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8巻
8-3
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「止まれぇ! 所属と目的を言え!」
もう少しで門というところで、衛兵達がやや乱暴に馬車を遮った。
「ワシらはオットー商会の者じゃ」
レンジュウロウがミレニアに偽造してもらった商業手形を差し出す。
偽造とはいえ、正式なものだ。問題などあるはずがない。
「積み荷は?」
「南方の酒と雑貨、それに香辛料じゃ」
衛兵が俺達の乗る馬車の中をじろじろと覗き見る。
「この者達は?」
「雑務用の奴隷達で、商品よ。王都では☆1が高く売れるのであろう?」
レンジュウロウが下卑た笑みを浮かべると、衛兵達もいやらしく笑う。
「何故ラクウェイン領都に?」
「バーグナー領都の領主が娘に代替わりしての……どうにもやりにくいので、こちらに戻ってきたのじゃよ。元は王都の生活の方が長いのでな……古巣のそばで仕切り直しじゃ」
レンジュウロウの答えに納得がいったのか、衛兵達が警戒を解いた。
「お仕事ご苦労様ですな。少なくて申し訳ないことじゃが、夜にでもこれで一杯やってくだされ」
レンジュウロウは衛兵に二本の酒瓶を差し出し、馬車を進める。
こうして二台の馬車は大きな問題なくラクウェイン領都へと進み入ることができた。
「じゃあ、手筈通りにこのまま進んでくれ。東の通りを入ったところに、オレの連れがやってる宿があるんだ」
エインズがボロの下から、場所を順番に指示する。
それに従って、俺達は大通りを馬車に乗ったままゆっくりと進む。
覗き見る街の風景は、以前とはずいぶん様変わりしていた。
周囲を窺うラクウェイン侯爵とエインズが、声を潜めて感想を漏らす。
「人通りが少ない」
「ああ、クソ兄貴め……どうやったらラクウェイン領都をこんな活気のない町にできんだ?」
「あれが原因だろうな」
俺が小さく指さす先……都市河川を渡す橋のたもとに、原因となる者達がいた。
モーディア様式に統一された鎧を着た二人組が、跪いた女性の首に抜き身の剣を当てながら怒声を放っている。
それを見たビスコンティが、ゆらりと殺気を立ち上らせる。
「間違いねぇ。第二師団の連中だァ……!」
「抑えろよ、ビスコンティ」
俺に言われずともわかっているとばかりに、ビスコンティが頷く。
「もう、始まってるんだねェ。……早くしないと、この町全体が手遅れになっちゃうよォ」
「手遅れとは?」
「恭順を示した者しか生き残れない。目の前を歩いていただけでも難癖をつけて教育するのが、あいつらのやり方さァ」
この状況、ミントが飛び出していかないか心配だな。
「侯爵、どうしますか」
「私はね、アストル君……ああいった手合いが反吐が出るほど嫌いなんだ」
その手にはすでに剣が握られている。思いのほか短気だな、侯爵様は。
「待ってください。では、目立たないように俺が解決しますよ」
俺は第二師団の二人に向けて〝黙唱〟で魔法を放つ。
派手な魔法は目立つので、〈片頭痛〉を【反響魔法】と込みで二発。
これは黒の塔の連中が教えてくれた性質の悪い実験魔法の一つだが……なんでも覚えておくものだ、こういう時に役に立つ。
魔法の効果はすぐに現れ、ひどい頭痛に襲われた第二師団の二人組が膝をつく。
そこを狙って無詠唱で〈風圧〉を飛ばしてやると、二人はそのまま橋の下へと落下していった。
「平和的解決」
俺の一言に呆れたのか、エインズが苦笑する。
「平和なもんかよ。マルセルの川は深えんだ。あの状態で完全鎧着たヤツが泳げるもんか。たぶん死んだぜ」
「……こっちの存在が明るみにならなかっただけ、良しとしよう」
どうせ目撃者もいない。助かった市民以外は。
「よし、向かおう……ビスコンティの言う通りだ。早くしないと、全部だめになってしまいそうだ」
「ああ、よくも好き勝手してくれたもんだぜ。クソ兄貴には責任をとってもらう」
エインズが拳を握りしめて、そう唸った。
◆
「エインズさん!」
到着した宿で出迎えてくれたのは、くるくるした栗色の毛をほどほどに伸ばした男だ。
「トッカ! すまねぇな、貸し切りにさせちまってよ」
「いいんですよ。エインズさんと侯爵様のお役に立てるなら」
握手を交わすエインズと宿の主人。
「こいつはトッカ。オレの幼馴染だ。親父は知ってるよな?」
「知っているとも。何度かエインズワースの身代わりに部屋に残されていた子だろ?」
身代わりって……エインズめ、一体何をどうしたらそんな切ないことになるんだ。
「今回協力してくれる地下組織のメンバーでもある。ここを拠点にして奪還作戦を進行するから、みんなも挨拶しておいてくれ」
エインズにそう促されて、各々トッカに挨拶と軽い自己紹介をする。
柔和な笑みを浮かべたトッカは一人一人に好みの味付けなどを尋ね、必ず〝困ったらなんでも言ってくださいね〟と締めくくった。
エインズの友人にしては、ずいぶんと善良で穏やかな人に思える。
「皆さんの到着をメンバーに知らせます。アジトに案内したいところですが、今はガデスが反抗組織に寝返ったってかなりピリピリしているので、昼に出歩くのはよした方がいいと思います」
トッカが声を潜めて、目線だけを窓の外に向けた。
ラクウェイン領都正規の衛兵と、先ほども見た重厚な鎧の第二師団が通りをうろつきながら、周囲を警戒しているのがわかる。
このタイミングでの外部からの人間だ、疑うのも仕方ないし……その疑いは正しい。
「さて、お部屋に案内しますよ。部屋は全員二階にしてあります。踏み込まれるまで時間が稼げるし、いざとなったら屋根裏から屋根に出ることもできますからね」
「何から何まですまねぇな」
頭を掻きながら苦笑するエインズに対して、トッカが笑顔で首を振る。
「エインズさんには世話になっていますから。ここに宿を構えていられるのも、エインズさんと侯爵様のおかげです。今度は僕達がお助けします」
「この借りは必ず返すぜ」
「ラクウェイン領都が元に戻ったら、それが一番ですよ」
朗らかに笑うトッカに促され、俺達は二階へと上がる。
階段を上った先は談話室になっていて、ソファとテーブルが置かれており、その両サイドに延びる廊下には、それぞれ四つずつ扉が見えた。
一人一部屋使えそうだ。
「部屋は適当に割り振って使ってください。僕は一階で事務仕事をしていますので、御用の際は声かけを。ああ、それと夕食は二階の談話室に持って上がりますね」
そう告げて、トッカは階段を下りていく。
「んじゃ、適当にさせてもらおう。荷物を置いたら、すぐにそこの談話室に集まんぞ」
エインズがそう告げて右の廊下に向かい、その後にラクウェイン侯爵が続く。
「ほらほら。行くわよ、アストル」
「わかったから、そう引っ張るなよ、ミント。俺達は左側の部屋を使わせてもらおう」
ミントに急かされる俺に、ビスコンティが顎に手をやりながら尋ねる。
「オレはどうすりゃいいんだァ?」
「お主は、ワシの隣の部屋を使え。ワシはチヨと一緒に使う故な」
レンジュウロウの台詞を聞いたユユが、俺の裾を小さく引っ張る。
「……ユユも、アストルと同じ部屋が、いい」
「なら、アタシも。何かあった時すぐに一緒に動けるしね」
そういう理由なら、確かに。
ここはもう敵地だ。襲撃があることも予想しておかなくてはならないだろう。
「わかった。じゃあ一番奥の部屋を三人で使おう」
こういった宿の角部屋は、少し大きいのが定番だ。
扉を開けると、案の定やや広めの部屋だった。ベッドも二つ備え付けられているので、ユユとミントはこれに寝てもらえばいいだろう。
「む。アストル……床で寝ようって、思ってる?」
「ん? ああ。ベッドは二人が使えばいいよ」
「ダメ、ちゃんと寝ないと疲れが取れない」
ユユはそう言うが、さすがにもう一つベッドを置くだけのスペースはなさそうだ。
そんな中、ミントがひょいっとベッドを持ち上げて、もう一つのベッドに横づけする。
「こうすればいいのよ」
なんというか、相変わらずの怪力だな。
「これで三人、川の字で寝られるわ」
「カワノジ?」
言葉の意味がわからないのか、ユユが小首を傾げる。
「イコマで教えてもらったの、三人が並んで寝ることをそう言うらしいわ」
三人限定。イコマ――もとい、ヤーパンでは、三人で寝る習慣でもあるのだろうか。
「……これで、一緒に寝られるわ……」
「ん……。これで一緒……」
姉妹がぼそぼそと話して、頷き合っている。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も? じゃ、談話室に戻りましょ」
二人に再び引っ張られるようにして、俺は談話室へと戻る。
メンバーは全員集まっていたが、さらに懐かしい顔が一人増えていた。
「イジーさん。ご無事だったんですね」
イジーはエインズの幼馴染の悪友の一人で、このラクウェイン領都の裏も表も知る情報屋だ。
☆2ということで少し心配していたが、無事だったようだ。
「アストルさん。お噂はかねがね。情報共有の場ということで、私も参じさせていただきました」
相変わらず穏やかな雰囲気を醸しながらイジーが笑う。
「イジー、お前のおかげで親父が上手く逃げおおせた。ありがとうな」
エインズが頭を下げると、イジーは笑みを浮かべたままそれを制した。
「いいえ、必要なところに必要な情報を提供するのも私の仕事ですから」
「ってことは?」
「ええ、必要そうな情報をいくつかお伝えできると思います」
エインズの視線に笑って頷いたイジーが、地図を二枚取り出す。
「こちらがこの町の地図。そしてこちらが、地下水路の地図です」
それを見たラクウェイン侯爵が、驚いた表情を見せる。
「詳細すぎる。戦略地図並みだぞ……! 私も知らない水路がこんなに」
「愚連隊は地下に潜んで遊ぶものですよ、侯爵様。それを【地図化】スキル持ちを使って製図しました。お屋敷まで安全に向かうルートが確保できるか、検討しましょう」
イジーのもたらした物はそれだけではない。
衛兵の警備ルート、第二師団のおよその人数と拠点、協力者となってくれる者達の隠れ家。
「充分すぎる準備だ」
俺の呟きに、イジーが微笑む。
「戦いは、いざ戦端を切った時にはもう勝敗は決しているように準備するもの……と、陣頭指揮を執っている人がやる気を出しましたのでね」
どうやらとても有能な人材が、ラクウェイン領都の地下組織にいるらしい。
「これはすごい。一体誰なんだね? その人物は」
目を輝かせてラクウェイン侯爵がイジーに尋ねる。
「奥様です」
その言葉を耳にした瞬間、ラクウェイン侯爵の顔が青くなった。
――ラクウェイン侯爵夫人マルティナ・オズ・ラクウェイン。
彼女は二つ名持ちの冒険者であり、現王の姉にあたる人物だ。
ラクウェイン侯爵曰く、〝いじらしく、愛らしく、そして強い〟らしいが……今の彼の顔を見る限り、言葉通りの人とは思えない。現に、エインズも慌てている。
「げ、母上が帰ってきてるのか?」
「一ヵ月ほど前に。今は手勢を率いて地下に潜伏しております。侯爵様のお帰りを心待ちにしていらっしゃいましたよ」
「私は後方で支援にあたっていると伝えてくれないか」
「残念ながら、もう知れています。お覚悟を」
この先、何か覚悟しなくてはいけないことが起こるのだろうかと、俺までドキドキする。
「ラディウスに出し抜かれたとわかれば……説教が待っておるな」
「それは甘んじて受けろよ、親父。オレを巻き込むんじゃねぇぞ」
「エインズ様もいつまでたっても嫁を紹介してくれないと憤っておられました。お覚悟を」
どこに行っても母は強しということだな……
がっくりと項垂れるラクウェイン親子に同情しながらも、俺は気持ちを切り替えて話を進める。
「ま、それは置いといて、作戦を練ろう。この地図を元に、まずは偵察をお願いしたいんだけど、チヨさん、ビスコンティ、頼めるかな?」
「お任せくださいませ。地下水路はわたくしが」
「んーじゃ、オレは市街地を見て回るとするぜェ。こんな状況じゃ、賞金稼ぎがうろついてたって、おかしくねぇだろうさァ」
それぞれ俺に頷いて、チヨさんが影に溶けて姿を消し、ビスコンティは酒瓶を一つ持って一階へと下りていく。酔っぱらった賞金稼ぎのふりをするつもりだろうか。
イジーや地図を信用しないわけではないが、やはり生の情報は必要だ。
作戦指揮にも少し慣れてきたな……と思ったら、なんてことはない、ダンジョン攻略会議のようなものだ。
詳細な地図と敵性体の配置図、それに裏ルート。
情報さえ揃えば、目的の場所に辿り着くのはそう難しくなさそうだ。
「ラクウェイン侯爵。確認を一つ」
「なんだね?」
「奪還作戦にあたり、邪魔する者を排除しますが、いいですか?」
つまり、ラクウェイン領都の正規兵であっても、障害となるのであれば排除する、という意味だ。いつもはミントに言わせてしまっているが、作戦指揮を執るというならば、俺が問うべき言葉である。
今の俺には制圧用の強力な魔法や手段の準備がある。
古代魔法然り、強大な力を持つ人工神聖存在『ミスラ』然り。広範囲に、容赦なく、分別なく殲滅する力を揮うことはできるだろう。
不当とはいえ、ラディウスが代理で領主をしているということであれば、正規兵のような者達は〝仕事〟として俺達の前に立ちはだかるかもしれない。そうなった時、彼らを傷つけずに鎮圧するなどという余裕は、きっとないだろう。
「わかって、いる」
さすがにラクウェイン侯爵の顔が翳る。
「そうならないように事前の作戦は練ります。ただ、いざという時、俺は自分と仲間の命を最優先にします。少しでもリスクがあるなら、あなたの領民の命を奪うことを躊躇しません」
「アストル、言いすぎよ!」
ミントが少しばかり焦った様子で、俺の手を掴む。
俺自身、まるで自分の口が自分のものではなくなったかのようにすら思えた。
これが、今まで俺がミントにさせていたことなのか……と、自己嫌悪が広がる。
「侯爵様、アストルさん。それに関しては調査が済んでいます。事前にこちらへ呼応するように話を通しておきますので、敵対する者はモーディアの手先と考えてもらっても大丈夫ですよ」
一連のやり取りに、イジーが少し困った顔で頭を下げる。
「さすがイジーだぜ」
「エインズ様の子分なんてやっていると、目端が利くようになるんですよ。今、ラクウェイン領都にいるのは、故郷を捨てきれず、ここを守るために残った者ばかりでしょう。ラディウスさんの取り巻きと第二師団の連中はさほど多くないはずです」
そう言って、イジーは地図の数箇所を指さす。
「こことここ、それにここ。赤い印がついている部分が、第二師団の拠点になっている建物です」
「人数はどのくらいですか?」
「総勢で百人ってところでしょうか」
俺の質問に即座に返答できるあたり、すでに準備の大半は整っているってところだろう。
「イジーさん、組織の皆さんとはいつ会えますか?」
「今晩、手配しておきましょう。地下水路のこの位置……ここに拠点があります。この宿の裏の橋の下に入り口があるので、このルートを使ってください」
地図を指でなぞって、イジーが俺に頷く。
「エインズ様、ガキの頃に使っていた秘密基地ですよ」
「ああ、あっこか。わかった」
悪ガキ同士、通じあったようで、少しばかりうらやましい。ちょっとリックが恋しくなってきたぞ。
「では、私は戻ります。☆2なので、モーディアの騎士が怖いですしね」
「ああ、夜まで無事でいろよ。すぐに元通りにしてやっからよ」
「エインズ様の有言実行には前例がありますからね」
小さくウィンクして、イジーは階段を下りていった。
「さてアストル、ワシらはどうする」
椅子に深く掛けなおしたレンジュウロウが、こちらに目を向けた。
「斥候二人が戻って来るまで休憩ですかね。そういえばエインズ、ナックさんはどうしてる?」
「馬車の番をするって言ってたぜ。この街の衛兵連中には、ナックさんに頭が上がらねぇヤツらもいる。独自に動いてくれんだろ」
ナックさんにとっては勝手知ったる古巣だ。俺が心配するようなことではないだろう。
「じゃあ俺は少し計画を練るから、みんなは休憩しておいてくれ」
「ユユも手伝う。アストル……方向音痴、だし」
「……ぐ」
確かに、ユユの言う通りである。
確実性を持たせる必要があるのに、一人で考えるというのはミスの元だ。
ダンジョン攻略とて、数人で確認した方が、齟齬がなくていいのだから。
「じゃ、アタシも」
「ワシもチヨが戻るまではここに居るかの」
「私の町だ。君の知識だけでは足りない部分を助けられると思うぞ」
ミントに続いて、レンジュウロウとラクウェイン侯爵まで手伝いを申し出てきた。
「はぁ……これじゃ、オレだけ休むわけにもいかねぇだろ」
結局、俺達は全員その場に残って、ラクウェイン領都奪還作戦を練りはじめるのであった。
◆
日が沈むのを待って、俺はエインズの先導で『秘密基地』――もとい、現在は地下組織の本部となっている地下水路の先に向かった。
ビスコンティは〝夜の町も見てくるぜェ〟と出かけ、ナックさんは〝留守を預かる〟と宿に残った。
そのため、来ているのはいつものエインズパーティに、ラクウェイン侯爵を加えたメンバーだ。
それにしても……マルセルは運河もすごいが地下水路もすごい。
こんなに広い地下水路が地下にあるとは思わなかった。ここがなんのために造られたかは、ラクウェイン侯爵も知らないようだ。
古いながら整備された地下水路は、それなりに歩ける。もっと腐臭や悪臭などがするかと思ったが、要所要所にある魔法道具と魔法生物が水を浄化しているらしい。
魔法薬開発の本場ともなると、排水にも気を遣っているのだと、ラクウェイン侯爵が笑う。学園都市の連中に聞かせてやりたい言葉である。
何せ学園都市の地下水路は、ダンジョンも真っ青な立ち入り禁止区域だ。
廃棄された魔法生物、廃棄された魔法道具、廃棄されたアンデッド……あるいはそれらが廃棄された別の何かによって一体化したモノなどが、自由奔放に闊歩する退廃的な世界となっている。
俺も一度興味本位で入ってみたが、二度と足を踏み入れたくない。
「見えてきた、あそこだ」
エインズが手に持ったカンテラをゆらゆらと揺らす。敵意がないことを示す合図らしい。
……が、その先から殺気じみた気配で飛び出してくる小さな影があった。
背丈は身長の低いユユよりもさらに頭一つ低い。
艶やかな黒髪をおかっぱにして、右耳にだけ小さなおさげを作っている。年の頃は……俺よりも少し若いくらいか?
その姿を確認したラクウェイン侯爵が、ギクリとした様子で足を止める。
「お……おお、マルティナ。息災か」
「息災か、じゃねぇだろうが! こンのアホ旦那がぁッ!」
猛スピードで、矢弾のように向かってきたその小柄な少女は、勢いそのままにラクウェイン侯爵の腹に小さな拳をねじ込んだ。
侯爵のつま先がほんの少し地面から離れたのを確認してしまった俺は、思わず息を呑む。
大柄な伯爵をボディ一発で打ち上げる膂力というのは、ミントでもないんじゃないだろうか。
「は、母上……落ち着いてくれよ」
「バカ息子、お前もだぞ!」
「ンな!?」
極めてスムーズな重心移動から放たれる二撃目の拳が、エインズの腹部に深々とめり込む。
床に崩れ落ちた親子をよそに、少女は俺達に向き直って可憐な笑顔を見せる。
「……ウチのバカどもがお世話になっております。ジェンキンスの妻、マルティナでございます」
「うむ、マルティナ。久しいな」
「レンジュウロウ。テメェも来てたのか……テメェがいながらこの体たらくはなんだ!?」
レンジュウロウを見て、マルティナは再びその目に鋭さを増す。
外面の切り替えが性急すぎやしないだろうか。
「ワシに責はない。それよりも、紹介しよう……〝魔導師〟アストルじゃ」
さらりと視線を避けて、俺に注目を流してしまうあたり、レンジュウロウはこの小さな女傑の扱いを心得ているのだろう。
「紹介にあずかりました、アストルです。こっちの二人はユユとミント」
「よろしく、です」
「よろしく!」
俺の顔をまじまじと見て、マルティナが快活な笑みを浮かべる。
少し、ミントに似ているかもしれない。ともすれば〝同類〟かもしれないが。
「ああ、噂の。ビジリさんから聞いていますよ」
「ビジリさんから?」
ビジリは俺達に何かと世話を焼いてくれる行商人だ。彼女の口からその名前を聞くとは、少々意外だった。
「ええ。ちょっとした知り合いですの」
おしとやかに笑う姿は貴族の子女……いや、王族の子女というに相応しいものだが、いかんせんその格好は歴戦の勇士と言うほかない。おそらく、紅翼竜を素材としたであろう、深紅の鱗鎧を着こなし、背には身長ほどもある戦斧を背負っている。
あと、いくらなんでも若すぎる。
現王の姉だったはずだが、絶対に年下と思ってしまいそうなその容姿には、強い違和感があった。
もしかして、聞いた情報は古いもので、彼女は後妻だったりするんだろうか?
もう少しで門というところで、衛兵達がやや乱暴に馬車を遮った。
「ワシらはオットー商会の者じゃ」
レンジュウロウがミレニアに偽造してもらった商業手形を差し出す。
偽造とはいえ、正式なものだ。問題などあるはずがない。
「積み荷は?」
「南方の酒と雑貨、それに香辛料じゃ」
衛兵が俺達の乗る馬車の中をじろじろと覗き見る。
「この者達は?」
「雑務用の奴隷達で、商品よ。王都では☆1が高く売れるのであろう?」
レンジュウロウが下卑た笑みを浮かべると、衛兵達もいやらしく笑う。
「何故ラクウェイン領都に?」
「バーグナー領都の領主が娘に代替わりしての……どうにもやりにくいので、こちらに戻ってきたのじゃよ。元は王都の生活の方が長いのでな……古巣のそばで仕切り直しじゃ」
レンジュウロウの答えに納得がいったのか、衛兵達が警戒を解いた。
「お仕事ご苦労様ですな。少なくて申し訳ないことじゃが、夜にでもこれで一杯やってくだされ」
レンジュウロウは衛兵に二本の酒瓶を差し出し、馬車を進める。
こうして二台の馬車は大きな問題なくラクウェイン領都へと進み入ることができた。
「じゃあ、手筈通りにこのまま進んでくれ。東の通りを入ったところに、オレの連れがやってる宿があるんだ」
エインズがボロの下から、場所を順番に指示する。
それに従って、俺達は大通りを馬車に乗ったままゆっくりと進む。
覗き見る街の風景は、以前とはずいぶん様変わりしていた。
周囲を窺うラクウェイン侯爵とエインズが、声を潜めて感想を漏らす。
「人通りが少ない」
「ああ、クソ兄貴め……どうやったらラクウェイン領都をこんな活気のない町にできんだ?」
「あれが原因だろうな」
俺が小さく指さす先……都市河川を渡す橋のたもとに、原因となる者達がいた。
モーディア様式に統一された鎧を着た二人組が、跪いた女性の首に抜き身の剣を当てながら怒声を放っている。
それを見たビスコンティが、ゆらりと殺気を立ち上らせる。
「間違いねぇ。第二師団の連中だァ……!」
「抑えろよ、ビスコンティ」
俺に言われずともわかっているとばかりに、ビスコンティが頷く。
「もう、始まってるんだねェ。……早くしないと、この町全体が手遅れになっちゃうよォ」
「手遅れとは?」
「恭順を示した者しか生き残れない。目の前を歩いていただけでも難癖をつけて教育するのが、あいつらのやり方さァ」
この状況、ミントが飛び出していかないか心配だな。
「侯爵、どうしますか」
「私はね、アストル君……ああいった手合いが反吐が出るほど嫌いなんだ」
その手にはすでに剣が握られている。思いのほか短気だな、侯爵様は。
「待ってください。では、目立たないように俺が解決しますよ」
俺は第二師団の二人に向けて〝黙唱〟で魔法を放つ。
派手な魔法は目立つので、〈片頭痛〉を【反響魔法】と込みで二発。
これは黒の塔の連中が教えてくれた性質の悪い実験魔法の一つだが……なんでも覚えておくものだ、こういう時に役に立つ。
魔法の効果はすぐに現れ、ひどい頭痛に襲われた第二師団の二人組が膝をつく。
そこを狙って無詠唱で〈風圧〉を飛ばしてやると、二人はそのまま橋の下へと落下していった。
「平和的解決」
俺の一言に呆れたのか、エインズが苦笑する。
「平和なもんかよ。マルセルの川は深えんだ。あの状態で完全鎧着たヤツが泳げるもんか。たぶん死んだぜ」
「……こっちの存在が明るみにならなかっただけ、良しとしよう」
どうせ目撃者もいない。助かった市民以外は。
「よし、向かおう……ビスコンティの言う通りだ。早くしないと、全部だめになってしまいそうだ」
「ああ、よくも好き勝手してくれたもんだぜ。クソ兄貴には責任をとってもらう」
エインズが拳を握りしめて、そう唸った。
◆
「エインズさん!」
到着した宿で出迎えてくれたのは、くるくるした栗色の毛をほどほどに伸ばした男だ。
「トッカ! すまねぇな、貸し切りにさせちまってよ」
「いいんですよ。エインズさんと侯爵様のお役に立てるなら」
握手を交わすエインズと宿の主人。
「こいつはトッカ。オレの幼馴染だ。親父は知ってるよな?」
「知っているとも。何度かエインズワースの身代わりに部屋に残されていた子だろ?」
身代わりって……エインズめ、一体何をどうしたらそんな切ないことになるんだ。
「今回協力してくれる地下組織のメンバーでもある。ここを拠点にして奪還作戦を進行するから、みんなも挨拶しておいてくれ」
エインズにそう促されて、各々トッカに挨拶と軽い自己紹介をする。
柔和な笑みを浮かべたトッカは一人一人に好みの味付けなどを尋ね、必ず〝困ったらなんでも言ってくださいね〟と締めくくった。
エインズの友人にしては、ずいぶんと善良で穏やかな人に思える。
「皆さんの到着をメンバーに知らせます。アジトに案内したいところですが、今はガデスが反抗組織に寝返ったってかなりピリピリしているので、昼に出歩くのはよした方がいいと思います」
トッカが声を潜めて、目線だけを窓の外に向けた。
ラクウェイン領都正規の衛兵と、先ほども見た重厚な鎧の第二師団が通りをうろつきながら、周囲を警戒しているのがわかる。
このタイミングでの外部からの人間だ、疑うのも仕方ないし……その疑いは正しい。
「さて、お部屋に案内しますよ。部屋は全員二階にしてあります。踏み込まれるまで時間が稼げるし、いざとなったら屋根裏から屋根に出ることもできますからね」
「何から何まですまねぇな」
頭を掻きながら苦笑するエインズに対して、トッカが笑顔で首を振る。
「エインズさんには世話になっていますから。ここに宿を構えていられるのも、エインズさんと侯爵様のおかげです。今度は僕達がお助けします」
「この借りは必ず返すぜ」
「ラクウェイン領都が元に戻ったら、それが一番ですよ」
朗らかに笑うトッカに促され、俺達は二階へと上がる。
階段を上った先は談話室になっていて、ソファとテーブルが置かれており、その両サイドに延びる廊下には、それぞれ四つずつ扉が見えた。
一人一部屋使えそうだ。
「部屋は適当に割り振って使ってください。僕は一階で事務仕事をしていますので、御用の際は声かけを。ああ、それと夕食は二階の談話室に持って上がりますね」
そう告げて、トッカは階段を下りていく。
「んじゃ、適当にさせてもらおう。荷物を置いたら、すぐにそこの談話室に集まんぞ」
エインズがそう告げて右の廊下に向かい、その後にラクウェイン侯爵が続く。
「ほらほら。行くわよ、アストル」
「わかったから、そう引っ張るなよ、ミント。俺達は左側の部屋を使わせてもらおう」
ミントに急かされる俺に、ビスコンティが顎に手をやりながら尋ねる。
「オレはどうすりゃいいんだァ?」
「お主は、ワシの隣の部屋を使え。ワシはチヨと一緒に使う故な」
レンジュウロウの台詞を聞いたユユが、俺の裾を小さく引っ張る。
「……ユユも、アストルと同じ部屋が、いい」
「なら、アタシも。何かあった時すぐに一緒に動けるしね」
そういう理由なら、確かに。
ここはもう敵地だ。襲撃があることも予想しておかなくてはならないだろう。
「わかった。じゃあ一番奥の部屋を三人で使おう」
こういった宿の角部屋は、少し大きいのが定番だ。
扉を開けると、案の定やや広めの部屋だった。ベッドも二つ備え付けられているので、ユユとミントはこれに寝てもらえばいいだろう。
「む。アストル……床で寝ようって、思ってる?」
「ん? ああ。ベッドは二人が使えばいいよ」
「ダメ、ちゃんと寝ないと疲れが取れない」
ユユはそう言うが、さすがにもう一つベッドを置くだけのスペースはなさそうだ。
そんな中、ミントがひょいっとベッドを持ち上げて、もう一つのベッドに横づけする。
「こうすればいいのよ」
なんというか、相変わらずの怪力だな。
「これで三人、川の字で寝られるわ」
「カワノジ?」
言葉の意味がわからないのか、ユユが小首を傾げる。
「イコマで教えてもらったの、三人が並んで寝ることをそう言うらしいわ」
三人限定。イコマ――もとい、ヤーパンでは、三人で寝る習慣でもあるのだろうか。
「……これで、一緒に寝られるわ……」
「ん……。これで一緒……」
姉妹がぼそぼそと話して、頷き合っている。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も? じゃ、談話室に戻りましょ」
二人に再び引っ張られるようにして、俺は談話室へと戻る。
メンバーは全員集まっていたが、さらに懐かしい顔が一人増えていた。
「イジーさん。ご無事だったんですね」
イジーはエインズの幼馴染の悪友の一人で、このラクウェイン領都の裏も表も知る情報屋だ。
☆2ということで少し心配していたが、無事だったようだ。
「アストルさん。お噂はかねがね。情報共有の場ということで、私も参じさせていただきました」
相変わらず穏やかな雰囲気を醸しながらイジーが笑う。
「イジー、お前のおかげで親父が上手く逃げおおせた。ありがとうな」
エインズが頭を下げると、イジーは笑みを浮かべたままそれを制した。
「いいえ、必要なところに必要な情報を提供するのも私の仕事ですから」
「ってことは?」
「ええ、必要そうな情報をいくつかお伝えできると思います」
エインズの視線に笑って頷いたイジーが、地図を二枚取り出す。
「こちらがこの町の地図。そしてこちらが、地下水路の地図です」
それを見たラクウェイン侯爵が、驚いた表情を見せる。
「詳細すぎる。戦略地図並みだぞ……! 私も知らない水路がこんなに」
「愚連隊は地下に潜んで遊ぶものですよ、侯爵様。それを【地図化】スキル持ちを使って製図しました。お屋敷まで安全に向かうルートが確保できるか、検討しましょう」
イジーのもたらした物はそれだけではない。
衛兵の警備ルート、第二師団のおよその人数と拠点、協力者となってくれる者達の隠れ家。
「充分すぎる準備だ」
俺の呟きに、イジーが微笑む。
「戦いは、いざ戦端を切った時にはもう勝敗は決しているように準備するもの……と、陣頭指揮を執っている人がやる気を出しましたのでね」
どうやらとても有能な人材が、ラクウェイン領都の地下組織にいるらしい。
「これはすごい。一体誰なんだね? その人物は」
目を輝かせてラクウェイン侯爵がイジーに尋ねる。
「奥様です」
その言葉を耳にした瞬間、ラクウェイン侯爵の顔が青くなった。
――ラクウェイン侯爵夫人マルティナ・オズ・ラクウェイン。
彼女は二つ名持ちの冒険者であり、現王の姉にあたる人物だ。
ラクウェイン侯爵曰く、〝いじらしく、愛らしく、そして強い〟らしいが……今の彼の顔を見る限り、言葉通りの人とは思えない。現に、エインズも慌てている。
「げ、母上が帰ってきてるのか?」
「一ヵ月ほど前に。今は手勢を率いて地下に潜伏しております。侯爵様のお帰りを心待ちにしていらっしゃいましたよ」
「私は後方で支援にあたっていると伝えてくれないか」
「残念ながら、もう知れています。お覚悟を」
この先、何か覚悟しなくてはいけないことが起こるのだろうかと、俺までドキドキする。
「ラディウスに出し抜かれたとわかれば……説教が待っておるな」
「それは甘んじて受けろよ、親父。オレを巻き込むんじゃねぇぞ」
「エインズ様もいつまでたっても嫁を紹介してくれないと憤っておられました。お覚悟を」
どこに行っても母は強しということだな……
がっくりと項垂れるラクウェイン親子に同情しながらも、俺は気持ちを切り替えて話を進める。
「ま、それは置いといて、作戦を練ろう。この地図を元に、まずは偵察をお願いしたいんだけど、チヨさん、ビスコンティ、頼めるかな?」
「お任せくださいませ。地下水路はわたくしが」
「んーじゃ、オレは市街地を見て回るとするぜェ。こんな状況じゃ、賞金稼ぎがうろついてたって、おかしくねぇだろうさァ」
それぞれ俺に頷いて、チヨさんが影に溶けて姿を消し、ビスコンティは酒瓶を一つ持って一階へと下りていく。酔っぱらった賞金稼ぎのふりをするつもりだろうか。
イジーや地図を信用しないわけではないが、やはり生の情報は必要だ。
作戦指揮にも少し慣れてきたな……と思ったら、なんてことはない、ダンジョン攻略会議のようなものだ。
詳細な地図と敵性体の配置図、それに裏ルート。
情報さえ揃えば、目的の場所に辿り着くのはそう難しくなさそうだ。
「ラクウェイン侯爵。確認を一つ」
「なんだね?」
「奪還作戦にあたり、邪魔する者を排除しますが、いいですか?」
つまり、ラクウェイン領都の正規兵であっても、障害となるのであれば排除する、という意味だ。いつもはミントに言わせてしまっているが、作戦指揮を執るというならば、俺が問うべき言葉である。
今の俺には制圧用の強力な魔法や手段の準備がある。
古代魔法然り、強大な力を持つ人工神聖存在『ミスラ』然り。広範囲に、容赦なく、分別なく殲滅する力を揮うことはできるだろう。
不当とはいえ、ラディウスが代理で領主をしているということであれば、正規兵のような者達は〝仕事〟として俺達の前に立ちはだかるかもしれない。そうなった時、彼らを傷つけずに鎮圧するなどという余裕は、きっとないだろう。
「わかって、いる」
さすがにラクウェイン侯爵の顔が翳る。
「そうならないように事前の作戦は練ります。ただ、いざという時、俺は自分と仲間の命を最優先にします。少しでもリスクがあるなら、あなたの領民の命を奪うことを躊躇しません」
「アストル、言いすぎよ!」
ミントが少しばかり焦った様子で、俺の手を掴む。
俺自身、まるで自分の口が自分のものではなくなったかのようにすら思えた。
これが、今まで俺がミントにさせていたことなのか……と、自己嫌悪が広がる。
「侯爵様、アストルさん。それに関しては調査が済んでいます。事前にこちらへ呼応するように話を通しておきますので、敵対する者はモーディアの手先と考えてもらっても大丈夫ですよ」
一連のやり取りに、イジーが少し困った顔で頭を下げる。
「さすがイジーだぜ」
「エインズ様の子分なんてやっていると、目端が利くようになるんですよ。今、ラクウェイン領都にいるのは、故郷を捨てきれず、ここを守るために残った者ばかりでしょう。ラディウスさんの取り巻きと第二師団の連中はさほど多くないはずです」
そう言って、イジーは地図の数箇所を指さす。
「こことここ、それにここ。赤い印がついている部分が、第二師団の拠点になっている建物です」
「人数はどのくらいですか?」
「総勢で百人ってところでしょうか」
俺の質問に即座に返答できるあたり、すでに準備の大半は整っているってところだろう。
「イジーさん、組織の皆さんとはいつ会えますか?」
「今晩、手配しておきましょう。地下水路のこの位置……ここに拠点があります。この宿の裏の橋の下に入り口があるので、このルートを使ってください」
地図を指でなぞって、イジーが俺に頷く。
「エインズ様、ガキの頃に使っていた秘密基地ですよ」
「ああ、あっこか。わかった」
悪ガキ同士、通じあったようで、少しばかりうらやましい。ちょっとリックが恋しくなってきたぞ。
「では、私は戻ります。☆2なので、モーディアの騎士が怖いですしね」
「ああ、夜まで無事でいろよ。すぐに元通りにしてやっからよ」
「エインズ様の有言実行には前例がありますからね」
小さくウィンクして、イジーは階段を下りていった。
「さてアストル、ワシらはどうする」
椅子に深く掛けなおしたレンジュウロウが、こちらに目を向けた。
「斥候二人が戻って来るまで休憩ですかね。そういえばエインズ、ナックさんはどうしてる?」
「馬車の番をするって言ってたぜ。この街の衛兵連中には、ナックさんに頭が上がらねぇヤツらもいる。独自に動いてくれんだろ」
ナックさんにとっては勝手知ったる古巣だ。俺が心配するようなことではないだろう。
「じゃあ俺は少し計画を練るから、みんなは休憩しておいてくれ」
「ユユも手伝う。アストル……方向音痴、だし」
「……ぐ」
確かに、ユユの言う通りである。
確実性を持たせる必要があるのに、一人で考えるというのはミスの元だ。
ダンジョン攻略とて、数人で確認した方が、齟齬がなくていいのだから。
「じゃ、アタシも」
「ワシもチヨが戻るまではここに居るかの」
「私の町だ。君の知識だけでは足りない部分を助けられると思うぞ」
ミントに続いて、レンジュウロウとラクウェイン侯爵まで手伝いを申し出てきた。
「はぁ……これじゃ、オレだけ休むわけにもいかねぇだろ」
結局、俺達は全員その場に残って、ラクウェイン領都奪還作戦を練りはじめるのであった。
◆
日が沈むのを待って、俺はエインズの先導で『秘密基地』――もとい、現在は地下組織の本部となっている地下水路の先に向かった。
ビスコンティは〝夜の町も見てくるぜェ〟と出かけ、ナックさんは〝留守を預かる〟と宿に残った。
そのため、来ているのはいつものエインズパーティに、ラクウェイン侯爵を加えたメンバーだ。
それにしても……マルセルは運河もすごいが地下水路もすごい。
こんなに広い地下水路が地下にあるとは思わなかった。ここがなんのために造られたかは、ラクウェイン侯爵も知らないようだ。
古いながら整備された地下水路は、それなりに歩ける。もっと腐臭や悪臭などがするかと思ったが、要所要所にある魔法道具と魔法生物が水を浄化しているらしい。
魔法薬開発の本場ともなると、排水にも気を遣っているのだと、ラクウェイン侯爵が笑う。学園都市の連中に聞かせてやりたい言葉である。
何せ学園都市の地下水路は、ダンジョンも真っ青な立ち入り禁止区域だ。
廃棄された魔法生物、廃棄された魔法道具、廃棄されたアンデッド……あるいはそれらが廃棄された別の何かによって一体化したモノなどが、自由奔放に闊歩する退廃的な世界となっている。
俺も一度興味本位で入ってみたが、二度と足を踏み入れたくない。
「見えてきた、あそこだ」
エインズが手に持ったカンテラをゆらゆらと揺らす。敵意がないことを示す合図らしい。
……が、その先から殺気じみた気配で飛び出してくる小さな影があった。
背丈は身長の低いユユよりもさらに頭一つ低い。
艶やかな黒髪をおかっぱにして、右耳にだけ小さなおさげを作っている。年の頃は……俺よりも少し若いくらいか?
その姿を確認したラクウェイン侯爵が、ギクリとした様子で足を止める。
「お……おお、マルティナ。息災か」
「息災か、じゃねぇだろうが! こンのアホ旦那がぁッ!」
猛スピードで、矢弾のように向かってきたその小柄な少女は、勢いそのままにラクウェイン侯爵の腹に小さな拳をねじ込んだ。
侯爵のつま先がほんの少し地面から離れたのを確認してしまった俺は、思わず息を呑む。
大柄な伯爵をボディ一発で打ち上げる膂力というのは、ミントでもないんじゃないだろうか。
「は、母上……落ち着いてくれよ」
「バカ息子、お前もだぞ!」
「ンな!?」
極めてスムーズな重心移動から放たれる二撃目の拳が、エインズの腹部に深々とめり込む。
床に崩れ落ちた親子をよそに、少女は俺達に向き直って可憐な笑顔を見せる。
「……ウチのバカどもがお世話になっております。ジェンキンスの妻、マルティナでございます」
「うむ、マルティナ。久しいな」
「レンジュウロウ。テメェも来てたのか……テメェがいながらこの体たらくはなんだ!?」
レンジュウロウを見て、マルティナは再びその目に鋭さを増す。
外面の切り替えが性急すぎやしないだろうか。
「ワシに責はない。それよりも、紹介しよう……〝魔導師〟アストルじゃ」
さらりと視線を避けて、俺に注目を流してしまうあたり、レンジュウロウはこの小さな女傑の扱いを心得ているのだろう。
「紹介にあずかりました、アストルです。こっちの二人はユユとミント」
「よろしく、です」
「よろしく!」
俺の顔をまじまじと見て、マルティナが快活な笑みを浮かべる。
少し、ミントに似ているかもしれない。ともすれば〝同類〟かもしれないが。
「ああ、噂の。ビジリさんから聞いていますよ」
「ビジリさんから?」
ビジリは俺達に何かと世話を焼いてくれる行商人だ。彼女の口からその名前を聞くとは、少々意外だった。
「ええ。ちょっとした知り合いですの」
おしとやかに笑う姿は貴族の子女……いや、王族の子女というに相応しいものだが、いかんせんその格好は歴戦の勇士と言うほかない。おそらく、紅翼竜を素材としたであろう、深紅の鱗鎧を着こなし、背には身長ほどもある戦斧を背負っている。
あと、いくらなんでも若すぎる。
現王の姉だったはずだが、絶対に年下と思ってしまいそうなその容姿には、強い違和感があった。
もしかして、聞いた情報は古いもので、彼女は後妻だったりするんだろうか?
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