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13.推定療養?十数〜??日 昔話
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「どうだろう? 何か思い出せたかい?」
食器類を片付けた後、彼はふとそう尋ねて来たので、手始めにこくり、頷いた。思い出したというより、覚えている。大好きな味だ、と。迎合し、感情を共有する為の嘘の無い返答をした。
すると、彼は俄に表情を明るくして言う。
「それだよ、良い兆候だ。五感情報は記憶との結び付きが強い。効果があると思ったよ」
そして、上機嫌で「実は僕も、この匂いで少し思い出してしまってね」と、昔話を語り出す。
「と言っても他愛も無い話なんだが……これは、僕と君が出会ってまだ間もない頃で────」
大学の同じ研究グループになった彼、トシヤは、ある晴れた昼下がりの休憩中、ラウンジにてたまたまグループの紅一点、リナと二人きりになったのだが。
「キミっていつもそれだよね」
軽食の携帯ゼリーを飲んでいる最中、不意にそう話し掛けられた。彼は酷く緊張したが、平静を装いこう返した。
「別に、普通だろう。他の連中だって似たようなもんだ」
当時は学生の身分、時間も無ければ金も無い。偶々暇が少し出来たところで、食に拘る気力は無かった。
「まあそうだけどさ……流石にほら、コンビニで買って来たカップ麺とか、おにぎりだったりするじゃない?」
「高いし不健康だろ、あんなの」
「大差ないでしょうが、はぁ、医者の不養生ここに極まれりだわ」
ため息を吐いて少し離れた位置に腰を下ろす彼女に対し、彼は尋ねた。「そういう君はどうなんだ?」と。すると彼女はしたり顔で持っていた手提げ鞄の中からパウチを取り出し答えた。
「私? 私はちゃんと自炊してマース」
「……? なんだ、それ……?」
「昨日作った残り物。じゃがいもの煮っ転がしだよ」
「……なんだそれ」
「えっ、知らない?」
「…………知らない。初めてみた」
彼の家は裕福だったが、親の手料理が食べられる様な環境では無かった。故にシンプルで俗的なその料理が目新しく映った。
「えぇー? 何処の家庭でも見るようなど定番料理だよ? ホントに?」
「……あぁ」
不意に寂しい様な、何とも言えない気分でそれを眺めていると、彼女はパウチを開け放ち言った。
「……しょうがないなぁ。ちょっとだけ分けてあげよう」
「────と、そう勧められてね。その時初めて食べたんだ。だいぶ冷めてたけど、あの時食べた味は忘れられなくてね」
「…………」
本当に取るに足らない、それだけの話。だがそれを語る彼は懐かしげで、幸せそうで。ずっとやつれて影の濃かった顔が、まるで若返ったかの様にハツラツとしていた。
ほんとに、この人は、かあさんを……。
その内心を慮ると共に、無意識に今まで自分に向けられていた冷徹な表情と比較してしまう。昔は、母相手にはずっとこんな顔を見せていたんだろうか。
「ふっ、とまあこんな感じで、忘れっぽい僕でもこうして未だに鮮明に思い出せるのだから、優秀な君ならすぐだよ」
胸の内が何やらもやりとして、僕は無言で俯き眉を顰める。その理由を探し出す前に「そうか、これでもまだ不安か」と彼。立ち上がって本棚へと歩き、何やら一冊取り出すと、
「大丈夫、君との思い出なら幾らでも語れる。君が不安なら、証明し続けようじゃないか。今度は視覚で」
和かにそう微笑んで、空いたテーブルの上でそれを開いた。あの、母のアルバムだった。
「君のアルバムだ。幼い頃の写真が沢山載っているだろう? ……って、なんだいその神妙な顔は。付き合い始めの頃にお互いのアルバムを見せ合った時は真っ赤になっていたのに」
「…………っ」
「……悪い、つい揶揄ってしまった。出来ればまた楽しみたかったが、まあ、この辺は君の記憶が戻ってからで…………ここからだね」
幼少期、小中高と飛ばして、大学時代の所で捲るページは止まった。
「ここからが、僕が君と出会ってからの思い出だ。これなんかそうだ、一緒に写ってるだろう?」
指差したのは、白衣を来た人間五人が並んで写っている写真。真ん中で両側を男性に挟まれているせいかまるで場違いな程に小柄に見える、頭ひとつ分以上下の方で賞状を掲げているリスの如き小動物的愛嬌のある笑顔を浮かべた女性がリナで、その右隣のヒョロリと縦に細長い気難しそうなへの字口の男性がどうやら彼だ。
「これがさっき話していた研究グループが出した論文でちょっとした学内表彰を受けた時の写真だね。懐かしいな……君はこの頃から全然変わってない」
視線を彼と写真、双方往復させ顔を見比べていると、「なんだ? 僕は写真の頃より老け過ぎだって?」と見透かした様に肩をすくませた。慌ててそんなに変わってないと伝えたが、「世辞は良い、君が眠っている間苦労した証だ」と皮肉っぽく微笑まれる。
「さておき、既に話した通り学年全体で男子が多く女子の少ない学校で君は目立っていた。本当に大人気だったんだぞ? ほら君の隣の、小太りの彼なんかは────」
そうしてその後は堰を切ったように、彼の口から学生時代の様々な思い出が語られた。僕が知る由もない、二人が幸せだった頃の話。それがさも自分が体験していたという体で、つつがなく紡がれていく。まるで知らない僕が間違っているかの如く、ごくごく自然に、延々と。
「……っと、もうこんな時間か。つい話し過ぎてしまった。疲れてないか?」
大丈夫と返事したけれど、疲れは隠せない。頭がぼーっとして瞼が重くなってきた。目を擦っていたのがバレただろうか。
「続きは明日にしよう。幸い、時間だけはたっぷりとあるからな。語り尽くそうじゃないか」
「…………」
「トイレは大丈夫か? 眠る前に行っておきなさい。そうだその辺のリハビリも行わないと……」
そのまま眠れるかと思いきや多少無理やり連れられ、トイレの世話をされた。くすぐったいし恥ずかしくて拒絶しようとしたけれど、「なら自分で出来る様にならないと」と言われたら何も言い返せず。促されるがまま久々の排便を行ってからベッドにつく。
「おやすみ、また明日」
「おや、すみ……」
そう言葉を交わす僕はもう気付けない。彼に対する嫌悪感も薄れ始め、リラックスしてしまっている事に。不安と恐怖に満ちていた確かかも分からない明日が、ほんの少し楽しみになってきている事にも何も違和感を持たぬまま穏やかな眠りにつき、優しい母の夢を見て、明日を迎える。
食器類を片付けた後、彼はふとそう尋ねて来たので、手始めにこくり、頷いた。思い出したというより、覚えている。大好きな味だ、と。迎合し、感情を共有する為の嘘の無い返答をした。
すると、彼は俄に表情を明るくして言う。
「それだよ、良い兆候だ。五感情報は記憶との結び付きが強い。効果があると思ったよ」
そして、上機嫌で「実は僕も、この匂いで少し思い出してしまってね」と、昔話を語り出す。
「と言っても他愛も無い話なんだが……これは、僕と君が出会ってまだ間もない頃で────」
大学の同じ研究グループになった彼、トシヤは、ある晴れた昼下がりの休憩中、ラウンジにてたまたまグループの紅一点、リナと二人きりになったのだが。
「キミっていつもそれだよね」
軽食の携帯ゼリーを飲んでいる最中、不意にそう話し掛けられた。彼は酷く緊張したが、平静を装いこう返した。
「別に、普通だろう。他の連中だって似たようなもんだ」
当時は学生の身分、時間も無ければ金も無い。偶々暇が少し出来たところで、食に拘る気力は無かった。
「まあそうだけどさ……流石にほら、コンビニで買って来たカップ麺とか、おにぎりだったりするじゃない?」
「高いし不健康だろ、あんなの」
「大差ないでしょうが、はぁ、医者の不養生ここに極まれりだわ」
ため息を吐いて少し離れた位置に腰を下ろす彼女に対し、彼は尋ねた。「そういう君はどうなんだ?」と。すると彼女はしたり顔で持っていた手提げ鞄の中からパウチを取り出し答えた。
「私? 私はちゃんと自炊してマース」
「……? なんだ、それ……?」
「昨日作った残り物。じゃがいもの煮っ転がしだよ」
「……なんだそれ」
「えっ、知らない?」
「…………知らない。初めてみた」
彼の家は裕福だったが、親の手料理が食べられる様な環境では無かった。故にシンプルで俗的なその料理が目新しく映った。
「えぇー? 何処の家庭でも見るようなど定番料理だよ? ホントに?」
「……あぁ」
不意に寂しい様な、何とも言えない気分でそれを眺めていると、彼女はパウチを開け放ち言った。
「……しょうがないなぁ。ちょっとだけ分けてあげよう」
「────と、そう勧められてね。その時初めて食べたんだ。だいぶ冷めてたけど、あの時食べた味は忘れられなくてね」
「…………」
本当に取るに足らない、それだけの話。だがそれを語る彼は懐かしげで、幸せそうで。ずっとやつれて影の濃かった顔が、まるで若返ったかの様にハツラツとしていた。
ほんとに、この人は、かあさんを……。
その内心を慮ると共に、無意識に今まで自分に向けられていた冷徹な表情と比較してしまう。昔は、母相手にはずっとこんな顔を見せていたんだろうか。
「ふっ、とまあこんな感じで、忘れっぽい僕でもこうして未だに鮮明に思い出せるのだから、優秀な君ならすぐだよ」
胸の内が何やらもやりとして、僕は無言で俯き眉を顰める。その理由を探し出す前に「そうか、これでもまだ不安か」と彼。立ち上がって本棚へと歩き、何やら一冊取り出すと、
「大丈夫、君との思い出なら幾らでも語れる。君が不安なら、証明し続けようじゃないか。今度は視覚で」
和かにそう微笑んで、空いたテーブルの上でそれを開いた。あの、母のアルバムだった。
「君のアルバムだ。幼い頃の写真が沢山載っているだろう? ……って、なんだいその神妙な顔は。付き合い始めの頃にお互いのアルバムを見せ合った時は真っ赤になっていたのに」
「…………っ」
「……悪い、つい揶揄ってしまった。出来ればまた楽しみたかったが、まあ、この辺は君の記憶が戻ってからで…………ここからだね」
幼少期、小中高と飛ばして、大学時代の所で捲るページは止まった。
「ここからが、僕が君と出会ってからの思い出だ。これなんかそうだ、一緒に写ってるだろう?」
指差したのは、白衣を来た人間五人が並んで写っている写真。真ん中で両側を男性に挟まれているせいかまるで場違いな程に小柄に見える、頭ひとつ分以上下の方で賞状を掲げているリスの如き小動物的愛嬌のある笑顔を浮かべた女性がリナで、その右隣のヒョロリと縦に細長い気難しそうなへの字口の男性がどうやら彼だ。
「これがさっき話していた研究グループが出した論文でちょっとした学内表彰を受けた時の写真だね。懐かしいな……君はこの頃から全然変わってない」
視線を彼と写真、双方往復させ顔を見比べていると、「なんだ? 僕は写真の頃より老け過ぎだって?」と見透かした様に肩をすくませた。慌ててそんなに変わってないと伝えたが、「世辞は良い、君が眠っている間苦労した証だ」と皮肉っぽく微笑まれる。
「さておき、既に話した通り学年全体で男子が多く女子の少ない学校で君は目立っていた。本当に大人気だったんだぞ? ほら君の隣の、小太りの彼なんかは────」
そうしてその後は堰を切ったように、彼の口から学生時代の様々な思い出が語られた。僕が知る由もない、二人が幸せだった頃の話。それがさも自分が体験していたという体で、つつがなく紡がれていく。まるで知らない僕が間違っているかの如く、ごくごく自然に、延々と。
「……っと、もうこんな時間か。つい話し過ぎてしまった。疲れてないか?」
大丈夫と返事したけれど、疲れは隠せない。頭がぼーっとして瞼が重くなってきた。目を擦っていたのがバレただろうか。
「続きは明日にしよう。幸い、時間だけはたっぷりとあるからな。語り尽くそうじゃないか」
「…………」
「トイレは大丈夫か? 眠る前に行っておきなさい。そうだその辺のリハビリも行わないと……」
そのまま眠れるかと思いきや多少無理やり連れられ、トイレの世話をされた。くすぐったいし恥ずかしくて拒絶しようとしたけれど、「なら自分で出来る様にならないと」と言われたら何も言い返せず。促されるがまま久々の排便を行ってからベッドにつく。
「おやすみ、また明日」
「おや、すみ……」
そう言葉を交わす僕はもう気付けない。彼に対する嫌悪感も薄れ始め、リラックスしてしまっている事に。不安と恐怖に満ちていた確かかも分からない明日が、ほんの少し楽しみになってきている事にも何も違和感を持たぬまま穏やかな眠りにつき、優しい母の夢を見て、明日を迎える。
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