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第九章・不可侵の領域
勇者か臆病者か
しおりを挟むそれから更に四日ほどが経ち、一週間が経過した頃、書斎に大量にあった本は半分ほどが読み終えたものとして綺麗に部屋の隅に積み上げられていた。
魔法書は他に三冊ほど見つかり、マナやルルーナはそれを学習しながら毎日のように精神空間で実践している。今のところ思うような成果は出ていないようだが、ほんの数日で修得できるほど簡単な魔法ではないということだろう。逆に完全にモノにできた時、どれほどの破壊力になるのか期待が高まる。
昼食を終えたジュードとウィルは揃って食堂を後にすると、各々書斎と中庭へと足先を向けるのがここ最近の常だったのだが、今日は中庭に向かおうとするジュードをウィルが引き留めた。
「なあ、ジュード。お前、勇者様からこの屋敷のこと何か聞いてないか?」
「え、何かって?」
その思いがけない問いかけに、ジュードは足を止めて彼を振り返る。すると、その傍らにいたちびも同じように振り返った。人間と魔物、種族も姿かたちもまったく違うのに、そういう反応はそっくりだ。
「何か」も何も、この一週間はほとんどジェントと一緒にいないのだ。共にいる時間はウィルの方がずっと長い。彼の言わんとすることがよくわからずに、ジュードは次の反応を待った。
「いや……なんか、ちょっと変だなと思ってさ。ここはグラナータ博士が余生を過ごした場所だって、イスキアさんが言ってただろ。勇者様と博士は一緒に戦った仲間のはずなのに、勇者様はこの屋敷のことを知らないみたいだった」
「あ……」
そこまで言われれば、さすがのジュードもウィルが何を言わんとしているかはわかる。
ジェントとグラナータは、共に魔大戦を戦い抜いた英雄だ。もちろん仲間だったのだから、普通ならば魔大戦が終わり平和になった後も交流があってもおかしくない。グラナータがどういう経緯でこの精霊の森の奥深くに引きこもったのかは定かではないが、仲間だったはずのジェントが「知らない」ということがウィルにはどうも不思議だった。まるで、戦後に交流を断ったかのようで。
すると、ジュードが首から提げる小瓶が淡い光を放ったかと思いきや、中からサラマンダーが飛び出してきた。以前は着崩していた和装の前をきっちりと閉め、頻りに二の腕を摩って暖を取っているところを見れば、火の精霊というだけあって寒いのだろう。ここはまだ水の国だ。
「お前ら、いつまでこの国にいるんだよ。寒くて仕方ねえぞ」
「あ、サラマンダー。ごめん、もう少しかな……まだ調べたいことがあってさ」
「ったく、あの野郎がこんな国に屋敷なんか作るから……」
恨めしそうなその様子を見れば、すぐにでも他の国に移りたいところではあるのだが、まだ肝心の情報が見つかっていないのだ。忌々しそうに舌を打つサラマンダーが言う「あの野郎」とは、恐らくグラナータのことだろう。サラマンダーは自分の手の平同士を擦り合わせると、バツが悪そうに中庭の方へと視線を逃がしながら改めて口を開いた。
「……お前らのその疑問はもっともだよ。他の精霊どもがなんで何も言わねえのか、俺様にもさっぱりわからねえ」
「……?」
「どうしてジェントのやつがここを知らないか教えてやろうか。あの野郎はな、ヴェリア王国が築かれ、初代の王を決めなけりゃならねえって時に忽然と姿を消しちまったんだ。仲間も妻も責任も、何もかも捨てて逃げ出した臆病者なんだよ」
吐き捨てるように告げられたサラマンダーの言葉に、ジュードもウィルも絶句するしかなかった。
* * *
その日の夜、日付が変わった頃にジュードは寝室を抜け出すとそのまま書斎へと足先を向ける。渡り廊下からは鬱蒼とした森の様子が窺えるが、自ら淡い光を湛える蛍光花が森の中にいくつも生えているため、不気味さはほとんど感じない。むしろ幻想的な美しい光景だった。
――あの後、サラマンダーは簡単に魔大戦後の話を教えてくれた。
魔大戦の後、人々は約一年ほどで簡単な都をヴェリア大陸に作り、再び魔族が現れないよう見張るためにひとつの国を築いた。それが、十年ほど前まで続いていたヴェリア王国だ。また魔族が現れるかもしれない可能性を考えて、ヴェリア王国には精鋭部隊が置かれ、グラナータ・サルサロッサは宮廷魔術師として魔法部隊の長を任されることになっていた。
けれど、ヴェリア王国の初代王を決めなければならないという頃になって、本来王になるはずだったジェントは――ある日「聖剣を神に返してくる」とだけ告げて、そのまま姿を消してしまったという。当時の仲間や精霊たちは世界中を探し回ったが、痕跡ひとつ見つけられなかった。
宮廷魔術師になる予定だったグラナータは、ジェント以外の王に仕える気はないとして大陸を後にし、各地を放浪した末に精霊の森の奥地にこの屋敷を築いたのだそうだ。
『……? ジュード、まだ起きてたのか?』
書斎に辿り着くと、ノックもせずにそっと扉を押し開ける。書斎の中には今日も変わらずジェントがいる。ジュードたちとは違い生身の肉体を持っていないせいか睡眠を必要としないため、文字通り一日中文献の解読にあたっているのだ。思わぬ時間に訪れたジュードを前に、ジェントは意外そうに目を丸くさせた。
ジュードはジェントの傍に歩み寄ると、近くの壁に立てかけておいた聖剣を手に取る。ジェントの魂はこの聖剣に宿っていてあまり離れられない、だから解読が終わるまで書斎から持ち出せないのだ。
「休憩も必要だってオレに教えてくれたのはジェントさんですよ、ちょっと休憩して散歩でもしませんか?」
『ここに引きこもってもう一週間になるのか……そうだな、少しくらいならいいか』
サラマンダーが嘘を言っているとは思わないし、嘘を言って彼に得があるとも思わない。だから、聞いた話は恐らく本当のことなのだ。
それでも、ジュードにはこの目の前の亡霊がそんなにも無責任な人間には思えなかった。きっと何か理由や事情があったのだと、ジュードはそう思う。聞いたところで、素直に教えてもらえるとは思わないけれど。
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