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第二章・水の国の吸血鬼騒動

建前と本来の目的

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 ルルーナが目を開けると、彼女の視界には見慣れた景色が映り込む。
 高価な調度品、貴金属、最上級の絹で仕立てられたいくつものドレス。目を伏せて頭を下げる数十人のメイドたち。


『ルルーナ、どうしたの? さあ、早く選んでしまいましょう。外に出るのだから少し動きやすいものにしなければね』
『はい、お母様』


 夢の中には“自分”がいた。部屋の中央にはルルーナと、彼女の母であるネレイナがいる。外側から自分と母を見ている状態だ。そのため、これが夢であることをルルーナは早々に理解した。


『動きやすく、でも女性らしい色気は失わないように……そうね、これなんてどうかしら。きっとあなたによく似合うわ』
『……ええ、お母様。とても素敵です』
『ああ、でもこちらも捨て難いわね』


 ルルーナは母と自分とのやり取りを暫し眺めた後、複雑そうに眉根を寄せてため息をひとつ。これは、彼女が風の国ミストラルに発つ前夜の記憶だ。確か、母とこんな会話をした記憶がある。


『お願いね、ルルーナ。あなたならきっと、この母の願いを叶えてくれると信じているわ』
『ええ……ミストラルにいる、ジュードという男の子を連れてくればいいんですね?』
『そうよ。珍しい名前ではないから、もし判断に迷ったら魔法を使いなさい、何でもいいわ。わたくしが探しているジュードくんは、魔法に対して拒絶反応を起こす特殊な体質なの。魔法を受けると熱を出すはずよ』


 ――ルルーナが風の国ミストラルにやってきた理由は、母ネレイナにグラム・アルフィアの身の回りの世話をするように言われたから。だが、それはただの建前に過ぎない。本当の理由はこれだ。

 母ネレイナが、魔法に対して拒絶反応を起こすジュードという男を探しているから。あの時、林の中でそのジュードに助けられたのは本当にただの偶然だったのだが。


『我がノーリアン家は、この地の国グランヴェルで王族に次ぐ権力を持つ特別な家。下々の者とは全てが違うの』
『……はい』
『それなのに、下級貴族どもはわたくしたちのことを欠陥貴族だと裏で罵り、嘲笑しているのよ。この無礼は決して許すわけにはいかない。そのために、わたくしたちはあの人を取り戻さなければいけないの、わかるわね?』


 ルルーナの父親にして、このネレイナの夫である男は、ルルーナがまだ小さい頃に家を出て行ってしまった。
 貴族社会に於いて、片親というものは一種の恥だ。どれだけ高貴な家柄であろうと、片親というだけで欠陥と見做される。例えそれが病や事故による死別であろうと、貴族たちは自分たちよりも上の者を引きずり下ろすためにあらぬ噂をどこからか作り上げ、時に引きずり出し、失墜させようと画策する。

 貴族社会で最も高貴なノーリアン家が片親という事実は、輝かしいその経歴と家柄に深く巨大な傷を負わせた。

 ネレイナは、ルルーナに「ミストラルにいるジュードという子を連れてきてほしい」と頼んだ。そうすれば、出て行ったお父様が帰ってくるのよ、と言って。

 正直、幼い頃に出て行った父とジュードがどう結びつくのかルルーナにはさっぱりわからない。自分に弟がいるなどという話は聞いたこともないし、ジュードはネレイナのことはもちろん、ノーリアン家のことだって知らないようだったのに。

 だが、ルルーナは深く考えなかった。幼い頃にいなくなってしまった父が戻ってくるなら、理由なんてどうでもよかったのだ。だからジュードの傍にいるというだけ。彼をグランヴェルに連れていく口実を探るために。


 * * *


 次にルルーナが目を開けると、見覚えのない天井が視界に映り込んだ。部屋が暗いのか、既に夜なのかは不明だが、室内は異様に薄暗い。静かに上体を起こして、軽く辺りを見回してみる。


「ここは……ああ、そうだったわね……」


 辺りを見回す最中、意識を飛ばす前のことを頭が勝手に思い返し始めるとうんざりしたようにため息をひとつ。じわじわと暗さに慣れてきた目が、室内に座り込む複数の少女たちの姿を捉えるものだから尚のこと。
 少女たちは古びた絨毯が敷かれた床の上に座り、すすり泣いていた。恐らく、クリークの街から連れ去られた少女たちだろう。

 それを見れば、嫌でも状況は理解できる。自分も彼女たちのように連れてこられたのだと。

 あの時――宿が空いているか見に行ったジュードたちを見送った後、カミラとルルーナの元に一人の男が近づいてきた。
 それが、あの吸血鬼アロガンだった。アロガンは警戒を露わにするカミラとルルーナに突如魔法封印シールをかけ、先手を打って魔法の力を封じてきたのだ。

 戦闘に慣れているわけでもない女性が魔法を封じられて抵抗などできるわけもなく、街の者たちがいきり立つ声を聞きながら二人は黒い馬車に押し込まれた。ルルーナはせめてもの抵抗として、アロガンのつま先をかかとの高いヒールで思い切り踏んづけたために怒りを買って殴られ、気絶させられたのだ。


「ルルーナさん、気が付いた? だいじょうぶ?」


 そこへ、カミラが心配そうに近づいてきた。彼女の傍には、他三人ほどの少女の姿も見える。


「別に……何ともないわ」
「ほんと? 走れそう?」


 見たところ、カミラに怪我の類は特になさそうだ。しかし、続く言葉を聞けばルルーナの顔には怪訝そうな色が滲む。


「走るって……アンタ、まさか」
「ええ、みんなでこの館から逃げるの。ここの人たちの話によると、部屋の外にいる見張りは夕食の前に一度どこかに集まるみたい。その時に施錠を破壊すれば脱走できるわ」


 どうやら、カミラは諦めていないようだ。
 しかし、その作戦はあまりにも無謀すぎる。この部屋を出たとして、どうやって館の外まで出て街に戻るというのか。

 見張りがいるということは、脱走すれば恐らく戦闘は避けられない。ルルーナとて魔法は使えるが、彼女はどちらかと言えばサポート寄りで、攻撃魔法の類はそれほど得意ではないのだ。非戦闘員の少女たちを守りながら逃げるのは、かなりハードルが高い。

 だが、カミラはルルーナのその心配などお見通しのようで、片手を自らの胸元に添えながらハッキリと告げた。


「だいじょうぶ、わたしが何とかするから。みんなで協力して、ここから出ましょう」


 確かに、ここでジッとしていても仕方がないことではある。
 ルルーナは暫し考え込むようにカミラを見つめていたが、やがて小さく頷いた。

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