寒多郎 戦獄始末

聖千選

文字の大きさ
上 下
8 / 13

第八話「伝令の言霊」

しおりを挟む
 向かいの山にまたひとつ灯がともる。煌々としたその山に人だかりができる。四の渡しでこれほどの人だかりができるのは初めてのことだが、対岸への航行は規制の札が貼られている。

 山中に潜伏する逆賊の手配のためである。

 「まったく、御上おかみは俺に死ねと言っているのか」

 嘉兵衛の呟きを受けて寒多郞は山の様子を探りに行った。

 灯の山の暗い麓から繁る山道へ数里すすむ。なれた山道だが、ナマグサがツンと鼻に触れた。

 その先の道端の奥に目を向けるとひとりの男が倒れている。

 「おい!」と声をかけてると、寒多郞のぶら下げた水筒の音に反応を示している。男の身体を仰向けにして分厚い口に水を注いだ。

 (まるで木乃伊ミイラだな・・・)

 老兵はそこで息を吹き返す。

 目覚めた男は救い主を確認すると即座に体を変えて手をついてひれ伏した。

 「なんたる恩義を承りこの喜作、お礼してもしきれませぬ!」

 老ぼれの思いのほか溌剌はつらつとした声に寒多郞は目を丸くするものの安堵の笑みを浮かべる。

 そんな思いも束の間、老ぼれのまわりに殺気を感じたので思わず抜刀して構えた。

 (まさか、この老ぼれがお尋ね者か?)

 疑念もすぐにかき消され寒多郞の刃に挑むものがいた。源之進である。源之進の白刃は上段より振りかざされたので寒多郞は自身の赤刃で応じた。

 「貴様とは一度は刀を交えたいとおもっていたが、まさかこことはな」

 「遊びのつもりか?」

 「クタクタの落武者をいたぶるとは、御上おかみのすることとはおもえぬな・・・」

 「お前もこちらに来ればわかることだ!」

 源之進は寒多郞の挑発するようにガリガリと刃を削いだ。寒多郞はそれを嫌って源之進のみぞおちに左足で蹴りこむ。思わず刃を外して身体を丸める源之進の隙をついて寒多郞は反対側へ逃げ出した。

 「こい!」

 寒多郞の声に喜作はついていく。

 老兵の脚力はそれに遅れをとることはなかった。その気になれば全力の寒多郞を抜き去ることは容易たやすいことだろう。

 「どうして、御上に狙われているのだ?」

 「わからん・・・ワシはこの文を御屋形さまに頼まれたふみを届けられればそれでよいのじゃが・・・」

 寒多郞の問いかけに喜作は懐から滲んだ包み紙を引き抜いた。

 (その手紙に徳川幕府を転覆させるような内容が書かれているのか・・・)

 その伝令はその使命をもって逃げ続けてもう三十年になる。

 どうやら男はこの手紙の情報を元手に様々なよからぬ輩と取引をしてこれまで食い繋いでいたのだろう。

 この男の周りの闇夜に紛れて待ち構えている飢えたオオカミの殺気がそれを物語っている。それは徳川の間者だけで無いことを寒多郞はわかっていた。

 いつの世も情報が高値で売れることがある。それがどんなに誇大で尾ひれのついたことでも聴衆が共感し満足すれば値は付く。彼はそうして生き延びてきた。

 (三十年前からこの男の戦国は終わっていないのか・・・)

 「だがそれも今日で終わりさ」と笑みをみせる。

 人伝ひとづての情報で喜作の国の使いのものと連絡がつき、この山に流れる唯一の滝壺で落ち合うことができるというのだ。

 その場所に着いた頃には東の空が少しずつ明るくなろうとしていた。滝は昇りゆく朝陽に反射してキラキラした水流を際立たせた。

 喜作の探したツカイの男はその滝壺のそばの岩場に腰を落としていた。

 喜作と同じほどの齢のシワが首すじにみえる。「お待ちしてましたぞ!」と同世代とあった喜びに声をかけて喜作も陽気に応えた。喜作の胸当てにあしらわれた家紋と同じ刺繍をした仕立てたばかりの反物たんものをまとっている。

 「例のもは?」と尋ねられたので喜作は懐から包み紙を取り出す。寒多郞は咄嗟にその手を止めた。

 「お前は誰だ?」

 寒多郞は引き抜いた褐色の刃で真一文字に振るった。するとツカイの者から白き鮮血を噴き出して身体が崩壊する。

 何てことをするんだ!と言おうと思った喜作は寒多郞の刀がザラザラにサビ付いていることに気づいて口を覆った。ここに妖魔が蔓延っていることに気づいて体が硬直してしまう。

 目の前にはいまだふたりを見つめるオオカミたちの眼が森の影から光らせている。寒多郞はその全ての眼を確認して刃を両手で握りなおす。

 しかし、喜作はゆっくり肩をおとした。そして寒多郞にささやく。

 「もうよい・・・この文はお主に託そう」

 喜作は懐から書状を出すと寒多郞に手渡した。

 しかし、相応に黄ばんだ書状からは見えない黒き邪気が手から伝わってきた。

 (なんだ、この気味の悪さは!)

 寒多郞は鞘から褐色色の刀を引き抜きスッと左下から右上にかけて太刀筋を描く。其の中心にある文は空圧によって引き裂かれた。

 すると破れた書状からは記載されていた文面が黒龍の如く飛び出してきた。

 そしてそのまま寒多郞の前身に巻きついて捕縛する。着流しに染み込む墨汁が気色悪いほどに肌にピタリと貼り付く。ヒヤリとして鳥肌か全身に広がってくる。

 寒多郞は反射的に大きく身体を動かしてその緊縛から逃れようと必死だった。しかし、実態の見えない敵に対処の仕様がなくその場に転げまわるばかりだ。

 (ハメられたか!)

  そう考えて喜作の方を見たが男は倒れ込んだまま動かないままだ。それよりもまわりの影に紛れて目を光らせているケモノの息づかいばかりが気になってしまう。

 「餓えたオオカミのエサになるのか・・・。」

 寒多郞は諦めのため息をつこうとした次の瞬間、森の合間から光が通りすぎるのが見えた。死線とも違うそれは気に突き刺さり辺りを灯す。「火だ!」

 「アツ!アツツツツ!」

 そう繰り返す寒多郞は咄嗟に上着をはずしそれをバタバタと扇いだ。いつの間にか自分を縛り上げる文字の帯は消えていた。書かれた墨は火に弱く一瞬のうちに乾燥して崩れ落ちていた。

 救い主の正体が火矢であることに気づくとその火の雨が降り注いで周囲の雑木林を炎上する。その火は奉行所のものがすぐさま倒木させては鎮火させた。御上が強引に事態を収束させたようだ。

 「無事か?」の声とともに闇夜の中から源之進が現れた。

 最初は敵として襲いかかってきた男が救い主として現れることに寒多郞は苦笑する。崩れ落ちた雑木林の黒焦げの中から何人もの死体が奉行所の手のものに搬送されている光景が目につく。

 「あれは?」

 「呪いの秘文の解読者さ。どこからか雇われたか知らんが幕府のよからぬ噂を広めようとしているんだ。」

 「何も殺さんでも。」

 「いや、ここで芽を摘んでしまわねば国元に余計な混乱を招く。情報はいつだって時代を変える魔力があるからな。」

 (森のオオカミであれば死なずにすんだのか・・・)

 ふと滝壺のそばに目をやると喜作の亡骸があった。外傷もなくきれいな遺体だった。

 「役目を終えて旅立ったか・・・」

 「あるいは既に男の魂はあの文に宿っていたのかもしれぬな」

 どちらにせよ、あの男はこの時代を生き抜く術を考えたが見いだせなかった。それだけのことだ。


 そして、舟は運航を再開した。晴れやかな空のものと嘉兵衛の櫂の返しが軽い。

 「結局、上様の秘密とはなんだったのかね。」

 嘉兵衛はふと口にする。

 「実はな・・・。」

 寒多郞は耳打ちした。先代のフンドシに縫われた特に気に入りの腰元の名前を伝えた。無論ウソである。

 「なんだ!くだらねぇ。」

 嘉兵衛は顔を歪ませると自分の仕事に戻った。「まったくだ」と寒多郞は何事もなかったかのように応えた。
しおりを挟む
お読みいただきありがとうございます。全13話。最終回は3月8日になります。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

【完結】『口口口 -ろろろ-』 ~江戸西国、妖怪ファンタジー~ 

白楠 月玻
歴史・時代
外の世界にあこがれる臆病な少年と、幕府の命令を受けて旅をする少女の出会いの物語。 舞台は江戸時代中期の小さな山村。 乱世が終わり、庶民文化が花開く裏側で世界を蝕むモノがいた。 あの世とこの世の境目がほつれ、交わり、侵入してきた「怪異」たち。 少年が出会った少女の使命は、人々をあの世へ誘う怪異を退治すること。 呪われた少年と呪われた少女の妖怪ファンタジー開幕!

狂乱の桜(表紙イラスト・挿絵あり)

東郷しのぶ
歴史・時代
 戦国の世。十六歳の少女、万は築山御前の侍女となる。  御前は、三河の太守である徳川家康の正妻。万は、気高い貴婦人の御前を一心に慕うようになるのだが……? ※表紙イラスト・挿絵7枚を、ますこ様より頂きました! ありがとうございます!(各ページに掲載しています)  他サイトにも投稿中。

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。 土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──? 激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。 参考・引用文献 土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年 図説 新撰組 横田淳 新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...