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第一章 忍者の里、エルフの里

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 深刻な雰囲気になってきたヨシマサとミドリを前に、店長は頭を掻く。
「なんだか、ややこしい話をしてるみたいだが。あいつが、大して難しいことを考えているとは思えんけどなあ。あれほど単純明快な、見たまんまの奴はそうそういないぜ」
「盗賊戦士マリカというのは、そんな奴なのか?」
「ああ。美味いものがあると聞けば食べに行き、面白そうな事件があったら首を突っ込み、見たいものがあればどこまでも見に行く。そういう奴だ」
 ただの盗賊でただの戦士なら、そうかもしれない。
 だがマリカは、まず間違いなく、ニホンから伝えられた忍術を継承する者。忍者なのだ。もしも、技術だけでなくその本質まで、ヨシマサの知るニホンのものを受け継いでいるとしたら。
 そうであれば、マリカに裏の顔がないはずがない。
「お前さんのことも、噂通りのかっこいい男の子だった! って嬉しそうに騒いでてな。美形の役者を目当てに芝居小屋へ通い詰めるような、そんな感じで。その、ミドリって言ったか? その子がさっき言ってたのが正解だと思うぜ、オレは」
 店長の言葉を聞いて、ミドリも賛同し始めた。
「……兄様。僕も、改めて昨夜のマリカさんの表情とかを思い出すと、そんなに裏があるようには思えなくなってきました。やっぱり、純粋に兄様のファンなのでは?」
 だがヨシマサは、まだ考えている。
「確かにな。あいつに、何らかの事情があって、俺かお前のことを探っていたとして。その調査活動のことを、こんなところで気軽に喋るか? やはりただの興味本位では? とも思える」
「でしょう?」
「だが、その理屈こそがあいつの狙い通りであり、俺たちの警戒を解く為の布石かもしれん」
「……う~」
 とにかく、情報が足りない。マリカたちと約束したのは夕方だから、まだしばらく時間はある。ヨシマサとミドリはここでの昼食後、街に出て情報収集をすることにした。
『拠点を潰されて以来、この地方での勢いは衰えたとはいえ、ザルツはまだ広範囲で活動している。妖怪獣の出現も、子供たちの誘拐事件も、絶えてはいない。奴らが今更わざわざミドリを狙うとは考えにくいが、俺は恨まれているだろうからな。あの日の、あの男には特に』
 
 ヨシマサが危惧し警戒を強めた時。その背後のテーブルで食事をしていた男が、席を立った。勘定をテーブルに置いて、店を出ていく。
 皮の鎧に銅の剣、がっしりした肩の上にある顔は、三十歳目前といったところか。アンセルムという名の、これといって特徴のないその男は、商店街を抜けて人混みから離れ、町外れの小屋にやってきた。
 打ち捨てられて何年も経っているらしく、屋根にも壁にも穴が開いており、住むのはもちろん倉庫としても使えそうにない小屋だ。居住区から少し距離があって不便でもあり、用途といえば子供がかくれんぼに使うぐらいだろう。
 だが今、そこに隠れていたのは子供ではなく、一人の若い女だった。アンセルムの接近を足音で察したらしく、アンセルムが呼びかけるまでもなく小屋から出てきた。
「ご苦労さん。で、どうだった?」
 女の方も、特徴のない出で立ちだ。こちらは冒険者風ではなく、地味な色合いのスカートを穿いた、ごく普通の町娘の恰好。歳はマリカより少し上、ヨシマサと同じぐらいか。マリカと違うのは、短く切られた茶色の髪。そしてマリカと共通しているのは、斜め上に向かって尖った耳。つまりマリカと同じく、エルフであることが判る。
 そしてもうひとつの共通点は、地味な服装でも隠しきれない、細く引き締まりながらも要所要所で起伏に富む、強い弾力を感じさせる体型だ。見る者が見れば判るだろう。この女は美しいが、ただの色っぽい美女というわけではない。この肉体は、かなり鍛え込まれている、と。
 アンセルムは一礼すると、街の方を向いて言った。
「ソレーヌ様のお考え通りでした。先ほど商店街にいた二人連れは、間違いなくヨシマサとミドリです。まだ街に到着したばかりのようで、今、食事をしています」
「そう。何日かは待つことになるか、あるいは行き違いでここから出発されて、あたしたちが慌てて追いかけるハメになるかも、と思ってたんだけど。いいタイミングだったわね」
 アンセルムを部下として従えているらしい、ソレーヌと呼ばれた女は、嬉しそうに微笑んだ。
「それにしても、ミドリ、ねえ。随分と可愛らしい名前をつけてもらったものだわ」
「ヨシマサが付けた名だと聞きます。それ以来ヨシマサにベタ惚れだそうで、先程見た時も押しかけ恋人といった様子でした」
 ソレーヌは溜息をつく。
「面倒なことね。まあ、ディルガルトの奥の奥にある魔術研究所なんかに住み込まれてると、手出しのしようもなかったから。それに比べたらずっとマシだけど。ヨシマサ一人なら、どうにかなるでしょ。正面から彼と戦うのは面倒だろうけど、何とかミドリを分断できれば」
「いえ、それが。聞いた話によると、あの二人は既にマリカと接触しており、ここで待ち合わせをしているとか」
 というアンセルムの報告を聞き、ソレーヌの顔色が変わった。
「マリカと? それ、確かなの?」
「はい。ヨシマサが、マリカのことを店長に尋ねていました。まだ、マリカを仲間として信用しているわけではないようでしたが」
「マリカが、ヨシマサを戦力として使うために声をかけたんでしょうね。下手をするとマリカとレティアナとヨシマサ、三人が同時に敵になる」
 ソレーヌは、忌々しそうに眉に皺を寄せた。
「そうなったら厄介ね。と言っている今にも合流されるかもしれない、と慌てて出て行ったところで、ちょうど合流の瞬間に出くわすなんてことも……」
「妖怪獣は使えませんか?」
「マリカやヨシマサ相手じゃ、とても……いや、そうね。どうせ、全員が一か所に集まったら、力ずくは不可能になるんだし。ダメでもともと、失敗も考慮に入れて……ん、決めた」
 ソレーヌは、ポケットから一匹のクモを取り出して地面に置いた。何の変哲もないクモだが、ソレーヌを見上げて全く動かず、じっとしている。
 ソレーヌは懐から短刀を取り出すと、躊躇いなく自分の手首を切った。多量の血が溢れ出し、クモに浴びせかけられる。血液で溺れそうになりながら、クモはやはり動かず、じっとしている。まるで、滝を浴びる修行者のようだ。ソレーヌはどくどくと血を流しているその手の、人差し指と中指を立て、ぶつぶつと何事か唱え始めた。
 するとその指先に、灰色の煙……のように見える、漂う光が出現した。それはまるで意志を持つかのように膨らみながら伸び、血に溺れるクモを、血の上から包み込み、そして血もろとも染み込んでいった。クモの体内へと。
 ソレーヌの血と、そして灰色の光の煙を体内に取り入れたクモの体は、それを栄養分とするかのように、見る見るうちに膨れ上がっていく。更に、粘土をこねるように体を波打たせて、変形・変質させていつた。
 形も大きさも、鼠のよう、と思ったら犬のよう、と思ったら人のよう。
『……わかった、わね? さあ、行きなさい』
 ソレーヌが思念で命じると、巨大化したクモは低い声で吠え、ノミのような勢いで跳ねた。ノミといっても、クモ自身がもう人間大で、人間のような姿だ。その跳躍力はすさまじく、軽々と小屋の屋根の穴を越えて外に出て、そのまま跳ねて跳ねて、街の中心部へと入っていった。
「ふう」
 ソレーヌは短剣の血を拭って懐にしまうと、ざっくり裂けた傷口に掌を当てた。
 その掌に、真っ白い光が灯ると、傷口は少しずつ塞がっていく。
「アンセルム、あんたはボスに知らせて。【門】を見つけたから、ここで直接捕らえるか、あるいは誘い出して、そっちへ運ぶ。だから大至急、例の準備を始めておくように、と」
「はっ」
 アンセルムが小屋を出て行くのを見送ると、ソレーヌは目を閉じて意識を飛ばした。
 その脳内には、まるで自分がその場にいるかのように、街の中心部の景色が映る。大勢が驚く声も聞こえる。
 そして人々が襲われる姿、恐怖に見開かれた目が、真正面から認識できた。
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