頭上輪廻戦士アーサー

川口大介

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第一章 女神様、生える

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 ウナが、二、三歩、後ずさっている。
「最近、前世の声を聞くとか何とか、怪しい新興宗教が流行ってるって噂だけど……」
 前世。と聞いてア―サ―は思わず、
「ぎくっ、てした! おに―ちゃん、今確かにぎくってしたああっ!」
「ちょ、ちょっと待て、ウナ。これには事情があって、前世っていっても僕の場合は何だか凄く特別で」
「それ、はまってる! 絶対、勧誘員の口先にはめられてるぅっ!」
「いやだから、ちょっと落ち着けってばっ」
「おに―ちゃんが、はめられてるぅぅ!」
 聞く耳持たないウナはひとしきり騒いで、騒いで、そして。
「……ぜ~は~……わ、わかったわ。あたし、人の趣味には口出ししない主義だから」
「趣味って何だ、おい」
「でもねおに―ちゃん、印鑑とかツボとかは、買っちゃだめだよ。あと、イルヴィアおね―ちゃんを誘わないでね。お願いだから」
 心底哀れむような目をして、ドアをぱたん、と閉めて。
 そのドアの向こうで、ウナの足音が、遠ざかっていった。
 一人ぽつんと取り残されたのは、頭に女神様を生やしているア―サ―。
「……あの、女神様」
「ねえ。さっきから気になってたんだけど、私って名前は伝わってないのね。教科書にも載ってないみたいだし」
「……んなことどうでもいいでしょう?」
「よくないわよ。同じ魂の間柄、ある意味同一人物で、女神様なんて他人行儀な。私のことは本名で、エミアロ―ネお姉さまとでも呼んで」
「……解りました。じゃ~言わせてもらいますけどエミアロ―ネさん」
 ア―サ―は、今までやらなかったのが不思議なくらい今更やっと、拳を震わせた。
 そして目を上に向けて、
「突然出てきて何なんですか? 僕、今、かなり深刻な誤解を受けたみたいなんですけど!」
「いや~、みたいじゃなくて完全に受けたわよ、あれは」
「落ち着いて腕組みしないで下さいっ! 人の頭上で!」
 女神様改めエミアロ―ネは、落ち着いて腕組みをしている。ア―サ―の頭上で。
「ま、それはそうとア―サ―君。突然出てきて何かって聞いたわね今。もちろん、ただ貴方を混乱させる為じゃないのよ」
「ただ混乱させる為だったら泣きますよ」
 ア―サ―は今にも泣きそうな顔で怒っている。世界中誰でも知っている女神様が出てきたんだ、もう魔王でも出現しないと釣り合わないぞっ、と妙な形でムキになっていたりもする。
 そんな彼の心情を知ってか知らずか、エミアロ―ネはひんやりと冷静な態度で話し始めた。
「今、また私の力が必要になっているの。この世界に」
「必要?」
「そ。「魔王の復活に合わせて伝説の戦士が転生した」ってこと。今から十二年前にね。こう言えば解り易いでしょ? 十二歳のア―サ―君」
 まあ、言いたいことは解る。魔王が復活して世界の危機。だから伝説の戦士の生まれ変わりよ、戦え。小説ではよくある話だ。
 で、この場合、前回世界を救ったのは豪傑英雄ではなく、白の女神と呼ばれた女性。その名はエミアロ―ネ。
「あれ? じゃあ……まさかこの、」
 ア―サ―は、自分の鼻先を指さして言った。
「僕が、白の女神の生まれ変わりとして」
「戦え、というわけ。さっきの教科書にも書いてたでしょ。黒に属する者たちのこと」
「いえあの、女神様の生まれ変わりと言われましても、僕は一応男性なんですけど」
「そう。しかも腕利きの戦士ではなく、普通の中学生の男の子なのよねえ。意外だったわ。けどまあ、しょうがないでしょ」
 しょうがないでしょって……
「これも輪廻転生の神秘ってやつかしらね。とにかく、そういうわけだからよろしく」
 よっ、と片手を上げて、よろしく。
 集めた宿題のノ―トを職員室まで持ってきてくれ、と生徒に頼む担任の先生のようなノリのエミアロ―ネ。教科書に載ってる白の女神様。
「そ、そんな気軽によろしくされても困りますよっ。僕は今、テスト勉強が忙しく」
 ぎいっ、と音がしてノックもなくドアが開かれた。
 そして、ウナが部屋に入ってきた。
「おに―ちゃんっ」
 怒ってる声だ。
「な、なんだ。新興宗教の話なら誤解……」
 突然、エミアロ―ネがア―サ―の髪を引っ張った。左の側頭部の髪を思いきり力いっぱい、千切らんばかりの力で引いた。
 前・後・上とはケタ違いに痛い横髪引っ張りである。ア―サ―は「いだだだだっ!」と悲鳴を上げ、引っ張られるままに左へよろけてしまって、

 ブォォン!

 空を切る音が右の耳に届いた。いや、音というより唸り。風。風圧。
 それがウナの拳によるものだということは、ウナが今、拳を突き出したポ―ズでいることから明らかだ。
 そしてその拳の位置は、一瞬前までア―サ―の顔面があった場所。今、エミアロ―ネが髪を引っ張らなかったら……
「ウ、ウナ?」
 ウナは、ゆっくりと拳を引いて、そして。
「おに―ちゃ……ぐ、あ、」
 目が、ではなく顔全体が殺気立っている。額から鼻にかけて暗い影が落ちている。前科百犯の極悪人のような顔つきになっている。
 普段から家の中でも外でもお淑やかとは言い難いウナだが、それにしても様子が変だ。
「お、おい。どうした?」
 毎日顔を合わせているだけに、ア―サ―にはよく判る。これは体調が悪いとか熱っぽいとか、そんなものではない。
 隠されていたもう一つの人格が出て来たとか悪霊に憑かれたとか、そういうレベルだ。
「お、おに―……否! 我が怨敵っ!」
「危ない、ア―サ―君っ!」
 またウナが殴りかかってきて、またエミアロ―ネが横髪を引っ張って、またア―サ―が、「いだだだだっ!」で身をかわした。
 今度は一瞬も止まらず、ウナは追撃してきた。
 負けじとエミアロ―ネは、髪を引っ張る。
 右、左、右、右、左。ワンテンポずらして、左、右、左、右。スピ―ディ―なウナの連打に合わせて、髪を引っ張られまくるア―サ―の、痛々しい悲鳴が轟き響く。
「い、い、い~加減にして下さいっ! 髪がもたないっ! ハゲるっ!」
 ア―サ―は泣きながら頭上に訴えた。
「だって、こうでもしなきゃ避けられないでしょ! 貴方トロいんだから!」
「ついさっき出会ったばっかりの人に、んなこと言われたくないですっ!」
「こらこら何を言ってるの。私は貴女の転生前、前世なのよ。つまり貴方が赤ちゃんとして生まれた瞬間よりも前、この世に生を受けた胎児の時からずっと、一緒なんだから」
 ……言われてみればそうか。魂が一緒、ならそういうことになるか。
 う~む輪廻の神秘。何となく、ありがたや。
「右っ!」
「いだだだだっ!」
 神秘でも何でも、横髪引っ張りは痛いのであった。
 そしていつの間にか、もう何十発空振りしたのかわからないウナが息を切らしている。
「ぜ~は~……お、おのれっ。貴様、わしをバカにしておるな? さっきから髪が痛いとかなんとか、どうでもよいことを」
「どうでもよくないっ! お前には見えてないからわかんないだろうけど、心の底から本気で痛いんだぞこれは! ……じゃなくて、何がどうしたんだウナ⁉」
 ウナの目が据わっている。
「どうした、か。これはわし自身の仇討ちよ。それに何より、わし如き小者に覚醒の術を施して下さった陛下の御恩に、報いねばならん」
「?? な、何を言ってんだ?」
「問答無用! 白の女神がおらぬ今、貴様ら人間など恐るるに足りん! 今こそ、前世での恨みを晴らしてくれる!」
 ウナは、兄が髪の毛ぐしゃぐしゃで涙目になっていることなどまるで意に介さず突進してきた。息を切らしてはいても、動きは衰えない。
 このままでは埒があかないと判断したエミアロ―ネは、動きを止めた。それが何の予告もなかったものだから、てっきりまた引っ張ってくれると思っていたア―サ―は、ウナの攻撃に対する反応が遅れてしまう。
 ウナの、獲物に襲い掛かる隼のような拳が、無防備なア―サ―の顔面に激突する寸前、エミアロ―ネは叫んだ。
「輪廻封印!」
 その声とほぼ同時に、ア―サ―はウナの拳を最小の動きでかわして、右の掌をウナの額に当てた。打撃ではなく、ただとてつもない速さで、当てた。
 その掌が一瞬、眩しく光り輝き……そして何かが、ウナから消えた。
 消えたのはウナの殺気。そしてウナの意識。
「……えっ?」
 ア―サ―は自分自身の、別人のような達人のような動きに驚きの声を漏らした。
 そしてウナは、声もなく倒れ伏した。
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