幸せになるなら、一緒がいい

美緒

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紗姫編

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「彼は九条悠翔ゆうと君。紗姫さきの婚約者だよ」

 五歳の誕生日を祝う為、ホテルで開かれたパーティー。
 お祝いという名の社交に訪れた来客達からの挨拶が一区切りついた頃、周囲の喧騒など無縁に遣って来た親子。
 当たり障りのない祝いの言葉と返礼の後、にこやかな父に紹介された婚約者は、濡れ羽色の漆黒の髪と深い紫紺の瞳を持つ同じ年の綺麗な男の子でした。
 薄い唇を真一文字に結び、切れ長の意思の強そうな瞳が真っ直ぐに私を捉えています。
 その瞳に私が映っているという事実に心が震え、本来ならしなければならない挨拶を口にする事無く、ただただ見惚れる事しか出来ませんでした。

 無意識に、何か言おうとしたのでしょう。私の唇が微かに震えたのが分かります。
 でも言葉は一欠けらも出ず、驚いた様な、戸惑った様な、それでいて感嘆をにじませたような息だけがひっそりと零れました。
 その途端、ピクリと動く整った顔。何か言いたげに一つまばたいた後、彼は私に対し手を差し出してきました。
 思わず、ポカンとなって差し出された手と顔を見比べていると、その顔にゆっくりと笑みが浮かびます。どこか悪戯っぽく、それでいて年齢より大人びた笑み。

「少し、外に行こう」
「あの……」

 どうすれば良いのか分からず躊躇う様に出た言葉とは裏腹に、私の手は差し出された手に向かい浮き上がり――彼がすかさずギュッと私の手を握ってきました。
 そしてひるがえる裾。私の手を握ったまま駆け出す背中。
 背後からは父達の「おやおや」という、少し呆れた様な、微笑ましそうな呟きが聞こえました。
 止めないという事は、行っても良いという事でしょうか?
 胸だけじゃなく、体中でドキドキしながら、目の前を走る小さいけれど大きく見える背中について走ります。
 あまりにもドキドキし過ぎて、繋いでいる手からこのドキドキが伝わっているのではないか。そんな気がしてしまいます。

 小さな背中はライトアップされている庭園に繋がる扉をスルッと抜け、私が出やすい様に小さな手が扉を支えてくれています。
 急いで扉をすり抜け、殆ど同じ目線の深い紫紺の瞳を見詰め笑います。

「ありがとうございます」
「――っ! い、いや。当然だろう」

 真っ直ぐに私を見ていた瞳が突然キョロキョロと辺りを見渡しています。
 それを不思議に思いながら見ていると、彼は私の手を再びギュッと握り。

「行くぞ」

 そう言って、明るい庭園に足を踏み入れていきました。

 庭園はとても綺麗でした。
 季節の花が所々で様々な色で咲き誇り、七色の光でライトアップされた噴水は幻想的な輝きを見せ、その光を浴びてキラキラ輝く彼の漆黒の髪も本当に綺麗で。
 繋いだ手はずっと離される事無く、少しの肌寒さを繋いだ手が温めてくれ――私はとても幸せな時間を過ごしました。

 それが――私と悠翔様の出会い。一目惚れという名の私の初恋の始まりです。


 初めて会って以降、私と悠翔様はお互いの家を行き来して親交を深めていきます。
 通っている幼稚舎で何があったとか、面白い物や綺麗な物を見付けたとか、本当に取り留めの無い雑談が主ではありますが、一緒に過ごせる事が何より嬉しく、私はその時間を楽しみに、そして大切に過ごしていました。
 そんな時間が約一年程続いたある日の事です。

「紗姫は小学校、どうするんだ?」
「私は幼稚舎からそのまま初等部に入ります。女の子ばかりなので、緊張しなくて済みそうです」
「そうか」

 悠翔様が私の頭をゆっくりと撫でながら、優しく笑って下さいました。
 私が男の子が苦手――勿論、悠翔様は例外ですよ?――なのを知っているからでしょうか。どこか安心したような笑みでした。
 心配を掛けてしまうのは心苦しいですが、私の事を考えて下さるのが嬉しい。いけませんね、矛盾しています。
 髪を滑る悠翔様の手が心地良く、そのお心遣いが嬉しいのもあって、私の顔には自然と笑みが浮かびます。
 それを見て、悠翔様が更に笑って下さる。本当に、とてもとても幸せな時間です。

「悠翔様もそのまま初等部に上がるのですか?」
「ああ。こちらは共学だから賑やかだな」

 ふと、悠翔様は人気がおありになるのだろうなと考え、胸に痛みが走ります。
 この時の私は胸の痛みの理由が分からず、ただ首を傾げるしかありませんでした。


 小学生になった後は、お友達との付き合いや学校行事、習い事等、なかなか幼稚舎時代のようには会えません。
 それでも、お優しい悠翔様は私と会う時間を取って下さり、お休みの日にお茶したり、たまに一緒に出掛けたりしました。
 頻繁には会えませんが、少しの時間でもそのお姿を見れる嬉しさと幸せは格別なものです。
 お会いする、言葉を交わす――手を繋ぐ。何かする度、そして大きくなるにつれ、私の思いはどんどん募っていきます。
 毎日の様に悠翔様に会えたら――そんな欲が膨らみ、自分自身に戸惑っていた六年生に上がる春休みの事です。
 時間の合った私達は悠翔様の家でお茶をしながらお話していました。

「もう最高学年か」
「ふふ。何だか、あっという間な気がします」
「そうだな」

 悠翔様が優雅にお茶を飲まれます。
 その姿に見惚れながら――ハッと気付きます。そういえば悠翔様、児童会長になられたと前におっしゃっていたような?

「悠翔様。確か以前に、児童会長になられたとおっしゃっていませんでした?」
「うん? ああ、言ったな。前期はその仕事に追われそうだ」
「そうですか……」

 これまでもお忙しく、なかなか会えなかった悠翔様。
 会長のお仕事に追われるという事は、これまで以上にお忙しく、会えなくなるという事で……。
 我儘だとは分かっておりますが、やっぱり、好きな方にお会いできないのは寂しいです。

 思わずしゅんとなってしまい、これではいけないと慌てて話題を探します。

「そういえば、悠翔様の学校は共学でしたよね?」
「何だ、話題が飛んだな。――まあ、そうだな。共学だ」

 悠翔様がくすりと笑います。
 強引に話題を変えてしまった自覚はあるので、私の頬が熱くなります。間違いなく、赤くなっている事でしょう。
 そっと頬に手を添え、軽く笑います。

「申し訳ありません。ただ私も、中等部に上がると共学になる事をふと思い出しまして」
「――えっ!?」

 驚いた様に、悠翔様が身を乗り出してきました。

「女子校のままではないのか!?」
「はい。中等部は、同じ付属の男子部と合流するそうです」
「……」
「ずっと女子ばかりでしたので、そう考えると、今からちょっと緊張してしまいます」

 苦笑いしながら悠翔様を見ると、何故か悠翔様は顎に拳をあて、考え込んでいました。
 不思議に思って首を傾げると、その動きに気が付いたのか、悠翔様が真剣な瞳で私を見てきました。

「紗姫……」
「はい」
「中等部だが……俺の学校に受験し直さないか?」
「え!?」

 突然の提案に目を見開き悠翔様を凝視してしまいます。今、何と――?

「前から考えてはいたんだ。紗姫と……同じ学校に通いたいと」
「悠翔様……」
「紗姫の今の学校と、俺の学校。通学時間はあまり変わらないだろうし……どうだ?」

 同じ気持ち、だったのですね。言葉では表しようもない喜びが身体中を駆け巡ります。
 受験し直す大変さなんて、この時は全く思い浮かびませんでした。
 ただただ嬉しくて――私は満面の笑みを浮かべて頷く事しか出来ませんでした。


 そして――中学一年生の春。
 私は悠翔様の学校の制服に身を包み、態々わざわざ車で迎えに来て下さった悠翔様と一緒に登校です。

「その制服、似合う。可愛い、な」
「――ありがとうございます」

 少し照れくさそうに褒めて下さる悠翔様に、私も照れながらお礼を返します。
 何か――とてもくすぐったいです。

 学校に着き、私の前に自然と差し出される悠翔様の手。
 それに手を重ねると、悠翔様はお互いの指を絡める様にしっかり繋ぎ、エスコートしてくれました。
 今日からは、例え同じクラスではなくとも、直ぐ会える距離に悠翔様が居ます。
 そう考え、少しだけ繋ぐ手に力を入れると、応える様に悠翔様もギュッと握って下さいました。

 隣に並んで歩きながら、そっと悠翔様を見上げます。
 初めて会った時は同じくらいだった目線も、いつの頃からか少しずつ上になり――今ではしっかり見上げないと悠翔様の真っ直ぐな紫紺の瞳を捉える事が出来ません。
 そんな流れた月日と、それでも変わらず傍に居てくれる事に、私はやっぱり幸せを感じてしまいます。

 一緒に居られる時間が増えれば増える程、私の想いは強くなっていきます。
 笑った顔、困った顔、怒った顔、真剣な顔。どんな悠翔様も眩しくて、愛しくて……。
 中学で出来た友達に「紗姫は分かりやすい」と言われました。
 きっと私は全身で悠翔様が好きだと言っているのではないでしょうか。
 それはちょっと照れくさいですが、本当の事なので、直さなくても良いかなと思っています。


「紗姫」

 私達は高等部に進学しました。
 三年前の春と同じ様に、悠翔様が私に手を差し出しています。
 その手に手を重ね、指を絡め――顔を見合わせ、笑い合います。視線はまた高くなっていました。


 そして――毎年恒例のホテルでの誕生日パーティー。私は十六歳になりました。
 出席して下さった悠翔様と共に、タイミングを見て、初めて会った時の様に庭へと抜け出します。

 ライトアップされた庭園。二人で肩を並べ、手を繋いで回ります。
 やっぱり、一緒に居るだけで全ての景色が何倍も綺麗に見えます。
 うっとりと景色を見ていたら――繋いでいた手が自然と解かれ、肩に熱が移ります。
 えっと思った時には肩を引かれ、抱き締められていました。

「紗姫――」
「悠翔、様……?」

 耳をくすぐる熱い息に顔を上げようとすると、もう片方の手が背中に回り、抱き締める腕の力が強まります。
 温かい――。
 その熱に誘われ、悠翔様の胸に頭と体を預ける。
 少し早い鼓動が聞こえ、その愛しい音と温もりを抱き締めます。
 すると――悠翔様がほっとした様に体の力を抜き、肩にあった手が私の下ろしていた髪をゆっくりとき始めました。

「紗姫」
「……はい」

 悠翔様が私の髪をもてあそびながらささやきました。

「俺は、高校を卒業したら帝王学を学ぶ為、留学するのが決まっている」
「――!」
「だから紗姫……ついてきてほしい」
「……え……?」

 ゆっくり顔を上げます。
 今度は悠翔様の手で遮られる事無く、真っ直ぐに至近距離で視線が絡まりました。

「――高校を卒業したら、結婚してほしい」

 はっきりと紡がれる言葉。
 まさかそのような言葉が飛び出してくると思っていなかった私は、意味を理解するまでかなりの時間を要し――意味が脳に、体に浸透した瞬間、自分でも分かる程真っ赤になりました。

「昔から、傍に居るのは紗姫だけだと決めていた。だから紗姫。結婚して傍に居てほしい。一生」

 真剣な瞳で囁かれるシンプルなそれは、瞳以上に真剣な響きを宿しています。

 ――嬉しくない訳、ありません。私もずっと、願っていたのですから。
 悠翔様と一緒に居たい。離れる事無く、ずっと――

「――はい」

 歓喜で緩みそうになる瞳を必死に堪え、震えそうになる舌を懸命に動かし紡いだ一言。
 それ以外の言葉を、それ以上の言葉を、私は伝える事が出来ませんでした。

 拙くもはっきりした承諾の言葉に、悠翔様の顔が蕩けていきます。
 これまで見た事も無い嬉しそうな幸せそうな微笑みに、私の胸が大きく高鳴った瞬間。
 震える唇に柔らかいものが一瞬、触れました。

 見開いた瞳で悠翔様の紫紺を覗き込むと、嬉しさの奥にまぎれもない熱情を見付け――
 また、唇が重なります。
 ここに悠翔様と私が居る事を、今までの遣り取りが嘘で無い事を確かめる様に。

 あまりの幸せに、くらくらしてしまいます。
 気が付いたら、再び悠翔様に抱き締められていました。

「紗姫」
「は、い」

 呼び掛けに答えると、抱擁が解かれ、私の左手が悠翔様の左手に取られます。
 何事でしょうと見ている前で、悠翔様はポケットから小さな箱を取り出し、笑いました。

「……気が早いとは思うが、紗姫は俺のものだとはっきりさせたい」

 そう言って、私の左手の薬指に口付けを落とし、小さな箱を右手で器用に開け、中身を取り出しました。
 そうして箱の中身は――私の左手の薬指に納まります。
 それはまるであつらえたかの様に指に馴染む、ピンクダイヤの指輪。
 悠翔様は指輪にもキスを落とし、私を少し見上げる様に見詰めてきました。

「ずっと決めていた。幸せになるなら、紗姫と一緒が良いと。紗姫しか要らないと」
「……悠翔様……」
「幸せになろう。俺と一緒に」
「はい……はいっ!」

 感極まって、悠翔様に縋り付くように抱き付いてしまいました。
 少しだけ驚いた悠翔様でしたが、直ぐに笑いながら私を抱き締め返してくれました。

 悠翔様と一緒になれる。それだけでも嬉しいのに――こんな、こんな言葉を頂けるなんて……!!

「悠翔様……」
「どうした?」
「私も、」
「うん?」
「私もです」
「?」
「私も――幸せになるなら、悠翔様と一緒が良いです。悠翔様だけが、良いです」
「紗姫――」

 甘い甘い呼び声と共に、私と悠翔様の髪が風になびきます。
 キラキラ輝く庭園で、私は、十一年越しの初恋を実らせました。
 未来へ続く約束と共に。

 ねえ、悠翔様。私達、いつまでも思い続けていきましょうね。
 幸せになるなら、二人一緒が良いと――。



――――――――――

書き終わって、見返して、今気付きました。
紗姫の名字が出てこない(笑)
なくてもこちら目線では特に困らないのでこのままにしておきます。
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