神の眼を持つ少年です。

やまぐちこはる

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173 ハミンバールの神殿契約

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 さて。

 エライオ・ハミンバール侯爵はフォンブランデイル公爵家との婚約調印書を読み返していた。
 国王陛下が認めれば正式に成立するが、成立後にお互いの条件書を交わし、調印して神殿に提出しなければならないのだ。婚姻までは神殿で保管され、結婚式をあげると神殿にて破棄される。

「ん?なんだこれは」

 何度読み返しても間違いなく、普通はないような条件が書き込まれている。国王陛下の裁可に浮かれて気がついていなかったが、侯爵家全員の神殿契約とある。

「全員とは・・・私たちか、ラライヤもだろうか?それとも使用人まで?」

 すぐドリアンに伝言鳥を飛ばして面会を申し込んだ。


 ドリアンからは、本日なら時間があるからどうぞと即連絡があり、二人の護衛とともに馬で早駆けて行くことにする。
 フォンブランデイル公爵家に着くと、決して小さいとは言えない自分の屋敷と比べても壮大な公爵邸に圧倒されながらベルを鳴らした。
 執事に案内され応接室へと通されると、既に待ち受けたドリアンが少し大袈裟な挨拶で出迎える。

「これはこれはエライオ殿。ご機嫌いかがかな」
「公爵閣下、本日は貴重なお時間を賜りありがとうございます」
「いずれ親戚となるのだから、そのように堅苦しい挨拶は不要だ。あと私のことはドリアンと呼んでくれて構わない」
「はっ。・・・ドリアン様」

 マドゥーンが、額に汗を光らせるエライオのために冷やした泡の水を持って来て勧める。

「冷えておりますので」
「ああ、すまない。ありがとう」

 一口だけのつもりが、喉が乾いていたようでごくごくと飲み干してしまった。

「味はどうだね?」
「あ、はい。すごく美味しいですね」
「泡の水に、レモルを入れて爽やかな後味にしているのだよ。
それはさておき、今日の用向きを聞こうか」

 エライオは神殿契約の記載に気づいたが、契約を誰まで求めているのか、そもそもなぜ家族まで神殿契約が必要なのかと、控えめに言葉を選びながら訊ねていく。

「神殿契約は、最低でもエライオ殿の御一家は必須だな」
「では使用人は」
「家族付きの侍女侍従、護衛、執事くらいまでは必ずしてほしい」
「あの、理由を聞いても」
「傘下貴族と同等の扱いを求めるのだろう?」
「え?」
「我が傘下貴族は派閥内の秘密を共有するためにすべて神殿契約を結んでいる。もちろん近しさにより内容がより軽くなることも重くなることもあるが、すべての家の家族・使用人と契約を交わしているのだ」

 エライオは想像を超える答えに固まった。

「この二年はいないが、もし我らから離脱したくなった時は、神殿契約の内容を機密保持契約に切り替えて、元のものは破棄することもできるから安心したまえ」
「で、では神殿契約を結んだら傘下貴族と同じような利益の配分をいただけるということでしょうか?」
「ああ、可能だ。姻戚として側近貴族と行っている合同ギルドへの加入や、我らが新製品を販売するとき、ラベルの御用達貴族に名をいれれば利益の一部を受け取ることができる。但しそれはこれから売りに出す物のみだが、ハミンバール侯爵が望めば受け入れると側近貴族たちには確認済だ。
・・・例えば。新製品を生み出す過程で外部に漏れては商品価値が下がったり、販売後に模造品を作られることも起こりうる。そういったことを防いで唯一無二の商品を守り、一心一体で取り組むために我らは神殿契約で結束していると考えてくれ。
ハミンバール家は違う派閥でもあり、エライオ卿やルートリア嬢の出入りが増えることで、ここで見た物などから情報が漏れるのは避けねばならん。
実は神殿契約には抵触しない、意図しなかった言葉が発端となって開発中の商品を探られたことは過去にもある。故に神殿契約は当事者だけではなく、家単位で必須なのだ」

 本当は鉄壁の守りだから情報漏れは未だないのだが、ドリアンは大袈裟に盛って説明した。

 これ以上、何を何度訊いてもドリアンが秘密保持のためとしか言うつもりがないことは、エライオにも一目瞭然。
 その秘密のうち一つでも知りたいと渇望するが、それは神殿契約を済ませなければダメということなのだ。
 公爵家の派閥が次から次から新しいものを生み出すのは、もちろん優秀な人材もさることながら、徹底した秘密の管理で他に模造などの追随を許さないことも大きな要因だと理解した。
 ここに食い込むには神殿契約しか有り得ない。

「承知致しました、神殿契約に応じましょう。取り急ぎ家族全員と家族付きの使用人で契約を交わします。それでよろしいでしょうか」
「ああ、ご理解頂き有り難い。せっかく縁組むのだから共に富を分かち合えるようにしたいものだ」

 ─そう、それこそがハミンバール家の望み─

 傘下の貴族には悪いのだが、派閥すべてを公爵家傘下に引き込むことが不可能である以上、せめてハミンバール家だけでも利益のおこぼれに預かり、それを少しでも傘下に落としてやれればと考えていた。
 ハミンバール侯爵家自体は問題ないのだが、傘下貴族の中には産業が育たずに貧しい貴族も多く、公爵家の商品開発の秘密は喉から手が出るほど知りたいことだった。
例え神殿契約があっても、何か持ち帰り自分の派閥に還元できることがあればと。
 しかし公爵家の派閥の繋がりは想像以上に固い。
 エライオは、ドリアンの話を聞いて羨ましくなった。どの派閥も寝返る者が年に何人も現れるというのに、公爵家はこの二年皆無なのだ。神殿契約でガチガチに縛られているけらだとしても、反旗を翻す者が現れないのは、傘下に教育支援や引き立て、事業に参加させて利益を分けるなど手厚く保護されているからなのだろう。
 その保護に甘えてしまうものが現れてもおかしくないというのに、皆でまとまり、皆で発展していく道を歩いているのだ。
婚約を機に、新しい事業を起こすときにうまく入り込めればと思っていたが、ドリアンと接しているうちに、公爵家が傘下の貴族をコマではなく人財として遇していることこそが、発展のコツではないかと。むしろそれを取り入れていきたいと思うようになっていた。

 公爵家を辞したエライオは、帰宅前にワルター・サンザルブ侯爵に伝言鳥を飛ばした。
可能なら少し相談したいと。
 屋敷で泡の水を啜っていたワルターから歓迎すると返ってきたので、帰宅の足でサンザルブ侯爵邸に立ち寄ることにした。

「ワルター、急に訪ねてすまなかった」
「なんの、気にするな。そういえば公爵家との婚約おめでとう」
「ん、ドリアン様から?」
「ああ、我らはほとんどのことを腹を割って共有しているのさ」

 ちょっとドヤ顔をしたワルターを見て、そう言い切れることがまた羨ましくなる。

「貴族だというのに?いくら同じ派閥といえそこまで信用できるものなのか?神殿契約を結ばされているから?」

 食い入るように顔を寄せたエライオに、ふっと笑ってワルターが答えた。

「神殿契約は皆すぐ決断していたなあ。公爵家に集う、特に側近と言われる貴族たちはどちらかというと立ち回りはそんなにうまくない者が多いと思うが、貴族の割には常識的というか、信じられると思えるやつが多い。まあ、よい仲間と言えるな」
「なぜそこまで?」
「我ら側近たちに限って言えば、定期的に公爵家に子連れで泊まったりして、皆で親交を深めているし、我らにとってドリアンはなんというか絶対的な存在なのだ」

 チラッとエライオを見て、更に続ける。

「ロンドリン伯爵は知っているか?」
「ああ、もちろん」
「冬に雪崩による大災害があったんだが、そのとき王家はほんの少しの見舞金を出しただけ。ドリアンは近隣貴族から土木士を借り出して、雪崩や夏の洪水の被害が出るところに災害対策を自腹で施してやったんだ」
「え・・・」
「そこまでやってくれる派閥の長って、他にいるか?王家でさえろくな手を打たないというのに。だから皆、ドリアンの元に守られていると心から信じられる、故に我らもドリアンとドレイファスを守るためにまとまれるのだよ」

 ふぅと息を吐く。

「エライオ、そのうちにわかるだろうが、君は本当に運がいい。ドリアンも、またドレイファスも公爵家を継ぎ、傘下貴族を率いるのに相応しい存在だからな。我らの仲間になることに迷いがあるなら今のうちに手を引け。仲間になろうと思うなら迷わずに神殿契約をしたらよい」

 ワルターの言葉はエライオの胸を揺さぶった。
帰宅したエライオは、家族だけではなく使用人たちにも公爵家との神殿契約を結ばせると、リリアントやルートリア、ラライヤたちに告げた。執事に主だった使用人を集めさせると、同じように公爵家との神殿契約を勧める。

「もちろん断わる権利もあるが、その場合、我ら家族付きからは外さねばならない」
「そんなっ、ではどちらにしても神殿契約しか選べないではございませんか」
「いや、神殿契約に応じないものは、例えば洗濯係などにはなれるぞ。直接我らに接する仕事から外すと言っているだけだ」
「・・・・・」
「ルートリアとハミンバール侯爵家にとり、また傘下の貴族にとり、フォンブランデイル公爵家との縁組みは非常に大切なものとなる。私も神殿契約などそこまで必要ないのではと公爵閣下に談判に参ったのだが、公爵家の派閥貴族は末端に至るすべてもれなく使用人まで神殿契約を交わしているのだそうだ」

 使用人たちはあんぐりと口を開けた。

「すべて?もれなく?」

 誰かの呟きがエライオまで聞こえる。

「そうだ、末端まですべてだ。一見窮屈そうに見えるが、皆も知ってのとおり公爵派閥からは新しい商品が次々と生み出されており、それらの利益を派閥に分け与えている。神殿契約を交わせば我らもその輪の中に含まれることになるのだ。言っている意味はわかるだろうか?それでもなお承服しかねると言う者は紹介状を用意するので辞めて構わない」

 さっきまでぶつぶつと囁きが聞こえていたが、主にそう言われて、じゃあ辞めますという者もそうはいない。
いや、実際は二人いた。
 エライオはドリアンが使用人に求めた契約書に目を通したが、そこまで頑なに拒むほどのものではなく、むしろその態度に不信を覚えて調査してみたところ、ハミンバール家と敵対する貴族の縁続きだったとわかった。
 恐ろしいことにルートリア付きになる予定で雇い入れたメイド見習いや庭師見習いだったが、ふたりともまだ家族と接する機会の少ない見習いだったのが幸いした。もしこれらの者がもっと深く屋敷に入り込んでいたら。

 ドリアンの指示で本人にすら言わず内密に婚約話を進めたが、知られていたら、ルートリアの婚約は妨害されたかもしれないと、今さら気がついたエライオはゾッとした。妨害どころか、ドレイファスの婚約者を狙う貴族に、ルートリアが害されることだってありえたかもしれないのだから。

 ─獅子身中の虫を炙り出すにも丁度よいということか─

 フォンブランデイル公爵家の徹底した慎重さや情報秘匿ぶりは、誰にでも公明正大で裏表なく真面目一徹と評されるドリアンらしいとは言えないのだが、そういった面があるからこそ、あれほどの力と財を持ち続けていられるのだろうと、その家に掌中の珠とも言えるルートリアを嫁がせることに少しだけ不安を感じたエライオであった。
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