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第四章・精霊
相棒参上!
しおりを挟むそれから、ジュードがけたたましい足音を立てて階下へ降りてきたのは数分後のこと。
朝食をテーブルに並べていたマナは何事かとそちらを見遣り、挨拶もそこそこに玄関へ向かうジュードの背中に思わず声をかけた。
「ちょ、ジュード、どうしたの!?」
「マナ、悪い! オレ、飯はあとでいい!」
「え、ええぇ!? ちょっと、ジュード!」
マナの返事も聞かず、ジュードは大慌てで外へと飛び出していった。それは一瞬の出来事で、まさに嵐のような瞬間。後に残されたマナは呆然とし、彼女を手伝っていたリンファも、トレイを胸の辺りに抱えて玄関を見つめていた。
「ジュード様、どうされたのでしょうか」
「さ、さあ……ほんと、どうしたのかしら……」
外で花の水遣りをしていたカミラと、そんな彼女と談笑するウィルやメンフィスは家から飛び出してきたジュードを見て目を丸くさせる。
その大慌てな様子に三人とも呆気に取られはしたが、真っ先に反応したのはウィルだった。目の前を突っ切っていきそうな勢いのジュードの腕を咄嗟に捕まえる。
「――っとと、おいおいどうした? 何かあったのか?」
ジュードは止まったが、どこか興奮冷めやらぬ様子でウィルを振り返る。心なしか、その目は普段より輝いているように見えた。確認するまでもなく嬉しそうだ。
「あ、ウィル」
「あ、ウィル。じゃない、どうしたんだよ」
取り敢えず、何かよくないことがあったわけではないらしい。何かがあったのだとしたら、ジュードがこれほどまでに嬉しそうな顔をしているはずがない。そう考えて、ウィルは小さく安堵を洩らしながら手を離す。どうしたのかと、カミラやメンフィスも不思議そうに首を捻っていた。
「いや、それがさ、父さんが――」
ジュードの言う『父さん』は当然ながらグラムだ。
彼ならばジュードを喜ばせることは容易だろう。しかし、何を言えばここまで嬉しそうな顔をするのか。
ウィルがそこまで考えた時――不意に、近くの林から黒い何かが飛び出してきた。
「――ジュード!!」
それは真横からジュード目掛けて飛びついた。
程なくして、それが魔物のウルフであることにウィルたちは気付く。ウルフがジュードの真横から飛びかかり、彼の身を張り倒したのだ。ウィルとメンフィスは咄嗟に武器を引き抜き、カミラは驚きを隠せず両手で口元を覆っていた。
ジュードの身にのしかかるウルフは、通常のものよりひと回りは大きい図体をしている。自らの下に敷いたジュードを見下ろし、大口を開けて喰らいついた。
――はずだった。
「……あれ?」
間の抜けた声を洩らしたのはウィルだ。メンフィスやカミラも、暫しの後に怪訝そうな面持ちで警戒を解く。
なぜなら、ウルフがジュードに喰らいつく勢いで彼の顔面を舐め回したからだ。ジュードの方にも警戒した様子はないし、慌てた様子さえ見せぬまま呑気に笑い声さえ上げていた。そこで、ウィルは「あ」と小さく声を洩らして武器を下ろす。
「ははは! こら、やめろって、ちび!」
一方、下に敷かれたジュードは両手を伸ばしてウルフの大きな身を撫で回していた。まるで犬でも可愛がるように。ぎゃおん、ぎゃうう、とウルフは甘えた声を出して、それでもジュードの顔を舐め回すのをやめない。ジュードだけでなく、こちらのウルフも非常に嬉しそうだ。ふさふさの長い尾は、千切れんばかりに左右に大きく振られている。そんな様子を見て、ウィルは確信した。
「ちび、って……あいつ、帰ってきたのか」
「ウィル?」
「ああ、あれは……昔、ジュードが可愛がってたウルフなんだ。母ウルフを殺されてひとりぼっちになったのをそのまま保護したとか……」
「ちび」は、まだ子ウルフの時にジュードと出逢い、一緒に遊んでいた魔物である。ウィルがグラムに拾われた時には、既にちびはジュードの友達だった。二人の出会いをウィルは知らないが、大変仲がよかったと記憶している。いつもジュードの後ろをついて回って遊んでいた、相棒のような存在。
ちびは魔物でありながらジュードによく懐いていたし、ジュードはそんなちびをとても可愛がっていた。ウィル自身も魔物に襲われた際に、ちびに助けられたことがある。
「一度、ミストラルの兵士が魔物の一斉討伐を行ったことがあって、その時にジュードが山奥に逃がしたんだよ」
「討伐されちゃうから?」
「そう。……けど、帰ってきたんだな。随分とデカくなったもんだ」
恐らく、ちびが帰ってきている旨をグラムから聞いて、ジュードは家を飛び出したのだろう。ちびに会いに行こうとしたところを引き止めてしまったのだ。
「ちび、おかえり」
「わおん!」
「大きくなったなぁ」
「わうぅ!」
見た目は迫力もあるのに、その迫力を裏切るように鳴き声は非常に甘えたものだった。それどころか、ちっとも「ちび」ではない。成長した今は、既にジュードよりも遥かに大きい。ジュードの言葉に応えるように洩れる声は、魔物というよりはただの犬である。
呆気に取られるカミラやメンフィスを後目にウィルはそちらに歩み寄ると、ジュードとちびを何度か交互に見遣った。
「……って言うかさ、ジュード。お前なんでわかるんだよ」
「え?」
「俺には、どれも普通のウルフにしか見えないんだけどなぁ」
黒い毛に覆われた獣の姿は、どう見ても普通のウルフだ。ただ他のものより大きいというだけで。いったいどこを見てジュードは「ちび」と判断しているのか、当時からの疑問ではあるのだが、ウィルには違いがまったくわからない。
ジュードは依然としてちびの下になったまま、自分にのしかかる巨体を見上げる。だが、すぐに眦を和らげて笑うと、片手をちびの鼻先に伸ばしてそこを撫でつけた。
「目かな」
「目?」
「うん。他のウルフより優しい目をしてるんだよ、ちびは」
その返答を聞いてウィルはちびを見たが、やはりウィルの目には違いが感じられなかった。そもそも、ウルフの一匹一匹をそんなにじっくり観察したことなどない。そんな彼の心情も露知らず、ジュードは程なくして身を起こす。それに倣い、ちびは大人しく彼の上から降りた。
「う~ん、じゃあ……他のウルフとごちゃ混ぜにならないように工夫が必要かなぁ。エンプレスのウルフは赤いから混ざらないとは思うけど……首にバンダナでも巻こうか」
「え? お前……これ、連れてくの?」
「そのつもりだけど」
これ、とちびを指し示すウィルを見て、ジュードは当然のように頷いた。一度こそ咎めようとはしたのだが、彼の真横で所謂「おすわり」をしながら嬉しそうに尾を揺らすちびを見ると、もう何も言えない。
ジュードを咎めたとしても、ちびがジュードから離れるとは思えなかった。
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