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第一章 愛らしき予言の子
難儀な運命1 総大司教の密命
しおりを挟む聖堂。その中でも限られた者のみが入る事を許される最奥の聖域、なーんて大層な名前の付いた広さはそこそこでちょっと埃っぽい一室にて。厳かなステンドグラスから光が差し込む下、目の前の妙に威厳あるオーラを纏った小柄な女児が壇上から見た目にそぐわない大人びた視線で跪く私を見下ろし、あどけなくも全く辿々しさのない明晰な声を静かに木霊させる。
「オネスト、よく来てくれましたね」
オネスト。誠実、公正を冠する、過去目の前の者から与えられた称号の様な名前。まったく相応しくないそれが、現在私を唯一識別する名だ。
「はいマザー。オネスト、召喚状に従い馳せ参じました」
人より少しばかり長いこの身を小さく屈め、出来うる限り最大限、行儀良く抑揚無く返事した。すると彼女は一つ嘆く様に嘆息し、幼い面を顰め言う。
「……何ですかその堅っ苦しい挨拶は。此処には私と貴女しか居ないというのに」
「ですがマザー」
「やめなさい。今すぐ顔を上げて立ち上がって。久方振りの再会なのだから、その姿をもっと良く見せて」
「…………」
くそぅっ、もう会わなくて済むと思ってたのにっ!
私は渋々立ち上がりながら、目だけを微かに伏せた。
「あらあら、また美人になったんじゃない?」
「……お陰様で」
マザー。本名不詳。年齢は記録上間違いなく百を上回っているが正確な数字は不明。肩書きは総大司教。長年孤児院長をしていたという異色の経歴を持ちながら、数年前から教会という特殊な組織に於いて実質的なトップに君臨している傑物。額に聖痕を受けた現存の中で最古の聖人であり、過去と未来を覗く者。万人の聖母。神人問わず皆に愛されし人間────
「素っ気ないのは昔と変わらないのねぇ。もう少し心を開いて欲しいわ」
「御容赦願います総大司教。今の貴女からそう命令されれば断れませんので」
というのは公称で、妖怪サイコババアというのが私の心中で専らの呼び名である。仰々しい前置きの割に酷い呼び名と思うかもしれない。しかし、私にとっては本当に碌でもない婆さんであり、関わる時は大抵、災いの始まりなのだ。
「ほんと? 命令すれば心からの笑顔でマムと呼んでくれる?」
私は確かに過去彼女に拾われ、育てられた人間の一人だ。しかし決して付き合いが深い訳では無いし、立場上そんなに気安く関わっていい訳が無い。
「……善処はします」
「そんな嫌な顔しなくてもいいじゃない……」
「嫌という訳ではありません困っているだけです」
人に変わらないと言うが、彼女こそ孤児院長の頃から変わってない。偉い立場にいるのに、全くそれを考慮しないで話し掛けて来るのだから。
「はぁ、寂しい。最近は偉くされたせいで貴女だけじゃなく皆それなのよね」
そらそうでしょうが。何で下々の都合を気にしてくれないのさ。だからサイコババアなんだよもう。
そんな心の声など露知らず、「老骨に見合わない肩書き、早く外したい」と彼女は心底困った様子で溜め息を吐く。いやいや外さないで。距離を取る大義名分として必要ですから。と、そう言ってやりたいけど言えないしもう面倒臭い。
「あの、そろそろ本日呼び出された理由をお聞かせ願いたいのですが」
「そんな冷たい言い方しなくても……」
「いい加減にして頂いても?」
「……はぁ、仕方ないわねぇ」
漸く観念した様で、彼女はスッと真面目で威厳のある表情に戻り要件を話し始めた。
「先日。我らが主より、私に偉大なる時の試練が課せられました」
とにかくそうであってくれるなと祈って止まなかった謳い出しだった。女児の姿でいる時点で覚悟はしていたけれど、ダメだ。思わずこめかみをぴくりと震わせてしまった。
時の試練とは、彼女が過去と未来、どちらかの結果を見て、確定させようと動く時に口にされる言葉だ。この言葉があるという事はつまり、聞かされた側は確実にその試練に巻き込まれ、振り回される事になる。
「左様ですか」
必死に嫌な顔を堪えて返事すると、話は俄然嫌な方に進んでいく。
「十年程前にあった、“旧神によって漁村が滅んだ事件”、貴女ならご存知ですよね?」
「ええ、まあ……ルルイエ振動の極端化によって大量の犠牲者が出た年の一番最初にして最悪の事件ですから。当然覚えていますよ」
まだ私が司祭でない、ただの孤児の頃の事件だが、当時のインパクトは未だに大きい。教会所属の人間であれば知らない人間の方が少ないであろう。
「関係者に生存者無し。あの怪異は人がどうこう出来るモノでは無いと思いますが、何か解決の糸口でも?」
遠回しに私には無理だという方向性に持って行こうと口を滑らせた。結果、んふふふふという愉悦的でいやーな笑い声を引き出してしまい後悔する。
「糸口、ですか。そう呼ぶに相応しいかは不確かですが、その情報。一点だけ誤りが御座います」
「……まさか」
「そのまさかです。当時の漁村には、なんと唯一の生存者が存在していました」
「……公式では生存者無しと出ていたと思いますが」
「ええ。ですからここでこうして申し上げています。今まで知られていなかった新事実ですから」
彼女の力は必要な過去を掘り返し、最も望む未来を掴む。逆もまた然り。碌でもない事のニオイで鼻が曲がりそうだ。今すぐこの場から逃れたい。
「つきまして、貴女にしか頼めない事があるのですが」
出た、ちらちらモジモジ。マザーはわざとらしく視線を送りポージングを取る。此方から答えを言って欲しいという合図だ。とてもウザい。
癪だけど、流れ的に要求は明白であろう。嘆息し嫌々答える。
「……その生存者に接触しろと?」
彼女は「おしいっ」と短い腕を振り指を鳴らそうとして失敗したが、気にせず何もかも見透かした様な深い青の瞳で私を真っ直ぐ見つめ言う。
「接触するだけではなく、説得し教会に迎え入れて欲しいのです。彼こそが、この混沌とした世を救う救世主なのですから」
瞬間、思わずフリーズした。無駄に規模の大きな形容詞を聴いた気がして。
「…………きゅう……セイシュ? いつも言ってた、アレですか?」
「はい、そうです。遂に見つけました」
そうですじゃないが。
ただのスカウトミッションと思う事なかれ。彼女は常日頃からその存在を探していると口にしていた。そんな人間から出る、救世主を見つけたという言葉の重さは計り知れない。キナ臭さマックスだ。
救世主。善を以てこの世から怪異を根絶し、人の世を取り戻す存在。彼女の定義した、夢物語の様な人物だ。
「私以外に適任が居るのでは? というか総大司教自らが赴いては」
「ダメです。私はこの通り簡単に動く事の出来る立場では無くなってしまいましたし……貴女以上の適任は居ません」
「理由をお尋ねしても?」
「んふふふ」
あっ、笑って誤魔化した。聞けば私が全力で逃げたくなる様な理由なんだ。
「理由をお話出来ないのでしたらちょっと考えさせて頂きたいのですけれど」
「そんな無体な事言わないで? 貴女にしか頼めないのですよ。世界の存亡は貴女にかかっています」
瞳を輝かせながらクソみたいな殺し文句を言って、まさに獲物を逃すまいと迫る捕食者の如く、ずい、ずいとマザーは圧迫感を強めていく。
「意味が分かりませんっ、何で私なんですか」
「何を尻込みしているのですか? 教会に所属していれば、そういったことは日常茶飯事でしょうに」
「いや流石にそこまで酷くはありませんし、おかしいでしょうっ!」
私は彼女の頬を押し返し反抗する。
「私っ、まだつい最近昇格したばかりのペーペー修道司祭ですよ? それが総大司教の密命で救世主のスカウトなんて、分不相応では?」
「ところがどっこいそうでもありません。適任なんです」
そりゃ貴女の視点から見たらそうなのかもしれないけどさ!
「……その理由は?」
「前向きに受けて下さるのであれば、勿論お話しますよ」
「話を受けるかどうか判断する為の情報を人質に取るんじゃ本末転倒も良い所ですよ?」
「あら、今の私に命じられたら断れないのではなくて?」
なんてっ、タチの悪いっ……!
「一方的に無理矢理命じるのは本意では無いのです」と微笑む彼女。余計なプロセスが入っているだけで何ら変わりないではないか。
自分が憂いたくないからか、いや、単純に私が嫌がるのを楽しんでいるだけか。
元より断れない状況を作って無理難題を吹っ掛ける。それがこの人のやり口だ。立場がとんでもない所に変わってより簡易に凶悪化している。何にせよ、どの道此方に選択肢は無い。
「っ…………教会に、迎えるだけで良いんですね?」
「ええ。言葉を交わし、是非私の前に連れて来て下さい」
結局連れて来いってんなら私要りますか? という口答えを押し殺し、私は観念した。
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