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40話 ドレイン・トロワー
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トロワー伯爵家の三男坊ドレインは、既に兄が家督を継いで、他の爵位も持ち合わせなかったため、既に平民となった身だ。
しかし城で宮仕えをしているので、便宜上准男爵を名乗ることが許されている。
「それがなければただの平民だからな」
とは、似たような境遇の同僚ともよく交わす会話だった。
婚約者は残念ながらいない。
城中の女官か女性騎士、または少し婚期を逃しつつある上司の娘などが狙い目なのだが、やはり嫡男のほうが圧倒的に人気が高いので、町で平民の娘を見つけるほうが早いかもしれない。
だが、どこの家門でも三男坊なんてそんなものだ。
ドレインは、今は結婚より仕事。
そちらに邁進すれば、そのうちに誰かが良い娘を紹介してくれるに違いないと楽観的に考えていた。
城では経済流通部と言って、国内産業の発展のため流通網を整える部署にいる。
土木部や治安部と連携し、輸出入される農産物や生産物を安全に運ぶための計画や調査を行うのだ。
まだ年若いドレインは計画に携わることはなく、上司たちが書いた計画書に基づき現地に行き、調査に当たるのが専らの仕事である。
だから気楽にワンド領を動き回ることもできた。
貴族の別邸らしい小振りだが古めかしい屋敷が見えてきた。
そばに植えられた大木に手をかけると、手慣れた様子でするすると登っていく。
枝葉の中に身を隠して潜伏するのだ。
「うん、ここはいいな」
座り心地のよさそうな枝に落ち着くと、屋敷を見張りだした。
「どうかあの女が一両日中に動いてくれますように」
完全にボランティアなので、できるのは仕事に支障がない程度。
ローズリーが飲み疲れて本宅で寝込んでいる今が最大の好機である。
暑くも寒くないが、雨が降りそうな微妙な空具合は、洗濯も出来ず、買い物にちょうどよい。
そんなことを考えながら屋敷を覗いていると、行商がやってきた。
それが行商などやるには惜しいほど整った顔立ちをしていて、さぞ女性に人気だろうとドレインが臍を噛む。
ふと、時間の経過が気になりだした。
行商が荷物をほどき、商品を並べて見せてから買うものが決まるまで、どのくらいかかるだろうかと頭の中でシュミレーションをするのだが、それにしては遅すぎるのだ。
「まさか?」
建物に近づき、窓から覗いてもだれもいない。
次の窓、その次の窓と、周りの気配を気にしながらも覗いて歩くと、屋敷の裏側に面した窓から話し声が聴こえた。
「ふふふ、ねええアルダス!早くこっちに来なさいよ」
ぽふんぽふんと布団を叩くような音がする。
「待てよエラ!本当にここに子爵は来ないんだろうな?」
「大丈夫よ、今は本宅にいるもの。あいつがこっちに来るときはちゃんと知らせろって躾けてあるからね。ほら、あいつって馬鹿正直と顔くらいしか取り柄がないじゃない!
あっ、爵位があったわ」
そう言うと、エランディアは自分が面白いことを言ったかのように声を立てて笑った。
「そうか。なあエラは普段ここで一人で何して過ごしてるんだ?」
「そうねえ、やることは特にないから、小説読んだり王都に買い物に行ったり」
ドレインの耳が、ピクリと動いた。
「子爵はどのくらいの間隔でこっちに来てるんだ?」
「そうねえ、前は3日おきくらいだったけど、最近は一月に一回か二回かな。ジャム作り始めて忙しいらしいわ。くっ!ジャムですって地味臭いったら」
流石にアルダスも眉を寄せる。
「随分な言い方だな、ジャムだって良いものを作ればいい収入になると思うぞ」
「そうなの?それなら頑張って稼がせなくちゃね」
笑いながら胸を反らし、アルダスを誘うエランディアだが、アルダスの興味は別のところにあった。
サイドテーブルに触れた指先がザラリとしたのだ。
「なんだ?ここ埃が」
「ああ。それね、こっちの寝室は普段使ってないから」
エランディアが普段使っている寝室は可愛らしく装飾して気に入っているが、アルダスと過ごすには少々手狭だ。
そのため主寝室にアルダスを招き入れていた。
「ええ?じゃあここ掃除してないのか?汚ないなあ」
アルダスが怯んだような声をあげる。
「今は使用人もいないから仕方ないのよ。自分が使うところの掃除くらいはしてるわよ!」
「自分の寝室とキッチンか」
「ええ。あと風呂ね。だから暮らすのは困らないし」
平民の家に風呂はない。
体を拭くことで清潔を保つのだ。
湯浴みができる設備を屋敷に持つのは貴族や豪商くらいなものである。
「風呂?子爵のを使ってるのか?へえ!いいなそれ、貴族っぽくて。俺も入ってみたいよ。なあやっぱり掃除くらい使用人いれないか?」
「だーめ。せっかく金の卵を丸め込んだのだから、全部手に入れるまでは我慢しなくちゃ」
(掃除してない?子爵のための風呂を勝手に使ってる?金の卵?)
話を聞くとローズリーが気の毒になるほど、エランディアは彼を馬鹿にしていて不愉快極まりない。
それに気になることがいくつもあった。
(やっぱり・・。あの女が朴訥なローズリーなんかで我慢するわけがないんだよ。しかし主の留守に屋敷に男を引き込むとはなあ)
そんな大胆なことができるのも、ローズリーなら御せると思っているからだろうと気づくと、ドレインは腹ただしくなる。
エランディアには勿論だが、ここまで馬鹿にされて気づかないローズリーにもだ。
(こんな女、絶対許してはダメだ!)
ドレインは腹の底からこみ上げる怒りに、拳を握り締めていた。
しかし城で宮仕えをしているので、便宜上准男爵を名乗ることが許されている。
「それがなければただの平民だからな」
とは、似たような境遇の同僚ともよく交わす会話だった。
婚約者は残念ながらいない。
城中の女官か女性騎士、または少し婚期を逃しつつある上司の娘などが狙い目なのだが、やはり嫡男のほうが圧倒的に人気が高いので、町で平民の娘を見つけるほうが早いかもしれない。
だが、どこの家門でも三男坊なんてそんなものだ。
ドレインは、今は結婚より仕事。
そちらに邁進すれば、そのうちに誰かが良い娘を紹介してくれるに違いないと楽観的に考えていた。
城では経済流通部と言って、国内産業の発展のため流通網を整える部署にいる。
土木部や治安部と連携し、輸出入される農産物や生産物を安全に運ぶための計画や調査を行うのだ。
まだ年若いドレインは計画に携わることはなく、上司たちが書いた計画書に基づき現地に行き、調査に当たるのが専らの仕事である。
だから気楽にワンド領を動き回ることもできた。
貴族の別邸らしい小振りだが古めかしい屋敷が見えてきた。
そばに植えられた大木に手をかけると、手慣れた様子でするすると登っていく。
枝葉の中に身を隠して潜伏するのだ。
「うん、ここはいいな」
座り心地のよさそうな枝に落ち着くと、屋敷を見張りだした。
「どうかあの女が一両日中に動いてくれますように」
完全にボランティアなので、できるのは仕事に支障がない程度。
ローズリーが飲み疲れて本宅で寝込んでいる今が最大の好機である。
暑くも寒くないが、雨が降りそうな微妙な空具合は、洗濯も出来ず、買い物にちょうどよい。
そんなことを考えながら屋敷を覗いていると、行商がやってきた。
それが行商などやるには惜しいほど整った顔立ちをしていて、さぞ女性に人気だろうとドレインが臍を噛む。
ふと、時間の経過が気になりだした。
行商が荷物をほどき、商品を並べて見せてから買うものが決まるまで、どのくらいかかるだろうかと頭の中でシュミレーションをするのだが、それにしては遅すぎるのだ。
「まさか?」
建物に近づき、窓から覗いてもだれもいない。
次の窓、その次の窓と、周りの気配を気にしながらも覗いて歩くと、屋敷の裏側に面した窓から話し声が聴こえた。
「ふふふ、ねええアルダス!早くこっちに来なさいよ」
ぽふんぽふんと布団を叩くような音がする。
「待てよエラ!本当にここに子爵は来ないんだろうな?」
「大丈夫よ、今は本宅にいるもの。あいつがこっちに来るときはちゃんと知らせろって躾けてあるからね。ほら、あいつって馬鹿正直と顔くらいしか取り柄がないじゃない!
あっ、爵位があったわ」
そう言うと、エランディアは自分が面白いことを言ったかのように声を立てて笑った。
「そうか。なあエラは普段ここで一人で何して過ごしてるんだ?」
「そうねえ、やることは特にないから、小説読んだり王都に買い物に行ったり」
ドレインの耳が、ピクリと動いた。
「子爵はどのくらいの間隔でこっちに来てるんだ?」
「そうねえ、前は3日おきくらいだったけど、最近は一月に一回か二回かな。ジャム作り始めて忙しいらしいわ。くっ!ジャムですって地味臭いったら」
流石にアルダスも眉を寄せる。
「随分な言い方だな、ジャムだって良いものを作ればいい収入になると思うぞ」
「そうなの?それなら頑張って稼がせなくちゃね」
笑いながら胸を反らし、アルダスを誘うエランディアだが、アルダスの興味は別のところにあった。
サイドテーブルに触れた指先がザラリとしたのだ。
「なんだ?ここ埃が」
「ああ。それね、こっちの寝室は普段使ってないから」
エランディアが普段使っている寝室は可愛らしく装飾して気に入っているが、アルダスと過ごすには少々手狭だ。
そのため主寝室にアルダスを招き入れていた。
「ええ?じゃあここ掃除してないのか?汚ないなあ」
アルダスが怯んだような声をあげる。
「今は使用人もいないから仕方ないのよ。自分が使うところの掃除くらいはしてるわよ!」
「自分の寝室とキッチンか」
「ええ。あと風呂ね。だから暮らすのは困らないし」
平民の家に風呂はない。
体を拭くことで清潔を保つのだ。
湯浴みができる設備を屋敷に持つのは貴族や豪商くらいなものである。
「風呂?子爵のを使ってるのか?へえ!いいなそれ、貴族っぽくて。俺も入ってみたいよ。なあやっぱり掃除くらい使用人いれないか?」
「だーめ。せっかく金の卵を丸め込んだのだから、全部手に入れるまでは我慢しなくちゃ」
(掃除してない?子爵のための風呂を勝手に使ってる?金の卵?)
話を聞くとローズリーが気の毒になるほど、エランディアは彼を馬鹿にしていて不愉快極まりない。
それに気になることがいくつもあった。
(やっぱり・・。あの女が朴訥なローズリーなんかで我慢するわけがないんだよ。しかし主の留守に屋敷に男を引き込むとはなあ)
そんな大胆なことができるのも、ローズリーなら御せると思っているからだろうと気づくと、ドレインは腹ただしくなる。
エランディアには勿論だが、ここまで馬鹿にされて気づかないローズリーにもだ。
(こんな女、絶対許してはダメだ!)
ドレインは腹の底からこみ上げる怒りに、拳を握り締めていた。
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