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30.救命
しおりを挟む「えっ、あっ、あぁっ…………」
浮ついていた感覚が途端に底の無い奈落に晒される。産まれて来ない方が良い。そう思う瞬間も確かにあった。しかしいざ産み落とし、顔を合わせた今、感情はもう子の生存以外を望む事などあり得なかった。
計り知れない喪失への恐怖が迫る。静かに気を落としていられる時間は無かった。あたふたと辺りを見回し、ある筈も無い助けを求める。が、再三分っている通り存在しない。既に自ら断ち切ってしまったのだから。
「うそっ、どうしようっ、どうしようっ……!」
気もそぞろに赤子の胸元に触れた。柔らかくまだ暖かいが、そこにあの鼓動が殆ど感じられない。微かに感じられるが弱々しくて、今にも止まってしまいそうだ。
「なんでっ……どうしてぇっ…………!」
泣きながら大急ぎで濡れたその小さな身体を布団で拭き、腕の中に抱く。自身の嫋やかに膨らんだ胸元に丁度収まるそのサイズに再度愛おしさが込み上げるが、噛み締める暇は無い。赤子はそのままぐったりして、刻々と手足の末端が青く変わっていく。
もうパニックになって、横たわったまま動く事の無い父に縋り付いた。「ねえなんでっ……父さん、おしえてよっ、ねえっ、トシヤさんっ、ねえってばっ…………!」と。
「昨日までうごいてたのにっ……げんきにうごいてたのにぃっ…………!」
自分のせいなのか。自分の行いが、この子を殺したのか。
「いやだっ……! いやだいやだいやだぁっ……!」
それはあんまりだろう。この子に罪は無い。死ぬのは自分だけでいい。
自責の念に耐え兼ねて、自分は幼子の様に駄々を捏ね、譫言の様に助けを求めた。
「たすけてとおさんおいしゃさんならたすけてよねぇたすけてっ、このままかあさんのときみたくなるのやだよねえっ、おきてっ、おきっ」
そのまま焦燥の中たった一つ。破綻した精神は、窮地に光を見る。
「かあさん、かあさんっておいしゃさんだったんでしょ?」
「少し前までねー。みんなが知ってる様なお医者さんじゃないけどね」
幼き日、純朴な瞳で母に投げ掛けた疑問。
「えー? それってどんなおいしゃさんなの?」
「うーん……そう言われると答えるの難しいなぁ」
「しにそうな人とかを、ふん、ふん! ってやってたすけたりするんでしょ?」
小さな手で母の胸を押して、何かのドラマで観た心臓マッサージのシーンを再現して見せた自分。対し、
「そうねー、ちょっと違うけど……まあそれも出来なくはないよ!」
興が乗った様子で正しいやり方を教えてあげると、愛情たっぷりに母は言った。
「かあさんっ……そうだかあさん、かあさん……」
かあさんは、じぶんだ。この子の母は自分だ。助けはない。自分が、やらなきゃ。
こんなことを考えている場合では無いと急激に頭が冴えて、自身に喝を入れる。
「っ、しっかりしろっ、ぼくが、やらなきゃっ」
幻想の母のイメージはもう湧かない。頼れるのは過去の記憶だけだ。そう自覚した所で、ある程度確かな知識が脳裏に迸る。
「っ、そうだっ、これ、そうだ……新生児仮死……そんなに珍しい事じゃないって書いてあった……出てくる時、水を吸い込んじゃったのかも……!」
本棚の中、少し多めにあった小児医療関連の本。細胞分野が多い中、異質で目を引いた新生児の蘇生手順のガイドブック。母の部屋を再現している以上必然だったのかもしれないが、導かれている様なそんな気がして。童心と結び付き、鮮明に思い出せたそれを記憶通りに辿る。
「肩に枕をしいて……踵を軽く叩くっ」
祈りを込めて、ぱちん。反応無し。
「お願い、息を……っ」
更に胸部を下から上へ、手の甲で摩るように動かして刺激を与える。
「息をして……泣いてっ…………」
暫し行うが、結果は同じ。それどころかどんどん顔が青くなっていく。
「だめっ、だめだよっ、息をっ、息をしてっ……!」
こうなってしまった場合、基本的にバッグとマウスという専用の器具によって呼吸を促す手順が推奨されている。が、器具の無い場合は、難しいが仕方ない。
「っ…………!」
赤子の口を開き、そこに口付けして吹き込み過ぎないよう優しく、胸部がほんの僅か膨らむまでそっと息を吹き込んだ。
「……はぁっ、お願い、お願いっ…………!」
産声はまだ上がらなかった。
「っ、まだっ!」
胸骨圧迫、心臓マッサージに移る。中指と薬指の2本で、胸骨の下半分の部位を胸の厚さのおおよそ3分の1くぼむくらいの強さで、毎分100回のペースで圧迫する。
「ふっ、っ、ふぅっ!」
少し早過ぎたかもしれないが、あっという間に完了。反応が見られないので続けてもう一度人工呼吸を行う。
「っーー…………!」
間髪入れず繰り返す。繰り返す。その更に下に描かれていた時間毎の救命率グラフを振り払い、無我夢中で祈りながら。
お願いっ、おねがいおねがいおねがいっ! 息をっ、息をっ…………!
単に執念であった。気力体力の限界などとうに超えていて、身体を動かしているのがやっと。先程親を殺めた掌は傷んでボロボロなのに、それにも気付かず、ただ小さな命を救おうと動いた。
「っ、はっ、っ!」
何セット目かの胸部圧迫、その瞬間だった。けほっ、けほっ。弱々しい咳き込みの後、産声は上がった。
「っ……あぁっ…………!」
そっと胸に抱き、共に涙を流しながら覚悟を固める。この子を助ける為に、今ある全てを捧げようと。
「動かなきゃっ……助けを、呼ばなきゃっ…………!」
徐に立ち上がろうとして、くらり。目眩がして倒れそうになるが、壁の方に寄りかかって何とか凌ぐ。ゴンと強く頭を打った気がしたが、感覚はとうに失せていた。
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