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25話
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メーリア伯爵家の夜会が行われる日が近づくと、メーメの店では仕事の合間に日持ちする焼き菓子をまとめて焼き始めた。
一日中、休むことなくオーブンに火を入れているサラは汗だくだ。
「サラ!夜会の日は店を休まねばならんからそろそろ貼り紙をしておいたほうがよいと思うぞ。ぎりぎりではお客様に迷惑をかける」
注意されて、はっとする。
「そうですわね、紙はどこかしら」
「サラ、パーティー前の二日は休みなさい」
「え?一日で大丈夫ですわ」
「あのなあサラ。こういう時はどういうわけか不測のことが起きやすいのだ。たっぷりと準備に時間をかけることが大切だぞ」
噛んで含めるように言って聞かせるメーメの姿を見て、ローサはあたたかい気持ちに胸が満たされていた。
菓子作りにしか興味がなかった父が見せるようになった人間らしさ。実の娘の自分が揺り起こせなかったのは残念だが、いつか父が働けなくなって共に暮らす日が来ても、今の父とならうまくやっていけるだろうとそんな気がした。
サラが店の窓に貼り紙をしていると、ザイアがやってきて声をかける。
「珍しいですね。おやすみですか?」
「あら、いらっしゃいませ。ちょっと大がかりなパーティーにスイーツを頼まれておりますの」
「そうでしたか」
貼り紙で見た日付と大がかりなパーティーと聞いて、自分も出席予定のメーリア伯爵家かなと当たりをつけるが、ザイアにとってメーリア伯爵家に行くことは決して心安いものではない。
緊張するに違いないが、食べ慣れたお気に入りのスイーツが用意されていると聞いて、少し肩の力を抜くことができそうだとほっとした。
「今日はスイーツ買えますか?」
「もちろんですわ。どうぞ中にお入りください」
いくつかのスイーツを選んだザイアは、袋にいれて渡すサラのその指先が赤く傷だらけだと気づく。
─働き者の手だ─
最近のサラの顔や髪は手入れでもされているかのように艷やかだが、手だけは水にさらされて、いつもカサつきあかぎれだらけだ。
あかぎれに効くクリームでも持ってきてあげたいと思うが、しかしなんと言って渡せばいいだろうか。
さりげなく何も言わずに渡す?
よく効くからと一言くらい添える?
それとも早く治りますようにと、小さな細い手に小瓶を持たせてやる?
どうしたらサラに喜んでもらえるか、しかし余計なお世話と思われたらという不安とでザイアの頭はいっぱいになっていた。
さて。
サラはメーメとモニカ、ローサの協力で着々と準備を整えていく。
ジュレやムース、焼き菓子は前日までに仕上げて、デコレーションケーキは当日に作る。
よく考えると自分の支度もしなくてはならないので、メーメに言われたように二日休みにしてよかったと師匠に感謝した。
「師匠も伊達に歳を召されているわけではないわね」
「そんなことおっしゃって、メーメ様に言いつけますわよ」
「モニカ!もう、言ってはだめよやめて」
笑いながら明日のために粉を振るっている。
美しくやさしいサラはモニカの自慢の主だ。理由あって菓子作りに青春を捧げているが、貴族の令嬢らしいしあわせも手にしてほしいものだと密かに願い続けていた。
メーリア伯爵家の夜会当日。
朝からサラとモニカは厨房スタッフの力を借り、スイーツの仕上げを始めている。
「早くしないと夜会の準備が間に合わなくなりますわ」
「わかっていてよ。気が散るから黙っていて」
生クリームを冷やしながらかっちりとツノが立つまで泡立てると、まずはヘラでスポンジケーキのまわりに塗りたくる。きれいに均一な面にのばしてから、残りのクリームを絞り袋に詰め込んでデコレーションを開始。
最初の頃は、このデコレーションが何よりも不得意でここまでできるようになるまでかなり時間がかかったが、クリームを冷やしながら泡立てるなど基本をしっかり守るようになってからは、クリームのヨレやダレが無くなって形を決められるようになっていった。
基本を疎かにしたつもりはなかったが、メーメの店で練習するときに限られた量しかない氷は使えないと遠慮をした結果、失敗を重ねてしまった。
自宅で練習して初めてそれに気づいて以来、使うべき材料や道具は惜しまないことを徹底し、格段にうまくなったのだ。
伯爵家の氷室に冷やしておきたいものを運び込み、やっと夜会の支度を始める。
汗だくなので、まずは湯浴みからだ。
湯からあがると、モニカと他の侍女たちが待ち受けて、肌を磨き、髪をまとめながら化粧を施していく。
「時間がございませんから、同時進行いたしますわよ」
モニカは腕まくりをして手にはパウダーを含ませた柔らかいブラシを持ち、下地を塗ったサラの顔にブラシを軽くあててくるくると回しながらパウダーをのせていく。
細かく砕いたパール入りのパウダーはサラの肌を艷やかに引き立て、美しく仕上がった。
「お化粧ってケーキのデコレーションみたいだわ」
鏡に笑うサラが映り、モニカはひさしぶりに見た伯爵令嬢のサラに感慨深く見惚れていた。
「サラ様!お美しいですわ本当に」
支度を手伝った侍女たちが口々に褒めるので照れくさそうな顔をしている。
以前のサラならそれが侍女の仕事なのだからと気にもとめなかったかもしれない。
でも今は、侍女たちの支えでこの支度を整えられたと、自分のために働いてくれる者がいる意味を深く捉えている。
「皆さん!この数年なんの手入れもせずにいた私の支度をここまでしてくれた事、本当に感謝していますわ。ありがとう」
きらきらと輝くような微笑みで礼を言ったサラに、侍女たちは涙を堪えた。
一日中、休むことなくオーブンに火を入れているサラは汗だくだ。
「サラ!夜会の日は店を休まねばならんからそろそろ貼り紙をしておいたほうがよいと思うぞ。ぎりぎりではお客様に迷惑をかける」
注意されて、はっとする。
「そうですわね、紙はどこかしら」
「サラ、パーティー前の二日は休みなさい」
「え?一日で大丈夫ですわ」
「あのなあサラ。こういう時はどういうわけか不測のことが起きやすいのだ。たっぷりと準備に時間をかけることが大切だぞ」
噛んで含めるように言って聞かせるメーメの姿を見て、ローサはあたたかい気持ちに胸が満たされていた。
菓子作りにしか興味がなかった父が見せるようになった人間らしさ。実の娘の自分が揺り起こせなかったのは残念だが、いつか父が働けなくなって共に暮らす日が来ても、今の父とならうまくやっていけるだろうとそんな気がした。
サラが店の窓に貼り紙をしていると、ザイアがやってきて声をかける。
「珍しいですね。おやすみですか?」
「あら、いらっしゃいませ。ちょっと大がかりなパーティーにスイーツを頼まれておりますの」
「そうでしたか」
貼り紙で見た日付と大がかりなパーティーと聞いて、自分も出席予定のメーリア伯爵家かなと当たりをつけるが、ザイアにとってメーリア伯爵家に行くことは決して心安いものではない。
緊張するに違いないが、食べ慣れたお気に入りのスイーツが用意されていると聞いて、少し肩の力を抜くことができそうだとほっとした。
「今日はスイーツ買えますか?」
「もちろんですわ。どうぞ中にお入りください」
いくつかのスイーツを選んだザイアは、袋にいれて渡すサラのその指先が赤く傷だらけだと気づく。
─働き者の手だ─
最近のサラの顔や髪は手入れでもされているかのように艷やかだが、手だけは水にさらされて、いつもカサつきあかぎれだらけだ。
あかぎれに効くクリームでも持ってきてあげたいと思うが、しかしなんと言って渡せばいいだろうか。
さりげなく何も言わずに渡す?
よく効くからと一言くらい添える?
それとも早く治りますようにと、小さな細い手に小瓶を持たせてやる?
どうしたらサラに喜んでもらえるか、しかし余計なお世話と思われたらという不安とでザイアの頭はいっぱいになっていた。
さて。
サラはメーメとモニカ、ローサの協力で着々と準備を整えていく。
ジュレやムース、焼き菓子は前日までに仕上げて、デコレーションケーキは当日に作る。
よく考えると自分の支度もしなくてはならないので、メーメに言われたように二日休みにしてよかったと師匠に感謝した。
「師匠も伊達に歳を召されているわけではないわね」
「そんなことおっしゃって、メーメ様に言いつけますわよ」
「モニカ!もう、言ってはだめよやめて」
笑いながら明日のために粉を振るっている。
美しくやさしいサラはモニカの自慢の主だ。理由あって菓子作りに青春を捧げているが、貴族の令嬢らしいしあわせも手にしてほしいものだと密かに願い続けていた。
メーリア伯爵家の夜会当日。
朝からサラとモニカは厨房スタッフの力を借り、スイーツの仕上げを始めている。
「早くしないと夜会の準備が間に合わなくなりますわ」
「わかっていてよ。気が散るから黙っていて」
生クリームを冷やしながらかっちりとツノが立つまで泡立てると、まずはヘラでスポンジケーキのまわりに塗りたくる。きれいに均一な面にのばしてから、残りのクリームを絞り袋に詰め込んでデコレーションを開始。
最初の頃は、このデコレーションが何よりも不得意でここまでできるようになるまでかなり時間がかかったが、クリームを冷やしながら泡立てるなど基本をしっかり守るようになってからは、クリームのヨレやダレが無くなって形を決められるようになっていった。
基本を疎かにしたつもりはなかったが、メーメの店で練習するときに限られた量しかない氷は使えないと遠慮をした結果、失敗を重ねてしまった。
自宅で練習して初めてそれに気づいて以来、使うべき材料や道具は惜しまないことを徹底し、格段にうまくなったのだ。
伯爵家の氷室に冷やしておきたいものを運び込み、やっと夜会の支度を始める。
汗だくなので、まずは湯浴みからだ。
湯からあがると、モニカと他の侍女たちが待ち受けて、肌を磨き、髪をまとめながら化粧を施していく。
「時間がございませんから、同時進行いたしますわよ」
モニカは腕まくりをして手にはパウダーを含ませた柔らかいブラシを持ち、下地を塗ったサラの顔にブラシを軽くあててくるくると回しながらパウダーをのせていく。
細かく砕いたパール入りのパウダーはサラの肌を艷やかに引き立て、美しく仕上がった。
「お化粧ってケーキのデコレーションみたいだわ」
鏡に笑うサラが映り、モニカはひさしぶりに見た伯爵令嬢のサラに感慨深く見惚れていた。
「サラ様!お美しいですわ本当に」
支度を手伝った侍女たちが口々に褒めるので照れくさそうな顔をしている。
以前のサラならそれが侍女の仕事なのだからと気にもとめなかったかもしれない。
でも今は、侍女たちの支えでこの支度を整えられたと、自分のために働いてくれる者がいる意味を深く捉えている。
「皆さん!この数年なんの手入れもせずにいた私の支度をここまでしてくれた事、本当に感謝していますわ。ありがとう」
きらきらと輝くような微笑みで礼を言ったサラに、侍女たちは涙を堪えた。
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