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雪降る地で
魔術と信仰 1/2
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雲一つない空。
腕を広げて、身体一杯に太陽の光を浴びる。ここまで綺麗に晴れたのはいつぶりだったか。
例の祭祀は月の光が降り注ぐ夜にしか出来ないという。したがって、その集落へ祭祀に参加する旨の通達を出してから、天候条件が揃うまでに何日も待つこととなった。それは待ち遠しい年末のような、久しく味わっていなかった感覚だった。
「本当に連れて行ってくれるよね?」
「はいはい。その話はこれで十四回目ですよ」
そして「明日は晴れる」という、信じていいのかわからない天気予報みたいな知らせを受けたのが昨日の事。いつもの重苦しい天気から解放されたこともあり、私の期待は最高潮に達しようとしていた。
今、頭の上では、二番目と三番目のお月さまが輝いている。
エオの引く客車に揺られて、緩やかな丘を一つ超え、私達四人がその小さな町とも呼べる規模の集落に着いたときには日がとっぷりと暮れていた。
集落の中心部に向かう。集会所のような役割をしているらしい、ひと際大きな建物から、喧騒が遠くまで届いてきていた。既にお祭りは始まっているようだ。
その建物の扉を開いた途端、気温以上の熱気を顔に受ける。
男性達は酒を飲んで騒ぎ、女性達はおしゃべりを楽しみながら山のように料理を作っている。忙しそうに動き回る人々も、みな浮ついた表情を浮かべていた。おお、これこそがまさにお祭りの空気……。
既に私達の事は住民に伝わっていたらしく、入り口近くにいた人が親切にも奥の調理台に近いテーブルまで案内をしてくれる。調理台といっても、食材を切って組み立てる為に集会所のテーブルが使われているだけだ。後ろの壁には大きな肉の塊が幾つも吊るされていた。
「まあまあまあ。ございんいらっしゃった。さあさあこぢらへ」
訛りが混ざった早口な喋りは、ここらの方言だろうか。
「ほらおどづぁん。飲んだぐれでねぁーでずんつぁんを呼んでぎな」
椅子に寝転んで眠り込んでいた男の人が叩き起こされ、むにゃむにゃと何か返事をして出て行った。彼が本当に役目を果たせるかどうかは、あの覚束ない足取り次第だろう。
「あら、可愛らしいわね」
「お腹は空いでいねぁーか?好ぎなだげ食ってけさいんね」
おばさま方に席に押し込むように座らされると、目の前にみるみるうちに食べ物が並べられていく。
お母さまは微笑みながらも何か言いたげにしていたが、横で静かに座ったままだ。完全によそ行きモードに入っている。しかし、言わんとする事はよく分かった。ここに来るための条件として言い聞かせられたことの一つ、余計なおしゃべりをするな、だろう。
「ありがとーございます」
すました顔でお礼だけ述べる。しかし、我慢の出来ない手は早速、机の上に並んだサンドへと伸びていった。いただいたのは、スライスしたバゲットに近いパンに、肉と野菜を挟んだ料理だ。
この世界で初めて見るパンは、荒い粒が多く混ざっていて色は全体的に茶色く、ぼそぼそしているが香ばしい。素朴な味だけれど、屋敷では芋料理ばかり食べていた身体に染みた。具材には甘酸っぱいソースが掛かっていて、パンとよくマッチしている。それぞれ少しづつ具材やソースが違っていて、色々な味を楽しめるようになっていた。
ちまちまとサンドを味わう私の横を、子供たちがじゃれ合いながら駆けていく。世代は私と同じくらいで、男の子も女の子も混ざっていた。
何人かが私の前に置かれていた皿から、食べ物をくすねていく。それがお皿に盛ってくれたおばさまの目に留まってしまい、調理場から叱責が飛んだ。
「こらっ!おめだづの分でねぁーよ!」
「へっ、ほだに食えねえがら貰ってけるのさ」
「んだんだ!」
悪びれた様子もなく、歓声を上げて子供たちは走り去っていった。
「ごめんなしてくないね。全ぐ、ほんにどうすっぺもねぁー」
「……はい、だいじょうぶ、です」
冷や汗が背中を伝い、胸の辺りに圧迫感を覚えて呼吸が浅い。
何かがとても怖くてたまらなかった。
それはちょっとした、取るに足らない出来事だったはずだ。しかし、私は子供たちが傍にいた間、凍り付いたようにただ傍観する事しかできなかった。いったいなぜそこまでの恐怖を感じたのか、全く心当たりが無い。これ以上考えるなと心が叫んでいるのに、ずるずると思考がそちらへと引きずり込まれて行った。
お祭り、パン、怒鳴る声、ちがう。子供たち、子供……?ただ子供が怖いのではなくて……。
(どうかしましたか?)
様子がおかしい私を見かねたのであろうその耳打ちで、思考の渦から解放された。なんでもないよ、と返す。手が震えていたのを、ぎゅっと力を入れて抑えたのは見られていないだろうか。
頭から今の出来事を追い出すために、何か気を紛らわせられるものを探して顔を上げたそのとき、テーブルの向かいに白髭を伸ばしたおじいさんが立った。
「教会がれえらした司祭。アレット様で間違いねぁーが?」
お母さまが黙って顎を引くと、おじいさんが頭を下げた。
「よぐいらっしゃった。わしが今年の祭祀執り計らってる者だ。申し訳ねぁー、準備始めでもらわにゃばにゃ。……して、その子は?」
「教会の見習いだ。一緒さ連れで行ぎますが、問題はねぁーよね?」
お母さまの代わりに、ヘメドウィフおばさんが前に進み出て答える。
そんな設定だったとは、今初めて知った。そもそも教会が何なのかさえ、教えてもらっていないのだけれど。
おじいさんはこちらをじろりと一瞥して頷いた。私に関係なく話は進んでいく。
「お役目さえ果だしていだだげるんだら、こぢらは構わねぁー」
「ええ。お約束いだします」
「ほんでは、もう一匹乗り物用意しますから、その間さ着替えしてけさいん。申し訳ねぁーども、後のお二方は歩ぎになってすまいます」
建物内の一室を使用し、儀式用の真っ白な衣服に着替えさせられた。
分かりやすく言ってしまえば上はシンプルで生地の厚いフード付きのパーカーで、下は袴に近い。上着の背中には、円の周上に更に同じ大きさの四つの円が重ねられた、クローバーをイメージさせる図形が描かれている。
ただでさえオーバーサイズに作られている上着を被ってみると、私には大きすぎたようで、もはやワンピースのようになってしまっていた。袴に至っては歩く床拭きと変わらない。
参加者がまともに衣服が着られないなど前例がないことだったようで、お手伝いをしてくれていた人達が相談をしたり、おじいさんに確認を取りに行くことになった結果、袴を履かない代わりにベルトを締めてもらうことで良しとされた。小さな体で大変なご迷惑をお掛けしております。
着心地はとても快適だ。ハイソックスを履いてきていたこともあって、これだけでも十分に温かい。体格のせいでこのような着方になったことを差し引いても、少し直せば現代日本でも通用しそうな衣服を、私はかなり気に入った。
着替え終わって外に出ると、おじいさんを先頭に、お揃いの服をきた三十人ほどの集団と、数匹の見慣れた生き物が私達を待っていた。
「では、えぐべ」
ベヨルンおじさんの手を借りてエオの背中によじ登る。これから我々が目指すは、聖域とされる森だった。
腕を広げて、身体一杯に太陽の光を浴びる。ここまで綺麗に晴れたのはいつぶりだったか。
例の祭祀は月の光が降り注ぐ夜にしか出来ないという。したがって、その集落へ祭祀に参加する旨の通達を出してから、天候条件が揃うまでに何日も待つこととなった。それは待ち遠しい年末のような、久しく味わっていなかった感覚だった。
「本当に連れて行ってくれるよね?」
「はいはい。その話はこれで十四回目ですよ」
そして「明日は晴れる」という、信じていいのかわからない天気予報みたいな知らせを受けたのが昨日の事。いつもの重苦しい天気から解放されたこともあり、私の期待は最高潮に達しようとしていた。
今、頭の上では、二番目と三番目のお月さまが輝いている。
エオの引く客車に揺られて、緩やかな丘を一つ超え、私達四人がその小さな町とも呼べる規模の集落に着いたときには日がとっぷりと暮れていた。
集落の中心部に向かう。集会所のような役割をしているらしい、ひと際大きな建物から、喧騒が遠くまで届いてきていた。既にお祭りは始まっているようだ。
その建物の扉を開いた途端、気温以上の熱気を顔に受ける。
男性達は酒を飲んで騒ぎ、女性達はおしゃべりを楽しみながら山のように料理を作っている。忙しそうに動き回る人々も、みな浮ついた表情を浮かべていた。おお、これこそがまさにお祭りの空気……。
既に私達の事は住民に伝わっていたらしく、入り口近くにいた人が親切にも奥の調理台に近いテーブルまで案内をしてくれる。調理台といっても、食材を切って組み立てる為に集会所のテーブルが使われているだけだ。後ろの壁には大きな肉の塊が幾つも吊るされていた。
「まあまあまあ。ございんいらっしゃった。さあさあこぢらへ」
訛りが混ざった早口な喋りは、ここらの方言だろうか。
「ほらおどづぁん。飲んだぐれでねぁーでずんつぁんを呼んでぎな」
椅子に寝転んで眠り込んでいた男の人が叩き起こされ、むにゃむにゃと何か返事をして出て行った。彼が本当に役目を果たせるかどうかは、あの覚束ない足取り次第だろう。
「あら、可愛らしいわね」
「お腹は空いでいねぁーか?好ぎなだげ食ってけさいんね」
おばさま方に席に押し込むように座らされると、目の前にみるみるうちに食べ物が並べられていく。
お母さまは微笑みながらも何か言いたげにしていたが、横で静かに座ったままだ。完全によそ行きモードに入っている。しかし、言わんとする事はよく分かった。ここに来るための条件として言い聞かせられたことの一つ、余計なおしゃべりをするな、だろう。
「ありがとーございます」
すました顔でお礼だけ述べる。しかし、我慢の出来ない手は早速、机の上に並んだサンドへと伸びていった。いただいたのは、スライスしたバゲットに近いパンに、肉と野菜を挟んだ料理だ。
この世界で初めて見るパンは、荒い粒が多く混ざっていて色は全体的に茶色く、ぼそぼそしているが香ばしい。素朴な味だけれど、屋敷では芋料理ばかり食べていた身体に染みた。具材には甘酸っぱいソースが掛かっていて、パンとよくマッチしている。それぞれ少しづつ具材やソースが違っていて、色々な味を楽しめるようになっていた。
ちまちまとサンドを味わう私の横を、子供たちがじゃれ合いながら駆けていく。世代は私と同じくらいで、男の子も女の子も混ざっていた。
何人かが私の前に置かれていた皿から、食べ物をくすねていく。それがお皿に盛ってくれたおばさまの目に留まってしまい、調理場から叱責が飛んだ。
「こらっ!おめだづの分でねぁーよ!」
「へっ、ほだに食えねえがら貰ってけるのさ」
「んだんだ!」
悪びれた様子もなく、歓声を上げて子供たちは走り去っていった。
「ごめんなしてくないね。全ぐ、ほんにどうすっぺもねぁー」
「……はい、だいじょうぶ、です」
冷や汗が背中を伝い、胸の辺りに圧迫感を覚えて呼吸が浅い。
何かがとても怖くてたまらなかった。
それはちょっとした、取るに足らない出来事だったはずだ。しかし、私は子供たちが傍にいた間、凍り付いたようにただ傍観する事しかできなかった。いったいなぜそこまでの恐怖を感じたのか、全く心当たりが無い。これ以上考えるなと心が叫んでいるのに、ずるずると思考がそちらへと引きずり込まれて行った。
お祭り、パン、怒鳴る声、ちがう。子供たち、子供……?ただ子供が怖いのではなくて……。
(どうかしましたか?)
様子がおかしい私を見かねたのであろうその耳打ちで、思考の渦から解放された。なんでもないよ、と返す。手が震えていたのを、ぎゅっと力を入れて抑えたのは見られていないだろうか。
頭から今の出来事を追い出すために、何か気を紛らわせられるものを探して顔を上げたそのとき、テーブルの向かいに白髭を伸ばしたおじいさんが立った。
「教会がれえらした司祭。アレット様で間違いねぁーが?」
お母さまが黙って顎を引くと、おじいさんが頭を下げた。
「よぐいらっしゃった。わしが今年の祭祀執り計らってる者だ。申し訳ねぁー、準備始めでもらわにゃばにゃ。……して、その子は?」
「教会の見習いだ。一緒さ連れで行ぎますが、問題はねぁーよね?」
お母さまの代わりに、ヘメドウィフおばさんが前に進み出て答える。
そんな設定だったとは、今初めて知った。そもそも教会が何なのかさえ、教えてもらっていないのだけれど。
おじいさんはこちらをじろりと一瞥して頷いた。私に関係なく話は進んでいく。
「お役目さえ果だしていだだげるんだら、こぢらは構わねぁー」
「ええ。お約束いだします」
「ほんでは、もう一匹乗り物用意しますから、その間さ着替えしてけさいん。申し訳ねぁーども、後のお二方は歩ぎになってすまいます」
建物内の一室を使用し、儀式用の真っ白な衣服に着替えさせられた。
分かりやすく言ってしまえば上はシンプルで生地の厚いフード付きのパーカーで、下は袴に近い。上着の背中には、円の周上に更に同じ大きさの四つの円が重ねられた、クローバーをイメージさせる図形が描かれている。
ただでさえオーバーサイズに作られている上着を被ってみると、私には大きすぎたようで、もはやワンピースのようになってしまっていた。袴に至っては歩く床拭きと変わらない。
参加者がまともに衣服が着られないなど前例がないことだったようで、お手伝いをしてくれていた人達が相談をしたり、おじいさんに確認を取りに行くことになった結果、袴を履かない代わりにベルトを締めてもらうことで良しとされた。小さな体で大変なご迷惑をお掛けしております。
着心地はとても快適だ。ハイソックスを履いてきていたこともあって、これだけでも十分に温かい。体格のせいでこのような着方になったことを差し引いても、少し直せば現代日本でも通用しそうな衣服を、私はかなり気に入った。
着替え終わって外に出ると、おじいさんを先頭に、お揃いの服をきた三十人ほどの集団と、数匹の見慣れた生き物が私達を待っていた。
「では、えぐべ」
ベヨルンおじさんの手を借りてエオの背中によじ登る。これから我々が目指すは、聖域とされる森だった。
応援ありがとうございます!
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