77 / 230
第四章・精霊
親子になるまで・4
しおりを挟む当のジュードは、必死に森の中を走っていた。頭の中に、耳鳴りのような音が響く。それと共に助けを求めるような、恐怖に染まった声も。
――たすけて、たすけて、こわい。
そんな声だった。
聞き間違いかと一度は思ったが、それでもジュードはその声を放ってはおけなかった。その声が、すぐ近くの森の中から聞こえてきたのだ。ジュードはグラムの帰りを待たずに森の中に飛び込んだ。声の出所は不思議とわかる。どこで呼んでいるのか、どこに声の主がいるのか。
更に奥に向かうと、人の声が聞こえてきた。
「オラ、もう逃げられねぇぞ!」
「ったく、ザコはザコらしく刀の錆になれよ!」
それは二人組の大人、傭兵だった。ジュードは男二人の声を聞きながら、そっと木の陰からそちらを覗き込む。
そこにはウルフの親子がいた。小さな二匹の子ウルフは、その腹部から大量の血を流して力なく横たわっていた。大柄な――母親と思わしきウルフは残った一匹の子供を守ろうと四足をしっかりと大地に張り、威嚇するように牙を剥き出しに唸る。だが、戦い慣れた傭兵がそれで怯むことはない。
――たすけて、こわい。
その声は、母ウルフの後ろで震える子ウルフから発せられていた。
「ギャウウウゥッ!!」
その矢先、無情にも傭兵の男は刃を振るい――至極当然のように母ウルフの身を切り裂いたのだ。男の刃に斬られ、母ウルフが力なく地面に倒れ込む様はジュードの目にスローモーションのように映った。
母ウルフは、それでも必死に立ち上がって残った一匹の子ウルフを守ろうと、逃がそうとする。だが、傭兵たちは魔物相手に容赦というものをしない。人間から見て魔物は悪なのだから当然だ。
そして動かなくなって、ようやく満足するのだ。だが、そこで終わることはなく、次に男たちは残った一匹の子ウルフに向き直る。
「こんなの倒したって、足しにもならねぇだろうけどな」
「まあ、魔物なんか生きてたって何の役にも立たないんだからよ。正義の味方よろしく駆逐しとこうぜ」
そんな傭兵二人を前に、子ウルフは小さな身を震わせながら必死に母ウルフに呼びかける。辺りに広がる血の海、その中央に倒れた母の腹部を何度も舐め上げて覚醒を促したが、既に母ウルフは息絶えていた。当然何の反応も返らない。
――たすけて、たすけて、こわい。
その言葉と、眩暈がするほどの恐怖の感情が不意にジュードの中に流れ込んできた。だからこそ、咄嗟にジュードは木の陰から飛び出し、傭兵たちに声を向ける。
「――やめろ!!」
すると、傭兵二人はジュードの方を振り返った。一度こそ驚いたように目を丸くさせたが、すぐにニヤニヤと笑いながら緩慢な足取りで正面へと歩み寄ってくる。
「……なんだぁ? ボウヤ、迷子かい?」
「おい、迷子の相手する前にさっさとこっち片付けちまおうぜ」
ジュードわしわしと頭を撫でてくる男の手を振り払い、慌てて駆け出した。子ウルフを狙う男の片足にしがみついて、必死に声を上げる。
「やめろ、やめろったら! その子、すごく怯えてるじゃないか!」
「はあぁ? ボクちゃん何言ってんの? アタマ大丈夫?」
男は煩わしそうに表情を顰めると、足にしがみつくジュードの襟首を掴んで乱暴に放る。しかし、尻餅をついて痛む臀部を摩りながら、ジュードはすぐに立ち上がって同じように男の足にしがみつく。それには男も苛立ったらしく、眉を寄せてジュードの胸倉を掴み上げた。
「ううっ」
「オマエさぁ、なんなの? 魔物なんか庇うなんて、お前も魔物の仲間か?」
そう言いながら、男は逆手でジュードの頬を思い切り殴りつけた。小さな身はいとも簡単に吹き飛び、今度は地面に背中を打ち付ける。成長しきっていない身はやや高い位置から落下しても致命的な負傷にはならないが、傭兵たちは武器の切っ先を今度はジュードに向けた。
「変なガキだぜ、本気で魔物か何かなんじゃないのか? 魔物を庇うガキなんざ聞いたことがねぇや」
「こんなガキ一匹、死んだって何でもねーだろ。やっちまうか」
ジュードが身を起こすと、男二人は剣を片手に歩み寄ってくる。その表情には確かな愉悦が滲み出ていた。弱者を甚振り、嬲ることに確かな楽しみと優越感を感じているのだ。
――しかし、そんな時。
「――ジュード! 貴様ら、何をやっている!!」
「なに!? あれは……ま、まさか、グラム・アルフィア!?」
「やべえ、逃げろ!!」
グラムは、腕のいい鍛冶屋として世界中に知れ渡っているが、優秀な剣士としても傭兵や魔物狩りの間では知られている。そんなグラムと、真っ向からやり合おうとする者はそうそういない。
傭兵二人は駆けつけたグラムの姿に目を見開き、大慌てで逃げていった。それを確認してグラムは安堵を洩らすと、ジュードは大丈夫かとそちらに視線を向けて――咄嗟に声を上げた。
「……! ジュード、やめなさい!」
なぜなら、ジュードが子ウルフに歩み寄っていたからだ。子供とは言え魔物。牙こそまだ成長過程にあるが、それでも子供の身を喰らうことは充分にできる。
ジュードはそのまま怯える子ウルフに近寄ると、そっと傍らに屈んだ。子ウルフは母のように威嚇すべく唸り声を洩らしながら、小さなその身を恐怖に震わせてジュードを睨み上げていた。
「……もう、だいじょうぶだよ」
ジュードは子ウルフに優しく声をかけ、安心させるように手を伸ばす。
しかし、その矢先だった。
子ウルフは大きく口を開け、伸ばされたジュードの手に思い切り咬みついたのである。
「――ジュード!!」
グラムは大慌てでそちらに駆け出したが、子ウルフはジュードの手に咬みついたまま離そうとしない。このまま力任せに捻られれば、彼の細い腕など簡単に千切られてしまう。
ジュードは咬みつかれた際にその痛みから表情こそ顰めたしたが、怯えるようなことはなかった。逆手でそっとウルフのふわふわの頭を撫でる。
「……大丈夫、大丈夫だよ。こわくないからね」
グラムはウルフの身を斬ろうとはしたのだが、小さく――しっかりと呟かれたその言葉に躊躇う。そしてグラムを驚かせたのは、その数拍後にウルフがそっとジュードの手から口を離したことだ。それだけでなく、自分が咬みついて傷になったそこを舌で舐め始めたのである。ごめんなさい、とでも言うように。
そんなウルフのふわふわの毛に覆われた暖かい身を抱き締めて、ジュードは静かに目を伏せる。
「……ごめんね、ごめんね……おかあさん、助けてあげられなくて、……ごめんね」
子ウルフはジュードの言葉に応えるかの如く「きゅうぅ」とか細く鳴き、そんな彼の肩口に鼻先を埋めて甘えるように身を委ねる。
グラムはそんな光景を前に言葉を失ってしまった。
「(この子は、まさか……魔物と心を通わせるというのか……!?)」
そんな例は、今までになかった。魔物と人は相容れない存在であると幅広く世界に知れ渡っていたし、人を襲い生活を脅かす魔物はいつだって「悪」なのだから。
しかし、ジュードはそんな「当たり前」をいとも簡単に乗り越えて魔物と心を通わせたのだ。
ただただ、驚くしかなかった。
しかし、純粋に興味を持ったのもまた事実である。子ウルフの頭や背を優しく撫でつけるジュードを見下ろして、グラムはひとつ言葉を向けた。
「……ジュード、親が見つかるまでワシと一緒に暮らさんか?」
その誘いに、ジュードはグラムを見上げて不思議そうに目を丸くさせた。
0
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
バイトで冒険者始めたら最強だったっていう話
紅赤
ファンタジー
ここは、地球とはまた別の世界――
田舎町の実家で働きもせずニートをしていたタロー。
暢気に暮らしていたタローであったが、ある日両親から家を追い出されてしまう。
仕方なく。本当に仕方なく、当てもなく歩を進めて辿り着いたのは冒険者の集う街<タイタン>
「冒険者って何の仕事だ?」とよくわからないまま、彼はバイトで冒険者を始めることに。
最初は田舎者だと他の冒険者にバカにされるが、気にせずテキトーに依頼を受けるタロー。
しかし、その依頼は難度Aの高ランククエストであることが判明。
ギルドマスターのドラムスは急いで救出チームを編成し、タローを助けに向かおうと――
――する前に、タローは何事もなく帰ってくるのであった。
しかもその姿は、
血まみれ。
右手には討伐したモンスターの首。
左手にはモンスターのドロップアイテム。
そしてスルメをかじりながら、背中にお爺さんを担いでいた。
「いや、情報量多すぎだろぉがあ゛ぁ!!」
ドラムスの叫びが響く中で、タローの意外な才能が発揮された瞬間だった。
タローの冒険者としての摩訶不思議な人生はこうして幕を開けたのである。
――これは、バイトで冒険者を始めたら最強だった。という話――
おっさんの神器はハズレではない
兎屋亀吉
ファンタジー
今日も元気に満員電車で通勤途中のおっさんは、突然異世界から召喚されてしまう。一緒に召喚された大勢の人々と共に、女神様から一人3つの神器をいただけることになったおっさん。はたしておっさんは何を選ぶのか。おっさんの選んだ神器の能力とは。
NineRing~捕らわれし者たち~
吉備津 慶
ファンタジー
岡山県の南、海の側に住んでいる高校二年生の響が、夜遅く家を飛び出し一人浜辺を歩いていると『我をおさめよ、されば導かれん』の声がする。
その声の先には一つのリングが輝いていた。リングを指にはめてみると、目の前にスタイル抜群のサキュバスが現れる。
そのサキュバスが言うには、秘宝を解放するために九つのリングを集め、魔王様と魔族の世界を造るとの事。
そのために、お前を魔族の仲間に引き入れ、秘宝を手に入れる手助けをさせると、連れ去られそうになった時、サキュバスに雷が落ちて難を逃れ、サキュバスが彼の下僕となる。しかしサキュバスの魔封じのクリスタルで、何の力も持たない響は連れ去られてしまう。
しかし、おっちょこちょいなサキュバスのおかげで、現代から未来世界に渡り。未来世界の力を得た響が、その後異世界に渡り、リングを探す事になる。
神の宝物庫〜すごいスキルで楽しい人生を〜
月風レイ
ファンタジー
グロービル伯爵家に転生したカインは、転生後憧れの魔法を使おうとするも、魔法を発動することができなかった。そして、自分が魔法が使えないのであれば、剣を磨こうとしたところ、驚くべきことを告げられる。
それは、この世界では誰でも6歳にならないと、魔法が使えないということだ。この世界には神から与えられる、恩恵いわばギフトというものがかって、それをもらうことで初めて魔法やスキルを行使できるようになる。
と、カインは自分が無能なのだと思ってたところから、6歳で行う洗礼の儀でその運命が変わった。
洗礼の儀にて、この世界の邪神を除く、12神たちと出会い、12神全員の祝福をもらい、さらには恩恵として神をも凌ぐ、とてつもない能力を入手した。
カインはそのとてつもない能力をもって、周りの人々に支えられながらも、異世界ファンタジーという夢溢れる、憧れの世界を自由気ままに創意工夫しながら、楽しく過ごしていく。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
食うために軍人になりました。
KBT
ファンタジー
ヴァランタイン帝国の片田舎ダウスター領に最下階位の平民の次男として生まれたリクト。
しかし、両親は悩んだ。次男であるリクトには成人しても継ぐ土地がない。
このままではこの子の未来は暗いものになってしまうだろう。
そう思った両親は幼少の頃よりリクトにを鍛え上げる事にした。
父は家の蔵にあったボロボロの指南書を元に剣術を、母は露店に売っていた怪しげな魔導書を元に魔法を教えた。
それから10年の時が経ち、リクトは成人となる15歳を迎えた。
両親の危惧した通り、継ぐ土地のないリクトは食い扶持を稼ぐために、地元の領軍に入隊試験を受けると、両親譲りの剣術と魔法のおかげで最下階級の二等兵として無事に入隊する事ができた。
軍と言っても、のどかな田舎の軍。
リクトは退役するまで地元でのんびり過ごそうと考えていたが、入隊2日目の朝に隣領との戦争が勃発してしまう。
おまけに上官から剣の腕を妬まれて、単独任務を任されてしまった。
その任務の最中、リクトは平民に対する貴族の専横を目の当たりにする。
生まれながらの体制に甘える貴族社会に嫌気が差したリクトは軍人として出世して貴族の専横に対抗する力を得ようと立身出世の道を歩むのだった。
剣と魔法のファンタジー世界で軍人という異色作品をお楽しみください。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
斬られ役、異世界を征く!!
通 行人(とおり ゆきひと)
ファンタジー
剣の腕を見込まれ、復活した古の魔王を討伐する為に勇者として異世界に召喚された男、唐観武光(からみたけみつ)……
しかし、武光は勇者でも何でもない、斬られてばかりの時代劇俳優だった!!
とんだ勘違いで異世界に召喚された男は、果たして元の世界に帰る事が出来るのか!?
愛と!! 友情と!! 笑いで綴る!! 7000万パワーすっとこファンタジー、今ここに開幕ッッッ!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる