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218 悪夢2
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ドレイファスの悪夢が続いていた。
─寝るのが怖い─
ドレイファスがそう思うほど、イナゴールの夢は強烈だ。目覚めるといつも歯を食いしばり、大汗をかいているほど。
だからといって寝ずに居られるものでもなく、頑張っていてもいつしか寝落ちており、そしてまた夢に襲われている。
─イナゴールがっ!
凄まじい、耳を覆わずにはいられないような羽音にぞっとする。そして降り注ぐイナゴール・・・。
実際ドレイファスがその場にいるわけではないが、ドレイファスは全身をイナゴールに覆われていくような錯覚に襲われているのだ。
「うっぷ」
思わず夢の中で吐きそうになるほど、気持ち悪い虫の大群。
ふと、羽音とは違うブーンという音に気がついた。
それは不思議な魔道具?
大きな羽がぐるぐると動いて、高速で飛び回りながら、何かを撒いている。
するとイナゴールがバタバタと落ちていくのだ。
何だあれ?
イナゴールが地面に落ちて少しだけ空が見え、光がさすと、幾人かの人も見えた。
空を見上げた彼らは手に小さな魔道具を持ち、動かしているようだ。
空飛ぶ魔道具がプシューッと液体を噴霧すると、またイナゴールが力を失い落ちていく。
空を飛んでいた魔道具がぷるんぷるんと音を立てながら、ゆっくりと地面に降りて来ると4枚の大きな平たい羽の下に四角いボディ。
どうやってイナゴールを落とす液体を撒いたのか、その作りまではドレイファスにはわからないが、見たことのない空飛ぶ魔道具がイナゴールに対抗する手段の一つになると知ることができた。
ほうっと深く大きな溜息が口から漏れて、思わず目を開けたドレイファスは、いつもの夢だったと知ると、ここ暫くの悪夢から解放される予感に安堵する。
まだいつも起きる時間よりかなり早い。
「そうだ!急いでメモを書かなくちゃ」
見たものを見たままに書き起こすのは難しい。まったく見たことのない物だったら尚更だ。魔道具としては格段に複雑そうだったが、しかしローザリオなら、僅かな手掛かりでもそれに近い物を作るに違いないと信じて、ドレイファスはペンを取った。
そのあと、起き出してレイドと畑に行き、植物の成長具合を確かめて、屋敷で朝食を摂るとトレモルとともに馬車に乗り込む。
「なんだか眠そうだね、よく眠れなかった?」
「うん、今日もイナゴールの夢だった。グレイたちは先に出たのかな?」
グレイザールとノエミは今朝はとっくに学院に出発した後だ。公爵家ではこどもたちそれぞれに馬車を与えているので、誰かを待つ必要はなく、各々の授業に合わせて早く出たりもできるようになっていた。
弟妹たちは護衛と行くが、ドレイファスは学生護衛のトレモルが公爵家に寄宿していることもあり、護衛とトレモルと一緒に通学している。
「ふわぁ」
欠伸を噛み殺すこともせず、思いっきりリラックスしてドレイファスが伸びをすると、トレモルも感染ったように欠伸をした。
「トリィ、イナゴールの大群の話聞いたことある?」
「イナゴール?モンガル領では発生したことがなかったと思う。昔話で聞いたくらいかな」
「そっか」
「え?出たの?」
「らしいよ。昨日父上に聞いたんだ、エリンバーで被害が出てるみたい。たぶんモンガル伯爵には昨日のうちに父上が伝言鳥を飛ばしてると思う」
イナゴールの大群、と呼ばれるのは百匹2百匹くらいの塊ではなく、百万、千万、数億という凄まじい集まりになったものである。
数百くらいならちょっと力の強い魔導師なら駆除できるが、飢饉に繋がる厄災クラスの大群になったイナゴールはそうはいかない。
植物被害が甚大なため、十数年に一度あるかないかの大発生は、スタンピード級の扱いをされている。
トレモルも興味を持ってドレイファスの顔を覗き込んだ。
しかし憂いの濃い碧い瞳の持ち主が、重い口を開くことはなかった。
「着きましたよ」
御者のアロウが扉を開けると、本日の護衛のメルクルが覗き込んで訊ねてくる。
「今日大人しかったようですが、具合でもお悪いのでは?」
ふるふると首を横に振って否定したドレイファスは、行ってくると告げて、校舎に向かって歩いて行く。
「トレモル、ドレイファス様は本当に大丈夫なのか?」
メルクルがトレモルの腕を取って確かめるも、トレモルも小首を傾げるしかない。
「エリンバーでイナゴールの大群が出たらしいんですけど、それが心配みたいで。気をつけるようにします!」
ぱたぱたと足音を立て、トレモルはドレイファスを追いかけて行った。
─トリィはまだ修行が足りんな。ワーに言っておかねば。あんなに足音を立ててはダメだ!─
こんな時でもメルクルの目が甘くなることはなかった。
「おはよう」
ドレイファスの挨拶の語尾が下がっていく。
そういうことに気づくのは大抵シエルドかカルルドである。
「ドル元気ないな、大丈夫か?」
「顔色もよくない、無理せず休んだほうが」
カルルドが言いかけたが、ドレイファスが遮った。
「いや、今日はどうしてもカルディとシエルとミース先生に会いたかったんだ!」
令息たちは各々顔を見合わせた。
カルルドとシエルドはわかるが、なぜそこにミース先生がいるのだろうかと。
「まずすごく大事な話があるから聞いてほしい。もしかしたら昨日のうちにお父様から連絡が行って知っているかもしれないが、イナゴールの大群がエリンバーで発生した」
ドレイファスの言葉の重大さに最初に気づいたのは、やはりカルルドである。
「エリンバー?まだエリンバーにいるのかい?」
「昨日聞いた時点ではエリンバーだったけど」
「誰に聞いたんだ?ドリアン様から?」
「そう。みんなにも教えておくように言われたんだ」
「エリンバーならこっちまでは来ないんじゃないか?」
のんびりとアラミスが言うが、カルルドは首を横に振る。
「ラス!イナゴールは大群になると簡単には駆除できないから、植物を食べ尽くしながら4カ国くらいは軽く移動するんだ。油断してはダメだ!」
「よ、4カ国?だってイナゴールってこのくらいの魔虫じゃないか!そんなに飛べるはずないだろう、嘘じゃないか?」
親指を出して見せたアラミスは信じていない。そもそもアラミスの実家ロンドリン領は王都からかなり北にあり、寒いので魔虫に限らず虫が少ない。御伽話のように聞いたイナゴールの大群なんて想像できないのだ。
「でも本当にいるんだ!」
カルルドが珍しく大きな声を出した。
「ドル、今すぐミース先生のところに行こう!」
「え、待てよカルディ、授業どうするんだ?」
「こっちは緊急事態だ、授業どころじゃないよ」
優踏生のカルルドがドレイファスの腕を掴み走り出す。
トレモルとアラミスは勿論追いかけて、一瞬迷ったシエルドも後を追って走り出した。
「ねえベーネ嬢、今日皆様遅いわね」
「ええ。どうしたのかしら」
「おはようございます、ルートリア嬢、ベーネ嬢。ドルたちを見かけませんでしたか?」
一人現れたのは、出遅れたボルドアだ。
いつもなら車寄せでみんな集まるのを待っているのに、今朝は誰もいなかった。待てども誰も来ないので教室に来てみたのだが、やはり誰もいない。
「何かあったのか?でもラスとトリィも一緒だよなきっと・・・」
かと言って学院中探し回るわけにもいかないので、ザワザワした胸の内を隠し、授業が始まりそうな教室で皆を待つことにした。
─寝るのが怖い─
ドレイファスがそう思うほど、イナゴールの夢は強烈だ。目覚めるといつも歯を食いしばり、大汗をかいているほど。
だからといって寝ずに居られるものでもなく、頑張っていてもいつしか寝落ちており、そしてまた夢に襲われている。
─イナゴールがっ!
凄まじい、耳を覆わずにはいられないような羽音にぞっとする。そして降り注ぐイナゴール・・・。
実際ドレイファスがその場にいるわけではないが、ドレイファスは全身をイナゴールに覆われていくような錯覚に襲われているのだ。
「うっぷ」
思わず夢の中で吐きそうになるほど、気持ち悪い虫の大群。
ふと、羽音とは違うブーンという音に気がついた。
それは不思議な魔道具?
大きな羽がぐるぐると動いて、高速で飛び回りながら、何かを撒いている。
するとイナゴールがバタバタと落ちていくのだ。
何だあれ?
イナゴールが地面に落ちて少しだけ空が見え、光がさすと、幾人かの人も見えた。
空を見上げた彼らは手に小さな魔道具を持ち、動かしているようだ。
空飛ぶ魔道具がプシューッと液体を噴霧すると、またイナゴールが力を失い落ちていく。
空を飛んでいた魔道具がぷるんぷるんと音を立てながら、ゆっくりと地面に降りて来ると4枚の大きな平たい羽の下に四角いボディ。
どうやってイナゴールを落とす液体を撒いたのか、その作りまではドレイファスにはわからないが、見たことのない空飛ぶ魔道具がイナゴールに対抗する手段の一つになると知ることができた。
ほうっと深く大きな溜息が口から漏れて、思わず目を開けたドレイファスは、いつもの夢だったと知ると、ここ暫くの悪夢から解放される予感に安堵する。
まだいつも起きる時間よりかなり早い。
「そうだ!急いでメモを書かなくちゃ」
見たものを見たままに書き起こすのは難しい。まったく見たことのない物だったら尚更だ。魔道具としては格段に複雑そうだったが、しかしローザリオなら、僅かな手掛かりでもそれに近い物を作るに違いないと信じて、ドレイファスはペンを取った。
そのあと、起き出してレイドと畑に行き、植物の成長具合を確かめて、屋敷で朝食を摂るとトレモルとともに馬車に乗り込む。
「なんだか眠そうだね、よく眠れなかった?」
「うん、今日もイナゴールの夢だった。グレイたちは先に出たのかな?」
グレイザールとノエミは今朝はとっくに学院に出発した後だ。公爵家ではこどもたちそれぞれに馬車を与えているので、誰かを待つ必要はなく、各々の授業に合わせて早く出たりもできるようになっていた。
弟妹たちは護衛と行くが、ドレイファスは学生護衛のトレモルが公爵家に寄宿していることもあり、護衛とトレモルと一緒に通学している。
「ふわぁ」
欠伸を噛み殺すこともせず、思いっきりリラックスしてドレイファスが伸びをすると、トレモルも感染ったように欠伸をした。
「トリィ、イナゴールの大群の話聞いたことある?」
「イナゴール?モンガル領では発生したことがなかったと思う。昔話で聞いたくらいかな」
「そっか」
「え?出たの?」
「らしいよ。昨日父上に聞いたんだ、エリンバーで被害が出てるみたい。たぶんモンガル伯爵には昨日のうちに父上が伝言鳥を飛ばしてると思う」
イナゴールの大群、と呼ばれるのは百匹2百匹くらいの塊ではなく、百万、千万、数億という凄まじい集まりになったものである。
数百くらいならちょっと力の強い魔導師なら駆除できるが、飢饉に繋がる厄災クラスの大群になったイナゴールはそうはいかない。
植物被害が甚大なため、十数年に一度あるかないかの大発生は、スタンピード級の扱いをされている。
トレモルも興味を持ってドレイファスの顔を覗き込んだ。
しかし憂いの濃い碧い瞳の持ち主が、重い口を開くことはなかった。
「着きましたよ」
御者のアロウが扉を開けると、本日の護衛のメルクルが覗き込んで訊ねてくる。
「今日大人しかったようですが、具合でもお悪いのでは?」
ふるふると首を横に振って否定したドレイファスは、行ってくると告げて、校舎に向かって歩いて行く。
「トレモル、ドレイファス様は本当に大丈夫なのか?」
メルクルがトレモルの腕を取って確かめるも、トレモルも小首を傾げるしかない。
「エリンバーでイナゴールの大群が出たらしいんですけど、それが心配みたいで。気をつけるようにします!」
ぱたぱたと足音を立て、トレモルはドレイファスを追いかけて行った。
─トリィはまだ修行が足りんな。ワーに言っておかねば。あんなに足音を立ててはダメだ!─
こんな時でもメルクルの目が甘くなることはなかった。
「おはよう」
ドレイファスの挨拶の語尾が下がっていく。
そういうことに気づくのは大抵シエルドかカルルドである。
「ドル元気ないな、大丈夫か?」
「顔色もよくない、無理せず休んだほうが」
カルルドが言いかけたが、ドレイファスが遮った。
「いや、今日はどうしてもカルディとシエルとミース先生に会いたかったんだ!」
令息たちは各々顔を見合わせた。
カルルドとシエルドはわかるが、なぜそこにミース先生がいるのだろうかと。
「まずすごく大事な話があるから聞いてほしい。もしかしたら昨日のうちにお父様から連絡が行って知っているかもしれないが、イナゴールの大群がエリンバーで発生した」
ドレイファスの言葉の重大さに最初に気づいたのは、やはりカルルドである。
「エリンバー?まだエリンバーにいるのかい?」
「昨日聞いた時点ではエリンバーだったけど」
「誰に聞いたんだ?ドリアン様から?」
「そう。みんなにも教えておくように言われたんだ」
「エリンバーならこっちまでは来ないんじゃないか?」
のんびりとアラミスが言うが、カルルドは首を横に振る。
「ラス!イナゴールは大群になると簡単には駆除できないから、植物を食べ尽くしながら4カ国くらいは軽く移動するんだ。油断してはダメだ!」
「よ、4カ国?だってイナゴールってこのくらいの魔虫じゃないか!そんなに飛べるはずないだろう、嘘じゃないか?」
親指を出して見せたアラミスは信じていない。そもそもアラミスの実家ロンドリン領は王都からかなり北にあり、寒いので魔虫に限らず虫が少ない。御伽話のように聞いたイナゴールの大群なんて想像できないのだ。
「でも本当にいるんだ!」
カルルドが珍しく大きな声を出した。
「ドル、今すぐミース先生のところに行こう!」
「え、待てよカルディ、授業どうするんだ?」
「こっちは緊急事態だ、授業どころじゃないよ」
優踏生のカルルドがドレイファスの腕を掴み走り出す。
トレモルとアラミスは勿論追いかけて、一瞬迷ったシエルドも後を追って走り出した。
「ねえベーネ嬢、今日皆様遅いわね」
「ええ。どうしたのかしら」
「おはようございます、ルートリア嬢、ベーネ嬢。ドルたちを見かけませんでしたか?」
一人現れたのは、出遅れたボルドアだ。
いつもなら車寄せでみんな集まるのを待っているのに、今朝は誰もいなかった。待てども誰も来ないので教室に来てみたのだが、やはり誰もいない。
「何かあったのか?でもラスとトリィも一緒だよなきっと・・・」
かと言って学院中探し回るわけにもいかないので、ザワザワした胸の内を隠し、授業が始まりそうな教室で皆を待つことにした。
応援ありがとうございます!
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