魔力の根源

氷沼さんご

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雪降る地で

出会いと別れの季節は 2/2

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 扉の向こうでは火花がバチバチと散っている。
 「娘を軍人になんて、絶対にさせませんからね!」
 「それはあの子の自由だ。今の時代、望まないのならば拒否することだって出来ます」
 「あなた方に、どうしてその保証ができるというのです?」
 「ですからね。これは法であって、そんなことは関係ないんですよ。それに、我々が誰かさんのお仲間みたいに思われているのは、非常に気分が悪い」
 今すぐ中へ入っていきたい気持ちでいる私が、壁に寄りかかっているお姉さんを見上げると、人差し指を口に当てる。
 「しーっ。だめだめ。聞くだけだからね。それと、私はここで何も聞いてない。いいね?」
 そうして耳を塞ぐポーズのまま固まってしまう。その間にも、口論はますますヒートアップしていった。耳を澄ませなくても、声が扉を突き抜けてくる。
 中でテーブルが激しく叩かれ、カップが音を立てた。
 「じゃあ、どうしてこんなところへわざわざ来れるのです?」
 「聞いていなかったんですか?情報提供があったんですよ。近隣の住人からね」
 それは嘘だ。私がこの屋敷に住んでいることを本当に知っているのは、あの眼球だけが印象に残っている行商人の他になかった。本当の情報提供者は、行商人に違いない。
 「そんなことが嘘なのは分かり切っています!――」
 そうか。、私を連れてあの集落に行くことを簡単に許してくれたのは、行商人と何らかの取引があったからなんだ。
 おおよそ、私のことを黙っている代わりに、私をあの集落へ連れて行くことを指示されていたのだろう。そして今、裏切られた。あるいは、行商人は初めから私の存在を自然な形で密告できるようにするつもりで?
 「ほう、文書でも残っているといいですね?あいつらのやり方がそんなものだってのは、良く知ってるでしょうに……もう、辞めましょう。とっくに手遅れなんですよ」
 お母様は何も言い返さない。
 そして、男の人は思いもよらぬことを言い始める。
 「それに……うん。自力で生活が出来ているようには見えないな。意地を張るのは構いませんが、本当に困るのはそちらじゃないんですか?」
 「そんなの、娘は」
 「いいや。貴女が耐えられるのかって聞いているんですよ」
 「なにを……」
 「そちらの事情は知らないし、興味もないが、生活品だってある程度何処からか提供されているんでしょう?こんなに恵まれた生活を捨てて、犯罪者となり、もっと酷い土地に逃げこめたとして。貴女、ドレスを脱ぎ捨て、泥にまみれて、その日その日の食料を手にする覚悟が、本当にあるのんですか?」
 そう、お母様は家事というものを、いや、労働というもの全般を、生まれてこの方したことがないということはこれまでの暮らしで知っていた。そして、未だに、自分が働くという発想を持ってもいない。でも、それは仕方のないことだ。生まれた時からそうやって教え込まれ続けていたであろう常識を、誰だってそう簡単には変えられない。
 私だって、汗水垂らして働いてるお母様の姿を想像することがまだ出来ないでいる一方で、それでも別に構わないとも思っていた。私がもっと大きくなって、街にでもなんでも出るようになったら、生活をもっと豊かに出来ると信じていたからだ。
 でも、行商人という現状最大の資源を失い、この土地や住処まで捨てて、全くゼロからのスタートとなれば、大きく話は変わってくる。
 「そんなこと」
 男の人は喋りを止めない。
 「決して、私にはそれを怠惰と嘲笑うことは出来やしませんがね。だが、どうだって、これまでに染みついた考えや生活様式を捨て去れないでしょう。……それこそが、貴女の生まれで、宿命付けられた生き方だからだ」
 ……言う通り、お母様がそれに耐えられるとは思えない。私は今、お母様の生活を人質に取られていた。
 ただ、この人がお母様を責めるのは間違っている。それに、私がこんな風にならなかったら、お母様が責められる謂れは何もないはずだ。
 お母様は、私を守るために戦ってくれていて、私のせいで、お母様が傷つけられている。全部、全部私が原因だ。
 
 「あ、ちょっ。ダメだってば」
 背後から伸びる手を気配で躱す。扉を開け放ち、迷わず室内に踏み込んだ。
 「もう止めて下さいっ!」
 「レシィア!」
 「私、行きますから」
 振り返った三白眼が、怖ろしい形相でこちらを睨んだ。気圧されないようにこちらも必死で目を合わせる。
 「だから、これ以上お母様を苦しめないでください」
 男の人はすぐにこちらから視線を外すと、私の背後へと怒りを放つ。
 「おいこら、リスネッサ!また指示を無視したな?こっちには近づけるなって言っただろう!」
 「まあまあ。そんなに怖い顔しない方がいいですよ。普段はこんな風じゃないって教えたばっかりなんですから」
 「誰のせいだと思ってる!」
 言い争う二人をよそに、お母様に駆け寄って細い身体を抱きしめた。尋常じゃない程の震えが私に伝わってくる。目に焦点は定まらず、どこか遠くに意識は向いていた。
 「だめ……だめよ。そんなの……また、帰って来ない」
 「お母様、大丈夫。絶対に帰ってくるって約束する」
 「嫌、軍人になんて絶対に……」
 「ならないよ。ならないから、安心して。ね?」
 暫くこちらを静観していた男の人が、がしがしと頭を掻く。
 「……ったく、慣れないな。まるで我々が悪者みたいじゃないか」
 「何言ってるんですか?立派に悪者で、いてっ!?」
 「リスネッサ。出発は何日だ」
 頭を押さえながらお姉さんはポケットから折り畳まれたいびつな形の紙を取り出して、指さしで数え始める。
 「はいっ。えー……じゅう、じゅういち、じゅうに。十二日です」
 「そうか、なら二日後の朝までが最大限の譲歩だ。出発の準備は全てこちらで手配してある。それまでに覚悟だけ決めて貰えればいい。持っていきたい物があるならそれもだ。使用人にもそう伝えておく。退散するぞ、リスネッサ」
 「合点。じゃねっ、レースちゃん」
 そう言い残して、軍人達という嵐は部屋から去っていった。
 あと、二日。お母様を支えながら、その言葉を噛みしめる。何かが起きるのは、決まっていつも突然のことだ。
 
 血の気が引いたお母様の顔は真っ青になっている。私はその表情に、どこか私と通じる感情を嗅ぎ取っていた。
 そこにあるのは、過去に恐怖を抱える人の顔だった。
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