寒多郎 戦獄始末

聖千選

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第八話「伝令の言霊」

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 向かいの山にまたひとつ灯がともる。煌々としたその山に人だかりができる。四の渡しでこれほどの人だかりができるのは初めてのことだが、対岸への航行は規制の札が貼られている。

 山中に潜伏する逆賊の手配のためである。

 「まったく、御上おかみは俺に死ねと言っているのか」

 嘉兵衛の呟きを受けて寒多郞は山の様子を探りに行った。

 灯の山の暗い麓から繁る山道へ数里すすむ。なれた山道だが、ナマグサがツンと鼻に触れた。

 その先の道端の奥に目を向けるとひとりの男が倒れている。

 「おい!」と声をかけてると、寒多郞のぶら下げた水筒の音に反応を示している。男の身体を仰向けにして分厚い口に水を注いだ。

 (まるで木乃伊ミイラだな・・・)

 老兵はそこで息を吹き返す。

 目覚めた男は救い主を確認すると即座に体を変えて手をついてひれ伏した。

 「なんたる恩義を承りこの喜作、お礼してもしきれませぬ!」

 老ぼれの思いのほか溌剌はつらつとした声に寒多郞は目を丸くするものの安堵の笑みを浮かべる。

 そんな思いも束の間、老ぼれのまわりに殺気を感じたので思わず抜刀して構えた。

 (まさか、この老ぼれがお尋ね者か?)

 疑念もすぐにかき消され寒多郞の刃に挑むものがいた。源之進である。源之進の白刃は上段より振りかざされたので寒多郞は自身の赤刃で応じた。

 「貴様とは一度は刀を交えたいとおもっていたが、まさかこことはな」

 「遊びのつもりか?」

 「クタクタの落武者をいたぶるとは、御上おかみのすることとはおもえぬな・・・」

 「お前もこちらに来ればわかることだ!」

 源之進は寒多郞の挑発するようにガリガリと刃を削いだ。寒多郞はそれを嫌って源之進のみぞおちに左足で蹴りこむ。思わず刃を外して身体を丸める源之進の隙をついて寒多郞は反対側へ逃げ出した。

 「こい!」

 寒多郞の声に喜作はついていく。

 老兵の脚力はそれに遅れをとることはなかった。その気になれば全力の寒多郞を抜き去ることは容易たやすいことだろう。

 「どうして、御上に狙われているのだ?」

 「わからん・・・ワシはこの文を御屋形さまに頼まれたふみを届けられればそれでよいのじゃが・・・」

 寒多郞の問いかけに喜作は懐から滲んだ包み紙を引き抜いた。

 (その手紙に徳川幕府を転覆させるような内容が書かれているのか・・・)

 その伝令はその使命をもって逃げ続けてもう三十年になる。

 どうやら男はこの手紙の情報を元手に様々なよからぬ輩と取引をしてこれまで食い繋いでいたのだろう。

 この男の周りの闇夜に紛れて待ち構えている飢えたオオカミの殺気がそれを物語っている。それは徳川の間者だけで無いことを寒多郞はわかっていた。

 いつの世も情報が高値で売れることがある。それがどんなに誇大で尾ひれのついたことでも聴衆が共感し満足すれば値は付く。彼はそうして生き延びてきた。

 (三十年前からこの男の戦国は終わっていないのか・・・)

 「だがそれも今日で終わりさ」と笑みをみせる。

 人伝ひとづての情報で喜作の国の使いのものと連絡がつき、この山に流れる唯一の滝壺で落ち合うことができるというのだ。

 その場所に着いた頃には東の空が少しずつ明るくなろうとしていた。滝は昇りゆく朝陽に反射してキラキラした水流を際立たせた。

 喜作の探したツカイの男はその滝壺のそばの岩場に腰を落としていた。

 喜作と同じほどの齢のシワが首すじにみえる。「お待ちしてましたぞ!」と同世代とあった喜びに声をかけて喜作も陽気に応えた。喜作の胸当てにあしらわれた家紋と同じ刺繍をした仕立てたばかりの反物たんものをまとっている。

 「例のもは?」と尋ねられたので喜作は懐から包み紙を取り出す。寒多郞は咄嗟にその手を止めた。

 「お前は誰だ?」

 寒多郞は引き抜いた褐色の刃で真一文字に振るった。するとツカイの者から白き鮮血を噴き出して身体が崩壊する。

 何てことをするんだ!と言おうと思った喜作は寒多郞の刀がザラザラにサビ付いていることに気づいて口を覆った。ここに妖魔が蔓延っていることに気づいて体が硬直してしまう。

 目の前にはいまだふたりを見つめるオオカミたちの眼が森の影から光らせている。寒多郞はその全ての眼を確認して刃を両手で握りなおす。

 しかし、喜作はゆっくり肩をおとした。そして寒多郞にささやく。

 「もうよい・・・この文はお主に託そう」

 喜作は懐から書状を出すと寒多郞に手渡した。

 しかし、相応に黄ばんだ書状からは見えない黒き邪気が手から伝わってきた。

 (なんだ、この気味の悪さは!)

 寒多郞は鞘から褐色色の刀を引き抜きスッと左下から右上にかけて太刀筋を描く。其の中心にある文は空圧によって引き裂かれた。

 すると破れた書状からは記載されていた文面が黒龍の如く飛び出してきた。

 そしてそのまま寒多郞の前身に巻きついて捕縛する。着流しに染み込む墨汁が気色悪いほどに肌にピタリと貼り付く。ヒヤリとして鳥肌か全身に広がってくる。

 寒多郞は反射的に大きく身体を動かしてその緊縛から逃れようと必死だった。しかし、実態の見えない敵に対処の仕様がなくその場に転げまわるばかりだ。

 (ハメられたか!)

  そう考えて喜作の方を見たが男は倒れ込んだまま動かないままだ。それよりもまわりの影に紛れて目を光らせているケモノの息づかいばかりが気になってしまう。

 「餓えたオオカミのエサになるのか・・・。」

 寒多郞は諦めのため息をつこうとした次の瞬間、森の合間から光が通りすぎるのが見えた。死線とも違うそれは気に突き刺さり辺りを灯す。「火だ!」

 「アツ!アツツツツ!」

 そう繰り返す寒多郞は咄嗟に上着をはずしそれをバタバタと扇いだ。いつの間にか自分を縛り上げる文字の帯は消えていた。書かれた墨は火に弱く一瞬のうちに乾燥して崩れ落ちていた。

 救い主の正体が火矢であることに気づくとその火の雨が降り注いで周囲の雑木林を炎上する。その火は奉行所のものがすぐさま倒木させては鎮火させた。御上が強引に事態を収束させたようだ。

 「無事か?」の声とともに闇夜の中から源之進が現れた。

 最初は敵として襲いかかってきた男が救い主として現れることに寒多郞は苦笑する。崩れ落ちた雑木林の黒焦げの中から何人もの死体が奉行所の手のものに搬送されている光景が目につく。

 「あれは?」

 「呪いの秘文の解読者さ。どこからか雇われたか知らんが幕府のよからぬ噂を広めようとしているんだ。」

 「何も殺さんでも。」

 「いや、ここで芽を摘んでしまわねば国元に余計な混乱を招く。情報はいつだって時代を変える魔力があるからな。」

 (森のオオカミであれば死なずにすんだのか・・・)

 ふと滝壺のそばに目をやると喜作の亡骸があった。外傷もなくきれいな遺体だった。

 「役目を終えて旅立ったか・・・」

 「あるいは既に男の魂はあの文に宿っていたのかもしれぬな」

 どちらにせよ、あの男はこの時代を生き抜く術を考えたが見いだせなかった。それだけのことだ。


 そして、舟は運航を再開した。晴れやかな空のものと嘉兵衛の櫂の返しが軽い。

 「結局、上様の秘密とはなんだったのかね。」

 嘉兵衛はふと口にする。

 「実はな・・・。」

 寒多郞は耳打ちした。先代のフンドシに縫われた特に気に入りの腰元の名前を伝えた。無論ウソである。

 「なんだ!くだらねぇ。」

 嘉兵衛は顔を歪ませると自分の仕事に戻った。「まったくだ」と寒多郞は何事もなかったかのように応えた。
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