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第九章・不可侵の領域

「精霊にもわからないもの」

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 翌日、朝も早くからジュードたちは精霊の里の奥地へと足を向けた。
 族長であるラギオが案内してくれるという話だったのだが、あるかどうかもわからない情報を求めてやってきたのだ。どれほどの時間がかかるかわからないこともあり、案内は断ることにした。

 幸い精霊が一緒にいてくれることで、おかしなことをするのではないかと疑われたりはしていないらしい。里の住民たちは昨日のような警戒もなく、すっかり笑顔で送り出してくれた。

 ただ、エクレールはせっかく祖父母に会えたこともあり、彼女は里に残りジュードたちの帰りをラギオの家で待たせてもらうことになった。母に関する色々な話を娘として、また孫として聞きたいのだろう。


「ウィル、大丈夫? 昨日あんまり眠れなかったんでしょ?」
「ほんっと、グラナータ博士の熱狂的なファンなのねぇ。まあ、私も興味はあるけど……さすがに楽しみで眠れないってレベルではないわ」
「イスキア様、聖域という場所には危険はないのですか?」


 マナは隣を歩く――見るからに寝不足ですと言わんばかりの様子のウィルを見遣ると、思わず苦笑いを滲ませた。彼のその目の下にはハッキリと隈が刻まれている。マナの言葉に反応して、彼女の後ろを悠々と歩くルルーナが呆れたように双眸を半眼に細めた。

 寝不足、となると魔物などの襲撃を警戒したのはリンファだ。ウィルは自分やジュード、シルヴァと共に前衛を張る一人。注意散漫な状態では要らぬ生傷をこさえる可能性もある。

 だが、先頭を行くイスキアは鼻歌交じりに歩きながらヒラヒラと片手を揺らした。


「大丈夫よ、そういう危険なものはないから。……けど、この調子だと聖石よりも先に聖域まで行っちゃった方がよさそうね。あっちの方が時間かかるだろうし……」
「時間がかかる……というと、入り組んだ場所にあるのでしょうか?」
「ああ、違う違う。ただ……死の雨の被害者を救う方法を探し当てるのに時間がかかるだろうなぁ、って……本当にあるかどうかもわからないし」


 そうなのだ。あの死の雨の被害者を救う方法が聖域にあるのかはわからない。まさに雲を掴むような話に縋るしかなくここまで来たが、徒労に終わる可能性の方が遥かに高い。

 それでも、今はそのひどく頼りない話に頼るしかない。結果的に方法がなくとも、できる限りのことを精いっぱいやるのと最初から諦めてやらないのとでは、きっとまったく違うだろうから。


 * * *


 森の中を進んでいくと、程なくして祠が見えてきた。
 だが、イスキアはその祠には立ち寄ることなく、更にその後方に続く道へと足先を向ける。どうやら今の祠が聖石のある場所らしい。

 更に奥地に向かうべくしばらく歩いた先、そこは行き止まりになっていた。イスキアはエクレールから借りたケリュケイオンの腕輪を取り出し、それを天高く掲げる。すると、腕輪から眩い閃光が放たれたかと思いきや、行き止まりにしか見えなかった空間がぐにゃりと歪み始めた。今見えているこの光景も幻術により作り出されたもののようだ。


「わあぁ……! そ、それ、その腕輪ってどういうものなんですか?」


 幻術が消し飛び、その先に現れたのは――森にはひどく不似合いなほどの大きな屋敷だった。マナはその光景を目の当たりにして、思わず感嘆に近い声を上げながら屋敷と腕輪とを何度も交互に眺めた。


「ケリュケイオンは様々なものを解除する効果を持った聖杖なのよ。魔族は独自に自分たちを強化する方法を持ってるけど、このケリュケイオンがあればそういう強化効果もかき消すことができるわ」
「へえぇ……じゃあ、魔族がどんなに補助的な魔法とか使って自分たちを強くしても、それがあれば怖くないのね」
「そうだに、ルルーナのガンバンテインと併せて使えば楽になるはずだに」


 ジュードたちの方で言う、ルルーナが得意とする補助魔法の効果などをかき消す――という解釈でいいのだろう。魔族とてまだ本気を出してはいないだろうが、その話は何とも有難いものだった。


 屋敷の中は、数千年前のものとは思えないほど綺麗で、生活感は見られないものの普通に人が住んでいてもおかしくはない状態が保たれていた。突き当たりには両開きの大扉がある他、左右にいくつも道が分かれ、階段もある。吹きさらしになっている高い天井を見上げてみると、二階、三階の廊下が見えた。間違いなく広い屋敷だ。

 それに――


『……この屋敷、精神空間マインドスペースに近い空間だな』
「え? あ、本当だ。ジェントさんに実体がある……」


 普段は実体を持っていないために触れることのできないジェントの身に、当たり前のように触れることができた。しかし、ジュードたちは別に精神体になっているわけではないらしく、精神空間マインドスペースとはまた少々違う空間でもあるようだ。

 イスキアが先導する後ろについて歩いていくと、やがてひとつの大部屋に辿り着いた。壁一面にある大きな本棚と、それらの本棚全てを埋め尽くしても足りなかったらしい本が床や机に山のように積まれた――恐らくは書斎らしき場所。イスキアはその有り様を確認すると、にっこりと胡散くさいまでの笑みを相貌に貼り付けてジュードたちを振り返る。


「さぁて、ここがそうよ。みんなで頑張って探しましょうね♡」
「あ、あの……ここにあるのって、もしかして全部……」
「グラナータさんが遺した文献ナマァ」


 ウィルがやや興奮気味に言葉をかけると、ジュードの肩に乗るノームがいつもと変わらずおっとりとした口調で答えてくれた。全部でいったい何冊になるのか、数えるのも億劫なほどの量だ。軽く見ても千は超える。確かに、これだけあればもしかしたら、という気にはなる。

 ウィルはふらりと誘われるように書斎の奥に足を進めると、近くに落ちていた本をひとつ拾い上げてみた。憧れの天才博士がこの書斎で何を記していたのか、後世に何を遺そうとしていたのか。表紙にそっと触れるだけで、感極まってしまいそうだった。大切そうに表紙を開いてみたところで――そのまま固まってしまった。


「ウィル、どうしたの?」
「何かすごいもの見つけたか?」


 そんな彼の様子にマナとジュードがそれぞれ両脇に歩み寄り手元を覗いてみるものの、どちらの表情もすぐに怪訝そうなものへと変わった。暫しそのままの状態で固まった後、ジュードは自分の肩に乗るライオットとノームを見遣る。


「なあ、これ……何語なんだ?」
「……みんなが普通に使ってる言語だによ」
「グラナータさんは絶望的なまでに字が下手だったんだナマァ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、じゃあ“精霊たちにもわからないもの”って……単純に字が下手過ぎて読めないってだけ!?」


 ウィルが開いた本に書かれていたのは、ミミズが這ったようなもの――と言うのもおこがましいレベルのひどい文字が紙面にびっしりと書き込まれていた。

 マナが上げた声にイスキアは苦笑いを浮かべると、その言葉を肯定でもするようにお手上げとばかりに両手を肩くらいの高さまで引き上げて力なく揺らす。

 ただ「読む」だけでなく解読までしなければならないとなると、想像以上にずっと時間がかかりそうだった。
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