上 下
255 / 271

256 公子、反省する

しおりを挟む
 あけましておめでとうございます。
 業務が予想外に多忙となりまして、当面不定期のゆっくり更新になりますが、今年もどうぞドレイファスをよろしくお願いいたします。


■□■□■


 その朝のこと。
 ドレイファスを起こしに来たメイドのリュナがカーテンを開けると、眩しい陽が射し込んで、それがミッディスの耳元を照らしている。毛並に陽射しが作り出した艷が流れていくのを眺めて、ふと違和感を感じた。
 その正体を探ろうと碧い目を凝らしてヌコに顔を近づけたドレイファスは、ミッディスの異変に気づいて眉を寄せた。






 学院に着くと教室に行く前に、ミースの研究室へ向かったドレイファス。
肩に乗ったミッディスの片耳は、毛が抜けて皮膚が見えていた。

「あ、これは!」

 不在のミースに代わり、ヌコの毛並を指先で掻き分け、ダッニ本体を確認した研究助手アレストが呟く。

「ダッニがついてますよ!」

 アレストの指が剥き出しにしたミッディスの皮膚には、まん丸く大きく膨らんだダッニが食いついていた。

「うわっ、ダッニってこれ?気持ち悪いなっ!」
「見たことはございませんでしたか?これはかなり吸血してますよ!本当はもっとほら」

 そう言ってミッディスをドレイファスに渡し、小瓶を持ってきたアレスト。瓶の中には小さな粒・・・、いやよく見ると手足を蠢かしている!

 吸血前の小さな腹ペコダッニが入れられていたのだ。

「藪の中や草むらに潜んで、やって来た獣の体に取りついて血を吸うと、そんなふうに膨らんでいくんですよ」
「えっ?ミッディがたくさん血を吸われたからこの大きさになったということ?それなら早く取ってあげないと」

 焦るドレイファスに、目の細かなコームを持ち上げて見せたアレストは、それでミッディスの背中からダッニを掬いあげ、先ほどの小瓶に振り落とした。

「ヌコのように体が小さいと、少し吸われただけでも影響が大きいですから、虫除けをつけてやらなくてはいけませんよ」

 ミッディスとヴァイスは首輪の代わりに細く皮を編んだアミュレットをつけているが、それは虫除けにはならなかった。

「いつも?」
「そうですね、虫除けはいつもつけてあげてください。お屋敷の庭園にもダッニはいるのですから」

 屋敷の庭にもいると聞いたドレイファスは、畑に行ったり、ロプモス山に行ったり、いつもの自分の行動範囲を頭に思い浮かべて金色の眉を寄せていく。

「ごめんよミッディ!帰りにすぐ虫除けを買おう」

 ヌコたちに語りかけるドレイファスに微笑みを向けたアレストが、ヴァイスにも手を伸ばした。

「え?ヴァイも?」
「ええ。一緒にいるのですから、ヴァイスちゃんにもついていると思ったほうがいいでしょう。授業の間に薬浴しておきますね」

 自信満々な表情で二匹のヌコを抱き上げ、籠に入れたアレストが、ドレイファスとトレモルに教室へ戻るよう促す。

「昼までには洗い終わっているでしょう。お迎えはその頃にどうぞ」

 そう言って、手を振った。







 当たり前のように両肩にとまるヌコたちは非常に軽く、普段は意識することもないが、ほんわりと温かな存在がいないとなるとドレイファスは無性に寂しくなった。
さみしいほどに反省も深い。

「そうか・・・虫除けしてやらなくちゃいけなかったのか」

 ウィザの白狼もつけていただろうか?
 思い出そうとするが、太い首輪を巻いていることくらいしか浮かばない。
 その太い首輪に虫除けや状態異常を回避するアミュレットが編み込まれているのだが。

「トリィ。ダッニの虫除け、どこで買えるか知ってる?」
「冒険者ギルドのそばの露店や、ローザリオ先生のアトリエとかグゥザヴィ商会も売ってると思うぞ」

 トレモルの声に頷いたドレイファスは、帰りにローザリオのアトリエに寄ることに決めた。






 昼休みになると、ドレイファスは食事に誘うルートリアたちを断り、早足でアレストの元へ向かう。

 あたたかな二匹がいないことで、これほど落ち着かない気持ちになるとは。食事より一刻も早くぬくもりを取り返したい。
 トレモルとふたり、大きく根を張った樹々の葉影が足元に流れて行くのを目にしながら、ドレイファスはさらに足を早め、ミースの研究室が見えると走り出していた。







 二匹を預かってくれたアレストは、やって来たドレイファスを見てにこりと笑む。
 奥に引っ込んだと思うと、空気を含んで毛並みがふわりとした二匹を手のひらに乗せて戻って来る。

「薬浴をしてから防虫薬を塗布しましたから、これで数日は大丈夫だと思いますよ。その間に虫除けを用意してあげてください」

 差し出された手のひらから、二匹がドレイファス目がけてジャンプし、磁石にひきよせられたようにいつもの定位置におさまる。
 見知らぬアレストに薬湯を張った洗面器に突っ込まれ、ギャンギャン泣き喚いたことなどなかったかのように、すました二匹を見たアレストがまたくすりと笑った。



 ヌコたちの動きに連れられ、浮かび上がった香りにドレイファスの鼻がスンと動く。
 いつもの公爵家の石鹸とはまったく違う香りが鼻腔をくすぐったのだ。

「え?いい匂いがする!」
「それですね、人間にはいい匂いなんですが、吸血虫はどうやら大嫌いらしいんですよ」
「え!これが嫌い?」
「ええ。カルシトロールという花ですが、ダッニやノッミは大嫌いらしいです。そうだ!虫除けですが、ご自身でカルシトロールの葉をすり潰して、気に入った首輪にその汁を染み込ませて巻いてやるのもいいですよ」

 両肩に戻ったヌコたちに触れ、手触りも抜群に良くなったことに気を良くしたドレイファスは、有益な情報を教えてくれたアレストに、殊更丁寧に礼を言って握手を交わす。


 それにしても!と長い指を顎に当てながら、ドレイファスは考えていた。
公爵家の石鹸は当然最高級のものだが、ここまでふわふわのふっかふかにはならない気のだ。

 ふと頭に浮かんだことが、形の良い唇からこぼれ落ちた。

「動物用の石鹸があるのかな?」

 独り言だったが、背後にいたアレストが答える。

「ええ、そうです。体についた寄生虫を落とし、虫除けしつつ、毛皮の脂は適度に落としてくれるものなんです。除虫効果もですが、手触りが格段によくなるからここの研究室では必ず専用の石鹸を使っています」
「専用?」
「ご存知ありませんでしたか?」

 そう、ドレイファスは知らなかった。
 気になったことを鸚鵡返しにアレストに尋ね返す。

「脂を落としすぎないっていうのは?」
「はい。私たち人間もそうですが、毛皮や皮膚を守るために脂が分泌されていて」

 と言いながら自分の指先で鼻を擦ったアレストが、テカった指先をドレイファスに見せてから、ハンカチで拭き取った。

「失礼いたしました。これを落とし過ぎると、皮膚が硬くなったり炎症を起こしたり、動物なら毛がパサついたりもします」
「えっ!」

 そう聞くと、確かにヌコたちの毛はいつももっとゴワついていた気がする。
いや、それでも野生に比べたら信じられないほどに柔らかく滑らかだが、今、適度な脂を残し、より艷やかな二匹を見ると、その違いは明白。
 それにここしばらくのミッディスは、脱毛した耳のまわりをしつこく搔いていた。
ダッニに吸血されたせいなのか、人間用の石鹸で洗い過ぎたせいなのかはわからないが、どちらにしても自分が理解していなかったせいで、小さな耳のまわりの皮膚が赤くむき出しになったことは間違いないだろう。

「ミッディごめんよ」

 ドレイファスはまたも深く反省した。

 小さな頃から馬や牛、鳥に触れ合っており、ヌコの世話もちゃんとやれている自信があった。
 しかし公子のドレイファスが部屋の清掃から食事の仕度までしてやっているわけではなく、実際のほとんどはメイドたちが面倒みているのだ。ドレイファスの仕事はその指図や監督である。

「知っているつもり、やっているつもりなだけだったんだな」

 魔獣すべてとはいわないが、せめてヌコの飼育に必要なことは学び直そうと、考えを改めたドレイファスであった。
しおりを挟む
感想 42

あなたにおすすめの小説

クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される

こたろう文庫
ファンタジー
日頃からいじめにあっていた影宮 灰人は授業中に突如現れた転移陣によってクラスごと転移されそうになるが、咄嗟の機転により転移を一人だけ回避することに成功する。しかし女神の説得?により結局異世界転移するが、転移先の国王から職業[逃亡者]が無能という理由にて処刑されることになる 初執筆作品になりますので日本語などおかしい部分があるかと思いますが、温かい目で読んで頂き、少しでも面白いと思って頂ければ幸いです。 なろう・カクヨム・アルファポリスにて公開しています こちらの作品も宜しければお願いします [イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で学園最強に・・・]

せっかく異世界に転生できたんだから、急いで生きる必要なんてないよね?ー明日も俺はスローなライフを謳歌したいー

ジミー凌我
ファンタジー
 日夜仕事に追われ続ける日常を毎日毎日繰り返していた。  仕事仕事の毎日、明日も明後日も仕事を積みたくないと生き急いでいた。  そんな俺はいつしか過労で倒れてしまった。  そのまま死んだ俺は、異世界に転生していた。  忙しすぎてうわさでしか聞いたことがないが、これが異世界転生というものなのだろう。  生き急いで死んでしまったんだ。俺はこの世界ではゆっくりと生きていきたいと思った。  ただ、この世界にはモンスターも魔王もいるみたい。 この世界で最初に出会ったクレハという女の子は、細かいことは気にしない自由奔放な可愛らしい子で、俺を助けてくれた。 冒険者としてゆったり生計を立てていこうと思ったら、以外と儲かる仕事だったからこれは楽な人生が始まると思った矢先。 なぜか2日目にして魔王軍の侵略に遭遇し…。

元外科医の俺が異世界で何が出来るだろうか?~現代医療の技術で異世界チート無双~

冒険者ギルド酒場 チューイ
ファンタジー
魔法は奇跡の力。そんな魔法と現在医療の知識と技術を持った俺が異世界でチートする。神奈川県の大和市にある冒険者ギルド酒場の冒険者タカミの話を小説にしてみました。  俺の名前は、加山タカミ。48歳独身。現在、救命救急の医師として現役バリバリ最前線で馬車馬のごとく働いている。俺の両親は、俺が幼いころバスの転落事故で俺をかばって亡くなった。その時の無念を糧に猛勉強して医師になった。俺を育ててくれた、ばーちゃんとじーちゃんも既に亡くなってしまっている。つまり、俺は天涯孤独なわけだ。職場でも患者第一主義で同僚との付き合いは仕事以外にほとんどなかった。しかし、医師としての技量は他の医師と比較しても評価は高い。別に自分以外の人が嫌いというわけでもない。つまり、ボッチ時間が長かったのである意味コミ障気味になっている。今日も相変わらず忙しい日常を過ごしている。 そんなある日、俺は一人の少女を庇って事故にあう。そして、気が付いてみれば・・・ 「俺、死んでるじゃん・・・」 目の前に現れたのは結構”チャラ”そうな自称 創造神。彼とのやり取りで俺は異世界に転生する事になった。 新たな家族と仲間と出会い、翻弄しながら異世界での生活を始める。しかし、医療水準の低い異世界。俺の新たな運命が始まった。  元外科医の加山タカミが持つ医療知識と技術で本来持つ宿命を異世界で発揮する。自分の宿命とは何か翻弄しながら異世界でチート無双する様子の物語。冒険者ギルド酒場 大和支部の冒険者の英雄譚。

“金しか生めない”錬金術師は果たして凄いのだろうか

まにぃ
ファンタジー
錬金術師の名家の生まれにして、最も成功したであろう人。 しかし、彼は”金以外は生み出せない”と言う特異性を持っていた。 〔成功者〕なのか、〔失敗者〕なのか。 その周りで起こる出来事が、彼を変えて行く。

集団転移した商社マン ネットスキルでスローライフしたいです!

七転び早起き
ファンタジー
「望む3つのスキルを付与してあげる」 その天使の言葉は善意からなのか? 異世界に転移する人達は何を選び、何を求めるのか? そして主人公が○○○が欲しくて望んだスキルの1つがネットスキル。 ただし、その扱いが難しいものだった。 転移者の仲間達、そして新たに出会った仲間達と異世界を駆け巡る物語です。 基本は面白くですが、シリアスも顔を覗かせます。猫ミミ、孤児院、幼女など定番物が登場します。 ○○○「これは私とのラブストーリーなの!」 主人公「いや、それは違うな」

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。 彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。 最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。 一種の童話感覚で物語は語られます。 童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

処理中です...