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第十章・蒼竜ヴァリトラ

肉体はなくとも

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 ヘルメスたちが風の王都を訪れるのを待つ間、とにかくやることがたくさんあった。

 魔族との戦いに於いて必要になるだろう武具の検討や、風の王都から火の王都までの食料や道具の調達、火の王都まで向かう風の国の精鋭部隊の選出。ヴェリア王妃たるテルメースはまだ目を覚まさず、エクレールが付きっきりで看病をしている。
 グラムやヴィーゼに大きな怪我はなかったものの、ヴィーゼが率いていた風の騎士団には重軽傷者が大勢いた。カミラやヘルメスといった高度な治癒魔法を使える者がいない今、これが当面の大きな問題だ。

 ジュードは王城の中庭で、そっとため息を吐きながら空を見上げた。

 魔族と真正面からぶつかる際に、魔法による迅速な治療ができないのは非常に困る。叩く力がいくら揃ったところで、使い手が重い傷を負えば、せっかくの力も活かせずに終わってしまう。体勢が整い次第、恐らくはヘルメスが共に戦ってくれるだろうが、果たして次期国王たる彼を最前線に連れて行ってもいいものかどうか。
 すると、いつものように傍らにふっとジェントが姿を現した。


『どうした、ジュード。難しい顔をして……』
「あ、いえ。エクレールさんもそうですけど、これからの戦いにヘルメス王子をお連れするのはどうなのかな、と思って……もし万が一のことがあったら、ヴェリアの血が絶えてしまうわけだし……」


 ヴェリア国王が既に亡くなっている今、勇者の血を後世に継いでいけるのはジュード、ヘルメス、エクレールの三人しかもういないのだ。とはいえ、ヴェリアの歴史は永く続いてきたために、その血ももう随分と薄くなってはいるだろうが。


『誰が反対しても、ヘルメス王子は聞かないと思うが』
「……そう、ですかね?」
『きみの兄上だろう? 途中で意志を曲げない頑固なところは、きっと兄弟そっくりだよ。エクレール王女だってそうだ』


 その返答に、ジュードは苦笑いを返すしかなかった。確かにジュード自身、決めたことは途中で投げ出さないと決めている。だが、途中で挫折しそうになってもちゃんと貫くことができたのは、この亡霊のお陰でもあるのに――そう言おうと思って、やめた。


『……それに、ヘルメス王子もエクレール王女も、多くの者を目の前で失ってきたことだろう。その仇を、無念を自分たちの手で晴らしてやりたいと……思うだろうさ』
「……そうですね」


 ヘルメスやエクレールが、これまでヴェリア大陸でどのような生活を送り、どのような戦いを繰り広げてきたのか。ジュードたちには想像することしかできないが、きっと笑い合っていた仲間が翌日には魔族に殺される、なんてことも少なくなかったはずだ。散っていった同胞の仇を討ちたいと思っても、何もおかしいことはない。

 心配している旨を話しはするけど、無理に止めることはやめておこう。
 ジュードがそう思った時、不意に大きな影がかかった。鳥だとか何かではない、とにかく非常に大きい影。この中庭の半分ほどはありそうな。慌てて空を見上げてみると、そこには――数え切れないほどの人の姿。あろうことか、その中にはカミラの姿も見えた。


「あ……っ! ジュード!」
「え、え……!?」


 突然のことに理解が追いつかず「なんで、どうして」と疑問を抱いた時には既に遅く、どこからか突如現れた大勢の人間たちは、重力に倣ってそのままジュードの上へと落ちてきた。


 * * *


 突如中庭に現れた者たちは、よくよく見てみれば療養のために水の王都に残ったヴェリアの者たちだった。けれど、どうしたことか、そのヴェリアの騎士たちはいずれも怪我人揃いで、中には意識がない者もいた。
 カミラたちが突然現れたことに気づいた仲間たちは、各々自由な行動をしていたこともあって、それぞれやや遅れてあちこちから駆けつけてくる。

 カミラが語った話に、ジュードはその場に座り込んだまま唖然とするしかなかった。いきなり複数人が上から落ちてきたせいで身体のあちこちが痛むが、そんなことは気にならないほど。


「お願い、ジュード! ヘルメスさまを助けて!」


 ――カミラたちは、順調にこの風の国まで向かっていたという。
 しかし、風の国に入る直前に魔族の襲撃を受けたかと思いきや、あの大臣が自分たちを裏切ってヘルメスに傷を負わせたらしい。麻痺の毒を塗り込んだ一撃はヘルメスの身体の自由を奪い、分が悪いと踏んだヘルメスはカミラたちだけでも逃そうと転送魔法を使ったとのこと。転送先は――ジュードに託した、ケリュケイオンの元。そのため、ケリュケイオンのある場所、つまりジュードの真上にカミラたちは転送されたというわけだ。

 その話を聞いて、エクレールは脇に下ろした拳をわなわなと震わせた。


「大臣……あの男、許せませんわ……!」
「なんてやつなのかしら、とんでもないわ!」
「あの魔族、ピエロみたいなふざけた格好をしてた。でも、とても強くて……」


 マナとルルーナはエクレールに同調するように憤慨し、カミラはそんな彼女たちを後目にぽつりと呟く。彼女の顔色は悪く、魔族を前に何もできなかった自分を恥じているようにも見えた。その呟きには、ジュードの肩に乗るライオットとノームが唸る。


「うにに……メルディーヌだにね。あいつ、いったい何のつもりだに……」
「あのメルディーヌが攻撃を仕掛けてくるなんて、おかしいナマァ」
「おかしい?」
『……ヘルメス王子やヴェリアの騎士たちを仕留めるつもりなら、死の雨を降らせる方が効率的だ。それをせずに襲撃してきたということは、狙いは別にあるんだろう』


 メルディーヌの死の雨の浄化方法はわかったが、だからといって脅威が去ったわけではないのだ。ジェントの言うように、ヘルメスたちを簡単に倒す方法はメルディーヌだからこそ持っているはず。それをしなかったということは、何かしらの理由があるのだろう。


「そんなこと言ってる場合じゃない! 早くヘルメスさまを助けに行って!」
「……いや、今から行っても間に合う距離じゃない。この王都から関所の向こうまでは、馬を飛ばしても半日はかかる」


 カミラの懇願に対して冷静に言葉を返したのはウィルだ。王都とカミラたちがいただろう場所を簡単に考えても、あまりにも時間がかかりすぎる。全身に麻痺の毒が回っただろうヘルメスが――半日もの間、無事でいられるとは思えなかった。
 ウィルの言葉にカミラはサッと青ざめると、その場にへたり込んで深く項垂れる。それ以外にできることがなかった。


「……みなさま、あれは何でしょうか?」


 誰もがどう声をかければいいかわからずにいる中、ふとリンファが空を見上げて呟いた。その隣にいたシルヴァが同じように空に目を向けると、快晴の青空に灰色の雲がもくもくと集まっていく様子が見て取れる。風に吹かれて動いているというよりは、まるで自ら意思を持って集まっているようだった。


「――あれは……!?」


 その雲は、やがて人の顔のような形になっていく。程なくして、現れたのは――アルター遺跡で倒したはずの、ヴィネアの顔だった。その顔は口角を上げてニタリと笑い、中庭に集まるジュードたちを見下ろす。
 そうして、辺りに暴風を巻き起こし始めた。遺跡での仕返しだとでも言わんばかりに。
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