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270 発想力

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 ドレイファスが夢で視た文字の押し型は、早くもで試作が進んでいた。

 コバルドは、エイルがやってくれるならむしろ助かるくらいな引きの姿勢だったので、ここはまったく問題なし。

「いちいち紙を透かすのが面倒くさいなあ」

 呟いたエイル。
紙を裏返して文字を透かし、確認して、下向いて書くのが面倒臭くなってきたのだ。

「少し休めよ」

 仕事を代わってもらって解放されたコバルドが鉄製のカップに果実水を入れて持ってきてくれた。
 この鉄製カップは、コップとして使うには少々重いが、落としても壊れず、冷やした飲み物が冷たいまま飲めるので最近人気になっている。

「ありがとう」

 コバルドはそれを文字を書き込んだ紙のすぐ側に置いたのだが。カップについた水滴が垂れるのを嫌気したエイルがカップを移動させようとふと見ると、鉄製のボディに文字が映っているではないか!
酷く歪んでいるけれど。

「ん?」

 エイルは鉄製カップをさらに文字に寄せてみた。

「やっぱり!」

 鉄製カップのように、いや、もっときれいに映ると言ったら鏡だ!

 作業場にはないが、自室にはある。

「バルおじさん、ちょっと外すよ」

 寮の自分の部屋に行き、身だしなみを整えるためと母に持たされた小さな鏡を持って作業場へとんぼ返り。

 文字を鏡に映すと、満面の笑みを浮かべた。

「よし!これならずっと置きっぱなしでいけるぞ」
「鏡か!考えたな」
「バルおじさんのお陰だよ」
「ハハ、俺は何一つ思いついてないよ。全部エイルが考えたものばかりだ」

 負けた感を漂わせたコバルドが、エイルの肩をポンと叩いて、自分の作業机に戻って行った。

 それからのエイルは、刃先の形が違ういくつかのナイフを手に、鏡を見ながら器用に押し型を作り続けた。凄まじい勢いで。

 文字が二揃えが出来上がると、試しに綴りを並べて糸で縛り、インクを塗って紙に押してみる。覗き込んでいたコバルドのほうが先に声を上げた。


「おおっ!なかなかいい出来だなエイル」
「自分でもそう思うよ」
「ドレイファス様に一度見てもらおう」

 何故かコバルドがデーリンの元を訪ね、ドレイファスに見てもらいたいものができたことを伝えるよう頼んだ。

「ドレイファス様に?」
「はい、頼まれていたものができましたとお伝え下さい」

 学院から戻ってきてすぐデーリンから伝言を聞いたドレイファスは、荷物を部屋に置くといそいそとコバルドを訪ねたのだ。


「コバルド!出来たって聞いたよ」

 ノックとともに待ちきれず作業場の扉を開けてしまう。

「ドレイファス様」
「コバルドありがとう」
「いえ、実は作ったのはエイルなんです」

 草色の視線が同じ色の甥っ子を見やる。


「エイルが?そうか!作ってくれてありがとう」
「いえ、機会を頂いて感謝しております。試作ですがご覧頂きたいです」
「うん、すぐ見られる?」
「もちろんです」

 エイルがトレーに乗せた押し型をテーブルに乗せ、インク壺と平筆も一緒に持ってくる。

「ではまずこちらから」

 角ばった文字の押し型で簡単な文章を作り、バラけないように糸でぐるぐると縛ると、文字面に平筆でインクを塗って紙に押し当てた。

「糸で縛る?」
「はい。指で押さえるのは難しくて、どうしてもズレてしまうので、紐でやってみたんですが、紐より糸のほうが緩みにくいみたいです」

 ドレイファスは驚いた。
 夢でも糸でまわりを縛っていたが、その話はまだしていなかったからだ。
 エイルが自分の考えて工夫を凝らしたということ。

 平均的に力がかかるよう注意深く押し当てたあと、そっと押し型を紙から外すと、右上がりに少し癖のある角張った文字列が現れた。

「想像以上だ!」

 僅か一日でここまで仕上げたエイルに感嘆する。

「こちらも見てみてください」

 今度は丸みのある文字の押し型で、同じことをしてみせた。

「これは女性の書いた文字みたいだね」
「そうですね、字を変えてみるといろいろな用途に使えるかもしれません。例えば・・・包装紙に店の名前を押すとか」
「いいね、母上のスイーツの店のとか」

 包装紙は真っ白か、真っ赤か、真っ青のように単色のものがほとんどだ。織物のリボンの方に柄を入れて華やかに飾ることが多い。

「なるほどね。字を変えるか・・・」

 夢ではそこまでわからなかったのだが、ドレイファスはふと、花の押し型を作って白い紙に押し当てたら包装紙に花の模様もつけられるのではと思いついた。

「エイル、これ、もっと大きな花の模様で作ってみてもらえるかな」
「花ですか?」
「うん、大きさは任せるけど、包装紙に押した時に華やかに見えるくらい」
「やってみます!」

 花の模様と聞いて、エイルはササッと紙に花の絵を描きあげ、ドレイファスに訊ねた。

「どの花がいいでしょうか」

 目を丸くしたのはドレイファスだ。
 絵が巧すぎたのだ!

「エイル、すごいな」
「絵を描くのが好きなんです」
「そう・・・なんだ」

 戸惑いながらも、エイルが描いた絵の中から二種類を選ぶ。

「ではこれをモチーフに考えてみます」

 ミルケラがいなかったからコバルドで、と消去法でやって来たのが、どうやらとんでもない当たりを引いたらしいと、さすがにドレイファスも気がついていた。

 ドレイファスより少し年上のエイルは、感覚も近いのだろう。まるでミルケラと話しているようなテンポの良さも心地よい。

「うん!コバルド、これをエイルに任せたいんだが、構わないかな?」

 とっくに自分の手から離れていると思っていたコバルドは、突然訊ねられてピッと真っ直ぐに突っ立つと「は、はい」と裏返った声で応え、それを聞いたドレイファスはエイルに微笑みかける。

「何か出来たらすぐに呼んでくれ」
「ありがとうございますっ!」

 紅潮した顔のエイルは、びっくりするような大きな声でうれしそうに叫んだのだった。




「結局コバルドではなくなったんですね」
「うん。レイドもエイルが描いた絵見たよね?」
「さらさらっと簡単そうに描いてましたね」
「ああ、それがあんなに上手いんだから驚いたよ!花も文字も美しい形にしてもらいたいし、どうせならそういう意識が高い方に頼むのがいいと思ったんだ。コバルドは、ほら、なんかちょっと面倒臭そうに見えたから」

 レイドは返事に困った。
 確かにレイドの目にもコバルドの態度や表情には面倒臭そうな雰囲気が見て取れたのだが、それを自分が肯定したことでコバルドに不利益が出ては困る。

「一番いい物を作れるならどのグゥザヴィがやっても構わないかなって思ってね」

 自分が言った、グゥザヴィがやってもという言葉にドレイファスは笑う。

「同じグゥザヴィ家の人間で、顔も色もそっくりなのに、中身はずいぶん違うものだね」

 そう言ってまた笑った。

 地下通路を通り抜け、本館に戻る。
 部屋に戻るつもりだったが、図書室へ足を向けた。

「ドレイファス様!おかえりなさい」

 デーリンがハルーサと資料の整理中だ。

 穴開け機械はこのふたりにも大きな恩恵を与えていた。小さく丸くくり抜かれた紙が床に落ちているが、気にせず楽しそうに穴を開け続けているハルーサ。
 彼の指に、もう布は巻かれていない。

 同じ位置に穴が開くことで、紐で束ねる時も四隅をキチっと揃えられるため、棚に置いてもとてもきれいに並べられるようになった。

 スリイが作ってくれた穴開け機械に、ドレイファスは大変満足していた。




 ふとデーリンが標本に書き込みをする姿に目が留まる。男性としては筆圧の弱いきれいな字。

 ドレイファスの世界では何でも手書きだ。

 例えば学院で使っている教科書。

 ドレイファスの教科書は、父ドリアンやその妹シロノアが昔使っていたものだと教えられ、弟妹たちも使うから大切に扱うよう言い含められた。

 教科書の中身が変わることは滅多にないため、こうして使い回されていくことに大きな問題はない。
 これはものを大切にする文化というわけではなく、何冊もある教科書をこども毎に手書きで作る作業が大変だから。
 清書屋という職業もあるが、作業量から想像できると思うが料金も馬鹿高い。
もちろん大抵の貴族なら何ということなく払える金額だが、使えるものがあればあえて新調はしないのだ。

 そうして使い回す教科書がある家は良いが、ない家のこどもたちや使用人クラスの生徒には、学院がCDクラスの生徒に授業料減免の条件で書き写しを手伝わせ、作成したものを貸与する。しかし残念ながら字が美しくない者も相当数おり、とても読みづらい教科書が数多存在しているのも事実。

「教科書もあの押し型があれば」

 貧乏な学生も手書きではなく、型押しを手伝えばいい!

 自分とエイルの作る文字の押し型があれば出来そうなことが次から次から頭に浮かんできて、楽しみで口角があがっていくのだった。


■□■


いつもありがとうございます。
仕事の超繁忙期を迎え、バタバタしております。
なるべく毎週更新出来るようにがんばります。
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