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しおりを挟むにちゅにちゅ、にちゅにちゅ。
粘質な音が響く、ぽつんと、光源が一つ浮かぶだけの仄暗い空間で。
その灯の下に、三つの影があった。
一つ、一目で女体と分かるほどの豊満な影は「ほんきで、いってるのか?」と、涙声を震わせる。
対しもう一つ、一番小柄な影は少し間を置いて「ああ?」と不機嫌そうに返した。
「この手以外になにかあるのか? あるなら聞くが?」
二つとは別のもう一つの影は、その様子を前に尻餅をついて、狼狽えるばかり。
にちゅにちゅにちゅにちゅ。
粘質な音は止まない。
「ったく、茶番の最中になんとか済ませたかったんだがなぁ、この遅漏め」
発信源は、一番小さな影の手元からだ。
ただならぬ雰囲気。ある種の一線を越えようとしているのは明白である。
横で、尻餅をついた影がオロオロと揺れて、「あの、さすがにそれは」と反論しようとしているが、聞く耳を持つ様子は一切ない。
「貴様なぁ……やむに止まれずやっていると言っているだろう、そういう目で見るな。決心が鈍るだろうが」
「ひっ」
苛立ちに呼応するかの如く、粘質な音は加速していく。
嫋やかな影は、全身に淫猥な紋様を光らせ、力無く背負子に寄りかかりながら「いや、いやいやいや」と何度かゆるゆる首を横に振った後、「それは、だめだろ」と呟いてから、おぼつかない滑舌で必死に懇願する。
「やめてくれ、さしゅ、さすがに、そこまでして、いきていたくはないっつーか……んなことしたら、いきのこっても、どうなるか……わから……」
しかし、何かに気付いたように、その末尾は消え入った。
そうなれば、一番小さな影は息巻く。
「ふん、少しはわかったか……私の気持ちが」
「い、いぁ」
「ならば、理解して、受け入れろ……この汚濁を飲む……高潔な覚悟をっ!」
「よしぇええええ!」
5層、最深層が想定されるその階層は、想像を遥かに上回る過酷な世界であった。
「……っ!」
「風の幕があるだろっ、息吸って声だせバカ只人、貴様の抗呪がなきゃ死ぬ」
諦めて死んだほうがマシだ。
足掻く彼女へ、思わず「っ、なんでっ、こんなこと」と愚痴を吐いてしまうが、即座に向こうを指差されると、そうは思えなくなる。
「ああなりたいのか……⁉︎」
「う……なりたいわけ、ねえだろ……!」
周囲を囲うのは、殺風景な乳白色の柱と壁。
床も天井も、そこらじゅうに転がる骸を隠すが如く、骨のような白ばかり。
そんな統一された色彩の一角で。淡くピンクに輝く菌類が湧き上がるように繁殖しており、同色の胞子をばら撒いて異彩を放っていた。
吸えばどうなるかは、近縁に存在する魔物を見れば明らかだった。
強大な獅子の魔物だろうと、上半身が鳥で下半身が蛇のキメラのような魔物だろうと、身体に同様の菌類を生やし、猛り狂った様子で、未感染者に襲い掛かるのだ。
幸か不幸か、それらは対象を問わない。
同じ魔物であろうと襲い掛かり、激しい交尾のような行動に及んでは、感染者を増やし続けていた。
「今だ、今のうちに、逃げろ……!」
「言われなくともっ……っ!」
なお、過酷なのは何も生身に限った話ではない。
「ぐっ……あ、あ」
「ああっ……勘弁してくれ……!」
邪な悪霊達もまた、隙あらば身体を奪わんと掛かってくる。
奴らに関しては、エンカウントをいかに減らそうとしても無駄だった。明確に自分達だけを狙って動いてくるうえ、こちらの目を掻い潜って奇襲を仕掛けてきたのだ。
「ああああ゛!」
「────!」
対抗手段を持たないリウカは何度か取り憑かれ、背中の俺を襲おうとしてその場で回るという事態に陥った。
その都度、俺が退魔の魔法を使用することで追い払えはしたものの、憑依された身体は魔力を奪われる。
「っ、はぁっ、っ、くぅっ!」
「大丈夫、だよな」
「はー……っ、クソ!」
これまでの比ではない速度で、確実に消耗させられ続け。
遂には、その水瓶を枯らされてしまった。
「はー……安地は、まだか」
少ない容量を極限まで上手くやりくりしていたものの、ここにきてとうとう、それすらできなくなったのだろう。
光球の維持すら困難になって、灯が明滅を始めていた。
「まだ、というか……」
前のように、場所を把握して常に追い掛けてきているというわけではないが。
ひしめき蠢く無数の魔物の気配には、僅かな隙間こそあれど、まともな空間が全くと言っていいほど見当たらず、休憩の暇がない。
「ないのか」
魔力ポーションも、彼女が既に飲み切っていた。
間違いない。このままであれば、次に出会した敵が、我々の命を犯す相手だ。
もっとも、出会さなくとも水が生成できなくなるのだから、消耗の激しいこの身体はそう時間が掛からないうちに脱水でお陀仏だろうがな。ははは。
「……はー」
彼女は荷物と一緒に背負子を降ろすと、怪訝にため息を吐いた。
そして今は彼女自身のものである俺の両頬をパチンと両手で叩いて、こちらへ向き直る。
「……」
何も言わない。深刻そうな表情で、眉間に皺を寄せながら、俯いては見上げ、またため息をつく。
流石に諦めたか。そう思い、「だから言ったろ?」と揶揄ってやった。
するとその直後だ。
不意をつくように顔を、胸元へ近付けてきた。
「おい、何を……っ⁉︎」
ただ無言で、豊満な胸に被せられていた薄布が捲られる。
と、次の瞬間、はむ。
「おあっ⁉︎」
乳房の先が、口に含まれた。
「何を、急に」と狼狽えるが、彼女は気にしない。
口を窄めて、音が立つ勢いで吸い上げていく。
「お、い……!」
鏡で見慣れた俺の顔面は、歳の割に無駄に童顔である。
ただ、だとしても赤ん坊には見えない。尋常ではない犯罪臭がする。
やめろ、やめてくれ……!
感触はないけど、なんか、なんか変な気分になる……!
背負子に縛られたままの身体は背中をくーっと丸めた後、勝手に大きく跳ねて暴れた。
勿論遮断は効いていて感覚はない。ただ確実に、自分の中で何かが乱れていくのを感じる。
「いい加減、にぃっ」
痺れを切らして荒げようとした声が、力なく甘やかに弾んでしまったところで、ちゅぱん。ようやく離れた。
顔面を真顔のまま固めて口元を拭うと、「ふー」っと一つ、彼女は息を吐く。
そして、身体の周囲でひとかけら、緑光を回すと、「よし」と呟き、頷いた。
「何が、よしなんだよ……!」
説明を求めると、やれやれといった様子で「複雑な気分だが」と話し始めたが、改めて口にしようとすると恥ずかしくなったのか、その後は言い淀む。
「やはり、魔力は私の……私の乳で、少し回復できるようだ」
絶句した。一体なぜ、そのような答えに辿り着いたのか。
「今の私の身体は、奴らの手によって魔力生成の器にされている。乳房がその漏出口の一つになっていることは、その身体で襲われていたときからわかっていたことだ」
感情的には言わずもがな。
理屈的にも、幾ら魔力が溶けているといっても、吸収できるとは限らない。
それもフィジカル面では大いに不足している俺の身体だ。飲んでも結局、腹を下せば意味がなくなるし、そこで詰む。
「だからって、実行に移すか……?」
「私がやりたくてやったとでも?」
「……そうは、思わないけども」
腐すような俺に、彼女は憤りをもって答えた。
それはそうだ。抵抗感がないなら、もっと早くにやっていただろう。
「おらっ」
「んぐぅっ⁉︎」
苛立ちを露わに、俺の口元へスティックタイプの保存食が捩じ込まれた。
喉奥への圧迫と、舌への摩擦で快感が生じ、脳裏で火花が散る。
涙が溢れ、白目を剥きかけたが、容赦してはもらえない。「噛め、噛んで飲み込め」と強いられる。
「残りの食糧は大半そっちにやる。食って、とにかく乳が出るようにしろ」
いや、にしても、割り切り過ぎだ。
行う前にせめて相談を、と、言葉にしようとしたが、飲み込みが間に合わないうえに、躊躇してしまう。
諦めている俺が、どの口でそんなことを。
「何だってやってやるさ、なんだってな」
彼女はそう呟きながら、再び背負子を背負い歩き始めた。
「みぎ、きてるぞ」
「はぁっ!」
俺は案内し、彼女は敵を倒す。
「あかり、けせ……! かくれろ……!」
「っ……」
倒す必要のない敵は、やり過ごす。
「もう、いいぞ……」
交わされる言葉の無駄は減り、行動は洗練され、徐々にシンプルなものへと変わっていき。
いつの間にやら、反駁されたりすることもなくなって、不思議と信頼を感じるようになった。
しかし、反比例するようにして疑惑は深まる。
彼女はなぜ、ここまでモチベーションを保てるのか、と。
生きるため、復讐のため、というのはあるだろう。
ただ、それだけで本当にここまでやれるだろうか。
そもそもまず、どうしてこんなところに来たんだ。
「っ、ここで、やすもう。てき、きょりが、あぅ……」
「……ああ」
答えは出ないまま、今度は食糧が底をついた。
「……」
沈黙の最中、くーっと互いの腹が鳴る。
馬車馬のように動いている俺の身体はともかく、何も動いていないエルフの身体まで、どうして鳴るのか。
「……ふ、はは」
皮肉らしい生の実感に、渇いた笑いが出た。
胃はまだ、普通の食べ物を欲しているんだな。
舌は違うものを欲して、渇いているのに。
「はっ、っっ……!」
ただ笑っただけで、官能的な引き攣りを覚えた。
ひりつき、疼く。顔全体が熱い。眩暈がする。
限界だ。もう、口を閉じて話せない。
「あーー……っふぁ゛ーー……」
彼女はそれを「ふん」と一笑に伏すと、付近に触手系の罠がないか尋ねてきた。
何をするつもりなのかを察した俺は、涙ながらに懇願する。
「もお、ゆるして、くれ……」
嘆かずにはいられなかった。
場所を教えれば、間違いなく俺はまたアレを飲まされるのだから。
「おまえだって、いやだろう……?」
「ああ」
「なら」
「それでも、貴様の正気を保つのに必要だからやる。それだけだ」
これ以上、聞かずに協力させられるのは癪だ。
いい加減、問わねばならない。
「なんれ……なんで、そこまでできるんだよ……」
「…………」
長い沈黙。
その後に、彼女はようやく、言葉にした。
「私は、強さを証明しなければならない」
「……どこの、だれにだよ」
「私の里の、皆にだ」
エルフの文化など、俺は知らない。
しかし、こんなダンジョンに潜らないと認められないとは、一体どういう里なんだ。
「時間切れだ、答えろ」
「いや、もうすこし」
「言わないならば、仕方ないな」
彼女はそう言って腰を上げ、俺の前に立った。
妙に前屈みだ。なのに少し前に見たときとは、比べ物にならないほど大きなテントを張っている。
しかもよく見ると、ズボンがドロドロだ。そこから、凄まじく青臭いニオイがする。
まさか、と口にするその前に。重たそうな革布は下ろされた。
途中で引っ掛かったぶん、勢いよく、ボンっと。
「ひっ……⁉︎」
思わず、声を引いてしまった。
露わになったのは、予想通り俺の逸物であったのだが。そのサイズも姿形も、慣れ親しんだそれとは明らかに変わり果てていた。
「なん、れ」
エルフの身体に刻まれている、妖しい光を放つ紋様。それと似たものを刻み込まれた肉茎がはち切れんばかりに怒張し、血管を浮き立たせながら、脈打ち揺れている。
どんなに起立しようとささやかでしかなかったはずの鬼頭の露出が、今や裏筋を千切らんばかりに引っ張っていて痛々しい。
全体として、元の二倍以上の大きさはあるか。
最早小柄な身体には不釣り合いなほどに肥大化してしまっていて、予後を想像するとショックで目眩がした。
「少し前から、どんどん酷くなってな。恐らく触手穴に落ちたときに、やられてたんだろう」
「おま、なんでそれを、もっとはゃくに」
「貴様、少しは私の立場になって考えたらどうだ? 契約さえなければ、切り落として何とかできたんだぞ? それができず、こんな、恥辱的なっ……」
目の前でツーっと、鈴口から、涙の如く我慢汁が伝い落ちた。
「そ、そりゃ、いいづらかった、だろうけども……でも」
辿々しく惑う言葉を「まあ、いい」と遮って、一歩、前にくる。
血走った眼が、こちらを覗き込んだ。
「その舌の発作は、性を摂取することで治る」
だから、只人のものでも恐らく問題ない、と。
彼女はそう宣った。
人に正気に戻れといっておきながら、どうなんだそれは……!
戦慄し、かつてない危機感で頭脳が回る。
「ま、まて。おまえのキライな、ただびとのだぞ?」
「触手よりはマシだ」
そうかよそういう判断かよ。
俺は違う、如何に変わり果てていようと、自分のを咥えるなんて絶対ごめんだ。
でも、だからといって触手も嫌だ。どちらかを選ぶなんてあり得ない。
「頭の中の悶々も晴れる。一石二鳥だろう」
惑いに惑って、視界が回りだす。
「あ、あ、あああ」
究極の選択。
何も言えないまま鬼頭はこちらの唇へと迫り、そして────
「────か」
刹那、リウカの後方から声がした。
彼女が振り返る。置かれた荷物の中からも微かに声がしたが、両者は区別できた。
壁の、ほうだ。
目利きをかけるが、よくある擬態罠でもなさそうだ。反応は辺りと同様、でこぼこした壁に違いない。
しかし、確かに「そこに、だれか、いるのか……?」と、低く掠れた声を絞り出している。
なぜここまで気付けなかったのか。状況が切迫していたからだと思ったが、姿を見ることではっきりした。
「あ……う、たのむ、いるのなら、返事を、してくれ……」
リウカの飛ばす光球が、消え入りそうなほど小さいその声のする方へ向かい、照らしだす。
露わになったのは、壁とほぼ一体化した、ヒトのシルエットだった。
「いるん、だろう……? っ」
緑光の風刃が器用に表面の壁部分を剥ぎ取ると、更にはっきりとして、言葉を失った。
彼女の時とは、全くの別ベクトルで惨たらしい。皮膚が溶けているのだ。骨格から辛うじて獣人種の風貌を感じ取れるが、彼らに普通あるはずの全身の体毛がなかった。
長いマズルは爛れ、鼻と口が塞がりかけている。瞼はもはや接着して開いていない。耳だって、正直どこにあるのかわからないほどグズグズだ。
苗床にならない男は、こうなるのか。
ダンジョンに喰われる。
ありがちな表現だが、まさか比喩に見えない現場に出くわすとは。
「やっぱり、そこに、いるんだな……!」
哀れみを湛え、「ああ」と返事すると、聴覚は健在なのか、弱々しいながらも反応した。
「たすけに、きてくれたのか……! ああ、よかった、ありがとう……!」
医者ではないが、経験でわかる。
彼はもう、助からない。
皮にされた彼女とは違い、魔法的な改変ではなく、物理的に損耗してこうなっている。
まだ生きているだけ奇跡だ。
「リウカ」
彼のいる場所が、本来触手罠の置かれている場所だ。
そう教えると、彼女は渋々、彼の身体を壁から剥がした。
「ぐっ、あ゛あああぁ……!」
苦痛に塗れた悲鳴が上がった。
「おいこらっ、らんぼーにっ」
「言ってろ」
直後、剥がれてできた窪みが蠢き、無数のミミズめいた触手が現れた。
彼女は青い光を放ち、境界を作って押し返していく。
「丁度いいな」
そう呟いたのが聞こえた。
丁度いいって────いや、それどころではない。
「いたい゛っ、あああ゛ぁ……」
「っ、すみま、せん」
せめて痛みだけでも和らげようと、俺は拙い舌で何度も失敗しながら鎮痛の魔法を詠唱した。
正直気休めだ。効果はほとんどなかった。
しかし、彼はそこでのたうつのをやめて、「ありがとう……」と呟いた。
「で、でも」
「いや、十分、だよ……」
わかっている。自分が助からないことくらい。
そう言わんばかりに、彼はこれ以上はいらないと意思を伝え、溶け落ちた口元に笑みを作った。
そして「それよりも」と続ける。
「ここまで、なかまを、みてない、か……?」
どんどん弱々しくなり、今にも消え入りそうだが、ギリギリ、聞き取れた。
C級冒険者の、パーティーだったんだ、と。
「っ、メンバーは」
「うぃざーどの、クリ、フと……せいしょくしゃの、キー、ス……それに、せん……せんしの、レノワ」
何という偶然か。彼は、彼女のパーティーメンバーの一員だった。
レノワには会っていると伝えると、相手はにわかに力を取り戻したかの如く、高揚した様子を見せる。
「そうか……! かのじょは、ぶじ、だったんだな……⁉︎」
馬鹿正直に伝える気は起きなかった。
無事だと一言だけ伝えると、「そうか、よかった」と。心底安心した様子で呟いて。
目の前の命の灯火は、急速に小さくなっていく。
「かの……にまた……ったら、つたえ……か」
「おい、まて」
遺言を、残す気だ。それも本人へ向けて。
ただならぬ思いを感じ取り、俺は後悔して、重く痺れる舌の具合も忘れて必死に呼び止めようとした。
「まて、彼女なら、ここに」
「はは……めんと……ってなくても……いいにくい、もんだな…………」
もう、耳が。
諦めかけた、その時。
リウカのほうから、ばさり。布状の何かが飛んできた。
「……ト」
声を発する人の皮、レノワだ。
あいつ、こんな気の利かせ方ができたのか。
リウカへ視線を送ると、こちらをチラとみてから、バツが悪そうに逸らし、触手の制圧に戻った。
「オレは、オレは……レノワ、きみのことが、ずっと……」
皮の彼女が、しわくちゃでどう足掻いても大きくならない声で嘆く。
「いや、いや……しなないで」と。
嘆き、悲しみ、どうやってか、彼の身体へ這いずって、包み込んでいく。
「? ああ、レノ、ワ……なん、だ……そこに、いたのか」
彼は明後日の方向へ顔を向けて、そう呟いた。
皮の彼女は、そこへ回り込むように更に皮を伸ばす。
「オギト……!」
「は、はは……なら、いい、か……さみ……ない、な」
「よくない……! よくないよ……!」
すると、不思議なことが起こり始めた。
「ああ……あたた、かい」
なんと。彼の名前を呼ぶレノワの皮が、徐々に彼のその身の上でしわを伸ばし、あたかも本当の人肌の皮の如く同化していくではないか。
「あ────」
安らかに変わった彼の表情を、引き伸ばされた必死の形相が覆った。
次第にどちらともいえない表情へと変わったかと思えば、「あ、ぐぁ」と苦悶を露わにしかめられる。
「あ、なん゛っ、だあ」
獣人的骨格が、軋み爆ぜながら縮んで、ドワーフの女性の骨格へと変わっていく。
苦悶の声は徐々に高くなり、そして。
「あ、ああ?」
引っ張られ、張り詰めていたレノワの外面は、あの淫魔に着られていた頃と遜色ない姿となった。
「見える……? 聴こえ、え、あああ?」
自身の身体を掌で確かめ、錯乱した様子を見せているのは、果たして彼か彼女か。
「なんなんだ、これは一体、俺はどうなってっ……れ、レノワ⁉︎ なんでキミの声が、頭の中から⁉︎」
どちらかと言えば前者のようだが、なんと声をかけていいのやら。呆気に取られてしまって、思いつかなかった。
なお、そう呆けてもいられない。
「ふーー……よし、とった」
時を同じくして、リウカのほうが静かになった。
視界の端に収めていたため、その「とった」という言動の意味が理解できてしまい、焦点は焦燥を以ってそちらへ移る。
「これが生殖用で……これが、アレだな」
壁から生えた無数の触手を、彼女は選別していた。
生け捕りにしたようだ。まだ蠢いている。
「ひぃっ⁉︎」
碌にリアクションの取れない俺に代わって、レノワが声を上げて退き、尻餅をついた。
その様子を見て、追い付かない心理は達観し始める。
ああ、うん。
そうだ、俺、アレを飲まなきゃいけないんだよな。
生きるためだ、仕方ないなんて、そんな割り切りはできやしない。
ただ、どう足掻いても、アレは飲まされる。彼女が俺のコンディション維持を必要とする限り、必ず。
「……はぁ」
狼狽えるレノワを横目に、一つため息をついて、投げやりに脱力した。
彼女のことだ。普通なら第一に気にするべきところだが、気にしないだろう。
奇跡的に彼を救ったことになんて目もくれず、台無しにしてくるはずだ。
それは、一種の信頼。
ないし、心の予防線だった。
うん、いいよ。どうぞ。
飲むよ飲んでやるよ。ほら、こい、と。視線を送り、目を瞑って待った。
「…………」
しかし、来ない。にちゅにちゅにちゅにちゅ、気持ちの悪い音がこねくり回されるばかりで、近づいて来ない。
「なに、やってるんですか……⁉︎」
隣で、心底理解できないものを見たような声がした。
耐えかね、俺は目を開ける。
そして、目撃してしまった。
触手の一本を乱暴に扱きながら、その先端を自身の口内へ向ける、俺の姿を。
「おい、ほんろに」
準備していた方向とは、別ベクトルのショックだった。
「ほん、とにぃ……」
耐えかね、溜めて、嘆く。
「なに、やってだあああぁ」
彼女は手を止めず、顔を顰めて少し考えた後、簡潔に答えた。
「食事」
「はぁ?」
理解できず、当惑の感情を全面に押し出す。
と、今度は心底怪訝そうに「囚われていた私が、どうやって永らえていたと思う?」と投げ掛けてきた。
知ったことかよ、と返そうとした。
しかし、確かに。そう言われてみればと考えてしまい、間もなく、嫌な答えに辿り着いてしまう。
「おま、え」
「気づいたか。そうだ、触手の中には、純粋に子種を出すやつと、苗床を生かすために養分を出すやつがいる」
粘質な音が、一層速くなっていく。
「これがあれば、空腹は凌げる」
空気は、彼女だけを残して硬直した。
「って、ドワーフ娘。貴様なんで復活している。あの死に体はどうした」
「あ、え、いや」
「んん? 死に体と娘の魔力が重なっている……? 見ていない間に妙なことになったな」
想像の斜め下を生き続ける展開に、俺はただただ、勘弁してくれ、許してくれと、乞い願うように、言葉を震わせるしかなかった。
「ほんきで、いってるのか?」
「…………ああ?」
その後の惨劇は、語るまでもないだろう。
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