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246 あたらしい知識

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 デーリン・オルガードが一月限定ではなく、家庭教師兼自分の侍従になると聞いて、ドレイファスはたいそう驚いた。
 つい二日前までとまったく話が違うが、一体何が起きたのだろう?

 それは勿論気になるが、何よりも自分にこんな立派な侍従がついたことが驚きだった。
父と同じ年齢だと考えると、いずれは次期公爵のブレーンが濃厚かと思ったが、デーリンは首を振り「専属執事を目指します」と若き主に告げた。

 ヨルトラから聞いた話では、元はドリアンの側近候補だったデーリンだが、公爵派閥を抜けた実家オルガード家の手前、社交に帯同する役職はいろいろ難しいらしい。
 そういったことを後々まで気にしなければならないのかとドレイファスは疑問に思ったが、先代が顔を出すことも多いので、やはり屋敷内の仕切りのほうが問題は少ないという事だった。

「博士にまでなった方なのに、大人の世界って本当面倒くさい」

 ドレイファスの呟きは、皆の心の呟きでもあった。





 さて。
 現れてから僅か数日で、ドレイファスの一生の使用人となったデーリンは、主が学院にいる時間を使い、自分の知識をまとめあげていた。
手持ちの資料の中に公爵領内のものはないため、それはこれからドレイファスとくまなく調査することになるが、それ以外のものは国内地図に印をつけて、何が育っていたかを記録を見ながら書き込んでいく。

 この作業の大切さはヨルトラが教えてくれた。
 濁りガラス小屋で季節や環境が違う作物を育てるのに必要な情報だったのだ。

「鑑定でならわかるんだが、最近はタンジーもいそがしくて大変なのでね。どんな条件がよく育つのか事前にわかっていれば、管理するのも効率がいいだろう?」

 ヨルトラの言葉には頷くばかりだった。



 今は本館と呼ばれている新しい館に通されていため、すっかり忘れていたデーリンだが、離れに来て暫くして、見覚えがある場所だと思い出した。
 昔遊びに来ていたのは、今の離れだったのだ。
 旧来の公爵家は敷地が凄まじく広かったことをこどもながらに鮮明に覚えている。
その庭園を潰した畑と、丘の上までびっしり建てられたガラス小屋、その先には牧場や養鶏舎などがあり、すっかり農業地のような離れの隅々まで歩き回って、美しかった庭園の影も形もなくなった哀しみよりレッドメルがいつでも食べられる喜びが勝ったことに笑う。

 庭師たちと話し、ドレイファスが求める情報を整理すると、自然とドレイファスがやりたいことが見えてきて。
自分なりに気づいたことを話すと、ドレイファスも思いを語ってくれた。



「公爵家や傘下の貴族領地には濁りガラス小屋が造設されていて、これからもどんどんと増えていくと思うんです。
小屋は季節や場所を選ばずに植物を育てられますが、それでも育てにくいものはあるので、育てやすい作物の粒や根を採取して育て、みんなの利益を増やすことが大切だと思うんです。
それと、薬草のように役に立つ植物を集めて育て、必要な人にいつでも行き渡るようにしたいです」


 そう熱く語られ、デーリンははからずも感動してしまった。

 自分が支え、育てていくようドリアンに託された次期公爵は、ふわっとした外見とは違い、地に足をつけてしっかり考え、領民や繋がりのある貴族たちの利益を考えて動きたいと言うのだ。


「素晴らしいですぞ!ドレイファス様がいらっしゃれば公爵家も安泰でございますね」


 そう、ドレイファスの言葉はデーリンの心に火をつけた。
立派な公爵を目指し、出来得る限りのサポートを自分がやるのだと。

 ドレイファスが学院から帰ると、庭師たちと新しい作物の育成計画を相談して、それをどこから採取してくるかを地図を見ながら決め、アイルムかモリエールが出張って持ち帰ってくる。
 デーリンの資料では足りない情報はタンジェントの鑑定で埋め、鑑定スキル持ちが居ないときでも情報を共有できるよう整理していく。
 それはカイドとハルーサが手伝って、地域ごとにさくさくとファイルされていった。




「ドレイファス様、一度研究を学院で発表なさってみては如何です?植物学の教師は誰ですか」

 ある時デーリンが訊ねたが。

「いない。植物学は先生がいないからデーリン先生が呼ばれたんだから」
「え?いない?本当に?グルワー先生は」
「グルワー先生?そんな先生・・いない」
「では辞められたのか!知らなかった・・・」

 小首を傾げ答えたドレイファスは、ショックを受けているデーリンが気の毒になり、指先でデーリンの袖を突付く。

「多分私が入学する前に辞められていると思います。生物学の先生が植物の専門家はもう十年近くいらっしゃらないと仰っていたから。グルワー先生ってデーリン先生の先生だった?」
「ええ、私が卒業する頃にやって来た若い先生だったので、まだいらっしゃると思っていたのですが。
生物学の先生のお名前はなんとおっしゃるのです?」
「ファロー・ミース先生です」

知らない名前だった。

「やはりずいぶんと顔ぶれも変わっているの
ですね」

 寂しそうにポツンと呟いた。




「・・・では学院で発表するのはあきらめますが・・・私と共同名義でなにかやれないか考えてみましょう」
「あの、先生!そんな大袈裟なことは私はちょっと」

 ぷるぷると手を振ったドレイファスに、デーリンが困ったような笑みを浮かべる。

「大丈夫ですよ、ドレイファス様。植物学はどんなにはりきっても花形にはなれませんからね」

 自嘲するが。
今の世の中ではそうでも、公爵家では違う。
デーリンに大活躍の機会が待ち受けているとは、思いもしなかった。







 ドレイファスと庭師たちと離れの畑で雑草摘みをしていたデーリンは、見かけない少年を目にした。

「あ、シエル!」

 呼び止められた少年がデーリンに目を留めた。

「紹介しますね」

 侍従になっても先生と呼ぶドレイファスに眉尻を下げながら、近づいてくる銀髪の令息の面影に記憶を探る。

「先生、こちらはサンザルブ侯爵家のシエルドです」
「サンザルブ?ではワルター様のご子息でしたか!」
「はい、父をご存知なのですね」
「幼馴染です」
「あ!ドリアン様の客人の植物学者って」
「そう、先生のことだよ」

 シエルドの目つきがガラっと変わった。

「医学院の薬師でもあるって聞きましたが」
「ええ。もう辞めて、ドレイファス様付きになりましたが」
「え?医学院辞められたんですか?もったいないっ」

 十代の少年の言葉には思えず、苦笑する。

「そうでもありませんよ、先人の教えをめんめんと守るだけ。カビの生えた教育しかできないところです」
「それでもそれは今の学びの基礎じゃないですか!」

 デーリンの目が大きく見開かれる。
こどもの頃よく遊んだワルターとは結びつかない優秀さ。

 ─顔立ちもだが、頭の中身も間違いなく奥方に似たんだな─

 失礼なことが頭を掠めていた。



 ドレイファスがさらに続ける。



「シエルは今イナゴールの殺虫ポーションを研究中なんです」
「襲来に間に合わなくて口惜しかったから」

 言い訳のように言ったシエルドの言葉に、デーリンが弾かれた。

「イナゴールの?襲来があったのですか?それはいつです」

「「えっ?知らないんですか」」

 少年ふたりの声が揃った。

「そうなんですよ。ここ数年はジョラーグ山脈の中を転々としながら採取活動していたので、世情に疎いと言いますか、まったくわからなくて」「」
「ジョラーグ山脈に?国境沿いですね、どんなところなんですか?」

 未知の地域にシエルドが食いつき、デーリンが採取した薬草に話が広がっていく。

「あの、イナゴールにだけ効果がある毒に心当たりはないですか?」
「イナゴールだけ?」
「そうです。ポーションを空に打ち上げて一網打尽にしたいけど、広範囲に散らばってしまうから他の生物にも影響あるものでは困るんです」
「なるほど理解しました!ちなみに今までに試したものは?」
「記録がありますから私の部屋へ行きましょう!」

とシエルドが言ったところで、ドレイファスが割り込んだ。

「あのさシエル、デーリンは私の先生なんだけど」

 気のせいか口が尖り気味・・・。

「ドルったら何言ってるんだよ、ドルの畑を守るための研究だぞ!それに早く作って、トレモルを守る魔導防具だって作らなくちゃいけないから、助けてくれる人がいたらどんどん利用・・しなくちゃ」

 利用すると言ったところで、ハッとした。

「あの、」
「よろしいんですよ。私はドレイファス様のお役に立つためにここにおるのですからね」

 難関突破して入った医学院の内情を知って、死んだような目になった若者をたくさん見てきたデーリンは、自由にやりたいことに取り組むシエルドに顔をほころばせ、まるで貴婦人のようにホホホと笑ったのだった。
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