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256 公子、反省する
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あけましておめでとうございます。
業務が予想外に多忙となりまして、当面不定期のゆっくり更新になりますが、今年もどうぞドレイファスをよろしくお願いいたします。
■□■□■
その朝のこと。
ドレイファスを起こしに来たメイドのリュナがカーテンを開けると、眩しい陽が射し込んで、それがミッディスの耳元を照らしている。毛並に陽射しが作り出した艷が流れていくのを眺めて、ふと違和感を感じた。
その正体を探ろうと碧い目を凝らしてヌコに顔を近づけたドレイファスは、ミッディスの異変に気づいて眉を寄せた。
学院に着くと教室に行く前に、ミースの研究室へ向かったドレイファス。
肩に乗ったミッディスの片耳は、毛が抜けて皮膚が見えていた。
「あ、これは!」
不在のミースに代わり、ヌコの毛並を指先で掻き分け、ダッニ本体を確認した研究助手アレストが呟く。
「ダッニがついてますよ!」
アレストの指が剥き出しにしたミッディスの皮膚には、まん丸く大きく膨らんだダッニが食いついていた。
「うわっ、ダッニってこれ?気持ち悪いなっ!」
「見たことはございませんでしたか?これはかなり吸血してますよ!本当はもっとほら」
そう言ってミッディスをドレイファスに渡し、小瓶を持ってきたアレスト。瓶の中には小さな粒・・・、いやよく見ると手足を蠢かしている!
吸血前の小さな腹ペコダッニが入れられていたのだ。
「藪の中や草むらに潜んで、やって来た獣の体に取りついて血を吸うと、そんなふうに膨らんでいくんですよ」
「えっ?ミッディがたくさん血を吸われたからこの大きさになったということ?それなら早く取ってあげないと」
焦るドレイファスに、目の細かなコームを持ち上げて見せたアレストは、それでミッディスの背中からダッニを掬いあげ、先ほどの小瓶に振り落とした。
「ヌコのように体が小さいと、少し吸われただけでも影響が大きいですから、虫除けをつけてやらなくてはいけませんよ」
ミッディスとヴァイスは首輪の代わりに細く皮を編んだアミュレットをつけているが、それは虫除けにはならなかった。
「いつも?」
「そうですね、虫除けはいつもつけてあげてください。お屋敷の庭園にもダッニはいるのですから」
屋敷の庭にもいると聞いたドレイファスは、畑に行ったり、ロプモス山に行ったり、いつもの自分の行動範囲を頭に思い浮かべて金色の眉を寄せていく。
「ごめんよミッディ!帰りにすぐ虫除けを買おう」
ヌコたちに語りかけるドレイファスに微笑みを向けたアレストが、ヴァイスにも手を伸ばした。
「え?ヴァイも?」
「ええ。一緒にいるのですから、ヴァイスちゃんにもついていると思ったほうがいいでしょう。授業の間に薬浴しておきますね」
自信満々な表情で二匹のヌコを抱き上げ、籠に入れたアレストが、ドレイファスとトレモルに教室へ戻るよう促す。
「昼までには洗い終わっているでしょう。お迎えはその頃にどうぞ」
そう言って、手を振った。
当たり前のように両肩にとまるヌコたちは非常に軽く、普段は意識することもないが、ほんわりと温かな存在がいないとなるとドレイファスは無性に寂しくなった。
さみしいほどに反省も深い。
「そうか・・・虫除けしてやらなくちゃいけなかったのか」
ウィザの白狼もつけていただろうか?
思い出そうとするが、太い首輪を巻いていることくらいしか浮かばない。
その太い首輪に虫除けや状態異常を回避するアミュレットが編み込まれているのだが。
「トリィ。ダッニの虫除け、どこで買えるか知ってる?」
「冒険者ギルドのそばの露店や、ローザリオ先生のアトリエとかグゥザヴィ商会も売ってると思うぞ」
トレモルの声に頷いたドレイファスは、帰りにローザリオのアトリエに寄ることに決めた。
昼休みになると、ドレイファスは食事に誘うルートリアたちを断り、早足でアレストの元へ向かう。
あたたかな二匹がいないことで、これほど落ち着かない気持ちになるとは。食事より一刻も早くぬくもりを取り返したい。
トレモルとふたり、大きく根を張った樹々の葉影が足元に流れて行くのを目にしながら、ドレイファスはさらに足を早め、ミースの研究室が見えると走り出していた。
二匹を預かってくれたアレストは、やって来たドレイファスを見てにこりと笑む。
奥に引っ込んだと思うと、空気を含んで毛並みがふわりとした二匹を手のひらに乗せて戻って来る。
「薬浴をしてから防虫薬を塗布しましたから、これで数日は大丈夫だと思いますよ。その間に虫除けを用意してあげてください」
差し出された手のひらから、二匹がドレイファス目がけてジャンプし、磁石にひきよせられたようにいつもの定位置におさまる。
見知らぬアレストに薬湯を張った洗面器に突っ込まれ、ギャンギャン泣き喚いたことなどなかったかのように、すました二匹を見たアレストがまたくすりと笑った。
ヌコたちの動きに連れられ、浮かび上がった香りにドレイファスの鼻がスンと動く。
いつもの公爵家の石鹸とはまったく違う香りが鼻腔をくすぐったのだ。
「え?いい匂いがする!」
「それですね、人間にはいい匂いなんですが、吸血虫はどうやら大嫌いらしいんですよ」
「え!これが嫌い?」
「ええ。カルシトロールという花ですが、ダッニやノッミは大嫌いらしいです。そうだ!虫除けですが、ご自身でカルシトロールの葉をすり潰して、気に入った首輪にその汁を染み込ませて巻いてやるのもいいですよ」
両肩に戻ったヌコたちに触れ、手触りも抜群に良くなったことに気を良くしたドレイファスは、有益な情報を教えてくれたアレストに、殊更丁寧に礼を言って握手を交わす。
それにしても!と長い指を顎に当てながら、ドレイファスは考えていた。
公爵家の石鹸は当然最高級のものだが、ここまでふわふわのふっかふかにはならない気のだ。
ふと頭に浮かんだことが、形の良い唇からこぼれ落ちた。
「動物用の石鹸があるのかな?」
独り言だったが、背後にいたアレストが答える。
「ええ、そうです。体についた寄生虫を落とし、虫除けしつつ、毛皮の脂は適度に落としてくれるものなんです。除虫効果もですが、手触りが格段によくなるからここの研究室では必ず専用の石鹸を使っています」
「専用?」
「ご存知ありませんでしたか?」
そう、ドレイファスは知らなかった。
気になったことを鸚鵡返しにアレストに尋ね返す。
「脂を落としすぎないっていうのは?」
「はい。私たち人間もそうですが、毛皮や皮膚を守るために脂が分泌されていて」
と言いながら自分の指先で鼻を擦ったアレストが、テカった指先をドレイファスに見せてから、ハンカチで拭き取った。
「失礼いたしました。これを落とし過ぎると、皮膚が硬くなったり炎症を起こしたり、動物なら毛がパサついたりもします」
「えっ!」
そう聞くと、確かにヌコたちの毛はいつももっとゴワついていた気がする。
いや、それでも野生に比べたら信じられないほどに柔らかく滑らかだが、今、適度な脂を残し、より艷やかな二匹を見ると、その違いは明白。
それにここしばらくのミッディスは、脱毛した耳のまわりをしつこく搔いていた。
ダッニに吸血されたせいなのか、人間用の石鹸で洗い過ぎたせいなのかはわからないが、どちらにしても自分が理解していなかったせいで、小さな耳のまわりの皮膚が赤くむき出しになったことは間違いないだろう。
「ミッディごめんよ」
ドレイファスはまたも深く反省した。
小さな頃から馬や牛、鳥に触れ合っており、ヌコの世話もちゃんとやれている自信があった。
しかし公子のドレイファスが部屋の清掃から食事の仕度までしてやっているわけではなく、実際のほとんどはメイドたちが面倒みているのだ。ドレイファスの仕事はその指図や監督である。
「知っているつもり、やっているつもりなだけだったんだな」
魔獣すべてとはいわないが、せめてヌコの飼育に必要なことは学び直そうと、考えを改めたドレイファスであった。
業務が予想外に多忙となりまして、当面不定期のゆっくり更新になりますが、今年もどうぞドレイファスをよろしくお願いいたします。
■□■□■
その朝のこと。
ドレイファスを起こしに来たメイドのリュナがカーテンを開けると、眩しい陽が射し込んで、それがミッディスの耳元を照らしている。毛並に陽射しが作り出した艷が流れていくのを眺めて、ふと違和感を感じた。
その正体を探ろうと碧い目を凝らしてヌコに顔を近づけたドレイファスは、ミッディスの異変に気づいて眉を寄せた。
学院に着くと教室に行く前に、ミースの研究室へ向かったドレイファス。
肩に乗ったミッディスの片耳は、毛が抜けて皮膚が見えていた。
「あ、これは!」
不在のミースに代わり、ヌコの毛並を指先で掻き分け、ダッニ本体を確認した研究助手アレストが呟く。
「ダッニがついてますよ!」
アレストの指が剥き出しにしたミッディスの皮膚には、まん丸く大きく膨らんだダッニが食いついていた。
「うわっ、ダッニってこれ?気持ち悪いなっ!」
「見たことはございませんでしたか?これはかなり吸血してますよ!本当はもっとほら」
そう言ってミッディスをドレイファスに渡し、小瓶を持ってきたアレスト。瓶の中には小さな粒・・・、いやよく見ると手足を蠢かしている!
吸血前の小さな腹ペコダッニが入れられていたのだ。
「藪の中や草むらに潜んで、やって来た獣の体に取りついて血を吸うと、そんなふうに膨らんでいくんですよ」
「えっ?ミッディがたくさん血を吸われたからこの大きさになったということ?それなら早く取ってあげないと」
焦るドレイファスに、目の細かなコームを持ち上げて見せたアレストは、それでミッディスの背中からダッニを掬いあげ、先ほどの小瓶に振り落とした。
「ヌコのように体が小さいと、少し吸われただけでも影響が大きいですから、虫除けをつけてやらなくてはいけませんよ」
ミッディスとヴァイスは首輪の代わりに細く皮を編んだアミュレットをつけているが、それは虫除けにはならなかった。
「いつも?」
「そうですね、虫除けはいつもつけてあげてください。お屋敷の庭園にもダッニはいるのですから」
屋敷の庭にもいると聞いたドレイファスは、畑に行ったり、ロプモス山に行ったり、いつもの自分の行動範囲を頭に思い浮かべて金色の眉を寄せていく。
「ごめんよミッディ!帰りにすぐ虫除けを買おう」
ヌコたちに語りかけるドレイファスに微笑みを向けたアレストが、ヴァイスにも手を伸ばした。
「え?ヴァイも?」
「ええ。一緒にいるのですから、ヴァイスちゃんにもついていると思ったほうがいいでしょう。授業の間に薬浴しておきますね」
自信満々な表情で二匹のヌコを抱き上げ、籠に入れたアレストが、ドレイファスとトレモルに教室へ戻るよう促す。
「昼までには洗い終わっているでしょう。お迎えはその頃にどうぞ」
そう言って、手を振った。
当たり前のように両肩にとまるヌコたちは非常に軽く、普段は意識することもないが、ほんわりと温かな存在がいないとなるとドレイファスは無性に寂しくなった。
さみしいほどに反省も深い。
「そうか・・・虫除けしてやらなくちゃいけなかったのか」
ウィザの白狼もつけていただろうか?
思い出そうとするが、太い首輪を巻いていることくらいしか浮かばない。
その太い首輪に虫除けや状態異常を回避するアミュレットが編み込まれているのだが。
「トリィ。ダッニの虫除け、どこで買えるか知ってる?」
「冒険者ギルドのそばの露店や、ローザリオ先生のアトリエとかグゥザヴィ商会も売ってると思うぞ」
トレモルの声に頷いたドレイファスは、帰りにローザリオのアトリエに寄ることに決めた。
昼休みになると、ドレイファスは食事に誘うルートリアたちを断り、早足でアレストの元へ向かう。
あたたかな二匹がいないことで、これほど落ち着かない気持ちになるとは。食事より一刻も早くぬくもりを取り返したい。
トレモルとふたり、大きく根を張った樹々の葉影が足元に流れて行くのを目にしながら、ドレイファスはさらに足を早め、ミースの研究室が見えると走り出していた。
二匹を預かってくれたアレストは、やって来たドレイファスを見てにこりと笑む。
奥に引っ込んだと思うと、空気を含んで毛並みがふわりとした二匹を手のひらに乗せて戻って来る。
「薬浴をしてから防虫薬を塗布しましたから、これで数日は大丈夫だと思いますよ。その間に虫除けを用意してあげてください」
差し出された手のひらから、二匹がドレイファス目がけてジャンプし、磁石にひきよせられたようにいつもの定位置におさまる。
見知らぬアレストに薬湯を張った洗面器に突っ込まれ、ギャンギャン泣き喚いたことなどなかったかのように、すました二匹を見たアレストがまたくすりと笑った。
ヌコたちの動きに連れられ、浮かび上がった香りにドレイファスの鼻がスンと動く。
いつもの公爵家の石鹸とはまったく違う香りが鼻腔をくすぐったのだ。
「え?いい匂いがする!」
「それですね、人間にはいい匂いなんですが、吸血虫はどうやら大嫌いらしいんですよ」
「え!これが嫌い?」
「ええ。カルシトロールという花ですが、ダッニやノッミは大嫌いらしいです。そうだ!虫除けですが、ご自身でカルシトロールの葉をすり潰して、気に入った首輪にその汁を染み込ませて巻いてやるのもいいですよ」
両肩に戻ったヌコたちに触れ、手触りも抜群に良くなったことに気を良くしたドレイファスは、有益な情報を教えてくれたアレストに、殊更丁寧に礼を言って握手を交わす。
それにしても!と長い指を顎に当てながら、ドレイファスは考えていた。
公爵家の石鹸は当然最高級のものだが、ここまでふわふわのふっかふかにはならない気のだ。
ふと頭に浮かんだことが、形の良い唇からこぼれ落ちた。
「動物用の石鹸があるのかな?」
独り言だったが、背後にいたアレストが答える。
「ええ、そうです。体についた寄生虫を落とし、虫除けしつつ、毛皮の脂は適度に落としてくれるものなんです。除虫効果もですが、手触りが格段によくなるからここの研究室では必ず専用の石鹸を使っています」
「専用?」
「ご存知ありませんでしたか?」
そう、ドレイファスは知らなかった。
気になったことを鸚鵡返しにアレストに尋ね返す。
「脂を落としすぎないっていうのは?」
「はい。私たち人間もそうですが、毛皮や皮膚を守るために脂が分泌されていて」
と言いながら自分の指先で鼻を擦ったアレストが、テカった指先をドレイファスに見せてから、ハンカチで拭き取った。
「失礼いたしました。これを落とし過ぎると、皮膚が硬くなったり炎症を起こしたり、動物なら毛がパサついたりもします」
「えっ!」
そう聞くと、確かにヌコたちの毛はいつももっとゴワついていた気がする。
いや、それでも野生に比べたら信じられないほどに柔らかく滑らかだが、今、適度な脂を残し、より艷やかな二匹を見ると、その違いは明白。
それにここしばらくのミッディスは、脱毛した耳のまわりをしつこく搔いていた。
ダッニに吸血されたせいなのか、人間用の石鹸で洗い過ぎたせいなのかはわからないが、どちらにしても自分が理解していなかったせいで、小さな耳のまわりの皮膚が赤くむき出しになったことは間違いないだろう。
「ミッディごめんよ」
ドレイファスはまたも深く反省した。
小さな頃から馬や牛、鳥に触れ合っており、ヌコの世話もちゃんとやれている自信があった。
しかし公子のドレイファスが部屋の清掃から食事の仕度までしてやっているわけではなく、実際のほとんどはメイドたちが面倒みているのだ。ドレイファスの仕事はその指図や監督である。
「知っているつもり、やっているつもりなだけだったんだな」
魔獣すべてとはいわないが、せめてヌコの飼育に必要なことは学び直そうと、考えを改めたドレイファスであった。
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