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245  移籍

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 ドレイファスは授業が終わるとトレモルを急き立て、急いで馬車に駆け戻った。

「あっ、ルーティーにさよなら言うの忘れた!」
「植物学の先生の件?」

 前の晩、客人がいるからと、トレモルとグレイザールたちは夕食の席が別に用意された。朝食にもいなかったので、まだデーリンには会っていないのだ。

「うん、離れにいるから気になってさ」
「ドリアン様の幼馴染って聞いたけど、医学院の人なんだろう?」
「もう神殿契約も結んだから大丈夫だよ。それより初めて尽くしなのに、庭師のみんなに任せて来ちゃったから心配で!」

 トレモルは貴族の派閥や学閥について、カイドから学んでいる。
 医学院がどういう思想や立ち位置かよく理解しているので、ドリアンが医学院から教師を呼んだことが意外で、神殿契約を交わしたと聞いても、ドレイファスのように簡単に受け入れられずにいた。



 しかし屋敷に戻って、着替えもそこそこに離れに走ったドレイファスとレイド、それを追ったトレモルは、地下通路から離れに放たれたとき、盛大な笑い声に包まれたのだ。

「ほらデーリン!これ食べてみろよー」
「おおおおっ!何故こんな季節に!おかしいだろうがぁー!」
「それこそが我らの畑のすごさなのさ、わかったかー!」

「「「「ハハハハハ」」」」

 庭師たちはたった半日でデーリンを呼び捨てにし、デーリンは庭師の麦わら帽子を被って泥を顔に塗りたくっていた。

「せんせい・・・」

 呆然としたドレイファスだが、トレモルはその様子から自分の心配は行き過ぎたものだったかと安堵する。
 神殿契約の縛りは絶対的なものだとわかっていたが、それでも新たな人の出入りには神経を研ぎ澄ませとはワーキュロイからの教え。

 ─ワーキュロイ先生、この人はどうやら大丈夫・・・─

 こどものように泥んこで笑い声をあげるデーリンを、それでも念のためとじっと見つめるトレモルだった。







「いやあ、すごいな!度肝を抜かれたぞ」

 その夜ドリアンと酒を酌み交わしたデーリンは興奮冷めやらず、ひとり話し続けていたが。
ふっと沈黙が流れたあと、低い声でとうとう切り出した。

「それでヨルトラから聞いたんだが、そろそろ話してくれないか?おまえの可愛い息子殿のことを」








「珍しすぎるスキルも厄介なものだな」

 ドリアンからフォンブランデイル家の一子のみに発現する特殊スキルについて説明を受けたデーリンは、腹の底から吐き出すような深いため息をついた。

「とにかく王家に目をつけられないよう、ドレイファスがやったすべて、他の者たちが共同で成したこととなっている。ドレイファスはそれを妬んだりすることなく受け入れていて、我が息子ながら本当に真っ直ぐ育ってくれた・・・」
「それ、もしかしてフォンブランデイル派閥の合同ギルドか!」
「そうだ」
「・・・穴掘り棒は」

 植物採取に使いやすい穴掘り棒が発売されたと、学者仲間に勧められて、デーリンもグゥザヴィ商会で買い求めた。
 それはミルケラが改良した折りたたみ式で、とても使い上に持ち運びしやすく、今客間に置かれた鞄にも入れてある愛用品だ。

「ドレイファスがスキルで視た物を、うちの職人が作り上げたんだ」
「そうだったのか・・・」
「デーリン、ガラス小屋や畑の話を聞いたことは本当になかったのか?」
「ああ。実はな・・・研究のフィールドワークだと言って、ここ何年かは殆どジョラーグ山脈の限界集落を転々としていたんだ。勿論本当に新種の植物を見つけ、論文も定期的に出していたんだが。
だからこの数年、世間の動きについてはまったく知らなかったんだよ」

 言いにくそうに告げた。
 ドリアンが医学院の博士だから自分を呼んだのだとしたら、この話をどう思うか心配になったから。

「おまえ、何があったんだ?医学院で熱心に研究していたじゃないか」
「そうだったが、医学院の重鎮どもは先人の教えを守り伝えることしか頭にない。新種植物の発見くらいならいいが、新しい薬剤の処方など下の者が発表したら、とんでもない目に遭わされて潰されるんだ」

「なんと!」


 ドリアンも医学院のやり方は知っていたが、内部の人間にまで及ぶとは思っていなかった。
やる気のある若者の意欲を削ぐだけではないかと怒りを覚えながら、ふと閃いたドリアンが片手を差し出した。

「それならすっぱり医学院を辞めてうちに来たらいいじゃないか!庭師たちとも打ち解けたようだし、彼らと共にドレイファスを支えてやってもらえないだろうか?この先ずっと」

 デーリンは、忌々しい医学院から解放される最高の提案に何故か躊躇した。

 ドリアンの片手は宙に浮いたまま。
返事を躊躇うデーリンを促すために、手の内を見せる。

「おまえに助けてもらいたいこともあってな・・・実は極秘に毒草栽培をしているんだ」
「ええっ!それはまずくないか」
「見つかったらまずいが、他の野菜の群生地そばに隠している。
群生地を発見して権利を持つ者はそれを秘匿して守ることができる。国から調査が入るのは最初と枯渇したときだけだ、定められた税を納めていれば探られることはない。
だから厳重に結界を張ってな、外部の人間には決して入ることができない、サールフラワーの群生地の奥に畑を作ったんだ」

 呆れた顔を隠そうともしないデーリンに、ドリアンはさらに続けた。
ドリアンが知るデーリンなら、必ず飛びつく筈のとっておきのネタだ。

「その毒草はな、錬金術師ローザリオ・シズルスが開発した毒消しポーションの素材になっているんだ」
「何っ?あの?」

 世情に疎くなったデーリンでも、天才と名高いローザリオ・シズルスの名は知っている。シズルス工房で買った魔導具もいくつか鞄に入っており、特に女性たちが挙って買い求めるオイルには虫除けにもなるものがあり、山に戻る前に必ずまとめて調達しているほどだ。

「シズルス家は旧来は公爵傘下ではなかっただろう?いつから繋がりが?」
「ローザリオ殿はマールの幼馴染なんだ。ワルターを覚えているだろう?奴の次男がローザリオ殿の愛弟子で、うちの娘の婚約者で」
「待て待て!ぐるぐる繋がってわからなくなってきたぞ」

 デーリンが吹き出すと、空気が明るく変わる。

「まあ、がっちり取り込んでいることだけはわかったがな」
「デーリンもうちに取り込まれるといい」
「しかしオルガード家は派閥を抜けている」
「構わん。デーリン個人をドレイファス付きとして雇う」

 兄の一家は公爵派閥を抜けて別派閥にいるため、自分は家門に離反しての出戻りとなる。

「こちらからオルガード伯爵におまえを貰い受けたいと願い出よう。嫌とは言うまい」
「いいのか?」
「我らは幼馴染。その縁を繋ぎ直したいといえば断りはしないだろう」




 そうして話を固めると、ドリアンはすぐにデーリンの実家に使いを出した。

 医学院で働き始めてからろくに帰ったこともないデーリンのことは、オルガード家では忘れられた存在。まして植物博士などなんの役にも立たないが、幼馴染というだけで穀潰しを拾って頂けるならむしろ感謝すると、かなり拗れた返事が返ってきてドリアンは苦虫を噛み潰したような後味の悪さを感じた。
 そこまで言うならこっちも大手を振って貰い受けてやると、即座にデーリンと雇用契約を結び直す。
 ドレイファスの植物学の家庭教師と、もしあのままなら今頃はドリアンの側近侍従になっていたはずだからと、ドレイファス付き侍従を務めることとなった。

 医学院へは即日退院届を提出させたのだが、そちらも幽霊教師のデーリンを引き留めることなく。

「私はどこからもいらない人間だったのだな・・・」

 自分から切り離したくせに寂しそうに言うデーリンに、ドリアンがちょっとだけ優しく「うちはおまえが必要だからな」と言ってやると、至極うれしそうにドレイファスのためのテキストを作り始めたのだった。
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