこのまま先行して、ラクウェイン領都に向かいます」
「ああ。侯爵かエインズに接触できそうなら、俺のことを伝えてくれ」
「承りました。それまで、あまり派手に動かないようにお願いしますよ、先生?」
そう言って、グレイバルトは人ごみに溶けていった。
そんな彼を見て、ミントとユユが小さく苦笑する。
「グレイバルトもわかってきたわね」
「ユユ達で、がんばる、です」
別に好きでトラブルに巻き込まれているわけじゃないんだけどな。
まぁ、釘を刺されてしまった以上、自分でも気を付けるとしよう。
「我が主、ようやく都市らしい場所に来たのだから、甘い物が欲しくならないかね」
俺の肩に乗ったナナシが周囲を見回しながら言った。
「それはお前の希望だろう?」
「使い魔に冷たく当たるのは悪い魔法使いだよ?」
「主人を強請るのは悪い使い魔じゃないのか?」
とはいえ……ナナシにはいろいろやってもらっているし、今後も機嫌よく力を貸してもらうためには、少しばかりの譲歩も必要だろう。
それに、旅の疲れをねぎらう意味でも、甘い物をというのは悪くない提案だ。
「で、どの店だ?」
「まずは北通りに、その次は中央広場……何軒回っていいんだね?」
「好きなだけ付き合うよ。予算もたっぷりだ」
「君はとても優れた契約者だな!」
実に上機嫌である。
出会った頃は知らなかったが、このナナシという悪魔は食道楽の化身のような奴だ。
そして、この町……『ドゥルケ』は甘味の老舗が並ぶ町でもある。
ナナシは即座に人型に化けると、ご機嫌に町を歩きはじめたのだった。
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